
さぁ、長々トヨタ自動車を調べて疲れてしまったが第2回目はスズキについて調べてみよう〜考えてみよう〜です☆
日産やホンダじゃないの?
すいません。
違うんですね(笑)
さて、スズキと言えば我が愛車ワゴンRにアルト、ジムニー、スイフトが非常に有名である。

(suzuki.co.jpより)
◎スズキ株式会社
(英: SUZUKI MOTOR CORPORATION)は、日本の静岡県浜松市に本社を置く世界大手の輸送機器及び機械工業メーカーである。
スズキ㈱本社
(Wikipediaより)
四輪車の世界販売台数は第10位
国内販売台数は第2位
二輪車の世界販売台数は第8位
国内販売台数は第2位
船外機では販売台数世界第3位である。
2020年度には国内販売台数(普通車と軽自動車の合算)が2位となった。
2022年の乗用車メーカー国内販売ランキングは、
1位:トヨタ(129万台/レクサスを含む)、2位:スズキ(60万台)、3位:ダイハツ(58万台)、4位:ホンダ(57万台)、5位:日産(45万台)、6位:マツダ(16万台)、7位:スバル(10万台)、8位:三菱(9万台)であった。
1998年から採用しているコーポレートスローガンは、
「小さなクルマ、大きな未来。」
大工から身を起こした鈴木道雄により、1909年に織機メーカー「鈴木式織機製作所」として創業された。
当初の木製織機からのちには金属製自動織機の生産へ移行し、企業規模を拡大すると共に、精密機械の加工ノウハウを蓄積した。
ちなみに前回書いた豊田佐吉さん、そして今回の鈴木道雄さん、それから本田宗一郎さん(ホンダ創業者)は同郷(静岡)にあたり共に日本を代表する自動車メーカー創業者の1人として知られる。
近代化された力織機はいったん織物工場に納入されると長年の稼働が可能な耐久商品で代替需要が小さく、将来の販路飽和が予見されたことから、機械技術を活かした多角化策として、早くから自動車産業への進出検討を始めていた。
本格的な参入は1950年代初頭の自転車補助エンジンブームを機にオートバイ開発に乗り出した1952年からである。

スズキ初の二輪車「パワーフリー号」
2サイクル36ccの補助エンジンを自転車に搭載した、まさに原動機付き自転車。
(suzukibike.jpより)
更に1955年には四輪軽自動車分野にも進出し、以後、小型オートバイと軽自動車分野をメインに、日本の小型自動車業界での地歩を築いた。
四輪車は軽自動車や小型車などを主力としている。
軽自動車の分野では、1973年から2006年までの34年間にわたり販売台数日本一を誇り、マツダや日産自動車、三菱自動車工業へのOEM供給も行っている。
社団法人全国軽自動車協会連合会の発表した2006年度(2006年4月 - 2007年3月)軽四輪車新車販売台数速報によれば、長年競い合ってきたダイハツ工業に1位の座を譲った(ダイハツ61万6206台、スズキ60万5486台)。
同社は2006年にスイフトやSX4などの小型車や普通車の強化を表明しており、生産能力確保の為には軽No.1にはこだわらず、軽生産の縮小も辞さないという姿勢を打ち出している。
しかし、2014年は同年1月に発売を開始したクロスオーバーSUVのハスラーが発売初年で10万4233台とヒット車種となったことで軽乗用車販売台数の大幅アップ(2013年比15.9%増)に貢献し、同協会による2014年の軽四輪車新車販売速報ではダイハツ工業(70万6288台)を2,795台上回る70万9083台となり、8年ぶりに軽自動車年間販売台数No.1の座を奪還した。
新興国市場への進出に積極的で、特にインド市場で強みを発揮しており、インドにおける自動車年間販売シェアの54 %はスズキが占めている。
2002年にインド政府との合弁会社マルチ・ウドヨグをマルチ・スズキ・インディアとして子会社化し、連結経常利益の4割を占めている。
ハンガリー(マジャールスズキ)とインド(マルチ・スズキ)の生産拠点では、日本国外市場向けの製造のみならず、日本市場への輸出も積極的に行っている。
自動車以外ではモーターサイクル、モーターボート(スズキマリン)、船外機、発電機、リース/クレジット事業(スズキファイナンス)、住宅(スズキハウス)、マジャール・スズキからの縁によるハンガリー産ワイン・はちみつ、保険の販売やカー用品事業(オートリメッサ)、ガソリンスタンド、ゴルフ場の経営なども手がける。
これらのほとんどは関連会社のスズキビジネスが担当している。
2020年に創立100周年を迎えた国内自動車メーカーの中でも歴史の長い名門企業である。
現在の大手自動車メーカーでは珍しく、起業から現在に至るまで創業家一族が経営の中枢を担う役職を世襲している。
ただし、2000年から2008年までは創業家以外から社長が選出されており、初代社長の鈴木道雄と2015年に社長に就任した鈴木俊宏以外の創業家出身の社長は全て婿養子である。
コーポレートスローガンの歴史は、
○乗りものをつうじてひとりひとりを豊かに(1970年代中期)
○価値ある製品づくりをめざす鈴木自動車
○もっと個性的に、もっとあなたらしく Personal Best(1987年 - 1997年)
○小さなクルマ、大きな未来。(1998年 - 現在)
Way of Life!(グローバルスローガン)
である。
私の中では、Personal Bestのスズキのイメージが非常に強い🤔
よくCMやっていたのを覚えている(笑)
今はももクロだろうか(笑)
スズキ愛車無料点検中とスズキの初売のCMは非常に耳に残る😀

(suzuki.co.jpより)
織機から出発し、2輪車に参入。55年に国内初の軽4輪車「スズライト」を完成したスズキ。

1956年 スズライト・SF型
(Wikipediaより)
軽4輪駆動車「ジムニー」など、独創的な製品を世に送り出してきたパイオニア精神は今も受け継がれている。

スズキ・ジムニー(初代第1期)
LJ10型
(wikipediaより)
スズキを世界的な自動車メーカーに育て上げたのは4代目社長の鈴木修会長だ。
78年に社長に就任し、翌年に発売した軽自動車「アルト」は47万円という画期的な低価格で大ヒットした。

前期型
1979年5月 - 1982年10月
(wikipediaより)
経営の大黒柱となったインド進出でも先見の明が光った。
世界の有力メーカーが時期尚早と躊躇(ちゅうちょ)する中「大手が出ていない国で車を作れば一番になれる」と進出を決めた。
15年に鈴木会長の長男である鈴木俊宏社長にバトンを引き継いだ。
スズキにとってこの人なしでは語れないだろう。
鈴木修相談役(前会長)の存在だ。
鈴木修
1930年生まれの91歳。岐阜県出身。1953年中央大学法学部卒業後、銀行勤務を経て、1958年鈴木自動車工業(株)(現スズキ(株))入社。2代目社長だった鈴木俊三氏の娘婿になる。1963年取締役。常務、専務を経て1978年社長就任。2000年から会長、2008年には再び社長を兼務した。

(wikipediaより)
ホープ自動車という名もなき自動車メーカーから「ジムニー」の元になる知的所有権を買い取り、いまに至る大ヒットに導いたのは鈴木さんの功績である。
いまから40年以上も前に全国統一47万円の価格で「アルト」を売り出して、これまた大成功を収めたのも鈴木さんの手柄だ。
スズキがインドで大成功を収めていることはたびたび報道されているけれど、ハンガリーでも1991年に現地生産を立ち上げていて、いまも年平均10万台ほどのコンパクトカーを世に送り出している。
しかし、鈴木さん率いるスズキはこの間、すべて順風満帆だったわけではない。
当初、スズキは米GMグループだったが、GMは2006年、スズキへの出資比率を従来の20%から3%に引き下げ、2008年に資本提携を解消した。
GMの経営不振が原因だった。
そこでスズキは2009年、独VW(フォルクスワーゲン)と包括提携で合意するが、経営の独立性をめぐって激しく対立。
スズキから見ると、VWとの提携は対等でなく、乗っ取りに近かった。
このため鈴木さんは提携解消を目指したが、VW側と折り合わず、2015年、国際仲裁裁判所(ロンドン)の決定によりようやく解消(VW出資分の買戻し)に漕ぎ着けた。
しかし、VWとの間には、こんなエピソードが残っている。
資本提携に向け浜松市を訪れたVWのエンジニアたちがスズキの竜洋テストコースでスズキ車に試乗したところ、その完成度の高さに驚いたという。
VWはスズキの技術力を高く評価したからこそ、支配力を強めようとしたのだった。
2019年驚くべき出来事があった😀
トヨタ自動車と資本提携で合意したのだ。
VWとの包括提携を破棄した後、スズキは孤立状態だったが、結果的にトヨタと組むことで落ち着いた。
しかし、スズキユーザーである私も驚いた。
それはダイハツが100%トヨタの子会社だからだ!!
次回のダイハツ編にて詳しく書くつもりだがスズキとダイハツは長年、軽自動車戦争を繰り返して来た(笑)
トヨタと組むことによってスズキをも傘下にしスズキとダイハツが統合、軽と小型車部門の開発・生産を一元化なんてことにはならないだろうか😔?
トヨタはスズキの最大のライバルであるダイハツを完全子会社として抱えているが、商売敵のスズキと資本提携するメリットはほとんどないはず。
敢えていえば、スズキがインドに生産拠点を設け、シェア1位を保持していることぐらいだろう。
それゆえにトヨタがスズキと組むことなど、自動車業界ではありえないと思われたが、鈴木氏はそんな「常識」を見事に覆した。
トヨタの豊田章男社長との個人的な人脈で実現したのは間違いない。
もともと豊田章一郎氏とも親交があった鈴木修氏は2023年2月14日に亡くなった豊田章一郎氏に対して、「会社人生の父だった」と言い悼む声をあげた。
「生涯現役」を公言してきたその鈴木修氏が2021年6月の株主総会で代表取締役会長の座を退いた。
鈴木修会長の退任により、スズキを本格的に率いることになった鈴木俊宏社長は、2015年6月に社長就任し6年が経過するなかでの全権委譲となった。
スズキは、トヨタと同じく織機メーカーとして創業し2020年には創業百年を迎えている。
その鈴木家は代々婿養子が継承して、修氏も2代目の俊三氏に婿入りしたが、俊宏社長は、その鈴木修氏の長男として鈴木家で初めての男子ということで、いずれスズキの経営に携わることが確約されていたともいえる。
スズキは鈴木俊宏体制による次の百年に向けて胎動している。
「小・少・軽・短・美」のスローガンを継承して2025年度までのスズキ新中期経営計画で、3兆円企業から4兆8000億円売上への飛躍を目指す。
今後のスズキの課題は、スバルやマツダを含む広義のトヨタグループの中で、競合するダイハツと、どう棲み分けを図るのかということだろう。
スズキの鈴木俊宏社長は2020年3月期第2四半期決算の決算会見で、ダイハツ工業との関係について質問され、「ダイハツとの棲み分けをスズキが考えるということはあり得ない」を強調したが、トヨタグループの中でどんなポジションを担うのかが見ものだ。
スズキの歴史を振り返る名車達の一部をあげます😀
1955年/スズライトセダンSS

1971年フロンテクーペGX
(ベストカーより)

キャリィバン
G・ジウジアーロがデザインを手がけたキャリイバンは1969年7月から3年間販売された。前後対称というスタイルで、リアハッチの傾斜が強いため荷室容積が少なく、次の5代目ではオーソドックスなスタイルとなった。
(ベストカーより)
1977年/初代アルト
(ベストカーより)

初代アルトワークス
1987年2月、DOHC12バルブエンジンにインタークーラーターボを加えた軽初のツインカムターボ車、アルトワークスが発売。EPI(電子制御燃料噴射)に加えてクラス初のESA(電子進角システム)、水冷式オイルクーラーまで備えたエンジンはリッターあたり117.8psとなる最高出力64ps/7500rpm、最大トルク7.3kgm/4000rpm。低回転域からリブリミットの9500rpmまで一気に吹け上がる鋭いレスポンスだった、
(ベストカーより)

RS/アルトワークス
(wikipediaより)

アルトワークス
(カルモマガジンより)

ワゴンR
鈴木修会長が鶴のひと声で「ワゴンであーる」でいいんじゃないかと進言し、そのまま車名になったのは有名な話
(ベストカーより)

2代目ワゴンR RR
(wikipediaより)
ちなみに私の愛車もフロントにだいぶ原形ないが2代目ワゴンR(笑)

ワゴンR RR

(スズキHPより)

1970年/初代ジムニー
(ベストカーより)

1981年にデビューした2代目ジムニーは18年にわたって生産された
(ベストカーより)

(スズキHPより)

1991年/カプチーノ
軽自動車の自主規制値めいっぱいの64psを発生。マツダのAZ-1、ホンダのビートとともに「軽スポーツABCトリオ」と呼ばれ人気を博した 。ルーフとボンネット、リアフェンダーの一部にアルミニウムを使用し、ホイールや駆動系にもアルミニウムを使うことで700kgに収めた
(ベストカーより)

スイフト スポーツ
鍛造ピストンの採用や高圧縮化などの専用チューニングを受けた125ps/15.1kgmを発生する1.6L、直4NAエンジンを搭載。サスペンションの取り付け剛性アップや専用設計フロアなど、多くの専用チューンが行われ、車重は1060kg(5速MT車)。 2007年5月に発売された2型では5速MT車は1速→2速のクロスレシオ化(1速3.545→3.250)、ファイナルギア比変更(4.235→4.388)、レッドゾーンの引き上げ(6800rpm→7200rpm)(レブリミットは7000rpm→7500rpm)などの改良を受けている
(ベストカーより)

2014年1月に発売した初代ハスラー
(ベストカーより)
ちなみに鈴木修会長の社用車はソリオだそうです(笑)
さて、私が思うスズキ車の最大の魅力は、
「安くするために軽くする」
という考え方。
スズキのクルマづくりの原点だということ。
車体が1割軽くなると、コストも1割安くなる。
そして、車体が軽くなった分、燃費もよくなる。
そして、車体が軽ければ同じエンジン性能でも速くなるということ☆
良い部品を作り良い車を作る。
良い部品だから違う車種との互換性も高く流用も効くし、流通も多く部品も安く手に入る。
そして、何よりこだわりも深いが故に MT車も多い。
ホンダのS660と同様、年々厳しさを増す、衝突安全性能と燃費性能、騒音規制に対応できないため、“いったん生産終了”という形をとったアルトワークスもいずれ復活するのではないだろうか?
是非ともスズキならではの車を作り続けて欲しい。
スズキの挑戦はまだまだ続く。。。
最後に鈴木修氏の名言をいくつか紹介しましょう☆
いったん規則ができると、自分の頭で考えずにそれに従う人が出てきます。これを世間では大企業病というのでしょうか。最も頭に来るのがこういう姿勢です。
鈴木修
グローバル化のなかでは、明るい性格のヤツが求められる。明るくアッケラカンとしてる人が、海外で活躍でき、やがてはツキも生む。理屈ばかりで暗い性格はダメ。
鈴木修
俺はサラリーマン社長じゃないから花道はない。だから、自分の任期を考えて経営してきたわけじゃない。
鈴木修
1位と2位が本気で戦いはじめると、3位以下のメーカーなんて木端微塵に吹き飛ばされる。3位以下の企業というのは不安定で脆弱な存在にすぎず、やはり小さな市場であってもナンバーワンになることが大切だと思います。
鈴木修
クルマを生産していない国に行けば、100台でも1位になれる。従業員の士気を高めるためにも、スズキでも1番が取れる国があるんだというのを見せたかった。
鈴木修
ビリだからチャレンジできた。
鈴木修
GMは大きな鯨です。一方、スズキは、メダカよりも小さな蚊のような存在です。メダカなら鯨に飲まれてしまうかもしれませんが、小さな蚊なら、いざというときには空高く舞い上がり、飛んでいくことができます。
鈴木修
会社が大きくなったからといって、スズキという会社に実力がつき、強くなったわけではありません。体の内部の筋肉や臓器が十分に発達していないのに、身長だけがどんどん伸びたようなものです。外からは一人前に見えるかもしれませんが、内部にいれば、その危うさを感じないわけにはいきません。
鈴木修
土曜休んで日曜も休む奴は要らない。今の日本の悪い所はアメリカ的時間の切り売りが横行している事だ。8時間働けばそれでいいなど通用しない、成果で報酬がでるんだ。
鈴木修
自動車会社にとって最も大事なのはクルマです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、その経営者がどんなに人格者でも、いかにブランド力があっても、商品に魅力がなければ会社は傾いてしまいます。自動車に限らずメーカーとはそういうもので、商品がすべてといってもいい。
鈴木修
私はよく「スズキは中小企業だ」と言います。「売上高3兆円で中小企業というのはおかしい」と反論されることもありますが、私が言いたいのは規模の話ではありません。会社の中身が中小企業のままだと言っているのです。他のメーカーと比べるとまだまだ見劣りします。
鈴木修
「安くするために軽くする」という考え方は、スズキのクルマづくりの原点です。車体が1割軽くなると、コストも1割安くなる。そして、車体が軽くなった分、燃費もよくなる。これはいまでも生きています。
鈴木修
メーカーは現場がどうモノを作るかが勝負で、システムだとか管理だとかは後からついていけばいい。
鈴木修
コスト意識を経営がはっきり持つためにも、本社を工場から離してはならない。スズキの本社はいまも静岡県浜松市高塚町の工場横にあります。創業以来、本社工場の考えを変えたことはないし、今後も変わらないでしょう。
鈴木修
部品や製品はもちろん、設備まで、いかに小さく、少なく、軽く、短く、美しくするか。それがコスト削減とともに、できあがったクルマの燃費向上へとつながる。小型車と同じ安全基準が適用される中でのこうした努力が「小さなクルマをつくることなら、誰にも負けない」というスズキの競争力を養う力になっていたと思います。
鈴木修
メーカーというものは工場にカネが落ちているところだ。設計がいいモノを考えて、生産現場がいいモノをつくれば、そんなもん、売れますよ。管理なんて必要ない。
鈴木修
スズキはもともと小さな会社ですから、巨大なライバルと対等に戦えるわけはありませんが、これだけは絶対よそに負けない、特長のある会社にしたいと私は常々思っていました。のちにリスク承知でインド市場に飛び込んでいったのも、他の大手が手を伸ばさないインドなら、一番が取れるだろうと考えたからです。
鈴木修
止まったら負け。この程度の働きで業績が上向くと考える社員がいたとしたら危険だ。
鈴木修
難しい問題に直面したら、自分だけで抱え込まずに、上司に相談してほしい。相談を受けた上司が迷ったら、さらにその上の上司に相談してほしい。これを繰り返すことで、組織のコミュニケーションがよくなり、会社の実力がアップすると思います。
鈴木修
僕は本社工場にものすごくこだわりがある。製造業である限り、モノつくりで生きていこうとする限り、経営の方針を決める本社は現場から離れてはいけないという信念があるからです。
鈴木修
製造業は1円のコストダウンが生死を分けるといわれています。1円を大事にするというのは、決して空疎な精神論ではありません。1円の重みというのは、私たちが日々実感していることなのです。売上高3兆円、利益900億円というと非常に大きなビジネスをしているように見えますが、実際には1部品あたり1円50銭の利益を積み上げた結果にすぎません。もし1部品あたり1円50銭のコストダウンができれば利益は倍増しますが、反対に1円50銭コストアップになれば利益は吹き飛んでしまいます。
鈴木修
会社のトップが会長、社長なら、そのうちのひとりは技術者であるべきだというのが私の持論です。やはり、メーカーのトップには必ず技術者を入れた方がいい。結局、クルマをつくるのはエンジニアであって、彼らをきちんと処遇すること、報酬でもポストでも処遇することが非常に大切だと感じています。スズキの場合は、役員人事でも技術系と事務系が均衡しています。
鈴木修
かつて大企業といえば、資本金や人員数、売上高、歴史、利益といったものさしで判断することができました。ところが現在では、そうしたものさしだけで大企業だと判断することはできません。業界でシェアがナンバーワンかどうか、すなわちプライスリーダーであるかどうかが肝心です。たとえ小さな規模でも、強い個性や特色を備えた商品で、極めて高い市場シェアを持つ会社こそが大企業であると言えると思います。スズキはまだその域に達していません。
鈴木修
日産さんにOEM提供すれば、それだけで年間3万台超が売れる。3万台といえば、スズキの大阪府での販売台数とほぼ同じだ。軽自動車で最大のライバルはダイハツさんだが、先方は47都道府県で勝負している。うちは日産さんへのOEMで48都道府県で勝負できる。長い目で見れば、ダイハツさんとの競争でうちが有利になり、悪い話ではないはずだ。
鈴木修
参考資料
ニュースイッチ
「100年企業」になるスズキとマツダ、トヨタを後ろ盾に開拓精神を貫けるか
PRESIDENT Online
「新技術がわからない」軽の守護神・鈴木修氏の引退で、自動車産業の崩壊が始まる
gqjapan.jpより
偉大なる経営者、ひとり去る──スズキ・鈴木修会長退任へ
ベストカーweb
カリスマ経営者の鈴木修氏が昨年勇退したけれど。。。
今後の「スズキ」は大丈夫か?
J CASTか会社ウオッチ
スズキの鈴木修会長が引退へ 最後は「ありがとう。バイバイ」 「中小企業のおやじ」「忙しくて死ぬ暇もない」名言残し
NHK news web
豊田章一郎氏死去 スズキの鈴木修相談役“大変ショック”
朝日新聞 Digital
スズキ相談役の鈴木修氏「会社人生の父だった」豊田章一郎さん悼む声
Response.
スズキ社長、トヨタと資本提携しても「ダイハツとの棲み分けはあり得ない」
ベストカーweb
【時代に刻む名車の数々!!】
スズキ100周年 記憶に残る革命車とその礎
The Greats
鈴木修の名言
スズキ代表取締役会長
東洋経済Online
スズキ「いつの間にか2位」に躍進した隠れた実力強さが功を奏したか?他メーカーが弱すぎか?
Wikipedia
スズキ㈱HP
次回はダイハツ編です(笑)
それではまた(笑)