
仙台出張からの山形神社仏閣巡りは午後になり雨は上がり晴れて来ました✨
なぁ、山寺に続き是非行きたかった場所にレンタカーで向かいます!
約30分くらいですかね~

山形県寒河江市、慈恩宗本山、瑞宝山本山慈恩寺です☆

仁王像

不動堂
東北三十六不動尊霊場 第一番札所
【縁起】
行基によって見い出され、聖武天皇の勅によって創建したとされる。
その後、鳥羽天皇の勅で再建され、後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。
平安時代は荘園領主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。
江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。
修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮して帰農する坊が続出した。
現在は3ヵ院17坊を伝える。
本尊は弥勒菩薩で、脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する日本国内でも珍しい五尊形式である。
創建当初は八幡大菩薩を鎮守神として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。
境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。
(Wikipedia抜粋)
このお寺の縁起をみていると非常に興味深いです✨
当時の歴史背景、権利者闘争から生まれる時代の流れによっていろいろな宗派を取り入れ、3ヵ院48坊からなる一山寺院を形成し、鎮護国家、除災招福を祈願する寺院が構成されたこと。
真言方は宝蔵院・華蔵院、天台方は最上院の3ヵ院で、所属の院坊をまとめ、幕府など大檀那への年礼を主としたところです。
現在は3ヵ院17坊が一山を支えている。

山門
山形県指定有形文化財。

本堂は改修中であった(笑)

慈恩寺本堂
重要文化財
(やまがたへの旅より)
本堂内は拝観出来ます!
◉木造聖徳太子立像(鎌倉時代)
平成30年国指定重量文化財
◉木造釈迦如来坐像及び諸尊像(木造騎獅文殊菩薩及脇侍像・木造騎象文殊菩薩及十羅刹女像)(平安時代)
平成30年2件の重要文化財を1件に統合指定
◉木造菩薩坐像(平安時代)
県指定有形文化財
ほかを参拝できます✨
そして何より今回は行って良かったのは偶然にも、

こちらの開催中だったことだ。

薬師堂と阿弥陀堂

阿弥陀堂
元禄8年(1694年)築造。方三間、宝形造。棟梁長谷川武右衛門。本尊木造阿弥陀如来坐像。

釈迦堂
元禄8年(1694年)築造。方三間、宝形造。棟梁柏倉八郎兵衛。

天台大師堂
延享3年(1746年)築造。方三間、宝形造。棟梁矢作惣兵衛。

薬師堂
元禄5年(1691年)築造。方三間、宝形造。大工東光坊、光明院ほか。本尊木造薬師如来及両脇侍像。木造十二神将立像。
今回の菩薩展で更に拝観できたのは薬師堂。
本尊木造薬師如来及両脇侍像と木造十二神将立像を参拝出来ました。
ちなみに慈恩寺境内にはボランティアさんが常駐していて詳しい説明を受けられます。
ちなみに十二神将立像は、1992年(平成4年)米国ワシントンD.C.で開催された国際彫刻展に卯神将と巳神将が出展。
2016年(平成28年)イタリア・クイリナーレ宮美術館で開催された日本仏像展に十二神将立像から丑神・巳神・戌神・亥神の4体が出展。
これらの説明も受けました😃
ちなみに私の住む埼玉県には天台宗華林山慈恩寺(さいたま市岩槻区)があり、玄奘三蔵霊骨塔と呼ばれる西遊記(孫悟空物語)で名高い玄奘三蔵法師の霊骨石塔があります。
三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。
頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。
日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。
第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされたのがこの岩槻の慈恩寺なのです。
(ホームページより抜粋)
ボランティアさんに聞いてみました。
こちらの慈恩寺は南都六宗、法相宗の流れを今でも受け継ぎ天台・真言の兼学を元に歴史の深い寺院であることから玄奘三蔵法師の遺骨の奉安にならなかったのかなぁ?と。
そしたら何故かわからないけど断ってしまったらしい(泣)
とのことでした(笑)

三重塔
山形県指定有形文化財
当初、慶長13年(1608年)築造されるも、文政6年(1823年)焼失。文政13年(1830年)再建。本尊木造大日如来坐像。

宝蔵院表門
山形県指定有形文化財
(宝蔵院 言宗 真言方学頭)

華蔵院
(華蔵院 真言宗 真言方学頭)
映画「男はつらいよ 葛飾立志篇」(1975年公開)で、主人公の寅次郎が墓参するシーンが撮影された。

熊野神社
延宝9年(1681年)築造。木造、一間社流造、梁間1間、屋根は鉄板葺(もと茅葺)

慈恩寺旧境内
2014年10月6日国史跡に指定。
指定範囲には昭和27年(1952年)4月1日付で山形県の史跡に指定されていた区域を含み、指定面積の合計は約44万6千平方メートルで大きく3つのエリアに分かれる。
本堂を中心とする「本堂境内地」「院坊屋敷地」と後背の「中世城館群」、西の結界「八面大荒神(はちめんだいこうじん)」、および「慈恩寺修験行場跡(山業)」である。

御朱印
ホントに素晴らしいお寺でした✨
あと慈恩寺の関係者のみなさん非常に優しく対応してくれました😊

若松寺、立石寺、慈恩寺の出羽名刹三寺巡り結願です♪
さあ、慈恩寺を後にし移動します。

同じ山形県寒河江市、寒河江八幡宮です♪
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
寒河江荘の総鎮守で、かつては川西鎮守と称した。

神輿殿

照古殿

高良神社
新山神社

寒河江八幡宮拝殿

寒河江八幡宮本殿
誉田別命(応神天皇、八幡神)を主祭神とし、大山祇神を配祀する。
社伝によれば、源頼義・源義家親子が前九年の役の際八幡神に祈って戦勝したので、寛治7年(1093年)に京都男山八幡宮を勧請し八幡原(現・寒河江市若葉町・元町)に創建したと伝える。
鎌倉時代の建久2年(1191年)、寒河江に入った大江親広が改めて鎌倉にある鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、八幡原の八幡社と合祀して現在地に社殿を創建して大江氏(寒河江氏)の産土神とした。
谷地八幡宮・溝延八幡神社とともに「寒河江荘三八幡」と称され、武家の崇敬を受けた。
現在の本殿は貞享3年(1686年)に拝殿は安永4年(1775年)に建築された。1940年(昭和15年)に県社に昇格した。
元の社名は「八幡神社」であったが、神社本庁の別表神社に加列される際に現在の寒河江八幡宮に改称した。
(Wikipedia抜粋)
こちらは流鏑馬が有名です✨

稲荷神社

御朱印です♪
いやー素晴らしかったです✨

隣接する厳島神社
現在15時☆
後半へ続きます。。。
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2024/07/16 14:24:08