
1週間の新潟出張になりました。
そのあとちょっと休みになったので仕事の先輩と1日新潟観光をすることにしました✨
新潟の神社仏閣をいろいろ検索した結果、昔行った南魚沼周辺を先輩に見せてあげることにしました。
仕事場は新潟市内の為、南魚沼までの電車移動等は大変なので慣らしも兼ねて車で行くことにしました😄
ただ、問題はその前の週が仙台出張な為、めちゃくちゃ大変でした🥺
仙台出張最終日9時から仕事をし、19時に撤収を行い、19時半の新幹線にて21時半に一旦埼玉に帰宅。
そのまま、新潟出張の準備をして深夜0時にガソリン満タン入れて車にて出発。
深夜なんで道が空いているから何処から高速に乗ろうと考えている間にずっと下道になってしまいました(笑)
新潟市内まで初めて行きましたが、新潟に入ってからがとにかく長い。
途中コンビニ寄ったりと眠さも我慢しながら7時間で市内の特P駐車場に到着。
これは、格安でいろんな方が貸し出している駐車場です。
5日間予約しておきました☆
そのまま寝ないで仕事を19時まで😵💫
さすがに途中、目が回りそうにクラクラしましたがなんとか出張1日目が終了(笑)
愛車に関してはエンジン載せ替えから850キロにてまだ4000回転縛りにて慣らし中。
出張中は新潟万代バスセンターにて昼食を取ったりしました(笑)

有名な万代バスセンターの立ち食いカレー(笑)
めちゃくちゃ並んでます(笑)
アンド

その隣、ラーチャン家のラーチャンセット☆
私的にはここのラーメンとチャーハンがお気に入りでした✨

更に駅前、まごころ亭の吟醸味噌󠄀ラーメン食べたりしました😄
どれも美味しかった〜☆
さて、そんなこんなで新潟出張が終わり先輩を乗せて魚沼市、駅でいうと浦佐の駅近くのホテルまで移動します😃
その前に調べた場所で夕食にします♪
それまでイオンの弁当で我慢していたのでちょっと豪勢に☆

釜飯、五頭の山茂登(やまもと)さん♪

天ぷらと五目釜飯です(笑)
ちょー美味しかった〜☆
さて、高速乗って小出インターで降りホテルへ。
翌朝、9時に先輩を乗せてワールドシリーズを流しながら、いざ、お寺へ出発です☆
まずは、ホテルから車で10分魚沼市へ。
大谷翔平選手の第一打席を観たところで拝観しました。

まずは新潟県魚沼市、曹洞宗赤城山西福寺です。
1534年(室町時代後期)、開山 芳室祖春(ほうしつそしゅん)大和尚によって開かれました。
約500年の歴史を持っているそうです。
ご本尊様は阿弥陀如来三尊で、鎌倉時代の作です。
本来、曹洞宗では釈迦如来をご本尊としてお奉りしますが、このお寺は初め天台宗の寺であった為、本尊阿弥陀様をそのまま受け継いで曹洞宗に改宗し、800年以上護寺してきたそうです。

鐘楼堂

西福寺本堂
本堂大間の格天井の菊の御紋は、幕末期の1860年前後、桑名藩主 松平定敬(さだあき)公が京都所司代を勤められた頃に頂いたもので、
当時、西福寺の所有していた土地が幕府の天領地であり、桑名藩の管轄だったことから、定敬公のお計らいで天皇家から頂戴したそうです。
この天皇家の十六菊紋と五七桐紋は、ご本尊の前机や本堂の屋根ぐし、開山堂の向拝に施されています。

西福寺開山堂
開山堂とは、そのお寺を開かれた御開山様である初代の御住職様をおまつりする御堂のことをいいます。
西福寺ではこの開山堂に、御開山芳室祖春大和尚様と曹洞宗の開祖様である道元禅師様が中央に、そしてその周りにはお寺を守ってこられた歴代の御住職様がおまつりされています。
この開山堂は、当山23世蟠谷大龍(ばんおくだいりゅう)大和尚様により建立され、嘉永5年(1852)起工、安政4年(1857)に完成しました。
建築の様式は、鎌倉時代禅宗仏殿構造、屋根は茅葺き二重層、上層部入母屋造り、総欅五間四方、唐破風向拝を有しています。
また開山堂内外には、<幕末の名匠 石川雲蝶>作の彫刻や絵画が施されています。

道元禅師猛虎調伏の図(大きさ約5.5メートル四方)
(ホームページより)
開祖道元禅師様を題材にした作品が多く、特に堂内の天井三間四方全面に施された大彫刻、「道元禅師猛虎調伏の図」は、透かし彫りの繊細さと極彩色のあざやかさで、観る人に感動を与えます。

(新潟観光ナビより)

(新潟観光ナビより)
開山堂をお参りし、彫刻を観ていると、高僧、道元禅師様が、すぐ傍で語りかけてくださるような、清々しさを感じます。
これらの石川雲蝶の作品は新潟県文化財に指定されており、その彫刻の見事さから又の名を「越後日光開山堂」とよばれています。
(ホームページより抜粋、引用)
この彫刻がとにかく凄いです。
本堂内で20分程あるDVDにて先に学習した後の拝観をおすすめします✨
開山堂は、嘉永5年(1852)起工、安政4年(1857)落成になるので、なんと石川雲蝶はわずか5年数ヶ月で開山堂内外の彫刻絵画漆喰などの大作を仕上げているのです。
それはそれはとても素晴らしく一見の価値があります。
実は昔一度訪れているのですが、中国の団体客がいてワーワー騒ぎゆっくり観れず、なくなく後にしたので今回、朝一で来て彫刻の細部までゆっくり観れてホントによかったです😄

(パンフレットより)
開山堂の石川雲蝶の彫刻は、新潟県指定有形文化財に指定されているのですが、国指定重文くらいになっても良いように思います。
とにかく素晴らしかったです☆

御朱印です✨
続きましては。。。

赤門
(永享年間に造られ江戸時代に再建された)
新潟県南魚沼市、曹洞宗金城山雲洞庵に来ました☆
『雲洞庵の土ふんだか』で有名な雲洞庵です。

鐘楼堂

本堂
(江戸時代に出雲崎の大工である小黒甚内を棟梁として再建された)
本尊は釈迦牟尼仏。
本堂内参拝できます。
写真撮影も大丈夫でした✨
南魚沼郡一帯にあたる上田庄に位置する。当寺の縁起や『日本洞上聯燈録』によれば、藤原房前の母である藤原先妣尼が庵を結び開祖とする伝承を持つ。
また、養老元年(701年)房前が母の菩提を弔うため、尼寺を創建した。室町時代に至り直江津を本拠としていた関東管領の上杉憲実が永享元年(1430年)、寺伝によれば応永27年(1420年)に、越後ではじめての曹洞宗寺院である耕雲寺住職である傑堂能勝の法嗣の顕窓慶字を招き、禅寺として再興したという。
上田庄は山内上杉氏との関わりを持ち、山内上杉氏を継いだ憲実は雲洞庵再興を企図していた叔父にあたる上杉憲定の意思を継いで再興を行ったという。
憲実は文安4年(1447年)に政治から退くと、雲洞庵に隠棲している。のち直末27寺を有する越後有数の大寺院に発展し、耕雲寺(村上市)、種月寺(新潟市)、慈光寺(五泉市)と共に、越後四箇之道場と称された。

本堂内
赤門からの参道の下には法華経の一石一字が書かれた石が埋められており古来より「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌嘗めたか」といわれ、参道を踏みしめて参詣することで御利益があるとされた。

坐禅堂
戦国時代には北高全祝が第10世住職となる。北高全祝は雲洞庵で修行し住職になり、永禄8年(1565年)には甲斐国の武田信玄の招きにより信濃国佐久郡岩村田の竜雲寺住職となった。
越後国主となる上杉景勝やその家臣である直江兼続が幼少期に、通天存達(第13世住職・長尾政景兄)らより勉学を学んだ寺とされる。
(Wikipedia抜粋)

客殿からの景色
紅葉時期はさぞかしキレイでしょう✨

客殿
本堂内も優雅に参拝することができ、観光寺院ではない、修行道場ならではの風格を醸し出しています。

薬師三尊像と十二神将

虚空蔵菩薩

大方丈

客引観音

宝物殿
これら全てが拝観料300円で内覧できます。
参拝客も比較的年齢層が高く落ち着いた雰囲気です。
都会にはない荘厳かつ神聖な空間を感じれます✨

御朱印
いや〜ホント素晴らしかった😃
さぁ〜お腹も空いてきたのでお昼です😚✨

訪れたのは新潟県南魚沼市魚沼の里、蕎麦屋長森さんです。
旧家の一部を移築した古民家風の趣ある佇まいです。
低いくぐり戸を抜けると昔ながらの土間。 囲炉裏のある板の間、太い梁が風格を放つ高い天井。 そんな懐かしさを感じさせる落ち着いた空間でした✨
ちなみに低いくぐり戸は江戸時代の百姓の生活と関係があり、いつでも戦に駆り出されるかもしれないことから防犯の為でもあったようです。
素晴らしい建築様式でした☆

野菜天せいろそばの大盛りです✨
魚沼産コシヒカリのおにぎりも一緒に頂きたかったのですが売り切れでした🥺
蕎麦の風味、天ぷらの野菜の甘み最高でした~(笑)
この魚沼の里では、ビール醸造所や、ウィスキーや焼酎の貯蔵庫、ビールバーや菓子処さとやさん等が隣接しております。
そのなかに、にぎりめしてっぺんさんがありおにぎり頂きました(笑)

わさびおにぎり✨
新潟魚沼産コシヒカリ美味しかったです😚
さて、最後に訪れたのは、こちら。
新潟県南魚沼市、臨済宗円覚寺派最上山関興寺です。

総門
この門は「忠臣蔵」で有名な赤穂浪士・堀部安兵衛(ほりべやすべえ)にゆかりがあり、屋敷の書院・庭園は群馬県の重要文化財
(昭和四十八年八月二十一日)に指定されており、特に庭園は堀部安兵衛が自ら設計・作庭したと
伝えられている。

三門
本尊は釈迦牟尼佛。

鐘楼堂

本堂
こちら関東管領上杉家・上田長尾家ゆかりの禅寺として知られております。
開創は応永17年(1410年)で覚翁祖伝和尚が開基。

本堂 方丈
こちらも拝観。
関ヶ原合戦後、大檀越・上杉景勝公の米沢移封の為、庇護を失った越後関興寺は一時衰退するが、
それを憂いだ景勝公の命により、
米沢藩・二代藩主定勝公指南役・萬源恵祥禅師(ばんげんえしょうぜんじ・鎌倉建長寺第一八五世住持)が米沢関興庵から越後関興寺第三七世に住持するや、ご朱印地を与えられるなど徳川幕府より篤い庇護を受け、十万石の格式を授かるまでに法灯が復興した。
(ホームページより)
私は納経したこともあり、お経をあげて頂き、更にご本尊様近くまで参拝出来ましてとても感謝です✨

枯山水
本堂参拝後、味噌を舐めさせて頂きました😚
『関興寺の味噌なめたか』
古来、禅院の生活は枯淡であり食事も質素で味噌は禅院の生活に欠かせないとあって寺では修行僧が自ら沢山の味噌を作り貯えていました。
天正6年(1578年)上杉謙信の没後、景勝・景虎二子による家督相続争いの合戦(御館の乱)がおこり景勝公に縁の深かった関興寺は景虎方の小田原北条軍に包囲され、逃げ込んだ兵を引き渡すように命じられましたが時の住職・雨天是鑑和尚は、
「日頃より外護を受けている上杉家を裏切る真似は出来ない」
と、要求を跳ねのけました。
その為小田原北条軍に火をかけられ、焼き討ちにあってしまったのです。
総門・三門・仏殿・法堂・方丈・禅堂・塔頭7ヶ寺に及ぶ大伽藍は、ことごとく焼失してしまいましたが、その戦火の折、雨天是鑑和尚は上杉氏より寄進された大般若経典六百巻を味噌桶の中に埋めるように修行僧に命じて、火災から大切な経典を守りました。
すると近在の人々の間で、
「関興寺の味噌は大切な経典を守った有難い味噌。
ましてやその味噌の中に600巻もの経典が埋められたならば、さぞかし関興寺の味噌には経典のご利益・功徳があるに違いない」
とその味噌を分けて下さいと関興寺に参拝する者があとを絶ちませんでした。
以来、「人々の間でこの味噌をいただくものは大般若経典のご利益にあずかり福徳が授かることができる」と世の人々に言いはやされるようになり、
「関興寺に参拝したならば、お味噌を頂かなければ何のためにお参りしたか甲斐がない」
「関興寺にお参りして有難い味噌を頂きましたか?」の問いかけの言葉として
「関興寺の味噌なめたか」
の言葉が後世の人々に言い伝えられるようになりました。

(ホームページより)

輪蔵
輪蔵とは、寺院内に設けられた経蔵の一種。転輪蔵。経蔵の中央に、中心軸に沿って回転させることが可能な六面形の書架を設け、そこに黄檗版一切経を収納したものである(回転式書架)。
一般には、この輪蔵を回転させると、それだけで一切経を習得したのと同等のご利益が得られるものと古来より信仰されている。
中国・南朝梁の傅大士によって考案されたものと伝えられており、輪蔵の正面には、傅大士とその二子(普建・普成)による三尊像が
奉安されている。
臨済宗の禅寺にしては珍しく、総漆塗りで金箔がほどこされ絢爛豪華であるが、寛政年間に建立され二百年以上が経過しており、近在では水沢観音・善光寺などにしかなく新潟県下では非常に数少ない貴重な建造物である。
普段は外からしか参拝は出来ないが、特別希望者には転輪祈願(てんりんきがん・輪蔵を回転させながら願い事を念じ、ご利益を授かる行)が許される。
(ホームページより)
普通に参拝させて頂けました(笑)

摩尼車
非常に素晴らしかったです✨
禅宗(本来禅宗なんてものなはい)様式ならではの質素な本堂かつキレイな庭園😃

御朱印
住職さんにもとても親切にして頂きホント地方の寺院はいいなぁ〜って思います😊
この度、2度目の魚沼市の西福寺、南魚沼市の雲洞庵、関興寺に行って参りました😃
歴史好きな先輩も全然知らなかったととても喜んでいました(笑)
3寺ともとても素晴らしかったですよ✨
我が愛車、走行距離慣らし1000キロ超えた帰りは、三国峠を少し回してみました😃
リビルドエンジン、リビルドスロットルボディ、その他もろもろリフレッシュさせたエンジンルームはそれはそれはキレイで走りも快適✨
吹け上がりも抜群でした~😚
ちょっと足回りがついていってない感がありましたが。。。
そこはトールワゴン、仕方ないのかなぁ〜🤔
おいおい考えます〜
車も思いの外絶好調でした~
今度は日本シリーズを流しながら関越、月夜野から高崎玉村スマートICまで高速を使いルート354、行田経由でルート4にて春日部方面へ。
途中杉戸の牛タンけやきさんで夕食😚

仙台 熟成牛たん焼き定食
そういえば、仙台出張の時けやきさんの店舗あって、行くか迷って行かなかったのだが、同じお店とは(笑)
美味しかったです☆
先輩は千葉方面なので東武野田線の駅まで送り無事帰って来ました😃✨
新潟も車もバッチリで尚且つ、交通費も先輩と折半でだいぶ浮きましたとさ〜😚
この度、総走行距離は784キロ♪
良い慣らし運転になりました☆
それではまた(笑)