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Hiro.Yのブログ一覧

2024年07月15日 イイね!

仙台出張からの山形神社仏閣巡り①〜歌縣稲荷神社、若松寺、山寺日枝神社、立石寺編〜

仙台出張からの山形神社仏閣巡り①〜歌縣稲荷神社、若松寺、山寺日枝神社、立石寺編〜仕事で仙台出張になりまして、考えてみたら次の日休みなんで急遽山形県に行くことにしました✨

問題は天気。
ずっと雨が激しく降ってたもので。

仕事終わり仙台から高速バスで山形まで行き、ホテルに泊まりました。


次の日、朝は曇り。

レンタカーを予約したんで山形駅まで向かいます。

その途中にまず訪れたのは、歌縣稲荷神社☆








ホームページによると、元和4年(1618年・江戸前期)に、前身であられた五佛山吉祥院という寺院が、神仏習合によって京都伏見より勧進されたお稲荷様をお祀りしたことから歌懸稻荷神社がご鎮座されるようになった。

当時は山形城下・稲荷口(現在の山形駅付近)にご鎮座なされていた寺院。


お参りに来られた方々は歌を奉納するという習慣があった。

なぜなら、付近には歌を読まなければ渡ることが許されない橋があったからだそうで。

そこで歌縣稲荷神社って名前なんですね〜

拝殿

主祭神は稲倉魂命(いなだまのみこと)

お稲荷さんの愛称で親しまれる神様。食物を司る神様で、五穀豊穣、商売繁盛のご利益。



朝早かったので社務所は空いてませんでした。



さて、山形駅前のレンタカー屋さんに朝イチ行きます!


日産DAYZです。

キーを回す車以外乗ったことなくエンジンスイッチ何処にあるか探しました(笑)


さて、駅から40分ほど走り天童市に入りました。
雨降って来ました!











山形県天童市、天台宗鈴立山若松寺(じゃくしょうじ)です☆

別称は若松観音(わかまつかんのん)。

「西の出雲、東の若松」と、出雲大社と並び称される縁結びの観音として知られる。


室町時代には西国の観音巡礼信仰が東国にも普及し、最上三十三観音霊場第1番札所に位置づけられている。

本堂

寺伝によれば、和銅元年(708年)、元明天皇の勅命によって東国巡錫の途中であった行基が、鈴の音に導かれ現在の鈴立山に登り、山上で光り輝く三十三観音像を感得したことにより開山されたという。

その後、空海や円仁(慈覚大師)が登山したとの伝承もあり、貞観2年(860年)、立石寺開山の円仁(慈覚大師)が立石寺の山頂付近にあった堂を現在の地に移したという。この頃法相宗から天台宗となる。


元三大師堂




寺宝としては、弘長3年(1263年)に藤原真綱一族が二世安楽を願って奉納した「金銅聖観音像懸仏」(こんどう しょうかんのんぞう かけぼとけ、国の重要文化財)、永禄6年(1563年)、郷目右京進貞繁が奉納した「板絵著色神馬図」(いたえちゃくしょく しんめず、国の重要文化財)がある。


観音堂は1963年に国の重要文化財に指定されている。
(Wikipedia抜粋)




急遽山形行きを決めたのて御朱印帳は持参しておらず、三寺巡り御朱印帳とやらがあったので購入。

こちらは3330円で三寺分の御朱印と拝観料がセットになっている御朱印帳らしい。


御朱印


若松寺を後にし山寺に向かいます!

雨激しく降って来ました🥴

山寺到着✨







煩悩の数108段の石段を登ると、


山形県山形市山寺、出羽国山寺総鎮守日枝神社です☆


ホームページによると、山寺日枝神社は奇岩佳勝、史跡名所地として知られる山寺の守り神である日枝神社は貞観2年(860年)、後に天台宗の第三座主となる慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)が宝珠山を開基する際に、比叡山延暦寺に倣って山寺一山の守護神として近江国坂本の日吉大社(ひえたいしゃ)より御分霊を勧請し祀ったのが始まりです。

​神社は当初より山王権現、またの名を大宮大権現と称され二ノ宮、三ノ宮、客人権現、更には山王二十一社の規模が整えられ、天台宗派の手により、山王神道の神仏習合における東北地方の一大根拠地となりました。

​しかし、大永元年(1521年)には、山形城主である最上家の家督親族争いの巻き添えに伴い、天童城主「天童頼長」等の一軍により山寺一山はことごとく焼き討ちされ、当社も廃儘と帰したが、天文二年(1534年)には、一山の守護神として、当社を先ず再建せらるに至りました。


拝殿

主祭神大山咋神



明治3年、政府の神仏分離令(神仏判然令)により、立石寺とは切り離し山寺村の守護神として日枝神社と社名を改め村社の社格を有することとなり、ここに1000年に及ぶ立石寺の当社への別当は終止符を打つ事となりました。


御神輿殿



招福守

御朱印

それでは立石寺に詣ります。
まずは根本中堂です。




立石寺根本中堂
ここには不滅の法灯があります。

根本中堂は立石寺という御山全体の寺院の本堂に当たる御堂です。

現在の根本中堂は延文元年(1356年)初代山形城主・斯波兼頼が再建した、入母屋造・五間四面の建物で、ブナ材が全体の6割程用いられブナ材の建築物では日本最古といわれる。

堂内では、本尊として慈覚大師作と伝えられる木造薬師如来坐像をお祀りし、脇侍として日光・月光両菩薩と十二支天、その左右に文殊菩薩と毘沙門天を拝することができる。

布袋尊

山形県山形市山寺、天台宗寶珠山阿所川院立石寺♪

蔵王国定公園(第2種特別地域)に指定されていて、円仁が開山した四寺(他は中尊寺・毛越寺、瑞巌寺)を巡る「四寺廻廊」を構成しているほか、若松寺と慈恩寺を含めて巡る出羽名刹三寺まいりを構成する。


御朱印


一度来てみたかったです✨



では奥の院を目指します。

写真は背景を若干明るく加工しておりますが雨は降っています。

ここ何年もふくらはぎがシビレており、ホームの階段すら休み休みでないと登れないのですが、今回は覚悟を持って登ります🥹




創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師円仁によって建立されました。

当時、この地を訪れた慈覚大師は土地の主より砂金千両・麻布三千反をもって周囲十里四方を買い上げ寺領とし、堂塔三百余をもってこの地の布教に勤められました。

開山の際には本山延暦寺より伝教大師が灯された不滅の法灯を分けられ、また開祖慈覚大師の霊位に捧げるために香を絶やさず、大師が当山に伝えた四年を一区切りとした不断の写経行を護る寺院となりました。
(ホームページより抜粋)










まーとにかく石段を登ります。
ときより激しく雨降ってきますが気温は24℃。

これ逆に晴れて30℃超えていたらしんどいからある意味良かった😚



その後鎌倉期に至り、僧坊大いに栄えましたが、室町期には戦火に巻き込まれ衰えた時期もありましたが、江戸期に千四百二十石の朱印地を賜り、堂塔が再建整備されました。元禄二年(1689)には俳聖松尾芭蕉が奥の細道の紀行の際この地を訪れ、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の名句を残しました。




せみ塚

俳聖松尾芭蕉が山寺の地を訪れたのは元禄二年(1689)旧暦で五月二十七日(新暦七月十三日)、紀行文と句を詠んだのは当時麓にあった宿坊といわれています。



現在は約百町歩(33万坪)の境内を持ち、その中に大小30余りの堂塔が残され、三つの不滅(法灯・香・写経行)が今尚護られています。







仁王門




仁王像


さあ、まだまだ歩きます。


性相院

仁王門からのぼると性相院となります。

昔は山上にあった十二支院の一つで慈覚大師作と伝えられる阿弥陀如来を本尊とし運慶作の毘沙門天を安置し、明治元年に山の善行院、極楽院を合併され現在に至ります。








開山堂

百丈岩の上に立つ開山堂は立石寺を開かれた慈覚大師の御堂で、この御堂が建つ崖下にある自然窟に大師の御遺骸が金棺に入れられ埋葬されています。御堂には大師の木造の尊像が安置されており、朝夕、食飯と香が絶やさず供えられ護られています。普段は扉の閉じられた御堂ですが、年に一度、大師のご命日に当たる一月十四日に法要が行われ御開帳されます。


納経堂

向かって左、岩の上の赤い小さな堂は写経を納める納経堂で、山内で最も古い建物です。ここに奥之院で四年をかけ写経された法華経が納められます。県指定文化財で、昭和六十二年に解体修理が行われました。またここより向かって右上には五大明王を奉る五大堂があります。舞台造りのこの御堂からは山寺を一望でき、絶景を楽しむことができます。











開山堂から先に行くと見晴らし台かあります。

五大閤




天気は悪いですが、とっても素晴らしいところです✨



金乗院

十二支院の一つで、延命地蔵菩薩を本尊とし、ほかに千体・不動明王を安置しており、寺は天保十一年(1840年)三月、澄明旭海によって再建されました。


御朱印






更に歩きます!


中性院

阿弥陀如来を本尊とし、明治元年に不動院と合併されました。

背後の岩窟には新庄藩戸沢家歴代の石碑が立ち、また道の向かい側には、山形城主最上義光公霊屋があり、最上一族の霊を本尊となる一寸一社の地蔵尊によって祀っています。







さあ、どしゃ降りの中、もう少し歩くと奥の院です。





大佛殿

奥の院如法堂

奥之院は通称で、正しくは「如法堂」といいます。

慈覚大師が中国で持ち歩いていたとされる釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊とする如法堂は、参道の終点にあるので「奥之院」と呼ばれています。

この道場で慈覚大師が初められた石墨草筆・一字三礼の如法写経行が護られています。

また如法堂左側の大仏殿には、像高5メートルの金色の阿弥陀如来が安置され、宗派を問わず供養に数多くの人が訪れます。









下山します。






華厳院

ここも十二支院の一つで、慈覚大師が開山のみぎりこの寺にお住まいになったといわれ、本尊は慈覚大師作の観世音菩薩と伝えれれます。向かって右側にある岩屋には、岩屋をお堂に見たてたその中に三重小塔があります。

永正十六年(1519)に造られたこの塔は柱間一尺五寸ほどの小さなものですが、他の塔と同様の工程で組み上げられ全国で最も小さい三重塔ということもあり、国の重要文化財に指定されています。
(ホームページより各所抜粋)



三重小塔









本坊

本尊 阿弥陀如来







雨でしたが来て良かったです。
所要時間は1時間半ってとこでしょうか。

山全体が荘厳で神秘的でした😃


疲れてお腹空いてしまったんで山寺駅近くの茶屋でご飯にしました✨




いも煮セット夏限定バージョン

山形名物のいも煮と山形のお米つや姫に出汁をかけて頂きます✨
付け合せはしそ巻きかな?

いやーめちゃくちゃ美味しかったです😚



午前中はこれで終了☆

午後につづく。。。


Posted at 2024/07/15 23:51:46 | コメント(2) | トラックバック(0)
2024年07月11日 イイね!

仙台出張からの山形神社仏閣巡り③〜安国寺、山形縣護国神社、出羽国分寺薬師堂、鳥海月山両所宮編〜

仙台出張からの山形神社仏閣巡り③〜安国寺、山形縣護国神社、出羽国分寺薬師堂、鳥海月山両所宮編〜さて、仙台出張からの山形神社仏閣巡り、15時過ぎて山形市内の方に近づいて来ました!

続いて来たのは、






山形県東村山郡山辺町、曹洞宗太平山安国寺です♪


安国寺楼門




足利尊氏が後醍醐天皇や、建武の新政を巡り没した戦没者の追倬として行った一国一寺(もしくは一塔)の一つ。

開山した当時の物は焼失したものの宝暦中(1751年 - 1764年)に再建された楼門式の山門(別名:仁王門)、鐘楼や、夢窓国師作とされている庭園など一部残っている部分もある。


本堂

1356年(延文元年)に、奥州探題・斯波家兼の次男兼頼によって開基される。

これにより南朝についた大江氏を押えることを目的に寺院城郭として整備、北朝の重要な軍事拠点となった。

しかし室町幕府の権威が弱まると同時に明応・元和頃に寺の力が弱まり、民衆による檀家制度に移行された。

1749年(寛延2年)、1751年(宝暦元年)に火災にあい、一部が焼失したが、その後に再建される。

1910年(明治43年)9月26日に182.0 x 363.5の法量の針子図の絵馬が奉納された。

2015年(平成27年)3月24日に楼門が山形県指定有形文化財に指定された。
(Wikipedia抜粋)


本尊は阿弥陀如来安国寺です♪

この日は法事らしくたくさんの人がぞろぞろ入って来たのでそそくさ出ましたとさ(笑)



山形市内に入りました!



手水舎

山形県山形市、山形縣護国神社です☆

明治維新から第二次世界大戦までの戦没者4万余柱を祀る。

明治2年(1869年)1月、戊辰戦争で戦死した薩摩藩士10柱を祀るために山形市八日町に社殿を造営したのに始まる。

明治8年に山形招魂社となり、以降山形県関係の戦没者を合祀した。

明治22年(1889年)山形市宮町に遷座し、明治44年(1911年)の山形市北大火の災厄で社殿焼失の憂き目に遭ったが、大正3年(1914年)に再建された。

昭和9年(1934年)千歳公園内の現在地に遷座した。

昭和14年(1939年)の制度改革により内務大臣指定護国神社となり、山形県護国神社と称した。

GHQ占領下の昭和22年(1947年)から昭和27年(1952年)においては所在地の千歳公園に因んで「千歳宮」と称していた。

現在の拝殿は平成6年(1994年)に改築されたものである。
(Wikipedia抜粋)

拝殿

敷島神社


ここは薬師公園に面しており隣にはお寺があります。



山形県山形市薬師町、出羽国分寺薬師堂です☆

本堂

創建は天平13年(741)、聖武天皇が仏教の力により国家安寧を導く為、各国一宇づつ設けた寺院の1つで行基菩薩が勅命により開山したと伝えられています。

国分寺は国府の近くに設けられる例が多く、当時の出羽国の国府は秋田城(出羽柵)に置かれていた事から当初は現在の秋田市周辺に境内を構えていたとも考えられますが、記録上も遺跡などもそのような形跡が見られません。

延暦23年(804)に秋田城が停止された事から、庄内地方に出羽国府が移ったと考えられ、国分寺も随行したと思われますが、その場所についても旧東田川郡渡前村、旧飽海郡本楯村、旧最上郡豊里村など諸説あり、酒田市の城輪柵跡が出羽国府の有力地である事から酒田、鶴岡付近とも考えられます。

記録的には承和13年(846)に安慧(天台宗の高僧)が国分寺に講師として派遣された事が記載され平安時代には寺運が隆盛していた事が窺えます。

平安時代末期から鎌倉時代初期に国府が山形市北方の府中に移った記録がある事から国分寺も府中周辺に移り、東根市にある東根国分寺も当初は護国山薬王院国分寺と称していたと伝えられています。

現在の別当寺院である柏山寺に伝わる由緒によると、鎮守府将軍大野東人が伽藍を造営し、貞観年間(859~877年)に慈覚大師円仁が天台宗の寺院として再興、康平6年(1063)には源頼義が堂宇を再建、平安時代末期には藤原秀衡が再興、建久年間(1190~1198年)には大江広元が堂宇の修築を行うなど華々しい歴史を刻んでいます。

山形城の初代城主斯波兼頼(最上家の祖)が延文5年(1360)に再興しましたが、その後は衰退し、天正2年(1574)に最上義光(最上家11代)が山形城の北東方向にあたる現在地に境内を移し鬼門鎮護の寺院として寺領320石を安堵して庇護します。

元和8年(1622)に最上義俊(最上家13代)が御家騒動により改易になると、その後は幕府が庇護し最上家の寄進した同石の320石の朱印状が発給され上野寛永寺の直寺となり、寺運も隆盛し当地方の天台宗の触頭となり末寺23ヵ寺を擁する大寺院となっています。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により隣接する柏山寺(天台宗)の管理となり、明治44年(1911)に火災により堂宇が焼失すると旧宝幢寺の本堂を移築して新たな薬師堂となっています。

毎年5月8日に行われる例祭「薬師まつり」では全国各地から植木商人が集まり「全国三大植木市」に数えられています。

北国八十八ヶ所霊場第33番札所(札所本尊:薬師如来)。

奥羽三十六お薬師霊場第31番札所(札所本尊:薬師如来)。
(ホームページより抜粋)




最後はこちら。









金井水

山形県山形市、鳥海月山両所宮です☆

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。

別称は吉事宮・武門吉事宮。

拝殿

本殿



社伝では、源頼義が安倍貞任討伐にあたって飽海郡吹浦の鳥海山両所神社で鳥海・月山の両神に戦勝を祈願し、勝利したので、康平6年(1063年)、その報賽として最上郷山形に社殿を造営して分霊を勧請し、国家泰平・武門吉事の神と称したのに始まると伝える。

天正年間(1573年 - 1591年)、当地の領主・最上義光は、従来の祠官を廃して真言宗成就院を別当と定め、社領を寄進した。

以降、最上氏の崇敬社となり、江戸時代には歴代山形藩主の鳥居氏・水野氏の崇敬を受けた。

明治6年(1873年)に郷社に列し、明治12年(1879年)8月に県社に昇格した。昭和36年(1961年)に別表神社に加列された。
(Wikipedia抜粋)



鹿島神社









鳥海山(鳥海山大物忌神社)の神の倉稲魂命と、月山(出羽三山)の神の月夜見命を祀る。


ちなみに山形県内の初詣の参拝客数No.1は、約13万人の山形縣護国神社、No.2はこちらの鳥海月山両所宮(約11万人)で、10万人を超えるのは県内ではこの二社のみらしいですよ~✨



御朱印です☆


旅は終了、レンタカーを返して駅に到着です☆

ホントは山形蕎麦行きたいところあったのですが神社仏閣巡りを優先したらみんな閉まってました。

仕方ないので山形駅にて夕食です。




天丼とざるそばセットです。


肉そば売り切れでした(泣)





新幹線ホーム(笑)



つばさ✨
埼玉県に帰ります♪


ちなみに大宮〜仙台まではやぶさ・こまちで321.5km、1時間6分10.870円。

大宮〜山形まではつばさで326.9km、2時間32分10.910円。

たった40円しか変わらないのよね〜☆

ラッキー😃


いや〜1日でしたが山形中心部を満喫出来ました!

ホントはたくさん行きたいところがあったのですが、それはマイカーが復活したら来てみたいと思います😃

それではまた✨

Posted at 2024/07/16 22:35:59 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年07月11日 イイね!

仙台出張からの山形神社仏閣巡り②〜慈恩寺、寒河江八幡宮編〜

仙台出張からの山形神社仏閣巡り②〜慈恩寺、寒河江八幡宮編〜仙台出張からの山形神社仏閣巡りは午後になり雨は上がり晴れて来ました✨

なぁ、山寺に続き是非行きたかった場所にレンタカーで向かいます!
約30分くらいですかね~


山形県寒河江市、慈恩宗本山、瑞宝山本山慈恩寺です☆



仁王像



不動堂
東北三十六不動尊霊場 第一番札所





【縁起】

行基によって見い出され、聖武天皇の勅によって創建したとされる。

その後、鳥羽天皇の勅で再建され、後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。

平安時代は荘園領主である藤原摂関家から、鎌倉時代から室町時代にかけては地頭・寒河江大江氏の庇護を受け、寒河江大江氏が滅ぶと最上氏や江戸幕府によって寺領を認められた。

江戸時代には東北随一の御朱印地を有し、院坊の数は3ヵ院48坊に達した。

修験による祈願寺として御朱印地を拝領していたため檀家を持たず、明治の上知令により一山は困窮して帰農する坊が続出した。

現在は3ヵ院17坊を伝える。

本尊は弥勒菩薩で、脇侍として地蔵菩薩、釈迦如来、不動明王と降三世明王を配する日本国内でも珍しい五尊形式である。

創建当初は八幡大菩薩を鎮守神として祭っていたが、時代の変化とともに法相宗、真言宗、天台宗を取り入れ、現在は天台宗真言宗兼学の一山寺院として慈恩宗を称する。

境内地は周囲の中世城館群や行場などとともに2014年10月に国の史跡に指定された。
(Wikipedia抜粋)


このお寺の縁起をみていると非常に興味深いです✨

当時の歴史背景、権利者闘争から生まれる時代の流れによっていろいろな宗派を取り入れ、3ヵ院48坊からなる一山寺院を形成し、鎮護国家、除災招福を祈願する寺院が構成されたこと。

真言方は宝蔵院・華蔵院、天台方は最上院の3ヵ院で、所属の院坊をまとめ、幕府など大檀那への年礼を主としたところです。

現在は3ヵ院17坊が一山を支えている。






山門
山形県指定有形文化財。


本堂は改修中であった(笑)


慈恩寺本堂
重要文化財
(やまがたへの旅より)

本堂内は拝観出来ます!

◉木造聖徳太子立像(鎌倉時代)
平成30年国指定重量文化財

◉木造釈迦如来坐像及び諸尊像(木造騎獅文殊菩薩及脇侍像・木造騎象文殊菩薩及十羅刹女像)(平安時代)
平成30年2件の重要文化財を1件に統合指定

◉木造菩薩坐像(平安時代)
県指定有形文化財 

ほかを参拝できます✨



そして何より今回は行って良かったのは偶然にも、

こちらの開催中だったことだ。



薬師堂と阿弥陀堂



阿弥陀堂

元禄8年(1694年)築造。方三間、宝形造。棟梁長谷川武右衛門。本尊木造阿弥陀如来坐像。

釈迦堂

元禄8年(1694年)築造。方三間、宝形造。棟梁柏倉八郎兵衛。

天台大師堂

延享3年(1746年)築造。方三間、宝形造。棟梁矢作惣兵衛。

薬師堂

元禄5年(1691年)築造。方三間、宝形造。大工東光坊、光明院ほか。本尊木造薬師如来及両脇侍像。木造十二神将立像。


今回の菩薩展で更に拝観できたのは薬師堂。

本尊木造薬師如来及両脇侍像と木造十二神将立像を参拝出来ました。


ちなみに慈恩寺境内にはボランティアさんが常駐していて詳しい説明を受けられます。

ちなみに十二神将立像は、1992年(平成4年)米国ワシントンD.C.で開催された国際彫刻展に卯神将と巳神将が出展。

2016年(平成28年)イタリア・クイリナーレ宮美術館で開催された日本仏像展に十二神将立像から丑神・巳神・戌神・亥神の4体が出展。

これらの説明も受けました😃



ちなみに私の住む埼玉県には天台宗華林山慈恩寺(さいたま市岩槻区)があり、玄奘三蔵霊骨塔と呼ばれる西遊記(孫悟空物語)で名高い玄奘三蔵法師の霊骨石塔があります。


三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。

頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。

日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。

第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされたのがこの岩槻の慈恩寺なのです。
(ホームページより抜粋)



ボランティアさんに聞いてみました。

こちらの慈恩寺は南都六宗、法相宗の流れを今でも受け継ぎ天台・真言の兼学を元に歴史の深い寺院であることから玄奘三蔵法師の遺骨の奉安にならなかったのかなぁ?と。


そしたら何故かわからないけど断ってしまったらしい(泣)
とのことでした(笑)











三重塔
山形県指定有形文化財

当初、慶長13年(1608年)築造されるも、文政6年(1823年)焼失。文政13年(1830年)再建。本尊木造大日如来坐像。



宝蔵院表門
山形県指定有形文化財
(宝蔵院 言宗 真言方学頭)







華蔵院
(華蔵院 真言宗 真言方学頭)
映画「男はつらいよ 葛飾立志篇」(1975年公開)で、主人公の寅次郎が墓参するシーンが撮影された。


熊野神社
延宝9年(1681年)築造。木造、一間社流造、梁間1間、屋根は鉄板葺(もと茅葺)



慈恩寺旧境内


2014年10月6日国史跡に指定。
指定範囲には昭和27年(1952年)4月1日付で山形県の史跡に指定されていた区域を含み、指定面積の合計は約44万6千平方メートルで大きく3つのエリアに分かれる。

本堂を中心とする「本堂境内地」「院坊屋敷地」と後背の「中世城館群」、西の結界「八面大荒神(はちめんだいこうじん)」、および「慈恩寺修験行場跡(山業)」である。




御朱印

ホントに素晴らしいお寺でした✨
あと慈恩寺の関係者のみなさん非常に優しく対応してくれました😊



若松寺、立石寺、慈恩寺の出羽名刹三寺巡り結願です♪




さあ、慈恩寺を後にし移動します。


同じ山形県寒河江市、寒河江八幡宮です♪

旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
寒河江荘の総鎮守で、かつては川西鎮守と称した。



神輿殿

照古殿

高良神社
新山神社







寒河江八幡宮拝殿


寒河江八幡宮本殿

誉田別命(応神天皇、八幡神)を主祭神とし、大山祇神を配祀する。

社伝によれば、源頼義・源義家親子が前九年の役の際八幡神に祈って戦勝したので、寛治7年(1093年)に京都男山八幡宮を勧請し八幡原(現・寒河江市若葉町・元町)に創建したと伝える。

鎌倉時代の建久2年(1191年)、寒河江に入った大江親広が改めて鎌倉にある鶴岡八幡宮から分霊を勧請し、八幡原の八幡社と合祀して現在地に社殿を創建して大江氏(寒河江氏)の産土神とした。

谷地八幡宮・溝延八幡神社とともに「寒河江荘三八幡」と称され、武家の崇敬を受けた。

現在の本殿は貞享3年(1686年)に拝殿は安永4年(1775年)に建築された。1940年(昭和15年)に県社に昇格した。

元の社名は「八幡神社」であったが、神社本庁の別表神社に加列される際に現在の寒河江八幡宮に改称した。
(Wikipedia抜粋)

こちらは流鏑馬が有名です✨






稲荷神社






御朱印です♪


いやー素晴らしかったです✨






隣接する厳島神社



現在15時☆
後半へ続きます。。。






Posted at 2024/07/16 14:24:08 | コメント(2) | トラックバック(0)
2024年06月17日 イイね!

愛車と出会って11年!

愛車と出会って11年!6月12日で愛車と出会って11年になります!
この1年の愛車との思い出を振り返ります!

■この1年でこんなパーツを付けました!

特にない。

■この1年でこんな整備をしました!

スロットルボディ交換。
各種配線修正加工。
各種ボディ補修



■愛車のイイね!数(2024年06月17日時点)
947イイね!

■これからいじりたいところは・・・

弄るとゆうか維持る感じ。

リビルドエンジン載せ替え

ラジエーター電動ファン、ホース交換、ウォーターホース全交換

クラッチ及びフライホイール交換

エンジンマウント交換

ギアシフトOH

ウォーターポンプ交換

燃料ポンプ交換など。








■愛車に一言
ただいま総走行距離322000キロ。

覚悟を決めてこれからリフレッシュして行きます☆

これからもよろしくお願い致します🙇



>>愛車プロフィールはこちら
Posted at 2024/06/17 22:12:21 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年06月04日 イイね!

あくまでも個人的な意見です。〜相次ぐ不正発覚について〜

あくまでも個人的な意見です。〜相次ぐ不正発覚について〜この度、自動車などの量産に必要な認証「型式指定」を巡り、トヨタ自動車、マツダ、ヤマハ発動機、ホンダ、スズキの5社の計38車種に不正行為が見つかった。


メディア各社も大騒ぎ😔


コメンテーターも勝手なことを言い、


『日本の安全神話の崩壊にも繋がる!』


かのようなコメント。




そもそも『不正』って何?



『不正』とは?

正しくないこと。正義・正当・正直でないこと。



私は、車が大好きである☆
特に日本の車は素晴らしいと思います♪



エアバッグだぁ~、衝突安全ボディだぁ~、低燃費だぁ~。

車にたくさんの付加価値を付けたがる。


海外の方と違い日本人の多くは日本車からスタートしている人が多いと思う。

それは日本車が素晴らしいから。

これは、今までに、日本車の培ってきた技術や、性能に裏付けされているものである。



『不正』って。

ものすごく悪い言葉に聞こえるよね。

まるで全てを改ざんしているかのような。。。


これって業種にもよるんじゃないのかなぁ?

日本の自動車産業においてはある程度信頼してもいんじゃないのかなぁ~?

もちろん死亡事故に繋がった事案のリコール問題も数々あったと思う。

そうゆうものに関して信用を裏切ってはいけないが、あまりに安全安全、安心安心、低燃費低燃費、環境にクリーンクリーンって騒ぎ立てその高い基準をクリアする為と納期に終われている現状ってどうなんでしょ?



EV車は環境にクリーンだよね~☆



日本における発電割合は、2022年度の発電実績によると、化石燃料によるものが72.7%である一方、再生可能エネルギーによるものは21.7%と、いまだに化石燃料への依存度が高くなっている。


本末転倒じゃない(笑)?

うわべだけのSDGsを推奨して、大元には触れない。


世の中が快適かつ技術が進歩すれば必ず弊害は生まれる。



私の車にはエアバッグもABSもバックモニターも何もない。

MT車だからアクセルとブレーキだって踏み間違いなんてしない。

車なんて大型トラックにぶつけられたらぺちゃんこさ。





要するにドライバー自身がみんな気をつけて運転しなければいけないということ。

大事故に繋がるような運転は極力みんなが注意しなければいけないということ。

これが大前提。


ただ、決して自動車業界を擁護しているのではない。

その上での安全基準が大事であり。



もし自動運転が現実味を帯びたとして、自動運転だからドライバーは飲酒もオッケー!とはならないでしょう。

法整備がない状態で万が一事故になった場合、自動運転の車の過失はユーザーなのか?車両なのか?

保険はユーザーではなく車両側に課すのか?
それもあいまいのまま自動運転技術が進歩して普及したら誰が責任を取るのか?




私の車の総走行距離は32万キロオーバー。

未だ普通に走る。

それだけ日本車は素晴らしい。




何度も言うが決して今回の件での自動車業界を擁護しているということではない。

いろんな制限が加わりただでさえ外見も中身も同じような車ばかり。



自動車業界は一つ一つの製品を真摯に造って欲しいし、ユーザーは便利とゆう技術に任せっきりで乗っからず自分で運転する責任は負わなければいけないと思う。

私は日本車のメーカーを信じて行きたい。


少なくとも政治家よりは数倍信頼できるはずだ(笑)




ただ、どんな安全な車が作られようとも運転するユーザーはそれに甘えてはいけないと思う。

結局操るのは人なのだから。



もし今回の件で不具合があるのであれば一つ一つ改善をしていただき海外における日本車の信頼を取り戻してもらいたい。

それには今こそ我々が日本車メーカーを応援しなければいけないと思っている。



以前ブログで書いたが、トヨタ、そして豊田章男会長は今のカーボンニュートラルに対する古い私の価値観で1番未来の楽しい車を作ってくれるメーカーだと信じております。

スバル、マツダも個性的な車を作り続けるスピリットがある。

ダイハツも三菱も名車を生み続けてきた。

ホンダも出来れば圧倒的破壊力のあるエンジンを作り続けて欲しい。

我が愛車のスズキも軽量かつ軽快な車ばかり。

日産はEVに完全にシフトして悲しい限りではあるがいずれ社会に役立つ自動運転技術の発展を。



国は日本の車業界を是非とも潰さず世界へ発信して頂きたい!



近い将来、我が愛車ワゴンRにガソリンではなく水素エネルギーに換装出来る日を願って(笑)





Posted at 2024/06/04 14:32:32 | コメント(1) | トラックバック(0)

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何シテル?   06/11 23:27
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