
仙台出張からの宮城観光2日目は、松島からはじまり震災遺構荒浜小学校を経てまた仙台駅方面に向かいます😃
ただ、この辺りから謎の腹痛が始まりました🥲
仙台市営バスで荒井駅まで出て市営地下鉄東西線に乗り薬師堂で下車しました。

仁王門

仙台市若林区、陸奥国分寺薬師堂です✨

陸奥国分寺跡
まず、国分寺とは、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。
国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれます。
正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といいます。
なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられました。
上記の写真にも金光明四天王護国之寺跡と記されております。
以前栃木県の下野薬師寺にも行きましたが同じように東北に建てられたものです。
(Wikipedia要約)

国分寺の多くは国府区域内か周辺に置かれ、国庁とともにその国の最大の建築物であった。
また、大和国の東大寺・法華寺は総国分寺・総国分尼寺とされ、全国の国分寺・国分尼寺の総本山と位置づけられました。

中門跡

金堂跡
陸奥国分寺は、仙台市内に現存する中では最も古い歴史を持つお寺です。
いまから1280年以上前の天平期(奈良時代)に、聖武天皇の詔により全国に建立された金光明四天王護國之寺(いわゆる國分寺)のうち、最北に置かれた國分寺でした。
草創期には金堂・講堂・七重塔等を具え、最盛期には300坊が軒を連ねる一大伽藍を誇っていましたが、文治5年(1189)戦火に罹って焼けてしまいました。

鐘楼

薬師堂を中心とする現在の伽藍は、400年前の江戸時代初頭、仙台藩の祖となった伊達政宗公によって再建されたものです。
また、草創期伽藍の範囲は国の史蹟「陸奥国分寺阯」に指定されています。

薬師堂 (国指定重要文化財)

准胝観音堂
(仙台市登録文化財)
延享2年(1745)6代藩主伊達宗村公が、母・長松院殿の菩提成就のために再建されました。
準胝観音は六観音・七観音の一つで、五穀成就・子宝・安産の御利益があるとして信仰されています。

天平回廊

天平回廊復元

ちなみにこの少し先に陸奥国分尼寺もあったんですが、あまりの寒さと時間がちょっと無くて行けませんでしたが、曹洞宗の寺院で正式名称は「護国山国分尼寺」もあります。
本尊は正観世音菩薩。

御朱印
歴史を感じられる素晴らしいところでした✨
しかしお腹が痛くて仕方ない😔
実はかなりのハードスケジュールで回っているのでお昼ご飯も食べてません🥹
市営地下鉄で仙台駅まで戻ります。
仙台駅到着、15時15分。
ここからるーぷる仙台バスにて更に移動します。

このバスは定期的に仙台市内の観光ルートを巡回しているバスです。
20分ほど走り着きました😃

涅槃門

仙台市青葉区、仙台藩祖伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿です✨

拝殿

唐門

瑞鳳殿
藩祖政宗廟。
本殿両脇には、殉死した家臣15名および陪臣5名の宝篋印塔が並ぶ。
仙台藩初代藩主の伊達政宗は、生前ホトトギスの初音を聞き遺骸を経ヶ峯に葬るよう遺言し、1636年(寛永13年)に没した。
政宗の後を継いだ第2代藩主の忠宗は政宗の遺言に従い、翌1637年(寛永14年)10月、政宗の御霊屋(おたまや、霊廟)を経ヶ峯の東部に建立して「瑞鳳殿」と命名した。
瑞鳳殿は、本殿、拝殿、唐門、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の華麗な建築を誇った。
また瑞鳳殿は仙台城本丸を向くように西向きで造られた。
瑞鳳殿の建築には、総奉行として奥山大学常吉、大工として米野内蔵助近吉、山内四郎兵衛貞次、装飾担当として絵師の狩野定良、中村清六常長らが関わった。
同年、瑞鳳殿の隣接地に政宗の菩提寺として「瑞鳳寺」が創建され、仙台藩領内の平泉の毛越寺より遷された釈迦三尊像が本尊となった。
その後、第2代藩主の忠宗を祀る「感仙殿」、および第3代藩主である綱宗の「善応殿」が共に経ヶ峯の西部に建立された。
両者は瑞鳳殿と相対するように東向きで造られた。
第4代以降の藩主は、経ヶ峯から南東方向にある大年寺山の墓所に埋葬されたが、第9代藩主である周宗、第11代藩主である斉義と斉義夫人芝姫の墓は、瑞鳳殿近くの「妙雲界廟」に置かれた。
1931年(昭和6年)に瑞鳳殿は国宝に指定されたが、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日にアメリカ軍による戦略爆撃(仙台空襲)によって、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿はすべて焼失した。
戦中や戦後の仙台では、空襲による樹木の焼失に加え、食料不足、エネルギー不足、住宅不足から市街地周囲の森林が伐採され、薪、炭や木造住宅資材にされたり、開拓して農地や住宅地へ転用されたりする例が多くみられた。
仙台市は歴史的建造物が焼失したものの樹木の伐採は逃れた経ヶ峯の保存を期し、1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)にかけて、買収および寄付により瑞鳳殿一帯の所有権を伊達家から得た。
それからしばらく整備などは行われなかったが、政宗生誕400周年に当たる昭和40年代になると、瑞鳳殿再建の機運が高まった。
埋れ木細工の材料採取や木桶風呂(鉄砲風呂)の燃料採掘のため、経ヶ峯を含む青葉山段丘では幕末から亜炭坑道が発達したため、瑞鳳殿址でも至る所が陥没する鉱害が発生していた。
そのため、臨時石炭鉱害復旧法に基き、1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて瑞鳳殿址の地盤安定化工事が施工された。
また、瑞鳳殿再建工事に先立ち、経ヶ峯は「霊屋風致地区」および「霊屋保存緑地」に指定された。
1971年(昭和46年)に再建準備会が立ち上げられ、1973年(昭和48年)に再建期成会が結成された。
1974年(昭和49年)に再建の起工式が行われ、併せて瑞鳳殿址の発掘調査が行われ、政宗の遺骨や副葬品などが出土した。
1979年(昭和54年)に瑞鳳殿の本殿、拝殿、涅槃門、御供所が竣工し、1980年(昭和55年)に御供所が瑞鳳殿資料館として開館した。
1984年(昭和59年)には感仙殿および善応殿が再建され、翌年に再建落成式が行われた。
1987年(昭和62年)、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されると「政宗ブーム」が起きた。
仙台には大勢の観光客が訪れ、瑞鳳殿は観光地の一つとなった。
(Wikipedia抜粋)

臥龍梅

戊辰戦争 弔魂碑

感仙殿
二代忠宗廟。本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並ぶ。

善応殿
三代綱宗廟。
殉死禁止令により殉死者は無かったが、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行った。
うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬された。
妙雲界廟
9代周宗の墓、11代斉義の墓、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓。
御子様御廟
5代吉村以降の藩主の夭折した子女の墓。
瑞鳳殿資料館
瑞鳳殿の付属施設だった御供所が再建されて資料館として利用されている。
仙台市が伊達家の偉業を元に再建し、絢爛豪華な佇まいの旧国宝瑞鳳殿✨
とても優雅な素晴らしいものでした😃
その隣接地にあるのが瑞鳳寺。

瑞鳳寺山門

鐘楼

本堂
臨済宗妙心寺派正宗山瑞鳳寺。
開山は清岳。
開基は伊達忠宗。
本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像。
瑞鳳寺

仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となった。
1926年(大正15年)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっている。
境内には、高尾門や鐘楼、伊達忠宗寄進の梵鐘などのほか、殉死した家臣や、戊辰戦争および西南戦争での戦死者らの墓がある。
(Wikipedia抜粋)
時刻は17時。
今日は朝9時半からのハードスケジュール。
松島円通院→松島瑞巌寺→震災遺構仙台市立荒浜小学校→薬師堂→瑞鳳殿→瑞鳳寺と休みなしの移動でした(笑)
ただ謎の腹痛はひどくなるばかり🥹
伊達政宗公の素晴らしさがこの仙台市には満ちあふれていることを感じられる旅になっています。
そして宮城県は東日本大震災の爪痕をたくさん残し、しかしながら一生懸命復興してきたのも伝わりました。
明日が最終日。
ただ、こんなことになるとは😔
それではまた(笑)