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Hiro.Yのブログ一覧

2024年05月21日 イイね!

我が愛車ワゴンRのレストア計画始動☆

我が愛車ワゴンRのレストア計画始動☆さて、いろいろ悩みに悩み愛車のワゴンRのレストア計画を始動することに致しました😄

と言ってもエンジン載せ替えくらいじゃやっぱりすまないですからね~。

現在の走行距離は約322000キロ。
ミッションはまだ大丈夫だが、エンジンは限界に来ています。

まー、今のところ走っていますが(笑)

もうどうせならエンジンルーム内をリフレッシュする方向を考えています。

まずは拙いレベルのパソコンにてリスト作成。

パーツカタログを元に品番をあらい、とりあえず替えたいものを打ち込みました(笑)





そこから値段を調べていきます☆


ひえ〜😅


エンジン以外の部品だけで30万って(笑)

リビルドエンジン+工賃で総額65万😵‍💫


他の車買えるんじゃね~(笑)

これから部品精査してしていきます🥴
Posted at 2024/05/23 11:48:54 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年02月14日 イイね!

東京国立博物館に行く☆〜特別展中尊寺金色堂、法隆寺宝物館、総合文化展編〜

東京国立博物館に行く☆〜特別展中尊寺金色堂、法隆寺宝物館、総合文化展編〜今回は東京国立博物館に行って来ました☆

まず場所ですが上野公園の噴水奥が東京国立博物館の正面になります。



東京国立博物館




ちなみに観覧料は、総合文化展の常設展示が1000円なのですが特別展の観覧料でこちらもみることが可能です。


そして今やっている特別展が「本阿弥光悦の大宇宙」2100円と「建立900年中尊寺金色堂」1600円です。

そして見たかったのが特別展「建立900年中尊寺金色堂」です✨


ちなみにこの観覧券で総合文化展も観覧可能です。

それではいざ😃

とはいえ、特別展は写真撮影禁止ですが(笑)



まず中尊寺金色堂とは?


岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂です。

奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されています。


金色堂覆堂
(これは売店で買った絵葉書です✨)

この覆堂内に金色堂があります。

金色堂
(絵葉書✨)


金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。

数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。

内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。

そして象牙や宝石によって飾られています。




こちらは特別展にて唯一写真撮影O.K.の模型です😃

しかしこちらも金箔を貼ってるみたいでした✨



めちゃくちゃキレイでした~😃

須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。

(絵葉書✨)

(絵葉書✨)

この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。

金色堂は1897年(明治30年)、当時の古社寺保存法によって「特別保護建造物」(現行法の重要文化財に相当)に指定。

1951年、文化財保護法による国宝に指定された。

なお、金色堂については、しばしば「国宝建造物第1号」として紹介されるが、金色堂と同じく1951年6月9日付けで国宝に指定された建造物は他に36件ある。
(Wikipedia、ホームページより抜粋)


天台宗東北大本山。

850年、慈覚大師円仁の開山。

12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、仏国土を建設するため大伽藍を造営しました。

二代基衡公は、父の志を継いで薬師如来を本尊とする毛越寺の造立をすすめ、三代秀衡公は阿弥陀如来を本尊とする無量光院を建立しました。

三世仏(過去釈迦、現世薬師、未来世阿弥陀)を本尊とする三寺院の建立は、すべての生あるものを過去世から現世さらに未来世にいたるまで仏国土に導きたいという清衡公の切実な願いの具現でもありました。



奥州藤原氏といえば、やはり源頼朝、源義経との関わり合いでしょうか。。。


平泉はおよそ100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」でした。

しかし、平氏政権を倒した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびて間もなく、義経を保護した秀衡公が病死すると、四代泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込みます。

その泰衡公も頼朝に攻められ、文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡したのです。

鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、建武4年(1337)の火災で惜しいことに多くの堂塔、宝物を焼失しました。

しかし国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻、考古、民俗の各分野にわたる文化遺産が現在まで良好に伝えられ、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。

 平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。
(ホームページより)




このような歴史と一緒に特別展では歴史から数々の国宝、重要文化財を展示していて観覧することができます✨





中でも圧巻だったのが、やはり阿弥陀三尊像と六地蔵、二天像の持国天と増長天でしょうか✨


阿弥陀如来



観音菩薩、勢至菩薩


六地蔵


持国天、増長天


華鬘


中尊寺経

(東京国立博物館ホームページより抜粋)


なかなか素晴らしかったですよ😃
ただ、平日にも関わらずめちゃくちゃ人いてびっくりしました✨

(絵葉書✨)

5枚絵葉書買っちゃいました(笑)



さて、ついでといっちゃ何ですが総合文化展も観覧して行きます。

しかしめちゃくちゃ広いです!

おもに東京国立博物館の収蔵品・寄託品を展示しています。

日本と東洋の考古、美術、工芸、歴史資料などさまざまな分野の文化財を5つの展示館で展示し、展示総数は常時約3,000 件となります。

また、年間約300回にも及ぶ文化財の入れ替えを行い、より多くの文化財を公開するように努めているそうですよ。

こちらは写真撮影の良いものとダメなものがありましたのでO.K.のものを一部紹介します✨



千手観音菩薩坐像



阿弥陀如来坐像


観世音菩薩立像



隅寺心経
これは般若心経かな。


仏涅槃図



鷹山水図屏風



松梅群鶏図屏風



四季花鳥図屏風


龍虎図


松寿老、竹鶴、梅亀図






まー展示物が多いこと多いこと。
かなり凄いです✨




鳳輦(ほうれん)


また、スタンプでこんなの作れたり(笑)





かなり見応えのある半日は軽く潰せるところでした☆



さぁ、最後は、法隆寺宝物館です✨


こちらは全て無料観覧できます。

こちらも法隆寺の国宝、重要文化財が多数ありしかも皆写真撮影O.K.でした✨

1番は仏像展示室ですかね~。

物凄い数です。
その一部を紹介します。












飛鳥時代の観音菩薩立像



観音菩薩立像、勢至菩薩立像


左から如来坐像、如来倚像、如来立像

如来倚像は聞いたことなかったです。
倚像とは、台座に腰を掛けて両足を下へたらしている姿の仏像で、どうやら飛鳥時代から白鳳時代特有の仏像のようです✨


阿弥陀三尊像。
右は阿弥陀如来倚像ですね。

非常に珍しいです。

菩薩半跏像。


摩耶夫人及び天人像。



いやーなかなか素晴らしかったです✨



これだけでも4時間かけて観覧しました。

東京国立博物館は主に本館の総合文化展、企画展示、日本の考古展示の平成館、アジアギャラリーの東洋館、法隆寺宝物館、洋画家黒田記念館、特別展の表慶館、資料館、庭園に分かれているようです。


なかなか面白かったです。



黒門(重要文化財)

旧因州池田屋敷表門。

旧丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門です。



ウグイスいましたよ✨



普段なかなか特別展のような、時期的企画展は仕事で都合がつかないのですが今回、中尊寺金色堂展に来れて良かったです😃


それではまた(笑)

Posted at 2024/02/16 02:47:48 | コメント(0) | トラックバック(0)
2024年01月25日 イイね!

仙台出張からの宮城観光3日目最終日〜東照宮、仙岳院編〜

仙台出張からの宮城観光3日目最終日〜東照宮、仙岳院編〜さて、仙台出張からの宮城観光最終日です。

昨日は17時半にはホテルに帰還。

とにかく腹痛がヤバい🥹

それも下痢や便秘の腹痛ではなくどちらかといえば急に腹筋1000回やった翌々日(おじさんは2日目にくる😅)かのような極度の筋肉痛に近い感じ。

瑞鳳殿くらいからは歩くのがやっとになってました😵‍💫

ところが食欲は普通にあって、しかも立ってるのがしんどくホテルで座っていたり寝たりしているのは全然大丈夫とゆう。

寝返りうつと痛い。

朝、パンを食べたっきりの夕食は外食する気力もなくコンビニで豚カツ弁当と焼きうどんを買ってホテルで食べました。

お腹はちょー空いてました!

実は連泊して良かったのが、仕事の最終日の22日、かなり遅くなり翌日の帰宅予定だったのですが、この日は東北新幹線が停電により終日運休になった日であり、当然その翌日は大混雑だったことを考えると連泊の観光は大正解でした☆

しかしその夜、寒波が来まして仙台市街でも雪へと発展してました。


夜ホテルからの風景

2時間後


その頃から寒いなぁ〜と思っていましたが、最終日の朝を迎えました。

チェックアウトして荷物だけ預かって頂き、いざ〜って感じでしたがもう腹痛で歩けない🥹

今日は16時前後まで仙台市内の観光をして新幹線で帰る予定。


出発です。

昨日の雪でダイヤは乱れに乱れてましたが、仙台駅からJR仙山線にて東照宮下車。

寒い❄️



仙台市青葉区、仙台東照宮です✨

徳川家康をまつる神社。

承応3年(1654年)に仙台藩2代藩主伊達忠宗が創建。

正式名称は東照宮。

唐門、本殿など4棟と鳥居1基が国の重要文化財に指定されている。

鳥居 (重文)

境内入り口参道にある伊達忠宗奉納の石造の明神鳥居で、鳥居の柱に「承応三年午甲四月十七日」の刻銘があり県内最古の鳥居である。



御神橋

創建時にあった橋を再現した橋。


石灯籠(重文)



石段 (市文)

石鳥居から随身門まで表参道の石段と、表参道から分岐する東参道の随身門後方石垣に通じる石段は、東照宮創建時の承応3年(1654年)のもの。


随身門(重文)

三間一戸の八脚門の楼門形式。

欅の素木造、屋根は入母屋造り銅板葺。

当初は銅瓦葺で要所に錺(かざり)金具が付けられていたが、戊辰戦争の際に官軍により剥ぎ取られている。

内外部とも透漆塗りで、下層階は金剛柵で囲み、左右に随身像を安置する。

各所に唐様、和洋の手法を取り入れ、複雑な斗組で構成されている。

2階正面中央に、妙法院宮堯親王筆の「東照宮」の扁額があるが、裏の銘には承応元年(1652年)作とあるが、門の建築年は承応3年(1654年)である。



神楽堂

随心門向かって左後方にあり、東照宮神楽が、毎年・4月第3土日の春祭で、門前町、宮町の住民を中心に仙台東照宮神楽保存会により奉納され市の無形民俗文化財に指定されている。




手水舎(県文)

切妻造で本瓦葺。
花崗岩の水盤が設置されている。

拝殿

主祭神
東照大権現(徳川家康)

仙台東照宮は、徳川家康公を御祭神としてお祭りしている神社です。

将軍家によって創建された日光や久能山の東照宮を始め、御三家や各藩主によって全国各地に創建されました。

社格
県社

創建 
承応3年(1654年)

本殿の様式
入母屋造



拝殿、唐門、本殿

唐門(重文)

一間一戸、向唐門で、銅瓦葺。花崗岩の素板の上に建つ。

扉上部に霊獣・唐獅子、鳳凰、麒麟の姿を浮き彫りにしている。


透塀(重文)

唐門の左・右に延びる透かし塀(玉垣)は、銅瓦葺屋根、一定間隔に格子を取り付けた黒漆塗の連子窓が付き、腰壁には吹寄せ桟がたすき状に付く。

本殿を1周:79.4 メートルで囲む。


本殿(重文)

非公開。
棟札には「造営承応三天甲午三月十七日」と記されている。

屋根は入母屋造、銅瓦葺。桁行き3間、梁間2間、一間の向拝、三方に廻縁が付く。

棟の両端に千木・鰹木が付く。

漆塗、金箔、で装飾され、正面と両側面の桟唐戸に、麻の葉繋ぎの地紋に天女や唐獅子の彫刻があり、その銅板の辻金具に七宝技法による装飾が施されている。

内部は内陣・外陣とに別れ、外陣は畳敷、内陣は折上小組格天井、内陣には朱漆塗の須弥壇上に、入母屋造、こけら葺の絢爛な彫刻、蒔絵、飾金具、彩色が施された家形厨子が置かれ、内部に徳川家康像を安置する。
(Wikipediaより)




仙台の東照宮の歴史は、1654年(承応3)、仙台藩の初代藩主伊達政宗公の世継ぎである2代藩主伊達忠宗公によって創建されました。

伊達政宗公の没後、仙台藩の領内では大火、大洪水等の災害が続き、仙台藩の財政は重大な危機に陥りました。

しかし幕府の物心両面の援助により危機を脱し、基本的な体制を確立することができました。

このような背景から忠宗公は、徳川家に対する尊崇・感謝の標として、1649年(慶安2)に時の将軍徳川家光公に東照宮創建を願い出て直々に許可を得ると、社殿の造営にとどまらず神社を維持管理するための御宮町の制定、仙台最大のお祭りである東照宮御祭礼の斎行と御譜代町を含む氏子町の指定など東照宮を仙台藩の守護神とするための様々な取り決めを行いました。
(仙台東照宮ホームページより)

東照宮の社殿は本殿、唐門、随身門、別当寺仙岳院など15棟以上の社殿を80万人の人手と金2万両を費やし、5年の歳月をかけて造営されました。

忠宗公晩年最大の事業となりました。

神社の鎮座する場所は伊達政宗公の案内で徳川家康公が休息したといわれるゆかりの地であり、当時は天神社(現在の榴岡天満宮)の境内地でした。

この地は仙台城の正確な北東(艮)の位置にあたり、まさに伊達家、仙台城下町の守護神として鎮座しています。

仙台城や、仙台藩の社寺建築は大工棟梁梅村氏が担当しており、大崎八幡宮本殿(国宝)、瑞巌寺本堂(国宝)、仙台東照宮本殿(重要文化財)等その建築は後世高く評価されております。
(仙台東照宮ホームページより)





仙台東照宮は氏神神社として勧請された、全国でも例のない東照宮です。

伊達家とともに米沢から移転してきた家臣の住む御譜代町を中心に大町・肴町・立町・南町・柳町・北目町・染師町・田町の8町を氏子町に指定し、氏子町は東照宮のお祭り、東照宮御祭礼の時に神輿を担ぎ、山車を出すことが決められていました。
(仙台東照宮ホームページより)



境内社:古峯神社

祭神:日本武尊。
栃木県鹿沼市にある古峯神社の分霊を祀り、表参道から分岐した東参道脇に鎮座する。

御朱印


まぁ、なんとも文化財の多い神社である。

なかなか、鳥居にはじまり石段、石灯篭、山門に手水舎、唐門に本殿とこんなに重要文化財に指定されているところも珍しいと思います😊

雪の境内も素晴らしいものですが寒いしお腹痛いしどうにもこうにも🥹



東照宮に隣接してお寺がありましたのでこちらも参拝します。


仙台市青葉区、天台宗眺海山康国寺仙岳院です✨




仙台藩第2代藩主・伊達忠宗が開基した天台宗・康国寺の塔頭寺院になります。

仙台東照宮および平泉・中尊寺の別当寺。

こちらも伊達忠宗の開基とは☆



本尊
釈迦三尊

創建年
1654年(承応3年)

仙台東照宮の鳥居と梅田川との間の参道両脇には寺院が配置された。

これら寺院の1つが当院であり、仙台東照宮の別当寺として江戸の不動院住持である晃海が康国寺を開山し、その塔頭寺院となった。

開山以来、平泉・中尊寺の別当を兼ね、仙台藩領内の寺院では筆頭の格式であった。

また、江戸・寛永寺の末寺ともなったようです。

東照宮本地仏である薬師如来のほか、日光菩薩、月光菩薩、薬師十二神将が安置されている。



小萩観音

十一面観音で、仙台三十三観音第11番札所本尊となっている。

平安時代末期から鎌倉時代に生きた石塚民部守時の妻「小萩」の念持仏とされるためこの名があり、行基の作と伝承されている。

以上が仙岳院。



とまぁ、この辺りを参拝したところで腹痛にて歩くのもしんどくなってきた🥹

本来では夕方まで予定を決めていたのだが、どうにもこうにも寒さと腹痛でここでリタイアです😔


仙台市営バスで仙台駅に戻りホテルにて預けていた荷物を受取り13時35分発の新幹線に乗って帰りました😭

以上3日間に渡り仙台を中心に神社仏閣巡りをしてみました☆

やっぱり1にも、2にも伊達家の存在が大きかったですね✨

とっても楽しい観光になりました😃






さて、夕方お家に着いたら若干37.2℃ほどの熱が🤔

どうやら風邪だったかもしれません。

風邪薬飲んで2日ゆっくり休んだら良くなりました😃




とても楽しい観光になりました✨

それではまた(笑)
Posted at 2024/02/02 01:19:47 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年01月24日 イイね!

仙台出張からの宮城観光2日目の③〜薬師堂、瑞鳳殿、瑞鳳寺編〜

仙台出張からの宮城観光2日目の③〜薬師堂、瑞鳳殿、瑞鳳寺編〜仙台出張からの宮城観光2日目は、松島からはじまり震災遺構荒浜小学校を経てまた仙台駅方面に向かいます😃

ただ、この辺りから謎の腹痛が始まりました🥲

仙台市営バスで荒井駅まで出て市営地下鉄東西線に乗り薬師堂で下車しました。




仁王門

仙台市若林区、陸奥国分寺薬師堂です✨

陸奥国分寺跡

まず、国分寺とは、741年(天平13年)に聖武天皇が仏教による国家鎮護のため、当時の日本の各国に建立を命じた寺院です。

国分僧寺(こくぶんそうじ)と国分尼寺(こくぶんにじ)に分かれます。

正式名称は、国分僧寺が「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」、国分尼寺が「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」といいます。

なお、壱岐や対馬には「島分寺(とうぶんじ)」が建てられました。

上記の写真にも金光明四天王護国之寺跡と記されております。

以前栃木県の下野薬師寺にも行きましたが同じように東北に建てられたものです。
(Wikipedia要約)


国分寺の多くは国府区域内か周辺に置かれ、国庁とともにその国の最大の建築物であった。

また、大和国の東大寺・法華寺は総国分寺・総国分尼寺とされ、全国の国分寺・国分尼寺の総本山と位置づけられました。

中門跡

金堂跡

陸奥国分寺は、仙台市内に現存する中では最も古い歴史を持つお寺です。

いまから1280年以上前の天平期(奈良時代)に、聖武天皇の詔により全国に建立された金光明四天王護國之寺(いわゆる國分寺)のうち、最北に置かれた國分寺でした。

草創期には金堂・講堂・七重塔等を具え、最盛期には300坊が軒を連ねる一大伽藍を誇っていましたが、文治5年(1189)戦火に罹って焼けてしまいました。

鐘楼

薬師堂を中心とする現在の伽藍は、400年前の江戸時代初頭、仙台藩の祖となった伊達政宗公によって再建されたものです。

また、草創期伽藍の範囲は国の史蹟「陸奥国分寺阯」に指定されています。

薬師堂 (国指定重要文化財)



准胝観音堂
(仙台市登録文化財)

延享2年(1745)6代藩主伊達宗村公が、母・長松院殿の菩提成就のために再建されました。

準胝観音は六観音・七観音の一つで、五穀成就・子宝・安産の御利益があるとして信仰されています。



天平回廊

天平回廊復元











ちなみにこの少し先に陸奥国分尼寺もあったんですが、あまりの寒さと時間がちょっと無くて行けませんでしたが、曹洞宗の寺院で正式名称は「護国山国分尼寺」もあります。

本尊は正観世音菩薩。


御朱印

歴史を感じられる素晴らしいところでした✨

しかしお腹が痛くて仕方ない😔

実はかなりのハードスケジュールで回っているのでお昼ご飯も食べてません🥹



市営地下鉄で仙台駅まで戻ります。
仙台駅到着、15時15分。

ここからるーぷる仙台バスにて更に移動します。

このバスは定期的に仙台市内の観光ルートを巡回しているバスです。

20分ほど走り着きました😃









涅槃門

仙台市青葉区、仙台藩祖伊達政宗の霊廟、瑞鳳殿です✨


拝殿

唐門

瑞鳳殿 

藩祖政宗廟。
本殿両脇には、殉死した家臣15名および陪臣5名の宝篋印塔が並ぶ。




仙台藩初代藩主の伊達政宗は、生前ホトトギスの初音を聞き遺骸を経ヶ峯に葬るよう遺言し、1636年(寛永13年)に没した。

政宗の後を継いだ第2代藩主の忠宗は政宗の遺言に従い、翌1637年(寛永14年)10月、政宗の御霊屋(おたまや、霊廟)を経ヶ峯の東部に建立して「瑞鳳殿」と命名した。

瑞鳳殿は、本殿、拝殿、唐門、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の華麗な建築を誇った。

また瑞鳳殿は仙台城本丸を向くように西向きで造られた。

瑞鳳殿の建築には、総奉行として奥山大学常吉、大工として米野内蔵助近吉、山内四郎兵衛貞次、装飾担当として絵師の狩野定良、中村清六常長らが関わった。

同年、瑞鳳殿の隣接地に政宗の菩提寺として「瑞鳳寺」が創建され、仙台藩領内の平泉の毛越寺より遷された釈迦三尊像が本尊となった。

その後、第2代藩主の忠宗を祀る「感仙殿」、および第3代藩主である綱宗の「善応殿」が共に経ヶ峯の西部に建立された。

両者は瑞鳳殿と相対するように東向きで造られた。

第4代以降の藩主は、経ヶ峯から南東方向にある大年寺山の墓所に埋葬されたが、第9代藩主である周宗、第11代藩主である斉義と斉義夫人芝姫の墓は、瑞鳳殿近くの「妙雲界廟」に置かれた。

1931年(昭和6年)に瑞鳳殿は国宝に指定されたが、第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日にアメリカ軍による戦略爆撃(仙台空襲)によって、瑞鳳殿、感仙殿、善応殿はすべて焼失した。

戦中や戦後の仙台では、空襲による樹木の焼失に加え、食料不足、エネルギー不足、住宅不足から市街地周囲の森林が伐採され、薪、炭や木造住宅資材にされたり、開拓して農地や住宅地へ転用されたりする例が多くみられた。

仙台市は歴史的建造物が焼失したものの樹木の伐採は逃れた経ヶ峯の保存を期し、1951年(昭和26年)から1952年(昭和27年)にかけて、買収および寄付により瑞鳳殿一帯の所有権を伊達家から得た。

それからしばらく整備などは行われなかったが、政宗生誕400周年に当たる昭和40年代になると、瑞鳳殿再建の機運が高まった。

埋れ木細工の材料採取や木桶風呂(鉄砲風呂)の燃料採掘のため、経ヶ峯を含む青葉山段丘では幕末から亜炭坑道が発達したため、瑞鳳殿址でも至る所が陥没する鉱害が発生していた。

そのため、臨時石炭鉱害復旧法に基き、1969年(昭和44年)から1971年(昭和46年)にかけて瑞鳳殿址の地盤安定化工事が施工された。

また、瑞鳳殿再建工事に先立ち、経ヶ峯は「霊屋風致地区」および「霊屋保存緑地」に指定された。

1971年(昭和46年)に再建準備会が立ち上げられ、1973年(昭和48年)に再建期成会が結成された。

1974年(昭和49年)に再建の起工式が行われ、併せて瑞鳳殿址の発掘調査が行われ、政宗の遺骨や副葬品などが出土した。

1979年(昭和54年)に瑞鳳殿の本殿、拝殿、涅槃門、御供所が竣工し、1980年(昭和55年)に御供所が瑞鳳殿資料館として開館した。

1984年(昭和59年)には感仙殿および善応殿が再建され、翌年に再建落成式が行われた。

1987年(昭和62年)、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』が放送されると「政宗ブーム」が起きた。

仙台には大勢の観光客が訪れ、瑞鳳殿は観光地の一つとなった。
(Wikipedia抜粋)

臥龍梅

戊辰戦争 弔魂碑









感仙殿

二代忠宗廟。本殿両脇には、殉死した家臣12名および陪臣4名の宝篋印塔が並ぶ。



善応殿

三代綱宗廟。

殉死禁止令により殉死者は無かったが、替わって14名の家臣が剃髪して百日間の弔いを行った。
うち1人が出家し、没後に遺骸が善応殿の南側に埋葬された。

妙雲界廟

9代周宗の墓、11代斉義の墓、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓。

御子様御廟

5代吉村以降の藩主の夭折した子女の墓。

瑞鳳殿資料館

瑞鳳殿の付属施設だった御供所が再建されて資料館として利用されている。




仙台市が伊達家の偉業を元に再建し、絢爛豪華な佇まいの旧国宝瑞鳳殿✨

とても優雅な素晴らしいものでした😃


その隣接地にあるのが瑞鳳寺。

瑞鳳寺山門



鐘楼

本堂

臨済宗妙心寺派正宗山瑞鳳寺。

開山は清岳。
開基は伊達忠宗。

本尊は平泉の毛越寺より遷した釈迦三尊像。

瑞鳳寺







仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となった。

1926年(大正15年)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっている。

境内には、高尾門や鐘楼、伊達忠宗寄進の梵鐘などのほか、殉死した家臣や、戊辰戦争および西南戦争での戦死者らの墓がある。
(Wikipedia抜粋)




時刻は17時。

今日は朝9時半からのハードスケジュール。

松島円通院→松島瑞巌寺→震災遺構仙台市立荒浜小学校→薬師堂→瑞鳳殿→瑞鳳寺と休みなしの移動でした(笑)

ただ謎の腹痛はひどくなるばかり🥹


伊達政宗公の素晴らしさがこの仙台市には満ちあふれていることを感じられる旅になっています。

そして宮城県は東日本大震災の爪痕をたくさん残し、しかしながら一生懸命復興してきたのも伝わりました。

明日が最終日。

ただ、こんなことになるとは😔

それではまた(笑)

Posted at 2024/02/01 02:33:04 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年01月24日 イイね!

仙台出張からの宮城観光2日目の②〜震災遺構仙台市立荒浜小学校編〜

仙台出張からの宮城観光2日目の②〜震災遺構仙台市立荒浜小学校編〜この度の令和6年能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

被害を受けられた皆様の安全と1日でも早く平穏な生活に戻られますことを心よりお祈り申し上げます。









仙台出張からの宮城観光2日目、円通院と瑞巌寺で松島を後にして2つ目の柱である震災遺構仙台市立荒浜小学校に向かいました。

仙台出張自体は1ヶ月前に決まりましたので、ずっとこちらには訪れようとしておりましたが、令和6年元日に能登半島地震が起きました。

以前から千葉県旭市周辺、茨城県大洗周辺、茨城県北茨城周辺、福島県いわき市周辺、福島県富岡町、楢葉町、広野町周辺を訪れまして、何より震災の脅威、復興について学ばさせて頂いていたのですがこの度このような災害がまた起きたことが心苦しくて仕方ありません。



車であればもう少しいろいろなところにも行けたのですが、公共交通機関での移動によりこちらに寄らせてもらうことが日程上、ギリギリの場所でございました。

松島海岸からJR仙石線で仙台駅に向かい、仙台市営地下鉄東西線にて荒井駅下車。

そこから仙台市営バスで震災遺構荒浜小学校前にて下車。

約1時間15分の移動になりました。





宮城県仙台市若林区荒浜新堀端、震災遺構、仙台市立荒浜小学校。

まずはこちらがどうゆう場所なのか説明致します。



【仙台市立荒浜小学校】

2011年3月11日に発生した東日本大震災において、児童や教職員、地域住民ら320人が避難し、2階まで津波が押し寄せた荒浜小学校。

被災した校舎のありのままの姿と被災直後の写真展示等により、来館者に津波の威力や脅威を実感していただき、防災・減災の意識を高める場とすることを目的に、本校舎を震災遺構として公開しております。




1、2階は校舎の被害状況や被災直後の様子を伝える写真などから、荒浜小学校を襲った津波の脅威を知ることができます。

1階1年1組前廊下には瓦礫や車までもが校舎のドアや窓を突き破り津波が押し寄せた。

1階1年1組教室

1階保健室

当時の階段踊り場の様子

津波は校舎の2階にまで到達。

2階東側ベランダにまで柵を乗り越え瓦礫が押し寄せた。

津波到達ライン

海から700mある荒浜小学校に高さ4.6mの津波が押し寄せ2階の床上40cmまで浸水。

当時の津波が恐ろしいものだったのがわかります。


4階では当時の震災直後の様子や荒浜小学校の先生方や当時の生徒達の証言ビデオを約40分観ることができますが、地震発生時は校庭に避難し、その後校舎内に避難しましたが津波発生とともに屋上までみんなで駆け上がったそうです。

当時の先生の証言ではとにかく黒いものが迫ってきて何がなんだかわからなかったそうです。

津波発生と聞いてもまさかこんなところまで来ると思っておらず、それが家や車をのみ込み迫り狂う黒いものに恐怖を感じたそうです。








4階廊下

4階廊下

東日本大震災 そして ありがとうを力にかえて

ありがとう 荒浜小学校 最後の横断幕に感謝をこめて

新たなスタート










4階音楽室 
3.11荒浜の記憶

地震発生から避難、津波の襲来、そして救助されるまでの経過を写真と映像で振り返るとともに、災害の備えについて学ぶことができます。

また、荒浜地区の歴史や文化、荒浜小学校の思い出なども紹介しています。






まつかぜ学級教室 
明日への備え



当時の避難風景





6年1組教室
在りし日の荒浜





5年1組教室
交流活動室





屋上

津波で避難した屋上より助けを待つことになったそうです。

荒浜地区全体を見渡しながら、海や貞山運河との位置関係を見るとともに、被災前後の風景を比較することができます。



しかしここまで津波が押し寄せたとは非常に恐ろしく。。。

津波によって何もかも流し去り、瓦礫の山に襲われ、たくさんの人が亡くなり、たくさんの人が苦労して。

でも一生懸命生きて、一生懸命故郷を見つめ直して。。

今ではこんなにキレイな町の風景。

しかし、能登半島では同じことが起きている。。。

今は苦しいけど、、、

いつかはこの風景のように。

この空のような鮮やかな晴々とした気持ちになれるよう心からお祈り申し上げます。




改めて、この度の能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

被害を受けられた皆様の安全と1日でも早く平穏な生活に戻られますことを心よりお祈り申し上げます。




次回は、仙台市街へ戻ります。

それでは、また。
Posted at 2024/01/31 00:35:56 | コメント(0) | トラックバック(0)

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