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Hiro.Yのブログ一覧

2024年01月24日 イイね!

仙台出張からの宮城観光2日目の①〜円通院、瑞巌寺編〜

仙台出張からの宮城観光2日目の①〜円通院、瑞巌寺編〜仙台出張からの宮城観光2日目になります!

1日目は定義山を柱に決め、2日目はやはり松島ともう1箇所(これは次のブログにて)を柱に決めたのですが、公共交通機関での移動になるのはやはり不便でした🥹

さて松島には仙台駅からJR仙石線にて松島海岸で下車します。

そして円通院に向かいます〜♪

松島は実は20年ぶりになります。

向かう途中に、綺麗な小堂がありました。

三聖堂

天和2年(1682)、瑞巌寺101世鵬雲東搏禅師によって建立されたお堂で、堂内正面に聖観世音菩薩像、左に達磨大師像、右に菅原道真像を安置したことから三聖堂と称されています。
(松島観光.com)

着きました!


円通院山門
町指定有形文化財

宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)、臨済宗妙心寺派円通院です✨

本尊は聖観世音菩薩。

通称「バラ寺」「薔薇寺」

入山料500円を払っていざ☆

縁結び観音

枯山水
石庭「雲外天地の庭」

ホームページによれば、

雲より⾼く、遥か天より燦燦と降り注ぐ光、四季折々の陽と影が織り成す色彩鮮やかな庭園。

光彩が生まれる場所「円通院」

庭園を歩くと見えて来るのが、



霊廟三慧殿
重要文化財(国指定)
圓通院霊屋 附厨子1基、棟札1枚





19歳で早世した伊達光宗の菩提寺であり、光宗の霊廟である三慧殿が「圓通院霊屋」の名で国の重要文化財に指定されている。

光宗は仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の次男であり、仙台藩祖・伊達政宗からみると孫にあたる。

三慧殿の厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラと、フィレンツェを象徴する水仙が描かれている。

この厨子のバラをヒントに天野明道住職が、「白華峰西洋の庭」(6,000m2)にバラを植えて一般の観覧に供したため、「薔薇寺」の異名でも呼ばれるようになった。

ただし、バラは開花時期が限られるため、院内を覆うコケの方が印象深い。
(Wikipediaより)

紅葉時期はすごいらしいが冬の風景も風情があります。

バラ園

おんこの木



円通院本堂大悲亭
町指定有形文化財
大悲亭(本堂)

創建年は正保4年(1647年)
開山は洞水(瑞巌寺第100世和尚)
開基は伊達忠宗になります。



町指定有形文化財
木造聖観音坐像(本尊)

とても素晴らしい静観な雰囲気の場所でした☆

御朱印


続けて、その北側には国宝瑞巌寺があります。


総門(県指定文化財)

宮城県宮城郡松島町、正式名称は、臨済宗妙心寺派松島青龍山瑞巌円福禅寺です✨




洞窟遺跡群



西国三十三観音が奉られております。




復興地蔵

以前訪れた時参道がこんなに開けていたかなぁ〜と思っていたらやはり、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災によって引き起こされた津波により境内にも浸入し、参道の杉木立の多くが枯死したようです😔


入山料は700円



法身窟/鎮海・揚柳観音像



庫裡(庫裏)

国宝
本堂(元方丈)御成玄関附属
庫裏及び廊下 2棟

正式名称、松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。

平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。

古くは松島寺とも通称された。

江戸時代前期の元禄2年(1689年)に俳人松尾芭蕉が参詣したことにちなみ、毎年11月第2日曜日には芭蕉祭が行われる。

また、大晦日には火防鎮護祈祷である「火鈴巡行」と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。

境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗の手植えと伝えられている。

また、参道にはシンボルとも言える杉並木があったが、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の津波に見舞われ、その後の塩害によって立ち枯れが目立ったことから、約300本が伐採されることになった。

同じ東北地方にある平泉の中尊寺と毛越寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。
(Wikipediaより)



本堂

創建年は(伝)天長5年(828年)
開山は円仁
開基は(伝)淳和天皇

中興年
臨済改宗:正元元年(1259年)
瑞巌寺竣工:慶長14年(1609年)

中興
臨済改宗:北条時頼、法身性西(開山)
瑞巌寺竣工:伊達政宗、雲居希膺(開山)



『瑞巌寺縁起』

平安時代の延福寺については、南北朝時代か室町時代初期の成立と思われる『天台記』が記すだけで、確かなことはわからない。

それによれば、延福寺は天長5年(828年) 淳和天皇の勅願寺として慈覚大師円仁が開山した天台宗の寺であったという。

平安時代の延福寺は現在の瑞巌寺とは別の場所にあり、その位置は不明である。

鎌倉時代、禅に傾倒した北条時頼(鎌倉幕府執権)は武力で天台派の僧徒を追い、法身性西を住職に据えた。

『天台記』で、禅宗への転換は時頼の廻国伝説に付託して劇的に脚色されて伝えられている。

禅宗側が伝えるものは、江戸時代の享保元年(1716年)に瑞巌寺103世夢庵が記した『松島諸勝記』にある。

細部はどうあれ、天台宗から禅宗への転換という骨子は諸学者に承認されているが、廻回伝説は後世のものであろう。

いずれの伝でも天台宗徒は立ち退かされたことになっているが、その後も松島で活動を続けたらしく、南北朝時代に寺の支配をめぐって禅宗徒と争った。

訴訟に際して禅宗の僧景凱が観応元年(1350年)に書き上げた文書が「当寺雑掌景凱言上状」で、北条時頼の外護を得て開山の法身以来15世にわたって禅宗であったことを主張して天台宗に対抗した。

さらに江戸時代初めまで活動を続けたらしき事が記録に残っている。

しかし天台派の存在はこうした禅宗側の反応によって知られるのみで、具体的な活動内容は不明である。

開山となった法身性西は、中国の宋で修行してから帰国した僧である。

彼はしばらくして立ち去り、宋の出身で建長寺を開いた蘭渓道隆が円福寺第2代住持になった。

以後は蘭渓道隆の弟子が円福寺に住した。

臨済宗円福寺は将軍家が保護する寺社である関東御祈祷所に指定された。

更に北条氏の保護を得て最初五山・十刹に次ぐ諸山のうちに数えられ、後に関東十刹に昇った。

しかし、火災によって戦国時代の終わりには廃墟同然にまで衰退した。

天正6年(1573年)頃、93世実堂の代から臨済宗妙心寺派に属した。

江戸時代に入り、松島を含む仙台藩を領した伊達政宗は禅僧虎哉宗乙の勧めで円福寺復興を思い立ち、慶長9年(1604年)から14年(1609年)までの全面改築で完成させた。

今に伝わる桃山文化(桃山建築)の本堂などの国宝建築を含む伽藍は、伊達政宗の造営によるものである。

この折、寺の名を改めて「松島青龍山瑞巌円福禅寺」と称した。

住持が一時不在だったが、寛永13年(1636年)に雲居希膺が入った。

瑞巌寺は仙台藩の歴代藩主である伊達氏が大神主となって保護し隆盛を極めた。

この間、それまで瑞巌寺とは別個に存在した五大堂も瑞巌寺の管理下に入った。

政宗の隠し砦という説があり、政宗が徳川家康(江戸幕府)を滅ぼして天下を奪い取ったあかつきには、瑞巌寺に天皇を招き入れる予定であり、その証拠である天皇が座すための間である上上の段の間が存在する。

政宗が造った居城(自宅)である仙台城にも天皇を招き入れるための上上段の間があったとされる。

しかし、1868年の明治維新の際の戊辰戦争で仙台藩を盟主とする奥羽越列藩同盟(東武天皇を擁立した仙台朝廷)が明治天皇を擁立した薩長同盟を中心とする明治新政府に敗れると、同年,新政府は神仏分離令を発令し、これをきっかけとして廃仏毀釈運動が起こった。

瑞巌寺は明治政府に所領を没収され、収入を失った瑞巌寺は付属の建物の多く荒廃して失われた。

しかし、明治9年(1876年)に明治天皇東北巡幸の際に下賜金があり、その後徐々に財政難を脱していった。

大正12年9月、松島湾で捕れた鰻の供養として地元民の寄付金で鰻塚が建立された。

昭和28年(1953年)に本堂が国宝に指定されたほか、建築物等多くの文化財を有する。

昭和43年(1968年)に大書院が完成し、昭和48年(1974年)には宝物館を開設した。

宝物館には発掘調査などで出土した円福寺時代の遺物など約3万点が収められている。

平成20年(2008年)11月から平成30年(2018年)まで「平成の大修理」が行われ、2018年6月24日に落慶法要が営まれた。
(Wikipediaより要約、抜粋)


庭園

御成門(重要文化財)

中門(重要文化財)

本堂


なかなか深い歴史であるのは宝物館(青龍殿)を見ればよくわかり、障壁画など重要文化財を多数見ることができます✨

しかし昔来た記憶が全くない(笑)


御朱印




日本三景 松島

五大堂に向かってみたものの改修工事中で入れませんでした😔



五大堂(重要文化財)

しかし過去来たのに記憶が全くなく、逆に非常に新鮮に見れて素晴らしく見応えのある場所でしたが、観光客の半数以上は外国人(アジア人)でなんともマナーの悪い方々も多かったです。。。


雪がちらほら降る中、昼食とも思ったのですが、ほとんどのお店が今日は定休日で今日のスケジュールがギリギリの為、松島を後にしました。


次回は、最も行きたかった場所に向かいます☆

それでは、また(笑)

Posted at 2024/01/30 02:01:57 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年01月23日 イイね!

仙台出張からの宮城観光1日目の②〜大崎八幡宮、龍寶寺編〜

仙台出張からの宮城観光1日目の②〜大崎八幡宮、龍寶寺編〜さて、宮城観光1日目は定義山から仙台市営バスにてまた仙台駅方面に帰ります♪

その際、経由地になっているのが国宝大崎八幡宮です✨


一之鳥居

宮城県仙台市青葉区八幡にあるのが大崎八幡宮です✨

旧社格は村社。

社殿(本殿・石の間・拝殿)は国宝に指定されており、どんと祭の裸参りで知られています。

二之鳥居



大石段

三之鳥居

手水舎

社殿手前に金比羅神社があります。

金比羅神社

拝殿

社殿。手前が拝殿、奥の屋根が本殿で、これらの間を「石の間」で繋ぐ。

創建年代は不明であるが、社伝では坂上田村麻呂が宇佐神宮を鎮守府胆沢城(現岩手県奥州市水沢)に勧請し鎮守府八幡宮と称したことに始まり、室町時代に入り奥州管領であった大崎氏が自領地内(現宮城県大崎市田尻町)に遷したため、大崎八幡宮と呼ばれるようになったという。

大崎氏改易後の慶長9年(1604年)、伊達政宗が仙台城から見て北西(乾)かつ仙台城の城下町北西端の現在地に造営を始めた。

大崎八幡宮は別当寺の龍寶寺の西隣にあり、城下町の北に連なる北山丘陵(七北田丘陵)と広瀬川とが接するために城下町がある河岸段丘の西端部にあたり、広瀬川上流の愛子盆地や山形方面に向かう作並街道(現国道48号)が超えなくてはいけない最初の難所の鶏沢の城下町側に接する地である。

刑部左衛門国次(左甚五郎のモデルの一人と言われる)という彫刻職人が建立に携わった。
(Wikipediaより)





本殿、石の間、拝殿(1棟)

慶長12年(1607年)竣工。
本殿の様式は権現造。

これらが国宝である✨


庶民から「八幡堂」とも呼ばれていたが、古来より社名は「大崎八幡宮」だった。

明治4年(1871年)の太政官布告によって近代社格制度が制定されたのを機に、「大崎八幡神社」に改称された。

鎮座400年の記念大祭を10年後に控えた平成9年(1997年)、「大崎八幡宮」の名称に復した。
(Wikipediaより)

ちなみに本殿は改修中につき拝殿以降はいけませんでした🥹

主祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后。

江戸時代に仙台で盛んとなった卦体神(けたいがみ、十二支の守り本尊)信仰に伴い、乾の守り本尊である阿弥陀如来とされたことから、現在でも戌亥歳生まれの人からの崇敬を集めている。

夫婦杉

神輿



現存する本殿・石の間・拝殿(国宝)は伊達政宗の寄進により建立され、慶長12年(1607年)に竣工した。

手前の拝殿と奥の本殿を「石の間」で繋いで1棟とした、「権現造」形式の社殿である。

拝殿は桁行(正面)7間、梁間(側面)3間、入母屋造で、正面には千鳥破風を見せ、唐破風造の向拝が付く。

本殿は桁行5間、梁間3間、入母屋造。

「石の間」は桁行、梁間とも1間、両下造(りょうさげづくり)とし、屋根はいずれも杮葺きである。

「石の間」は、本殿・拝殿より床を一段低く造り、板敷きとする。

本殿の正面軒先部分を「石の間」内部に現すのが、この種「権現造」の特徴的な手法である。

拝殿内部には狩野派の絵師佐久間左京の筆に成る唐獅子の障壁画や大虹梁の青龍、石の間の格天井には五十三種の草花が描かれており、俗に左甚五郎の作と伝わる花鳥動植物や説話風の人物、にらみ猫など多彩な彫刻が組み込まれている。

本建物は、柱などの軸部を黒漆塗とし、長押、組物、蟇股などは彩色、彫刻、鍍金金具で装飾され、安土桃山時代の文化を今に伝える我国最古の建造物である。

桃山建築の粋を凝らした絢爛たる社殿は、のちに日光東照宮に引き継がれることとなる。
(Wikipediaより)

境内には数々の摂社・末社がある。

ちなみに御朱印は書置きで

『お気持ちで。。。』

とのことだったので一般的金額を納めてきたらなんと5枚も入っており(ホテルに帰ってきてから確認した)もっと納めてきたら良かったと、ちょっと後悔しました🙇





太元社



諏訪社


鹿島社





北辰社



稲荷社
龍神社



大日如来堂



以上、とても素晴らしい神社でありました✨

上記にある隣接する龍寶寺にも参拝させて頂きました♪



大崎八幡宮から東に約10分。


真言宗御室派別格本山龍寶寺です✨



山門

手水舎

本堂

ホームページによると、文治年間(1186年)伊達家の初代朝宗公(ともむねこう)が、伊達家の祈願寺(きがんじ)として開かれたお寺だそうです。

龍寶寺は、常陸の国より福島県梁川、山形県 米沢、宮城県 岩出山と、伊達家と共に移動し、慶長3年(1598年)頃、初代仙台藩主伊達政宗公(まさむねこう)の仙台築城に伴って現在の地に移されました。

藩政時代は城下最大の門前町を与えられ、龍寶寺に属していた寺院は約70ヶ寺という大寺院だったそうです。

摩尼車
南無大師遍照金剛〜♪

鐘楼堂

稲荷大明神



多宝塔

伊達朝宗公(ともむね)が、龍寳寺を祈願寺としてから800年記念として建立(こんりゅう)されました。

多宝塔とは、仏教の開祖 - お釈迦様の遺骨(仏舎利=ぶっしゃり)を、お祀りする為に建てられた仏塔の種類のひとつとなります。龍寳寺では、真言宗の総本尊様の大日如来を中心として、胎蔵四如来をお祀りしております。
(龍寶寺ホームページより)


こちらも新しいですがとても立派です♪

不動堂

こちらには八幡厄除不動明王が安置されています☆

釈迦堂

こちらには重要文化財釈迦如来立像が安置されています。


画像:龍寶寺ホームページ

四代目仙台藩主 - 伊達綱村公(つなむら)が、栗原郡(現宮城県栗原市)の福王寺にあった釈迦如来立像を龍寳寺の本尊として勧請(かんじょう)しました。

釈迦如来立像は、京都清涼寺(せいりょうじ)の釈迦如来立像を模刻した鎌倉時代初期の作品と云われ、ガンダーラ様式の背丈160.3cmの寄木造となります。


画像:龍寶寺ホームページ

像の着衣表面には、朱彩色に截金文様(きりかねもんよう)も施されていましたが、現在は、ほとんど確認出来ません。1903年 - 国宝に指定され、1951年 - 国宝再編の際に、国の重要文化財に指定されました。古くから出世如来、願掛け如来、子育て如来として信仰されています。
(龍寶寺ホームページより)


金剛華菩薩(こんごうけぼさつ)

総本山仁和寺には、華道御室流の家元で、流祖宇多法皇御忌千五十年(1981年)
に、真言密教の金剛界曼荼羅を元に、胸元に宝相華を捧げ持ち生け花などの技芸上達の仏様として金剛華菩薩が建立されております。

その御室派別格本山においても平成元年に造像開眼されたようですよ✨


こじんまりとしていますがとても優雅に佇む素晴らしいお寺でした♪

御朱印頂きました✨
寒かったのですが温かいお茶も出して頂きとても暖まりました🥹



龍の御朱印は今年のみの特別らしく頂けてありがとうございました😊


さて、夕方になり1日目はこれで終了。


このあとはらーめん屋さんで探していたら偶然見つけたこちらで40分歩き疲れたところで夕食です♪

なんと私の地元、しかも『すみれ』ではなく『純連(じゅんれん)』仙台店😃

学生時代まで在住だった私の最寄り駅、札幌市営地下鉄澄川駅前では『純連』ガッツリ通わせて頂きましたよ~(笑)


さっぽろ味噌ラーメン✨
懐かしかったです😃

美味しく頂きましたよ~(笑)


帰りは仙台市営バスにてホテルへ。



1日目終了です♪

では次回は過酷スケジュールの2日目をお送りしま〜す✨


それでは♪
Posted at 2024/01/29 00:34:52 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年01月23日 イイね!

仙台出張からの宮城観光1日目の①〜三瀧山不動院、定義如来西方寺編〜

仙台出張からの宮城観光1日目の①〜三瀧山不動院、定義如来西方寺編〜ずっとずっと忙しく今年の正月も2日から仕事だったのだが下期最後の仕事は仙台出張でやっと終わりになりました。

しかしせっかく仙台出張が最後で長期お休みに入るので3日泊まり観光することにしました♪


そこで久しぶりの神社仏閣巡りを計画することにしました✨



さぁ、1日目。

最初は、普通では珍しい仙台市街地のアーケード内にある三瀧山不動院をまず訪れました♪


仙台市青葉区、真言宗智山派三瀧山不動院。

不動明王を本尊として勧請し奉られており酉年生まれの守り本尊、また眼の守護仏でもあるそうです。

近年では江戸時代末期から明治35年頃に仙台に実在した人物、「福の神 仙臺四郎」が安置されている寺院としても全国的に知られ、開運招福や商売繁盛などにもご利益があると言われているそうです。




沿革は定かではないが、慶応元年(1865年)、タケ尼律師が開山住職であるようです。



仙台市街の中心部クリスロード商店街エリア内にありこの辺りでは商売繁盛を祈願に多く訪れるようです✨




さて、次は宮城県仙台市青葉区大倉字上下にある浄土宗鎮西派極楽山西方寺に行きます♪



本尊は阿弥陀如来画像軸。

観蓮社良念により開基。

正式名称で呼ばれることはまれで、一般に定義如来(じょうげにょらい)と呼ばれる。



ちなみに結構遠く当然出張なんで公共交通機関での移動になります。

仙台駅から仙台市営バスにて移動です。
仙台駅西口14番乗り場から定義行きで約80分の移動になりました♪

ちなみにほぼ1時間に1本です。


着いたら山の中で若干吹雪いてましたが途中で止みました(笑)

しかし、寒い❄️


山門



仁王尊像


手水舎


ちなみに定義山(じょうぎさん)行くんだ〜と仙台在住の職場の人に言ったら、あー「じょうげさん」ね(笑)って言ってたのでなんでかなぁ〜と思ったら。。。


一般に西方寺は「定義如来」や「定義山」、あるいは親しみを込めて「定義さん」と呼ばれる。

また、門前町を含めた周辺一帯は「定義」と呼ばれる。

仙台市民が、正式名称の西方寺や正式山号の極楽山と呼ぶことは非常にまれ。

仙台弁の発音特性から「定義」は「じょうげ」と発音し、住所の小字も「上下」(じょうげ)である。

仙台弁話者以外とも常時対応すべき宮城県庁・仙台市役所・地元観光業界、あるいは、道路の案内標識では、共通語・標準語の発音にならって「じょうぎ」 (Jōgi/Jogi/Johgi) と記載している。

そのため、現在の仙台市民の中では「じょうげ」「じょうぎ」の2つの発音が混在している。
(Wikipediaより)



なるけど🤔
そうゆうことか(笑)


まず山門くぐると貞能堂があります。


貞能堂


年表でいうと

1198年(建久9年)7月7日に貞能が60歳で亡くなり、従臣達が遺言に従って墓上に小堂を建て、阿弥陀如来の宝軸を安置したという。

1706年(宝永3年)、従臣の子孫である早坂源兵衛が出家して観蓮社良念と称し、「極楽山 西方寺」として創立した。

1927年(昭和2年)、平貞能の墓所の上にある(旧)御廟をさらに覆う(新)御廟が完成。


それが貞能堂である。




勝軍地蔵

令和御神木

長命水

そして左手、山側のさらに先には天皇塚・連理のけやきと定義神社があります。


天皇塚・連理のけやき













定義神社

稲荷神社

熊野三社

平家落人伝説があり、また、縁結びや安産のご利益があるとされるが、仙台では仙台四郎・仙台幸子とともに流行り神の1つであるそうだ。



そしてその先に本堂や五重塔が見えてくる。

1930年(昭和5年)、現在の鐘楼が完成。

1931年(昭和6年)、現在の山門が完成。


1986年(昭和61年)10月6日、青森ヒバのみを用いて、宮城県初の五重塔が落慶した。

五重塔


1999年(平成11年)11月、現在の本堂が完成し、本尊を御廟(貞能堂)から移した。





本堂


縁起としては、平重盛の重臣である肥後守・平貞能(たいらのさだよし)が、壇ノ浦の戦い後に当地に隠れ住んだとされる平家落人伝説が残る。

貞能が安徳天皇と平氏一門の冥福を祈って阿弥陀如来を安置し、また改名して「定義」(さだよし)と名乗った。

この「定義」を「じょうぎ」と音読みして、当地では阿弥陀如来を定義如来と称し、この地もまた「定義(じょうげ)」「上下(じょうげ)」と呼ばれるようになった。
(Wikipediaより)


年表で見ての通り建造物はかなり新しいです。

本堂内も拝観できます。

















少し離れた五重塔の脇には展示室や茶室もあります。






展示室










平家ゆかりでどこか緊張感があり静かな山の中で綺麗で素敵な見応えのあるところでした✨



ちなみに観光客は年間100万人前後あるそうだが、県内、特に仙台都市圏の若いカップルのデートコース、あるいは、ファミリー層のドライブコースの目的地の1つとして人気があるそうである。


定義の有名なものは、










である。


週末の無料駐車場は混み合い、門前町の名物「三角あぶらげ」にも行列が出来、定義こけしなどの土産物屋も観光客で賑わうらしい。


1番有名なのは、




定義とうふ店さん。

私も好きなお笑い芸人『サンドイッチマン』さんがよく紹介しているのをテレビで観ていたがこちらは定休日だった(笑)


今回は清水館さんの三角あぶらあげを頂きました😃

出汁が染み込み熱々ジューシーでめちゃくちゃ美味しかったです✨


バスの時間にはまだ40分あったのでさらに本日営業していたはやとみさんでご飯を頂きました♪



味噌焼きおにぎりと肉そばセット✨

味噌焼きおにぎりがデカすぎてお腹パンパンになってしまいました(笑)



さて、ここからまた、仙台駅行きバスに乗り次の目的地へ向かいます〜(笑)


それでは♪
Posted at 2024/01/28 03:07:15 | コメント(2) | トラックバック(0)
2023年11月19日 イイね!

祝・みんカラ歴8年!

祝・みんカラ歴8年!11月16日でみんカラを始めて8年が経ちます!
<この一年のみんカラでの思い出を振り返ろう>


しかし、仕事が忙しく皆さんの投稿を1週間まとめて見る始末で申し訳ありません。。。

なんせ54日連続勤務だった😔


ワゴンRちゃんは走行距離が31万キロを突破(笑)
車検も無事に取り、さぁ、来年はエンジンやるぞー☆


世界はカーボンニュートラル。

私はねー、古い人間なんで。。


水素エンジンマニュアル車でも安く市販化されたら考えよう😄

トヨタさんマジで頑張ってよ(笑)


とはいえ、来年はエンジンルームを一新しています☆

まだまだ乗り続けます(笑)




これからも、よろしくお願いします!
Posted at 2023/11/19 23:57:29 | コメント(2) | トラックバック(0)
2023年08月19日 イイね!

親友T.OHTANI君とのプチオフ会☆

親友T.OHTANI君とのプチオフ会☆久しぶりに親友T.OHTANI君とプチオフ会をしました。



若干リアタイヤの引っ込みが気になっていたものの走りを考え敬遠していたのですが、エンジンも限界にきていることを考えると街乗りだけなのでホイールスペーサーを買いました☆



ちょちょいと装着☆

程よくツライチになりました(笑)



その後は、ご飯行きました☆
安くて安定のサイゼリヤ(笑)


久しぶりなのでいろいろ話して楽しかったです☆
おごってもらっていつもすみません🥹

恒例の記念撮影(笑)










今回も楽しいひとときをすごせました(笑)
親友よ!
いつもありがとう☆
Posted at 2023/09/16 12:08:38 | コメント(1) | トラックバック(0)

プロフィール

「相棒☆ http://cvw.jp/b/2530157/48481323/
何シテル?   06/11 23:27
Hiro.Yです。よろしくお願いします。 R2に乗ってる親友の紹介で、参加しました。 愛車のワゴンRちゃんで趣味のお寺詣り、神社詣りに勤しんでます。マナ...
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