
栃木県那須烏山、益子町寺社巡り①の続きです♪
大平寺、地蔵院、綱神社・大倉神社を後にして向かったのは同じく益子町。

栃木県芳賀郡益子町、浄土宗大沢山虎渓院圓通寺です☆
本尊は阿弥陀如来様。
圓通寺は600年以上もの歴史をもつ、由緒正しいお寺で、歴史的文化財も多く現存している浄土宗名越派の総本山です!

表門 (国指定重要文化財)
室町時代の1402(応永9)年に建築に伝わり、1511(永正7)年に墨書が残る。
表門は、応永9年(1402)建立の唐様式四脚門形式、切妻造り茅葺き型銅板葺きの建造物である。
中央の棟通し柱は径30㎝で、前後の柱はやや細く上下に棕をつけ、柱下には基盤を置いている。
柱上は唐様三斗組で、大斗の下端に皿斗をつけ、肘木は笹繰付である。軒廻りは二重繁垂木で丸桁には手挾が組み込まれており破風板に繰形をつけ、懸魚は鰭付きの無形である。
構造意匠は大胆、奇抜、独創的であり全体的には彫刻は流麗で特に海老虹梁はみごとで、室町時代の特色をよく表しているようだ。
(ホームページより引用)

まずは全体図を。

表門を抜けると

本堂が見えてきます。

円通寺(えんつうじ)は、1402年(応永9年)良栄の開山により創建されたと伝えられ、当初は学問寺だった。1541年(天文10年)に大伽藍の一部が焼失。1574年(天正2年)には勅願所となっている。江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられていたという大変素晴らしいお寺なのです!
(Wikipediaより引用)

非常に珍しく本堂内写真撮影が許されていた為仏様に合掌の上撮らせて頂きました☆

まず向かって正面右側に、
銅造阿弥陀如来立像・両脇侍が安置。
この仏像は、善光寺式阿弥陀三尊で鎌倉時代末期の銅製の鋳造物として特色がある。
阿弥陀如来立像は43㎝、観世音菩薩立像29.1㎝、勢至菩薩立像29.1㎝であり、円通寺の開祖良栄上人がこの三尊像を笈に入れて各地をまわり、円通寺創建時に持参したといわれ、代々の住持の護持仏とされている。背面地付部近くに「大沢山」の陰刻がある。
そして向かって正面左側には、
木造阿弥陀如来坐像が安置。
この仏像は、鎌倉時代に作られた像高50㎝、膝開25㎝、台座15㎝の寄木造、彫眼、金箔の仏像である。
二重円相の光背をバックに上品上生の印を結んで台座上に結跏趺坐している。
(ホームページより引用)
両方とも県指定重要文化財である。
『阿弥陀三尊』
阿弥陀三尊は、仏教における仏像安置形式の一つで、阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式である。
観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ、勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされている。
もちろん全てではないが阿弥陀如来を本尊とするのは浄土教の教えを引き継ぐ浄土宗、浄土真宗が比較的多い。
ただし、浄土真宗が浄土宗と異なる点は阿弥陀三尊ではなく、阿弥陀如来一仏の立像であることだ。
阿弥陀一仏であるのは、浄土真宗においては、救いはすべて阿弥陀如来のみによるとされているからである。

本堂内。
円通寺の県指定重要文化財は他に
一切経塔、木造良栄上人像、正親町天皇綸旨、聖鬮賛、浄土総系図、月形函文書、浄土鎮西義名越派代々印璽脈譜、入定塚古墳である。
いずれも大変貴重な重要文化財だ。

願かけ夢観音。

観音堂。

一切経塔の前に鎮座する涅槃仏。
涅槃仏(ねはんぶつ)とは、お釈迦様が入滅する様子を仏像としてあらわしたものである。
寝仏、寝釈迦像、涅槃像とも呼ばれ、主にタイの仏教寺院などで見ることが出来、足の裏には宇宙観を示す文様などが描かれている。
なお、釈迦入滅の様子を描いた絵画を涅槃図(ねはんず、仏涅槃図)と呼んでいる。

一切経塔。
(県指定重要文化財)
天文10年(1541)に円通寺は火災で伽藍の大部分が焼失した。
その再興に尽力したのが良迦上人で学寮や一切経塔を建設したのである。
一切経塔は、重層方形造り柿葺き型銅板葺きの建造物。中世より江戸時代まで文化の中心を成した大沢文庫の面影を伝える建物である。
上下層とも三間四面で下層正面および両側に桟唐戸を設け左右に花頭窓を開けている。
上層は正面一間に板唐戸を設け、左右に丸窓を配しているので、正面の柱間装置が変化に富んでいる。
上層は二重扇垂木で露盤上に宝珠を設けている。
(ホームページより引用)

鐘楼堂。

この鐘楼堂は東日本最大の鐘楼である。

本堂裏側にまわると庭園を見ることができる。

境内の四季折々の草花が美しいです。

滝。
ちなみに伝説でいうと、まんが日本昔ばなし「鬼のつめ」は圓通寺が舞台となったお話だそうです。

夫婦観音。
ここで庭園を写真で紹介。

圓通寺。
かつて諸国に五百八ヵ寺と称する末寺をもち、江戸時代には十万石の格式をもって幕府に遇された寺院。
八万坪の広大な浄域には、壮麗な七堂伽藍と三十八宇の学寮が豊をならべて林立し、大沢文庫としてその名が全国に知られ、学を志す若い人たちが続々と螺集し、「名越檀林」として盛観を讃えられた名刹である。
歴史の流れとともに、衰亡荒廃の一途をたどり、一時は「廃寺」の押されようとしましたが、歴代の師たちによる営々努力の末、昭和23年12月25日には、「名越大本山」号の認証を京都総本山知恩院門跡岸信広猊下から受けることができた。
以後、20年以上もの年月を経て、檀信徒のご協力のもとに、全山の環境整備から大殿の修覆、内陣諸荘厳の整備、大書院、庫裡、旧国宝の表門、通用門、県文化財の一切経堂の改修、観音堂の移転加築、寺務所の新築、大庭園の造成、参道、石段ならびに塀の修築、町水道の誘致、防火貯水大池、参詣者休憩所、納骨堂、開山上人廟ならびに歴代上人墓地、学頭墓地などの新築、改築により、現在の形に至りました。
先々代の住職「大島彦信」が、今までの圓通寺の歴史を研究し、まとめあげたものが本書「名越大本山 圓通寺開山 良栄上人傳」になります。
(ホームページより抜粋)

自然豊かな境内はライトアップもされ、素晴らしい景観を醸し出しています。
更に数々の重要文化財にて名刹の名にふさわしい寺院でしたよ。
帰りは道の駅ばとうにて食事しました。
自然薯と手打ち蕎麦、天ぷらセットです。

美味しく頂きました♪
次回ももう少し周辺を探してみようと思います。
北関東の魅力は尽きない(笑)
出来れば観光大使にでも任命してもらえないだろうか(笑)?
歴史ある日本の風土をより感じられるよう努力するのだが(笑)
それではまた☆