
群馬県寺院巡りこの夏最後になります☆
本当に行きたかったのはこちらでございます♪
なかなか機会がなくこの度やっと来れました☆
山道を走り第一駐車場に到着!

ここからは600mほどの山歩きになります☆

足が痛い(´Д`)
写真では伝わりませんがなかなかの登りです。

ホントは結構な登りです(;´д`)

下を見下ろすとこんなです。

しばらく登ると山の上に小さくお堂が見えてきました☆

まだ登ります(;´A`)

着きました☆
まず鐘楼堂があります。
静かに鐘をつくと大自然の中に響き渡りました☆

左を見渡すと絶景です☆

鐘楼堂横には帝釈天と四天王。

先に寺務所があります☆

さぁ、いざっ!
参拝!

黄檗宗、黒瀧山不動寺でございます♪

大杉(県指定天然記念物)。

山門が見えてきましたよ♪

山門。

ここは群馬県甘楽(かんら)郡南牧村大塩沢にある標高870メートルの黒瀧山に立てられた山岳仏教信仰の霊場です。

開梛(かいぱん)。
『木魚のルーツ』
木魚は、元々は「開梛(かいぱん)」や「魚板(ぎょばん)」と呼ばれる、平らな魚の形をしていました。
開梛とは、食事をする庫裡の近くの天井につるして修行僧を集めるために打つ禅宗寺院の法具です。
江戸時代初期に明より来日した黄檗禅宗の高僧である隠元禅師が、京都宇治市の萬福寺に伝えた開梛が、木魚の原型と言われています。
萬福寺の開梛は、現在でも使用されており、音を鳴らして境内で時刻を知らせています。
修行僧が開梛を叩くのは、体内から欲心や煩悩など雑念を吐き出させる修行という意味合いもあるそうです。
そして、お経を唱える際に木魚を叩く理由は、お坊さんの眠気覚ましらしいです(笑)
常に目を開けている生物である魚を模した仏具を叩くことで、魚のようにしっかり目を見開いて鍛錬や修行をするようにと意味を込めたようですよ(笑)
(yokusenchadou.o
nlineより引用)

お堂が見えてきました☆

手水舎。

不動堂。

奈良時代の行基によって建立されたのが始まりとされ、行基作と伝わる金躰不動明王と元禄時代に寄進された釈迦如来を本尊としています。
室町時代に一度荒廃しましたが、延宝3年(1675年)に潮音道海禅師が黄檗宗として中興開山し、現代まで厄除け不動の霊場として千余年の歴史を重ねてきました。
本尊の金躰不動明王は12年に一度、酉年に御開帳されるそうです。

山門を抜けた先の不動堂の裏には天女窟。

不動明王の宝剣だろうか。
あとは弘法大師像と黒瀧弁財天が鎮座。

弘法大師像。

そして本堂へ。

大雄宝殿。(本堂)
正面は崖の為横から撮影♪

徳川の家紋と潮音大師?の文字が見えます。
不動堂と大雄宝殿の裏手には滝に打たれる不動明王様が。

これが龍神の滝だ。

この日も夏真っ盛りの33℃。
なんぼ山の上と言えどもこれがね、暑いのなんのって。

ところがこの落差20mほどの滝からほどよく水しぶきが舞い涼しいのなんのって☆
こりゃ癒されます♪

滝の手前下から本堂裏を眺めるとうっすら虹がかかることもあるようですよ☆

蒟蒻石。

さぁ、更に進み奥の院へ。

写真を拡大すると今歩いて登ってきた道路が見えこの龍神の滝が下まで流れているのがよくわかります☆

また、石段を上ります。

振り返ると本堂が小さくなっていきますよ。

結構キツイ( ´~`)

奥の院入口。

さらに急な石段を上がり見えてきました!

開山堂。

不動寺を中興開山した潮音道海禅師は五代将軍徳川綱吉が帰依しています。
黄檗宗黒滝派の本山として末寺・支院末庵は二百余りを数えたそうですよ。
この開山堂には開山潮音禅師の寿像、開基の像とともに館林藩主徳川徳松丸・佐賀藩主鍋島光重茂・綱茂等数多くの位牌が安置されているそうです。
『潮音道海禅師』
江戸前期の黄檗(おうばく)宗の僧。
肥前(佐賀県)に生まれ、13歳で慈雲寺泰雲(たいうん)のもとで出家。
その後、医王寺の瑞巌(ずいがん)について修行、18歳のとき京都に上り学習した。
近江(おうみ)(滋賀県)瑞石(ずいせき)山永源寺(えいげんじ)の如雪文巌(じょせつぶんげん)(1601―1671)などに参学した。
1654年(承応3)長崎に行き、黄檗宗の道者超元(1602―1663)について修行し、東明寺にとどまり、隠元隆琦(いんげんりゅうき)や木庵性瑫(もくあんしょうとう)に学ぶ。
1661年(寛文1)京都黄檗山万福寺に赴き、ふたたび隠元、木庵に参じた。
1664年、木庵とともに江戸に行き、池田秀峰(いけだしゅうほう)、黒田泰岳(くろだたいがく)に招かれて大慈庵に住し、上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)の藩主徳川綱吉(とくがわつなよし)が創建した万徳山広済寺に招かれると、木庵を開山とし、自らは2世となる。
禅僧でありながら神道(しんとう)や真言(しんごん)宗の教義にも通じていた。
元禄(げんろく)8年8月24日に68歳で死去。『摧邪輪(さいじゃりん)』『坐禅(ざぜん)論』『霧海(むかい)南針』など40巻余の著書がある。
(Wikipedia抜粋)
行基の開基ではあるが荒廃してからの中興開山は禅宗系の黄檗宗の潮音道海禅師である。
厄除け不動とも言われ山岳修険信仰霊場にて更に密教系寺院に近いものを感じるのは、禅僧でありながら神道や真言宗の教義をも精通していたことがホントによくわかりますね♪

来た道戻ります(笑)

しかし深山幽谷という場所にふさわしいお寺ですわ。
この標高870mの山奥にこれ程までの建築物を建立したのは想像を超えてしまいます。
都会の喧騒から離れ、まるで当時の歴史的時間の止まったかのような静かな場所として最高の寺院でございます☆

帰ります☆

またてくてく帰りを歩きます( ; ゚Д゚)

実はこのあと富岡市の一之宮貫前神社に行って下り宮の石段を上り下りし、超絶疲れました(笑)

御朱印。
書き置きです。
一応Wikipediaをみると休業日があるみたいです。
火水木日の8~16時が営業となっていますのでご注意を。
お寺からの眺望は雄大かつ圧巻で、夏でも涼しい風が吹き、静寂な雰囲気に詫び寂びを感じます。
他の参拝者の投稿写真を見ると秋にはそれはそれはキレイな紅葉で山々は色づくみたいです。
是非とも来てみたいものです☆

お昼は道の駅甘楽(かんら)。

五目ごはんと天せいろセット。
美味しかったですよ♪
さて、続きまして、ホントは別日に行ってますが、こちらも行きたかったところをご紹介。

群馬県吾妻郡中之条町にある旧国宝、日向見(ひなたみ)薬師堂です。

見事な茅葺き。

永延3(989)年のころ、源頼光の家来、碓氷貞光(うすいのさだみつ)が越後から木の根峠を越えて日向見で夜を明かすことにして、谷川の音に心を静めて一晩中お経を読んでいました。
夢の中に現れた一人の童子から「あなたの読経の真心に感心し四万(よんまん)の病気を治す温泉を与えよう、われはこの山神である。」と神のお告げを聞き、目を覚ますと枕元に温泉が湧き出ていたという伝説が あります。
このめでたいしるしに感じ、お堂を建てて本尊の薬師如来の像をまつりました。
この薬師様は病気を治す為に温泉に来る人から「湯前薬師」と敬われ昔から沢山のお参りがありました。
(四万温泉公式観光なびより引用)

薬師堂(国指定重文)。
明治 45(1912)年に国宝に指定されましたが、昭和 25(1950)年の法律改正によって国指定重要文化財となりました。
群馬県内最古の木造建築でもあり、関東地方では数少ない貴重な建物だそうです。

ちなみにこちらの日向見薬師堂は二段構えになっているお堂です。
手前にあるのがお籠堂(県指定重文)。
慶長19(1614)年建立。
湯治客が病気を治すために心身を癒すためにお籠りをしお経を読んだり断食をしたり水垢離(みすごり)、すなわち清水を浴びて心身の汚れをとるなどの荒行なども行われたようです。
つまりは病気療養の為の神仏祈願場所だったようです。
そしてその後ろが薬師堂(国指定重文)になります。
慶⾧ 3 (1598 )年建立。
当時の領主「真田信幸(信之)」の武運⾧久を祈願して建立されました。
構造は一重の寄棟造(よせむねづくり)で茅葺き屋根を持ち、和洋と禅宗洋の両方を取り入れた建築様式で造られているそうです。
天井には複数の小さな足のある龍が画かれているそうで、一説では「ムカデ」から想像されたとされています。
ムカデは武神である毘沙門天の使いであるうえ、前進しかせず不退転として武将に好まれてたそうです。
このお籠堂と薬師堂は温泉と結び付いた薬師信仰を物語る貴重な建築物になるようです☆

ちなみに薬師堂にはしゃもじが奉納されていますが、これは「救われる」という意味と「食べる物に困らない」という願いが込められているそうです。

しかしなんとも美しいですな♪

摩耶不動。
近くに摩耶の滝があり、『摩耶姫伝説』が残っているようです。
子宝に恵まれなかった夫婦が薬師様に熱心にお参りしたところ摩耶姫を授かり、しかも成長した摩耶姫は滝の前で運命の人と出会え、幸せに暮らしたという伝説だそうですよ♪

そしてこちらはすぐ近くの無料温泉施設。
四万温泉の名の由来となった「御夢想の湯」だそうです。
以上、この夏最後のお寺ブログでした☆
この夏は去年より更に暑くなかなか出掛けられませんでしたが仕事上、真夏と真冬しかまとまった休みがないため行きたいところへは頑張って行かねばと思います!
しかし、今回、黒瀧山不動寺と日向見薬師堂に行けてホントに良かったと思います☆
それではまた(笑)