
今回も2ヶ月前に訪れたものです。
実は2ヶ所とも桜の名所で、そこは全く知らなかったので後日訪れたものと合わせてアップしてみます。
まずはこちら。

周辺には、さきたま古墳公園、埼玉古墳群、埼玉県立さきたま史跡の博物館などが存在する埼玉県行田市の
前玉神社(さきたまじんじゃ)です☆
式内社で、旧社格は郷社であることから由緒ある神社であります♪

石鳥居。
(行田市指定文化財)
石鳥居は延宝4年(1676年)11月の造営。
ちなみに桜の季節にはとてもキレイな景色へと変貌する☆

↑桜の時期
詳しくは次のブログへ書き記そう。

手水舎。

↑桜の時期

拝殿、本殿。
社名の「前玉」は、「埼玉」の地名の語源と伝える。埼玉県北部の埼玉古墳群内に鎮座し、神社自体も浅間塚古墳の上に鎮座する。
(Wikipedia抜粋)

御祭神は前玉比売神(サキタマヒメノミコト)・前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。
『古事記』所載の出雲系の神である。
天之甕主神(アメノミナカヌシノカミ、アマノミナカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母です。
『天之甕主神』
大国主神(オオクニヌシ)の子孫である速甕之多気佐波夜遅奴美神(ハヤミカノタケサハヤジヌミ神)の妻となる前玉比売(サキタマヒメ)の親。
女神と男神が一緒に祀られていることから、恋愛成就や夫婦円満、縁結びの神様としてしられています☆

創建に関しては不詳である。
前玉神社は埼玉古墳群内に鎮座し、本殿も古墳群の方向に建てられていることから古墳群の首長層が前玉神社における古代祭祀集団と推定されており、古墳時代に古墳群を守護する形で祀られたのが創祀になると推測する説がある。
ということは相当昔からの創建と考えられる。
すごいですね(笑)
社名「前玉」の由来も明らかではないが、神亀3年(726年)の戸籍帳である「山背国愛宕郡雲下里計帳」(『正倉院文書』)にも「武蔵国前玉郡」の表記が見えることから、この「前玉」がのちに「埼玉(さきたま/さいたま)」へと変化したと考えられている。
「金錯鉄剣」が発見された稲荷山古墳を有する「さきたま古墳群」であることから、この地方に非常に有力な部族が存在したことがわかりますね♪
(Wikipedia、四季步のつれづれ/日本の神々の話より抜粋、要約、引用)

万葉灯籠(参道両脇)
(行田市指定文化財)
この灯籠は、元禄10年(1697年)10月15日に前玉神社の氏子が祈願成就を記念して奉納したという。
(Wikipedia抜粋)

浅間神社
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では武蔵国埼玉郡に「前玉神社二座」と記載され、2座が式内社に列している。
訓みには「サキタマ」と「サイタマ」の両方が付記される。

明治神社

神楽殿。

↑桜の時期。

↑桜の時期。

槙(行田市指定天然記念物)

↑桜の時期。

御朱印です。
前玉神社はさきたま古墳群もあることから出雲系部族と関連が深く大変歴史ある神社であり「さいたま」の語源に関わっていることもわかりました。
とても素晴らしかったです(笑)
さて、続いて来たのは茨城県です。
こちらも訪れたものの調べてみたら大変な桜の名所でして後日訪れた桜の時期との写真とともにご紹介致します(笑)

東蕗田天満社(ひがしふきたてんまんしゃ)といいまして、御祭神はかの菅原道真公になります。
相殿神として天児屋根命・金山彦命が祭神。
旧社格は村社になります。
茨城県結城郡八千代町東蕗田に鎮座する神社です。

この参道は全て桜の木になります。

人が大変多かったので正面からは撮影できませんでした(笑)
それでは桜の写真も挙げましょう☆

↑桜の時期。
すごいキレイでした☆

↑桜の時期。

裏参道二の鳥居。
現在も裏参道の二之鳥居には「正一位天満宮」の扁額が掲げられている。

二の鳥居。

創建は鎌倉時代とされ、「東蕗田の天神様」と親しまれている。
境内は彫刻が見事な社殿や、裏参道の桜並木がとても美しい事で知られております。

拝殿、本殿。

両柱にはかなり彫りの深い梅の木が彫られており、他ではあまり見たことがなく素晴らしいです♪

社伝によると、正応元年(1288)に創建と伝わる。
当地近くに「成就寺」(現・廃寺)と云う寺院があったと云う。
「成就寺」の僧・元法印正善は、当社の神職・蕗田家の祖で、住職と神官を兼任。
その後の代の法印善海が「東蕗田の地に菅原道真公をお祀りするお社を造るように」という霊夢を見たため、この霊夢について京都北野「梅松院」に奏上。
正応元年(1288)、白川家に懇請、勅宣を以って「北野天満宮」(現・京都府京都市)より勧請。
東蕗田の地に「天満社」として当社が創建された。
「成就寺」が別当寺となり、僧と神官を務めた。
中世は地域の庶民からだけでなく、武将からも崇敬を集めたとみられる。
享保十年(1725)、鳥居が建立。
享保十九年(1734)、氏子たちの寄進によって本殿が造営。
明治になり神仏分離。
別当寺「成就寺」は廃寺となり、蕗田家は当社の神職となった。
当社は、無格社の後に村社に昇格した。
明治二十年(1887)、近隣の「琴平神社」「大平神社」を合祀。
明治四十年(1907)、村社に列し、神饌幣帛料供進神社に指定。
江戸時代の社殿が改修されつつ現存。
拝殿は天保三年(1832)に造営されたもの。
(ホームページより抜粋)

本殿奥に天照大御神を祀る大日神社があります。

夫婦杉。

明治三十五年(1902)に菅原道真の千年忌を迎えたため、その記念の菅公一千年碑。

本殿には細かい龍の彫り物や獏彫り物がありとても素晴らしいです☆

本殿左には稲荷神社・東照宮の小祠があり、その隣に八幡神社もあります。

そして戦没慰霊碑もあります。

氏子の祖霊も祀る。
『菅原道真』
平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。
官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。
忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。
死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。
(Wikipedia抜粋)
ちなみに東蕗田天満社は桜の名所として桜特集の『CREA
いつか行きたい!
「日本にしかない風景」再発見』
【茨城県 2022年版】
春の絶景・風物詩6選
散策におすすめの美しい桜のトンネルと紹介されております♪

↑相当キレイに写真撮影しておりますね。

御朱印です。
こちらでは御祭神の菅原道真公が詠んだ和歌御朱印を頂く事ができます☆
菅原道真公の和歌を知る事ができるとても素晴らしい施策であると考えます。
たくさんの種類をホームページにて取り上げておりました(笑)
菅原道真公を主祭神とする東蕗田天満社は境内に多くの桜と緑あふれる荘厳な雰囲気のある神社でありました☆
なかなか時間がなくアップできませんが次回は桜特集です(笑)
それではまた♪