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スピード気合いRSのブログ一覧

2009年11月28日 イイね!

城シリーズ!明石城

城シリーズ!明石城
2009年11月28日
本日2城目ですが、既に15時です。
3城目には間に合うのでしょうか?



明石城は、交通の要衝であった事から、姫路城と同様に西の外様大名の押さえとして重要視されていたお城です。


天守こそ上げられませんでしたが、巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)は現存で、重要文化財に指定されています。



姫路城の後に行ってスケールの違いにギャップは感じながらも、両翼の櫓の佇まいは素直に美しいと感じました。



心が落ち着いているせいか、わりと手元もしっかりしています(謎



庭園や町割には、宮本武蔵が関わったとの説もありますが、定かではありません。



武蔵にまつわる話は、姫路城でもあります。
姫路城に妖怪が出るとの噂がひろまり、武蔵がこれを退治しにいくと、そこには美しい姫が現れ、妖怪は武蔵に恐れをなし逃げ出したと言います。
そしてそこには、白木の箱に入った郷義弘(ごうの よしひろ)の名刀が残されていたとの事ですが、本当でしょうか?
いづれにせよ、この地で武蔵はかなり有名だったのでしょう。
Posted at 2012/03/01 09:44:08 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2009年11月28日 イイね!

城シリーズ!姫路城 ◇大好評につき復活◇

城シリーズ!姫路城 ◇大好評につき復活◇姫路城。

興味が無い方も、ここだけは是非に行って頂きたい。

姫路城は、400年経った今も残る現存12天守のうちの1つであり、その中でも国宝に指定されている4城の中の一つ、更には唯一の世界遺産に登録されている、現存する城の中で国内最高峰の城なのです。


ダミーで一眼レフか三脚でも持っていれば、若い女の子に、「写真とってもらえますか~?」なんて声を掛けられるのは当たり前!
楽しさも倍増です!





朝7時半に近辺についてこの存在感、もうたまりません!




フレームに納まりきらないこのスケール!まさかここまでとは想像もしていませんでした!




興奮して手元も狂います(謎




このアングルが撮影スポットらしいのですが、10分待っても人が途切れません!




千姫の化粧櫓です。
大阪の陣の後、秀頼を失った千姫は、徳川家の重臣、本多忠勝の孫の本多忠刻に嫁ぎ、その時の化粧料10万石で建てたそうな。




太平洋戦争時に取り壊しの危機に陥りますが、中村大佐の働きかけによって保存される事となったのです。




もう、言葉がでません。




油断していると、ニンジャが走り寄ってきて斬られます!





Posted at 2012/02/28 22:39:30 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2009年11月23日 イイね!

城シリーズ! 金山城

城シリーズ! 金山城2009年11月23日
群馬県太田市の金山城に行って来ました。
伝えたい事が非常に多く、今回もロングですが、頑張って着いてきてくださいね!


金山城の築城については室町時代まで遡り、ちょっと難しいので簡単に済ませます。
現在、本丸跡には新田神社があり、これは新田義貞を祀ったものです。

新田義貞については、大河ドラマ『太平記』を観ると良く分かります。
【キャスト】
 新田義貞(根津甚八)
 足利尊氏(真田広之)
 楠木正成(武田鉄也)
 北条高時(片岡鶴太郎)
 長崎円喜(フランキー堺)

 などなど

※足利尊氏については後日、「城シリーズ 足利氏館」で特集します(たぶん・・・)!



金山城は西から東に上がる石垣の山城で、石が乏しい関東でこれほどの石垣が用いられた城は非常に珍しいです。



【西矢倉台西堀切】 左
西城から実城(本丸)まで4つある堀切のうち一番西側にあるもので、堀底に石を敷いて通路として使用されていました。
また、掘った土を土塁状に盛り上げて、堀切内を敵から隠す工夫が施されています。

【西矢倉台下堀切】 右
西矢倉台の西下に作られた、2番目の堀切です。
堀切は、実城に近いほど広く深く掘り下げられています。



【土橋】 左
【馬場下通路】 右
石敷きの通路が、防御上、土橋から見通せないように曲げられて作られています。



【石組み排水溝】 左
【馬場曲輪と四阿】 右
馬場曲輪の調査で、岩盤をくり貫いた柱穴が240箇所みつかり、建物や柵列があった事が分かっていおり、それらは頻繁に建て替えが行われていた様です。
廃城時期の建物が三棟あったうち、両脇二棟を平面表示し、真ん中に柱穴跡を利用して四阿(あずまや)を建て、また石組み排水路や曲輪を囲む柵列もあわせて整備されています。



【物見台】 左上
【馬場下通路・土橋】 右上
【北側遠景】 左中(地図表示間違い)
【馬場方面 手ぶれ写真】 右中
物見台だけあって、かなり良い景色が楽しめました。
また、石組みの城を見下ろすととても迫力がありました。



【月の池】 左
馬場曲輪から東へすこし下ると、月の池があります。
石垣で囲まれた戦国時代の池で、表流水や浸透水を溜め込むもので、嘗ては小さな池だったものを、集中豪雨などにも耐えうるように中心を東に2メートルずらし、さらに幅も広げて下と上の二段になっていた事が調査でわかりました。
石垣は最上部以外は当時の石を使って整備されています。

【大手虎口】 右
虎口とは、城や各曲輪への入口を差し、防御上重要な拠点となります。また、格の高さを示す空間にもなっていて、大手虎口は金山城の虎口の中で最も重要な拠点と言えます。






【大手虎口北下段曲輪】 左
大手通路を見下ろすように配した両脇の檀状の曲輪と、そこを守り場とした兵たちの各種建物、大手通路の行く手を塞ぐ様に築かれた正面土塁、横矢を射るために築かれた檀状の土塁など、これほどの大規模で複雑な虎口の構造は、全国的に特徴的で、「難攻不落」を誇った金山城を象徴する場所の一つと言えます!
北下段曲輪では地面が中央に向かって傾斜している事から、足元のぬかるみをなくす工夫が成されています。また、水が集まりやすい谷に立地している事から、わずかな降雨でも水が集まり施設を破壊する恐れがあるため、城を維持する為に水路が設けられたと考えられます。

【日の池】 右
日の池は、山の上では稀な大池(15m×16.5m)で、金山城における象徴的な場所の一つです。
ここは単に生活用水を確保しただけでは無く、戦勝や雨乞いなどの祈願を行った儀式の場所であったと考えられています。
また、水の信仰とかかわる平安時代の遺物も発見されており、日の池の立地場所は築城以前から神聖な場所であったようです。



【新田神社】
【本丸】
金山城の最北東部に、実城(本丸)がありました。
新田神社については、先述した通りです。



【井戸とかまど】
兵士たちが利用したものです。
井戸の奥の建物の中にかまどがあります。
昔は建物の外にかまどがあった事がありました。



【休憩所】
【100名城スタンプ】
モラルの無い方もいらっしゃる様ですね。

ここで先程の手振れのアベック(古っ!)とお話をしました。
彼らも戦国の猛者でした。
スタンプ押印数では遥かに及ばず、しかも西方面の押印数が多かったような。
アベックで城にいらっしゃる女性は、かわいい方が多いようです(スピ調べ)。

Posted at 2010/09/30 21:26:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2009年11月23日 イイね!

城シリーズ! 箕輪城

城シリーズ! 箕輪城※この写真は、徳川四天王 井伊直政 所用と伝わる朱漆塗紺糸威桶側二枚胴具足です。
立物は金箔押しの天衝脇立で、彦根藩では歴代藩主しか脇立てを許されませんでした。
金色に輝く天衝は、自己の高揚をはかり、武勇を誇示するものでもありました。
【井伊の赤備え】という言葉もあるように、甲冑は朱色で統一されていますが、その由来も含めて、是非ウィッキーさんの解説を読む事をお勧めします。

箕輪城は、1500年頃に高崎市の浜川地域を拠点にしていた長野氏が築いた城です。
代々の城主は、
・1500~1566年 長野氏(業尚・憲業・業政・業盛)の4代

その後、西上野は武田・北条・上杉の三つ巴の戦いの舞台となり、まわりの城は武田信玄によって次々と落城してしまいます。

こうした中で、長野氏は関東管領の山内上杉氏(先日勉強してばかりだね!)に最後まで尽くしていましたが、1566年に難攻不落と謳われた箕輪城も遂に落城します。

落城後は、
・1566~1582年 武田氏(内藤昌秀など)
・1582~1582年 織田氏(滝川一益
・1582~1590年 北条氏(北条氏邦など)
・1590~1598年 徳川氏(井伊直政
・廃城

と、各戦国大名の重臣達が城主となって行きます。
最後の井伊直政の時には、当時の徳川家康の家臣の中では最大の領地12万石を拝領しています。

これらから分かるように、箕輪城は西上野(にしこうずけ)で最大の拠点になった城だったのです。



【左:箕郷支所】
ここでスタンプを貰います。スタンプの悪戯などで現地から支所にスタンプが移されてしまったので、事前に場所を調べて行かないと、大変な事に…。

【右:旧下田邸】
忠臣蔵で名高い剣豪 堀部安兵衛が剣術修行をしていた折、師とともにたびたび下田家を訪れた際に、設計築造したものといわれる武家風庭園です。
江戸初期の庭園としては県内唯一のものといわれ、庭全体に配された樹木には楓の類が多く「赤ぞなえ」とも呼ばれています。
剣豪 宮本武蔵も庭園を造園している様に、才ある者は多方面にその才を発揮するものなんですね。



【左:搦手口への入口】

【右:搦手口手前の民家】
民家にも石垣が・・・。



【左:搦手口】
搦手口(からめてぐち)とは、正面の大手口(追手口)に対して裏口となり、ここにも馬出しが設けられています。
長野氏から北条氏時代までは、当時の情勢から考えてこちらが大手口で、井伊直政の時代にこちらが搦手口になったようです。

【右:新曲輪】



【左上:稲荷曲輪】
この曲輪は御前曲輪より約70メートル低く、ほぼ三角形で東側の堀は水堀でした。

【右上・左下:稲荷社へ】
細く険しい通路を登ると稲荷社に突き当たります。

【右下:稲荷社】
西北端の稲荷社のある稲荷山は櫓台で、御前曲輪の北側の堀を通る道を強力に援護しており、北に虎口(出入口)を開き、南は帯曲輪に連なっています。



【左:遊歩道】
ウッドチップで整備された(ような気がする?)遊歩道を抜ける。

【右:二の丸】
駐車場前に二の丸。
ガンマが停まっている。
ここで行きあった初老の夫婦に、箕郷支所に隣接する堀部安兵衛の建物のエピソードを延々と聞かされましたw



【左:スタンプ箱】
嘗てはここに100名城スタンプが置かれていたが、悪戯に遭った為に支所に移動となりました。

【右:スタンプ押印須美の用紙】
そんな事を知らないでやって来た人の為に、支所の地図とスタンプ押印済みの用紙が入っていますが、支所でのスタンプとは字体が異なるため、記念に私も一枚拝借。



【左:本丸門馬出し】
東から南へ鍵型の土居があった馬出しで、土居の北側から搦手へ、南側からは二の丸へ出撃します。

【右:本丸へ】


【左:箕輪城址碑】

【右:本丸】
本丸は御前曲輪と共に城の中心部であり、南北100メートル、東西70メートル、東側には高い土手を築いて城内が敵に見えない様にしてあります。



【左:御前曲輪】
この曲輪は本質的には本丸の一部であり、落城の際に城主の長野業盛は持仏堂に入って自刃し、一族郎党みな後を追ったと伝えられているように、箕輪城の精神的中心でした。
いわば天守閣が本丸の同一平面に設けられたとも考えられる所です。

【右:御前曲輪から本丸を臨む】



【左:三の丸】

【右:三の丸跡と石垣】
三の丸が一番よく石垣が残っています。
両脇の石垣の上に渡櫓があり、その下が通路でした。



【鍛冶曲輪と石垣】
鍛冶場のあった所で、ここで武具の製作や修理が行われました。
この石垣の工法は野面積みといい、河原などの石を加工せずそのまま積んだものです。
排水などに優れ、見た目以上に丈夫な野田そうです。



【左:大堀切】
この大堀切は東西に走り、城を北と南に区切られ、中央の土橋一つで連絡されています。
こういった大規模な堀を、鍬ともっこで築いた人々の苦労が偲ばれますね。
この様に一方を失っても片方だけで戦闘を続けられる仕組みのものを、「一城別郭の城」と言います。

【右:大堀切に架かる土橋】
土橋の南側には見事な郭馬出しが構えられ、出撃の気勢を見せています。



【左:郭馬出】
50メートル×30メートル程の曲輪で、周りに土手を設け外部から見えない囲いの中に兵を結集し、土手の両側から一挙に打って出る所です。
特に大型の馬出の事を「郭馬出(かくうまだし)」と言います。

【右:木俣】
通路が二俣、三俣の様に五つに分かれるものを「木俣(きまた)」と言います。



箕輪城の最大の特徴は、大規模な堀にあります。
本丸周辺では、幅30メートル、深さ10メートルの空堀が巡り、他にも城の中央部を南北に分断する役割がある大堀切など、同時代の城としては全国的な規模の堀が城内各所に残っています。
上の図の水色部分が堀にあたり、これを見るだけでも堀の規模の大きさを知る事が出来ます。


余談ですが、我々はスタンプ帳に自分でスタンプ帳に直接スタンプを押さなければならないという自分ルールを制定したため、時間外のポストに入っている押印済み用紙をスタンプ帳へ貼り付ける方法は無効としています。
稀に仲間のスタンプ帳を何冊も持ってスタンプを押している方がいらっしゃいますが、なんの意味があるんでしょうね。
しかし、このルールのお陰で北陸ツアー2周目は非常に苦労する琴似…。
Posted at 2010/09/28 11:44:44 | コメント(1) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記
2009年11月20日 イイね!

城シリーズ! 鉢形城

城シリーズ! 鉢形城ここは、遠いワリに見所がないので、さらっと回って終わりとしました。
画像や解説文は、パンフレットや他のHPなどからお借りしたりしています。





この日は何故か非常に寒く、途中でシマムラに寄ってタイツを購入し、
「あ、履いて帰るので、値札を外して下さい。」


近くで「忍城」の看板を発見。

その後、アヴェイルに寄って上着を物色。
気に入った品物が一つしか無かったため、奥の方に隠してから、今度は10kmくらい先にあるユニクロでも物色。
結局アヴェイルに戻って上着を購入し、
「あ、着て帰るので、値札を外して下さい。」


1時間以上ロスする琴似・・・。



鉢形城は、関東管領の山内上杉氏の家宰の家督を巡って、弟に家督を奪われた復讐のために、1476年(文明8年)長尾景春によって築かれたのが始まりの城です。


城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。
この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。

 
二の丸から三の丸の土塁と空堀


復原されたばかりの四脚門


復原されたばかりの四阿(あずまや)と池
四阿とは、庭園などに設けた四方の柱と屋根だけの休息所のことです。


戦国時代に入ると、山内上杉家当主 上杉 憲政(うえすぎ のりまさ)は次第に北条氏に追い込まれ、長尾景虎を頼って越後に入りました。
1561年、長尾景虎を養子とした後に関東管領職と、名前の「政」の字を譲り、長尾政虎と名のらせました。
これが後の上杉謙信です。

1564年(永禄7年) 北条氏康の四男 北条氏邦が鉢形城へ入城しました。
以後、鉢形城は北条氏の北関東支配の拠点となりました。

鉢形城はその後も戦略上の重要性から、各地の戦国大名の攻防の場となっており、1569年(永禄12年)には武田信玄による攻撃を受け、1574年(天正2年)には、上杉謙信が城下に火を放っています。

1590年(天正18年)豊臣秀吉による小田原攻めがはじまり、鉢形城は前田利家上杉景勝島田利正、徳川家康麾下の浅野長吉本多忠勝鳥居元忠 らの連合軍(35000)に包囲され、北条氏邦の老臣 黒澤上野介ら(3000)が約1か月の籠城戦を戦ったのち、城兵の助命を条件に開城し、その後廃城となりました。



特別展で真田昌幸所用の啄木糸威伊予札胴具足(たいぼくいとおどしいよざねどうぐそく)をみる事が出来ました。
当然、撮影禁止ですので、目ん玉をひん剥いてじっくりと鑑賞してきました。


真田昌幸は、真田信繁(幸村)の父で、私の好きな戦国大名の一人です。
昌幸と言えば、黒漆塗馬革包仏二枚胴具足(登り梯子の鎧)が有名ですので、コチラの本物も、いずれ…。






Posted at 2010/09/26 17:51:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 歴史 | 日記

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