当時の日本車の中では、いや 世界的に見ても当時の量販車種という部類では、
トップクラスの美しさだったと思う。
当時のNISSANデザイナー和田智 氏(初代プレセアも担当)のデザインと言われており、同氏は1998年にアウディ🇩🇪に移籍されているので、彼のデザインは世界的に認められたものだったと思います。
内装デザインは、
外装デザインと比較すると特にインパネデザインはオーソドックス
保守的なデザインで、
兄弟車のR32スカイラインや、ローレルは、
内装デザインにもこだわりが有ったのと比べて、
もう少し冒険しても良かったのではないかと感じていました。
しかし、
「セフィーロ・コーディネーション」という
ユーザーが自らの嗜好に沿って
エンジン、サスペンション、トランスミッション(AT or MT)、
内装生地、内装色、外装色などを
組み合わせて注文できるセミオーダーメード方式を採用したのは、
量産車としては画期的であり何ともバブリーで魅力に溢れるクルマでした。

(上記の他にブラック系モケット生地、ジャガード生地などあり)
中期?後期には、エクセーヌ生地を使用したモデルもあり
この写真の本革シートは、セフィーロオーテックバージョン
コノリーレザーを贅沢に使用。 革の香りも座りごごちも素晴らしい出来でした。
走行性能という部分では、
エンジンは確かR32スカイラインの兄弟車のため
RB20E (2リッターSOHC)名称:タウンライド
RB20DE (2リッターDOHC)名称:ツーリング
RB20DET(2リッターDOHC&セラミックターボ)通称:クルージング
のちに2.5リッターDOHCのRB25DEが追加された。
(兄弟車のローレルはディーゼルも国内ラインナップされていた)
足回りは、兄弟車のR32スカイラインが前後マルチリンクでしたが、
セフィーロ&ローレルは、
フロント/ストラット式、
リア/マルチリンク式
(※前後可変駆動のアテーサ4WD搭載車は、前後マルチリンク式を採用)
「HICAS −Ⅱ」搭載車は、エンジン名称に前にスポーツという名称が付く。
私は2台ともRB20DETのターボ車
(1stは、スポーツクルージング、2st目は、アテーサクルージング)を
乗り継ぎましたが、何も弄らずに乗ると、
そこそこの速さと爽快な走りを体験出来たが、
官能的とまでは至らなかった記憶があります。
しかし、吸排気系やプラグ、高級なスポーツエンジンオイル、
それとブーストコントローラー&ROMチューンを少し施して上げると、
ドライビング時の怠さが解消され見違える様な走りを提供してくれました。
(無論、足回りも社外品に交換しての印象ですが、、、)
A31セフィーロの販売期間は、1988年ー1994年まで
その後、A32セフィーロが販売されたわけですが、
エンジンは、直6のRBからV6のVQエンジンに変更され、
駆動形式はFRからFFに
初代の美しい外装デザインは、全く踏襲されず、
A32セフィーロが発表された時には、初代の個性は全て剥ぎ取られたと
嘆かわしい気持ちになったものです。
A32セフィーロに試乗した際に感じた感想は、
益々持ってオヤジクルマ化が進み、退屈で眠くなる程、無味無臭なクルマになったと感じました。
A31セフィーロのCMキャラは、井上陽水でしたが、
A32セフィーロのCMキャラは、
山口智子、竹中直人、三浦友和、渡辺満里奈、など
そのほか大勢のタレントを使用して、
「マイスウィートセフィーロ」のキャッチコピーと竹内まりやの曲にあわせて
新世代家族向けのNewファミリーカーという
(いかにもオヤジ的なクルマなのに、、、)
詐欺的且つ洗脳的な広告展開をしていたと思います。
この様にクルマもそうですが、CMも、エッジがとれて面白みの無いものになりました。
A31セフィーロは発売から30年以上が経過していますが、
未だに記事として取り上げられ、
やはり、多くの人々の記憶に残り、語り継がれているものだと感じています。
A32セフィーロの記事は目にする事はありませんので、
やはりA31は名車だった、、、
いや正確には時間が経つに連れ、名車になったのだと思います。
※添付の交通タイムス社のAuto messes webのA31セフィーロに関する記事アクセス先を貼っておきますが、A31の当時を知る者からすれば、記事の内容に一部誤りがあると感じましたが、皆さんはどの部分かわかりますでしょうか?