わけあって、安定したネット環境になく しばらく放置しておりましたが、しばらくぶりに落ち着いてPCに向かっております。
また、ボチボチUPしていこうかと思います。
放置した間には、いろいろありまして…
いろいろ その1
実は、車乗り換えました(泣)
車検準備が間に合わず、たまたまかみさんの車の代車にきてた某国の車を購入。
シルビアは、自宅待機状態になりました。
いろいろ その2
2日連荘で、同じ場所で縦長の複写紙をもらいました(爆)
えぇ、もちろんその後は、左の車線しか走っておりませんよ。
間違ってもツートンカラーの車を先導するような走りはしないよう心がけてます。
まぁ、いろいろあった中でも最大は震災なわけですが…
当時神奈川小田急線沿いで仕事してたんですが、非常に長く大きい揺れでオフィスのファイルは倒れるは壁にヒビ入るはで、初めて訓練ではない避難を経験しました。
その後は、ライフラインは確保できていたので計画停電を気にしてれば暮らしていけましたが、岩手の海岸沿いにある実家と音信不通になり気が気ではない日々を過ごしました。
幸い実家も親戚も無事だったので胸をなでおろしたわけですが、ネット環境下にある今改めて被災情報を集めていくと震災の酷さに驚いております。
幼稚園時代住んでいた地区が跡形もなく壊滅していたり、中学高校と毎日部活で走った防波堤が倒壊していたり、部活の活動場所が壊滅していたり…
ちなみに自分が所属していた部活はヨット部です。
当然活動場所は、海です。
今回の災害での部員の人的災害は無かったとのことで幸いでした。
母校では授業中、同じ地区の高校は活動中だったが指導員さんの指示でギリギリ避難できたと記事にはありました。よかったです。
しかし、今年は地元でインターハイということでしたので楽しみにしていたのですが、今回の震災で会場が酷い状態になってますし、なんといっても道具が総て流されてしまったようです。
こんなときにヨットなんてという方もいらっしゃると思いますが、高校生活は3年と短く選手としてインターハイ出場目指すのは、その3年のうちでも1年という方がほとんどです。
折角生きているんだから、その1年を捨てることはないと思います。
彼ら、彼女らが望む限り、自分のできることは微力ですが支援をします。
まぁ、被災した方々の温度差が明確になってきていますが、生きていくことを選んで歩みだそうとする人には手を差し伸べていくことが復興の一歩かなと思っています。
皆さんも、そのような機会がめぐってきたら、迷わず手を差し伸べてくださいね。
Posted at 2011/05/05 02:45:18 | |
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