中学生の頃
スカイライン好きな友達がいました。
下の名前がオイラと一文字違いで
家も近くだったので
仲良しでしたねぇ。
当時の國内レースはGr5
つまり
シルエット フォーミュラの全盛期で
カレはスカイラインを熱く語ってました。
まだCGやカーマガヂンを読み漁り
付け焼き刃の知識を織り交ぜながら
其の仔と飽きもせずクルマの話ばかりしてた記憶しかないですね(笑)。
オイラはカレに
「なんでFJ20ぢゃあなくて
LZ20Bを積んでの⁉️
エンヂンが違うからアレはスカイラインぢゃあないぢゃん‼️」と云うと
カレとの
バトルがよく勃発しましたねぇ(笑)。
高校は別々でしたが
ガッコが終わって
クルマの好きなマスターがやってた
喫茶店に集まり
いつも
クルマの話ばかりでしたね。
其の店でレースのビデオを
よく観てました。
國内レースのレギュレーションは
グループ Aに移行して
インターTECが開催され
スカイラインは
「史上最強のスカイライン」と呼ばれたR30で出場。
ところが…
レースでは
BMWどころかAE86にまで
先行を許す事がしばしば…
コピーは勇ましいけど
実戦には弱い
スカイライン
Zや510や240RSは
海外で闘ってて
タフネスなイメーヂがあったけど
スカイラインには
「ガラスのエース」の様なイメーヂが
「名ばかりのGT」と言われても
しょうがないと思ってました。
セリカは
サファリ等の
アフリカのラリーでは滅法強かった。
其のセリカも
オベ.アンダーソン率いるTTEが
TA22からラリーに参戦して
戦闘力を磨き続けて
やっと世界で
勝てる様になりました。
R31になって
ようやく海外レースにデビュー。
リザルトは6位入賞。
ここから戦闘力を
磨いていけば良いと思ったら…
もう見切りを付けて
R32にスイッチ
其れも國内の
レギュレーションのみに合わせて
R32は良いクルマだから
ケチ付けたくないけど
御粗末な考えだと思う。
余談ですが
櫻井眞一郎氏はロータスが嫌いだったそうです。
「性能は凄いけど乗り手の負担が大きい」と言う理由でした。
この理由は疑問がつきます。
オイラが
ロータス オーナーだからではなく
S54や
GC10やKPGC10は
誰にも簡単に操れるクルマではないからです。
(ヤンチャな叔父が日産で
働いてたので幸運にも
S54やKPGC10に
乗れる事があり其の時の経験ですね)
よく
スカイラインは
「日産の象徴」
「日本を代表するGT」
と言われますが
國内だけの
内弁慶の印象が強く
このフレーズには
違和感が感じられます。
其れだけに
どこか
旧帝國海軍の
戦艦 「大和」を思わせます。
「 大和は帝國海軍の象徴」と言われながら
対米開戦で
皮肉な事に
帝國海軍自身で
戦艦は不要の戦術を実証してしまう。
「スカイラインは日産の象徴」
と云われながらも
モデルチェンジの度に
運動性能をとるか⁉️
居住性をとるか⁉️
の綱引きで
開発陣が
運動性能をとると
営業サイドから
「コレぢゃあ売れません。
マークIIに負けます」と叩かれて
居住性をとると
熱狂的なファンから
「こんなモン造って」と叩かれて
ずっと迷走の繰り返し。
帝國海軍の高級幹部の本音
「大和ホテル」
「無用の長物」
「こんなモン造ってからに
ヒコーキ造った方がよっぽどええわい」Σ(Д゚;/)/と
コチラも迷走を繰り返し。
日産 首脳陣の本音
「スカイラインは所詮プリンスのクルマ」
「スカイライン外様大名。でも熱狂的なファンがいるからうるさい」
「日産にはZがあるから」
帝國海軍 首脳陣は
象徴だったはずの
「戦艦 大和」
其の処遇に困り
「一億綜特攻の魁になってくれ」と
死に方用意される。
日産 首脳陣は
スカイラインの処遇に困り
トヨタ クラウンの
モデルチェンジの動きをみて
ラッキーと思ひ
コッソリと
スカイラインを葬り去ろうとしたが
日経に開発中止を
すっぱ抜かれて
苦し紛れに
「スカイラインは諦めない」と発表
恐らくまた
スカイライン モドキでお茶を濁し
コチラも
今度こそ死に方用意。
似てると思ひませんか⁉️
戦艦 大和とスカイライン
日産 首脳陣と帝國海軍 首脳部
かたや帝國海軍の象徴と称され
かたや日産の象徴と称されて
最近は
自動的評論家が手のひらを返した様に
スカイラインをボロクソに言う。
コレもズルイと思ふ。
日本が無謀な対米戦に
舵を切るのは軍部だけではなく
マスコミも民意を煽った部分がある。
スカイラインも
もう終わってると認識してるにも関わらず
マスコミが
美辞麗句を並べ
消費者を騙す。
そして
戦後になって当社は軍部に脅されてと
責任転嫁するマスコミ
スカイラインを諦めないってコメントが出てからの
評論家と称す人が
「スカイラインはとっくに終わってた」と
責任転嫁して手のひら返す。
「ならぬものはならぬ」と
言えないのかなぁ。
S54を造った時のエピソードです。
第1回日本GPでレギュレーションを遵守して惨敗したプリンスは
エンジンをいぢり
ライバルたちを圧倒する性能を得た。
雪辱に燃えるエンジニアたちは
もっと上を目指す。
しかし
そんなマシンは
プリンス自動車には存在しない。
スカイラインの開発責任者だった
櫻井眞一郎は、
シンプルな解決策を思いつく。
スカイラインに
グロリアのエンジンを載せる。
しかし
スカイラインは
“メンテナンスフリーのファミリーカー”
というコンセプトのクルマである。
4気筒エンジンを
搭載することを前提に設計された。
(私見ですが、この部分は意味深いです。R30がGT-Rを名乗れなかった事に通じそうな部分ですね…。)
更に続きます。
6気筒エンジンを載せるには
そもそも寸法が足りない。
そこで採用されたのが、
またしてもシンプルな手法だった。
鼻先を20cm伸ばし、
無理やり押し込んでしまったのだ。
バランスを考慮した設計変更ではないから、操縦性は悪化する。
ボディー剛性が
低下しているので、ステアリングを切ってもすぐには曲がらない。
補強して剛性を確保すると、今度はリアのサスペンションが暴れる。
なんとかそれも抑えこんで、造り上げる。
其れが
「S54 スカイラインGT」。
第2回日本GPで
「ポルシェ904」が参戦することになり
前年の雪辱を果たすべく、
万全を期して臨んだプリンス。
マシンは
「グロリア 」の
G7型2リッター直6 SOHCエンジン載せた
スカイラインGT
ポルシェ904は、ミドシップのレーシングスポーツカーである。
公道も走ることはできるが、もともとはレースモデルだ。
180馬力の水平対向4気筒エンジンを積み、車重はわずかに650kg。
対するスカイラインは
日本初の3連装ウェーバーキャブレターを備えるものの、最高出力は125馬力で車重は1tを超える。しょせんファミリーカーがベースであり、
生粋のレーシングマシン相手では到底勝ち目はなかった。
事件が発生する。
ホームストレートに戻ってきたスカイラインGTが、後ろにポルシェ904を従えていたのだ。
国産車が世界最先端のスポーツカーを抜いたという光景を
目の当たりにし、グランドスタンドの観客は総立ちとなった。
次の周で抜き返され、最終的には大差をつけて優勝した。
それでも、一瞬でもスカイラインがポルシェを抜いたという事実
(これには諸説あります)
この出来事は
この後
日産に吸収されてしまう
プリンス自動車の
最期に魅せた輝きなのかも知れない。
そしてこの事が
スカイラインというクルマの
悲劇の歴史の幕開けになる。
私見ですが
プリンスが日産に吸収された時に
スカイラインも終わって欲しかった。
S54には
プリンス技術陣の魂が入ってると思ふ。
其の佇まいをみても
日産 スカイラインとは雰囲氣が違う。
孤高の魂と牙をS54には感じる。
余談ですが
オイラのオヤジは
アンチ 日産 スカイラインでした。
彼がスカGと指す時は
S54を意味してました。
日産という
帝國海軍の様に硬直した組織で
「象徴」と言われても
その存在をもて余される始末。
長きに渡りスカイライン ファンの期待を
裏切り続けて来た日産
最期はル・マン等の國際的レースで
ポルシェとの闘いに勝って
スカイラインの歴史の幕を閉じる。
其のくらいの演出をして欲しいと
思ひます。
残念だけどムリでしょうね‼️。
Posted at 2021/08/05 17:40:06 | |
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