日産という會社の経営陣を視てると・・・
太平洋戦争というあの無謀な戦争を仕掛け、国民を破滅に追い込んだ日本陸海軍の首脳陣のアホどもと、いささか変わらないと思う‼️
井上成美のひと言が思い浮かぶ
江田島の海軍兵学校の参考館に掲げてあった歴代海軍大将の写真・・・
「あの連中の半数は、日本を破滅の道に追いやる、自分が国賊と呼びたいような人たちだ。それを生徒に景仰させるわけにはいかない」
まさに日産の歴代首脳陣にも、当てはまるなぁと思う‼️
破滅の一歩は
1977年、社長に石原俊が就いて独裁色を強めた、銀行借り入れによって海外企業の買収や提携を繰り返し、グローバルに事業を拡大させていった。
一見、正しい戦略のように思えるが、日産の債務は膨らむ一方だった。
石原はライバルの蹴落としにも固執した。そしてその標的になったのは
ミスター K
片山 豊 氏
1960年ロサンゼルスに片山氏は渡った。
「クルマの性能やタフネスさをアピールする以上に、万が一トラブルが発生した時、即対応できるサービス網を作り上げること。ダットサンの“主治医”が常駐し、充分なスペアパーツを持つディーラー・ネットワークの構築」
其れが目的だった。
しかし・・・
突然、極東から見慣れぬクルマを携えてやってきた日本人担当者に、西海岸の新車ディーラーは冷淡だった。
そこで片山氏は中古車販売店を一軒ずつ巡り、ダットサンを置いてもらうことから、すべてをスタートさせた。
彼のそうした努力は1967年、新型SOHCエンジン、四輪独立懸架、クリーンなボディデザインを持つ傑作車、510型ブルーバードの登場ですべて報われ、花開くことに。
そして510をベースにした“Z”が誕生すると、ディーラー各店は、我先にとダットサンを求める人で埋め尽くされた。
北米市場で「ダットサン」ブランドを立ち上げ、1975年に北米で日産車を輸入車1位の地位に押し上げた米国日産会長の片山豊氏を、石原の社長就任と同時に放逐。
成果を上げる片山氏が自分の地位を脅かす存在として映ったからだとみられている。石原は、片山氏憎しで氏が育てた「ダットサン」ブランドまでも消滅させた。
片山氏は極めて優秀で、部下にも大変慕われていた。
米国日産の社長時代、社長室の扉はいつも開け放たれていて、常に現地の人の出入りがあったという。
退任されてからも、米国日産だけでなく、全米のディーラーから感謝され、また愛されていた人物。
そんな片山氏を、石原 は徹底的に嫌った。
片山氏は日産の創業者である鮎川義介氏と親戚関係にあり、血統としても申し分ないものだから余計に癪(しゃく)にさわった。
それほど会社に貢献した人なのに、ヒラの取締役にすらしなかった。
このケースは特にひどかったようで・・・
そんな毛嫌いが高じて、石原は、アメリカ市場に定着したダットサンブランドをなくすという暴挙に出てしまった。
『片山が育てたダットサン”は許せない』と
これを消して日産ブランドに統一したわけです。
市場にブランドを定着させるというのは、自動車に限らず莫大(ばくだい)な資金等のエネルギーと要すること。
そうして根づいた「いいブランド」のイメージをどう生かすかが、販売の生命線なんです。それをつぶして、重要な市場であるアメリカにおいて致命的な失敗を招いた。そして、この失敗が今の今まで尾を引いている。
カルロス・ゴーンですら
ダットサンブランドの重要性に気づいていて、実際にその名を復活させたほどですしかし、いったんやめたブランドを再開するというのは容易なことではありません。新興国向けの低価格車ブランドとして再出発したものの、2023年に終了しています。
このアメリカにおけるダットサンつぶしからの衰退が、もはや修復しようのない問題点。
ブランドイメージがどれだけ大事かということ。
そしてそれをダメにしてしまった日産の致命的な失敗だと思う。
日産は1986年、上場以来初の営業赤字に転落したが、バブル景気によって構造改革の進展は遅れた。
しかし・・・
この石原という男はただ運が良かっただけで。
1988年に発売した高級車「シーマ」の大ヒットも、石原路線の破綻を覆い隠すことにつながった。
現在に戻ると
内田誠社長は
「われわれのインセンティブは業界平均レベルだと思っている。
販売の質の向上を維持するという観点から、ほとんどはキャッシュ(値引き)ではなくお客様のローンの支援に当てている」と答え、特段問題視しなかった。
現在も国内でエクストレイル(不良在庫)の0%金利を続けている。
現在の状況に陥った事をまだ続けている
まさしく無能
日産がアメリカ市場で「インセンティブ漬け」になったのはこれが初めてではない。
カルロス・ゴーン時代の拡大戦略の中にあった2016年にも1台当たりインセンティブ額が4000ドルを超えた。
これを原資に現地ディーラーは安売りを濫発、日産車のブランドは大きく毀損した。
日産に16年間勤務し北米事業の経験もあるブルームバーグ・インテリジェンスの吉田達生アナリストは、「40年以上変わらない構造問題だ。
日産には『こんなに売れるわけがない』とみんながわかっていても過大な計画を立ててボリュームを伸ばそうとする歴史がある。『できない』と言った瞬間、『君はいらない』と放出する。
アメリカ人はきっと
日産本体の社長(アホども)の名前なんか知らないだろう。
でも、ダッツンのミスター K 片山 豊 氏の名前は知っている。
優秀な人材を妬み、貶め
ブランドを大切に出来ない
ココに日産という會社のイビツな形が表れてると思う。
Posted at 2025/03/22 14:02:24 | |
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