2007年06月04日
ランサーエボリューションⅡの次の車はトヨタ110系マークⅡ(フォーチュナーヤマハパワー)。
ランエボはトラブルが多く、次はトヨタ車が欲しかった。そして、四ドア、MT、ターボ車。この条件だとマークⅡがあてはまった。100系は沢山見かけるので、少な目の110系に決めた。
110系でもフォーチュナーというグレードはモデリスタというメーカーが出している限定バージョン。色も限定色で気に入った。ヤマハパワーと言うのはさらに上のグレードでノーマルで300psのパワーがあった。
ランエボではいろいろ弄ってお金かけてなので、最初からチューニングされている車にしておけって発想。ノーマルでも社外の18インチアルミ、マフラー、エアロ、足回りなど標準装備。
新車では高いのでネットで中古を探す。
たまたま、大阪にある車屋で一台だけでていたのですぐに電話。
一度片道500kmの距離を走り見に行き即決。
多少細かな傷はあるものの良しとした。トランクの閉まりが悪いのが気になったので、聞いてみるとリアバンパーを交換履歴があるのでその影響だと思うと説明された。フレームまでいっていないので問題ないですと言われた。
大阪から帰りのマークⅡの運転の楽な事。ランエボの時は高速走行では長距離走ると結構疲れたのに、マークⅡの帰りルートは一度のトイレ休憩だけど、疲れもあまり感じなかった。
何よりもエンジン音が静か、パワーにも余裕があるので楽しい。シートもレカロではなくなったので硬い感じがなく快適。
そんなマークⅡの欠点はレスポンスの悪さだった。電子制御スロットルのおかげで加速するまでタイムラグを感じるのだ。ランエボの加速と比べると物足りなさも感じた。
それども高速走行の加速、安定性は別格だった。
200kmオーバーでも怖さを感じない安定性。逆に怖かったりもするが。
10年位は乗るつもりのお気に入りの車だったんだけどね本当は。
結婚、マイホーム計画と維持費がきつくなり始めてのだ。
マークⅡだと月にガソリン代で2万。税金も4.5万。オイル交換でも一万。タイヤ交換でも15万と今考えるとありえない(涙)。
そして、ちょっと冗談半分で「軽に変えようかなー」って相方に言ってみると、車好きの自分を知っている彼女だから「無理しなくても良いよ」って言ってくれると思っていたのだが、あっさりと「そうね」って.....。
そん事で軽に、ソニカに買い替えが決定。
お気に入りのマークⅡを売り、ソニカをプラスマイナス0で手に入れたいので(ランクダウンでお金を払うのは嫌なので)知り合いの買取屋のマークⅡを査定。
ところが、ここで大問題。実はマークⅡは事故車であった事が判明!
リアのフレームまで板金のあとがあるとの事。
「うそー!」
確かに説明されて見てみると納得。
大阪の中古車屋、修復歴無しって言っていた。
2年半経っていたが、問い合わせた。
突っぱねられるかなっと思っていたが、意外に前向きな対応でしたよ。
納得のいくものではありませんでしたけどね。
結局その大阪の車屋が疑惑のマークⅡをソニカの新古車の金額で買い取っていきました。
そして、知り合いの買取屋に頼んでおいたソニカ納車となりました。
オークションで探してもらっていたのだけど、ショップの開発車両のソニカが出ていたときがあったんですよね。
値段が高めだったので却下しましたが、ソニカのフルエアロで16インチ社外アルミ、ダウンサスなど付いていたのでお買い得だったかも。
今は今でソニカを楽しんでいるので後悔はありませんけど。
Posted at 2007/06/04 15:56:19 | |
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過去車 | 日記
2007年04月24日
ランサーGSR(CD5A)がタービンブローしてしまった社会人三ヶ月の自分がいました。会社は車通勤なので車がないと困るのです。
急な車の故障に悩みました。タービンの交換だけで治るのか?今後の修理代など考えると買い替えが良いのではと思いました。
そして、お金もないのにランサーエボリューションⅡを中古で購入しました。
しかし。このときはこのランエボが次々と起こすトラブルがあることを知りませんでした。
ランエボⅡは前車のランサーGSRターボに比べると出だしはちょっと物足りないように感じましたが、低回転域からの高回転域まですごいパワーを発揮します。
憧れのランエボ。エボⅡにした理由はⅠよりも丈夫である事、Ⅲよりもチューニングしやすいからでした。
嬉しくて、オイル交換とタイヤ交換を買って一週間で実行。
そうしてやめれば良いのにどこかに走りに行きたくなり、深夜に仕事が終わってから筑波山へ一人で突撃。(ちなみに峠で走りこんだり、サーキットにいったりした事があるわけではない素人)
筑波山についたのは良いのだけど霧が出ていて、とても走れるような状態ではなかった。仕方なく少し上ったところで、帰る事にしました。
その帰り道、せっかく来たのだからと少し飛ばし気味で下っていました。
下り右コーナーに進入した時、ちょっとオーバースピードだったのでブレーキを強めに踏んでハンドルきった瞬間、「あれっ!」
車が変な方向に...。
タイヤ交換したばかりでグリップが悪くリアがすべりはじめたのでした。
ここからはスローモーションでしたね。
この状態を回避できるほど運転能力があるわけでは無く、そのもも壁に正面から激突。
「終わった....」
恐る恐る。エンジンをかけてみるがかからず...。フロントはグッシャリ。オイルはダラダラ。その頃のPHSは圏外。早朝の筑波山。
「.....。」
「どうしよう...。」
完全にパニック状態でしたね。
そこへ本物の走り屋のシビックが下って来ました。思わず手を振って助けを求めました。茨城の人はとても親切。下までの送ってくれ、さらにJAFまで手配してくれました。あの時は本当に嬉しかった。
買って一週間で悲惨な状態なランエボはJAFに牽引され茨城三菱へ。
JAFに支払いをしようとしましたが、現金は4000円しか持っておらず早朝のためATMも使えませんでした。ここでも茨城の人は親切!8000円を4000円にまけてくれました。感激!
茨城三菱の人はランエボを見て一言「こりゃ廃車だね。」
ちょっと待てー。買ったばかりでローンを一回も払ってない状態のこの車を廃車とはどういうことだ!
それだけは回避したく無理いって修理工場へ。
見積もりがでるには時間がかかるとの事。さらに代車はすぐには用意できないので数日待ってと。
仕方なく電車で東京まで帰宅。
数日後、オンボロのホンダのTODAYを代車で借りました。さらに、修理見積もりは100万。
おいおい、買った金額とあまりかわらないじゃないの。
でも廃車にするのだけは嫌なので必死でネットなのでパーツ探しを一ヶ月。
20万の見積もりのABSユニットを1万で仕入れたり、インタークーラーやラジエターなどかなり用意しました。
その部品を渡してでた見積もりは60万。
これなら何とかなるかなっと思い三ヶ月に及ぶ修理。
ようやく戻ってきたランエボⅡ。
それでも懲りずにいろいろ壊れ続けるランサー。
数ヵ月後プラグコードが一発いかれ、エンジン不調に。実家近くのランエボ専門SHOP「HRS」に持ち込み見てもらった。そのついでにいろいろチューニングの話をしているといろいろ付けたくなってしまいました。
そして、マフラー、サクションパイプ、現車合わせECU書き換えなどなど。
この後はしばらく順調なランエボでしたが、二年後大トラブル。
走行中にタイミングベルトが外れエンジンブロー。
最初は何が起きたのかわからなかったので、三菱にて修理見積もりのために入庫。
数日後呼び出され行ってみると、エンジンが半分下ろされいて「エンジンブローです。どうします?」
そこまでエンジンバラバラにされていて「やっぱ良いです」って言えないだろう。
修理代は40万の見積もり。ついでだからタービンのOHもしてもらう事に。
しかし、この見積もりに実は間違いがあったのでした。本当は58万。
でも最初に40万って言われたから40万にしてもらいました。
完全に絶好調のランエボでしたが、とんでも無い嫌がらせをこの後受けるのでした。
それはなんと車全体に剥離剤のようなものをかけられたのです。
かなり悪質ないたずら。塗装は全体的に剥がれ無残な姿に...。
でも車両保険のおかげで100万の見積もりも無料に。しかも、新車なみの綺麗な塗装になりました。
というものもあちらこちら壊れ続けるランエボも10万KMまで残り僅かになり、すでにラジエターに穴が開きはじめたのをきっかけに買い替えを決意。
もっともお金がかかったランエボでしたが、下取り額は11万(T.T)
次回は過去所有車台4号です。
長くなりました。どうでも良い内容でしたが読んでくれたありがとうございます。
Posted at 2007/04/26 12:40:56 | |
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過去車 | 日記
2007年04月12日
カローラが車検を向かえ、親が新たに中古車を買ってくれることになったのは大学二年の頃だったかな?
3歳からの幼なじみが、その頃パルサーGTiR(ちょっとレア車)に乗っていてターボ車+4WDが欲しかった。
そこで見つけたのはH4年式ランサーGSR(CD5A)です。1.8Lターボで4WD。
このランサーがビックリする加速力でした。出だしの速さは、次に乗り換えたエボⅡより勝っていました。
初のターボ車で4WD。100km/hなんてあっという間に到達。なんといっても2速全開の加速はすごかった。
いろいろいじりたかったけど、学生で正直お金はない(涙)。バイトしたお金で貧乏チューニングの日々。車載ジャッキでエンジンマウントを交換したこともありましたねー。ランエボやインプのインタークーラースプレーに憧れ、自作で作ってみたり、金魚などのエアポンプの空気調整するバルブをつかって強制ブーストアップなどいろいろ今思えばすごい事やってました。
大学の研究室で実験中の深夜、仲間で抜け出し大黒埠頭でドリフト見に行ったり、湾岸で最高速のポルシェを見たりと楽しんでいました。
就職してすぐに、白煙をはきタービンブローを起こし最後になりました。
むちゃくちゃなチューニングが寿命を短くしてしまったようです。
次回は第三号。
Posted at 2007/04/12 11:00:58 | |
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過去車 | 日記
2007年04月09日
18に免許をとって初めて乗った車は、近所のおじさんからもらったS63年式のカローラ。なんとMTでした。このMTカローラがなければ今の車好きはなかったかもしれません。
車の事などほとんどわからないまま、初ドライブの後はライトを消し忘れ、初のバッテリー上がりを起こしたり、知らぬ間にハンドルロックをかけていて「壊れたー」っと勘違い、トヨタの人に来てもらったりと今思えばめちゃくちゃな事してました(恥)。
オイル交換という言葉すら良く分からず、突然エンジンが止まらなくなったこともありましたね。
一番怖かったのが交差点の真ん中でMTシフトが突然「スコッ」っと抜けた事がありました。たまたま友達が数人のっていたので押してもらえたので良かったですが、あれは焦ったな。コントみたいでね。
実家の近くの砂利の駐車場では、しばらく乗っていなかったら「やけに車の中で蟻を見かけるなー」って思っていたら、なんとリアシートの下に蟻の巣が!!!
横はぶつけて凹んで歪んでいたので、進入してきてしまったようで...。
カローラは手動ウィンドウでした。それを学生時代の友人に馬鹿にされ、思いっきり早く窓を開け「パワーウィンドウよりこっちの方が早いんだよ」って意地を張った事もありました。
いろんな思い出、トラブルがあり勉強になった一台でした。
次回は第二号の話。
Posted at 2007/04/09 10:25:09 | |
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過去車 | 日記