
北海道民の皆さん、家で作る(インスタント、カップ麺を除く)焼そばといえば、東洋水産の「マルちゃん焼そば」ですよね?!
私も、子供の頃から慣れ親しんだ味で、小学校~中学校にかけて土曜日が午前授業で家に帰ったら、母がよくこのマルちゃん焼そばを炒めて作ってくれた記憶があります。
ちょうどこの時間はNHK(テレビ)で「四角い仁鶴が、ま~るくおさめまっせ」でおなじみ(?)、笑福亭仁鶴が司会の「生活笑百科」が流れてたのですが、あれってまだ今も放送してるんでしたっけ?だとしたら、今も上沼恵美子とかオール阪神巨人、宮川大助花子とか出てるんでしょうかね?
…話がそれました。あれから早や20年以上の時間が経ち、母はがんと闘病中の身体となりました。
そんなある日のこと。久々に3泊4日にて自宅(実家)に一時帰宅できることになりました。
私(+ワイフと息子)も実家に駆けつけて料理を振舞うこととなったのですが、実質ワイフが殆ど一通りやってくれました。感謝、感謝。
その中で私もせめて1回くらいは、、ということで、最後の昼ご飯としてこのマルちゃん焼そばを振舞うこととしました。最初、母が好きな食べ物は何だろう?と思い返したものの、私が実家を出てから10年以上経っているとはいえ、恥ずかしながら、全く以って思い浮かびません。おまけに残念ながら母自身の食欲がまったく無い状態だったので、作っても食べれない可能性も…
そこで、逆に私にとって思い出に残っている母の料理は何だろう、を手がかりに思い起こしてみて辿り着いたのがこのマルちゃん焼そばでした。
普段料理をしないMeですが、作り方自体は難しくないです。切った野菜と肉を炒めて、麺と水を入れて徐々に水を麺に馴染ませながら蒸し焼きにして、水分がなくなったら火を止めて粉末状のソースを振りかけて絡めるだけ。
母はその日の朝食もあまり摂れなかったので、この際だから食べて貰えなくても止むなしと思い、皿に盛り付ける量も最小限にしました。そのお陰か、焼そばだけは何とか完食してくれました。でも、それ以外の品には殆ど手をつけなかったので、かえって無理をさせてしまったかもしれませんね。申し訳ない。。
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それから約1カ月の時が過ぎ、母は既に言葉を発することはおろか、自分の意思もほとんど表現できない状態にまで弱ってしまいました。一刻の猶予もなくなっていく中で、父と私、そして東京から駆け付けた叔母の3人体制で病室に張り付いて交代で付き添う日々。
つい先日、自宅で寝ていたところ、まだ朝5時だというのに息子が意味不明な寝言を発して私はすっかり目が覚めてしまいました。
当初その日は病室に行く予定では無かったのですが、まだ出社前にひと時間あるな、、と思い、ルーテシアさんを駆って様子を見に行ってきました。病室に着くとちょうど看護師さんが血圧測定に来てたのですが、今までより少し呼吸が息苦しそうで、無呼吸の時間も1,2秒増えたかな?と感じました。看護師さんも「1時間前までは呼吸もまったく問題なかったんですけど、ちょっと気になりますね。」、という感じでしたが、そこまで急を要する感じでもなさそうだったので、父と叔母、看護師さんに「もし何かあったら連絡ください」と伝言して再度自宅に戻り出社の途に就きました。
ただ、その時看護師さんに「息子さんの職場はどの辺りですか?」「大通です。そこから病院までだと約40分程度ですかね。」「…何かありましたらすぐに連絡いたしますが、その後容体が急変して間に合わない可能性もあります。そこだけはどうかご了承ください。」と念を押されてしまいました。
その嫌な予感は残念ながら的中してしまいました。私が会社に着く直前、携帯に容体が急変したとの連絡が。急いで病室に駆けつけましたが、父と叔母と目が合った瞬間、すべてを悟りました。私が会社に休暇連絡をしてる時点で、息を引き取ってしまったようです。
いま思えば、母は息子を介して最後の力を振り絞って私を病室に呼び寄せたのかもしれません。
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おかげさまで葬儀も一通り無事に済みましたが、いまこうして実家に飾られた祭壇、遺影を見ても、「いまはたまたまここに居ないだけで、どこかで元気にやってるんじゃないか」と感じてしまいます。もしかしたら、本当にそうなのかもしれませんね。
Posted at 2013/12/06 06:21:38 | |
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