ちょっと思い立ったので、還暦を目前にしたおじさんが308CCを買うに至るまでの話を何度かに分けて書いてみようと思います。
小学生の頃から神戸の六甲道で育ちました。通っていた成徳小学校は、野坂昭如の出身校で、火垂るの墓の物語の舞台になった辺りです。ここ六甲道は、六甲山から下ってきたところに位置するため、表六甲ドライブウェイを走り回っていて、車やバイクの調子がおかしくなってもなんとか家まで帰ることができるという、普通の人にはまったく意味のないことを自慢に思っていました。高校生時代にはナナハンに乗って毎日のように走っていましたので、表六甲の113個のカーブは、ほぼ全て覚えていたかな。
ナナハン KAWASAKI 750SS MachⅢで秋田県までソロツーリング
今の峠族の始まりの頃かなと思いますが、当時の六甲山の交通量は圧倒的に少なくて、夜は対向車に出会うことが珍しかったくらいです。KAWASAKIのテストライダーがZ1にでっかい仮ナンバーをつけて六甲山で走行試験をしていた時代ですね。
はじめて買ったクルマはニッサンローレルGX ツインキャブのスポーティなクーペでした。
そんなことをやっていると、若気の至りで当然の結果として「オレは速い!」という勘違いをしていました。その勘違いのおかげで楽しい青春の日々があった面もあるのですが、ある日友達に誘われて鈴鹿サーキットにレース見学に行きました。TS仕様のB110が全盛期の頃ですね。
「サニー?たった1200CC?そんなんで速く走れるの?へぇ~、まぁ、見てやろうじゃないか」と思っていた私はデグナーを抜けていくB110の音とスピードに魂が抜けたようになってしまい、「オレは速い」と思っていた天狗の鼻は分子レベルまで粉々に砕かれました。
勘違いしていた頃の「オレ」^_^;
そりゃそうでしょう、本気でモータースポーツをやっているヤツの速さを街乗りレベルと比べる方が間違っていますから。
そんな頃、縁があってラリーチームに誘われ、ダートトライアルをはじめることになりました。あの鈴鹿サーキットでのサニーの速さが印象的だったので、B210を手に入れて一生懸命練習を始めました。

次が高崎サニーというPB210ですね。これはL16を1800CCにボアアップしてSOLEXに50φマフラーを付けたりしてエンジンチューンしている車両ですが、当時のレギュレーションではこれでJAF公認競技へのエントリーが可能でした。古き良き時代と言うべきでしょうか。

当時の車好きの若者なら「いつかはZ」とか「いつかはRX-7」「いつかはGT-R」などと夢見て貯金をしていたと思いますが、私はスタイルが気に入ったのでフェアレディZを買いました。でも、乗ってみるとわかるのですが、フェアレディZはカッコは良いものの、エンジンはL20型という、いわばタクシーに使われているような重たく眠たいヤツで、実はそんなに速くないんです。
当時は2TGを積んだレビン、トレノ、セリカが大活躍中で、レスポンスの悪いL20では到底勝ち目がないと言われました。
1台目のS30

ダートを走っていると、ボディへのストレスが半端ないので、1年も乗っているとどこかにぶつけたりしなくてもがたがたのよれよれになります。で、中古のS30を探して乗り換えました。
2台目はカッティングシートでちょこっとかっこよく♪
でも人の3倍くらい練習を重ねた結果、表彰台に上がることもできてきました。
あれ、なかなかオープンカーの話にたどり着きませんね^_^;
もう少しまとめてから続きを考えて見ます。
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2016/05/31 16:13:23