※このブログは「前編」からの続きです。よろしければ先に前半をお読みくださいませm(__)m
フェアレディのL20はエンジンレスポンスは悪いのですが、2TGと比較すると低回転域でのトルクが太く、コーナーリング時にアクセルを床まで踏み抜きフルカウンターあてて豪快にドリフトさせると言うより、あえて弱アンダーを出しながらグリップ走行を心がけると、走りはおもしろくないのですが好タイムが出やすい感じでした。2TG搭載のトヨタ車とはちがう4輪独立懸架のサスは、コーナーリングが得意だったのでしょうね。
参考諸元:
L20:125ps/6,000rpm 17.0kg・m/4,400rpm
2TG:115ps/6,400rpm、14.5kg・m/5,200rpm
兵庫県シリーズでクラス1位! 賞品はタイヤと自転車でしたが、フェアレディZで積んで帰るのに苦労しました。

私の右に写っているT君はレース屋なんですが、友人のTA6セリカで初めてダートラに出場し、私より0.2秒遅れの2位です。しかも、そのセリカにはこの日初めて乗ったとのこと・・・・本当の天才というのはこういうヤツのことを言うんだと思いました。
S30フェアレディZを2台乗りつぶして、次はS130フェアレディZに乗り換えました。280Zと言うヤツですね。当時はパワステのついている車がダートラに出場なんて雑誌に載ったりしました。
これは購入してすぐにダートラに出場したときの写真です。

搭載されていたL28は、今から思うとたったの145PSですが、トルクは23.0kgm/4000rpmもあり、サーキットに比べると低速が多いダートラにはこれが結構あっていたように思います。
ちょっと勝てるようになってきたので調子に乗ってカラーリングを変えました。ダートラでは珍しいクルマだったので、オートテクニック誌や関西の自動車雑誌に良く載せてもらいました。
当時のダートラ界は、兵庫県内で行われるJAF公認の競技会に数回入賞すると、以降は出場資格を失い、近畿シリーズに押し出されます。近畿シリーズでも数回上位入賞すると、今度は全日本に押し出されることになります。
ちょうどそんなタイミングで結婚して、ダートラから足を洗いました。
だって、20代のサラリーマンの安月給でとてもじゃないけどトランスポーターを買って、全日本シリーズを追いかけることなんてできるわけがありませんからね。
正直に言うと、自分の才能の限界が見えてきたからです^_^;
ここから、私の自動車史的に暗黒の30年が始まります。結婚して7年で3人の子供ができたので、キャラバン、ハイエース、エルグランドなどのワンボックスを乗り続けました。少し子ども達が大きくなってからもカペラワゴン、レガシーワゴン、ストリームなどのワゴン車を乗り継ぎ、最新がプリウスでしたが、これもワゴン車のようなものですね。
とにかく人と荷物が載せられることが必要条件でしたので、スポーツカーを買うという選択はあり得ませんでした。
プリウスはまぁ移動手段としては便利なクルマでしたが、走りや的な目線で見ると・・・・。これは自動車じゃない、電車だと感じてしまい、最初の頃は交差点で止まったときに、右ヨシ、左ヨシ、出発!などと指差し呼称したりしていました。
4年間で8万キロ走行。故障はゼロ、すごいねプリウス号!
プリウスから乗り換えるのに、30年ぶりの「乗りたいクルマ選び」は悩ましくも楽しい期間でした。
後付けのフォグを外している写真がプリウス号の最後の姿です

でもその時の私は「乗りたいクルマ」が全くなくて、いろいろとネットで情報を見ていると、最近Mazdaががんばっていることがわかり、まずはMazdaのアテンザを見に行きました。
魂動デザインも良いし、燃費も良いし、なによりも質感は私の知っている時代のMazdaとは全く違う次元に到達していて、これで良いかなと思いました。

でも、急ぐクルマ選びではないので欲しいと思えるクルマを探そうと、数ヶ月かけていろんなカーディーラーをのぞいて見ました。
この頃、税理士から中古車の方が税金が安くなります。特に4年オチだとその年に全額償却できるのでおすすめですと言われていたので、中古車を買う方針を決めました。
ポルシェのボクスターも検討しましたが、仕事での移動に使うのにちょっと派手すぎるのと、とにかくエンジンがやかましいので検討リストから脱落。

BMWのディーラーにも行ってみましたが、質感はアテンザの方が3シリーズよりも上を行っていると感じたのでびっくりしつつ、検討リストから脱落。

何よりエンジンのチューニングの違いだけで100万円以上の値段差をつけていることになんだかがっかりしてしまいました。
プジョー専門店にも行き、展示してあった2009年式の308CC、ブラウンメタリックを見てお洒落なデザインにかなり心が惹かれました。
価格はかなり安かったのですが少し年式が古く、色が気に入らないのと、308CCはオープントップの故障が多いというネットの評判を見ていたので、購入には至らず、軽い気持ちで「程度の良い4年オチの308CCが入庫したら連絡してね」と連絡先を置いて来ました。
ボルボ、アウディ、BMW、ポルシェ、いろんな車種を検討しましたが、なんとなく心が惹かれることがなく故障の心配や維持費の高さを考えて、やっぱり国産車が良いねと思いました。
消去方式でアテンザに決めたと思ってネットで情報を集めていると、マツダコネクトのできが悪く、社外ナビもつけられない仕様なのがわかり、また悩み始めたんですね。
今度はスバルのディーラーに行ってレヴォーグとレガシィを見てみました。アイサイトはMazdaより制御が優秀なようだし、ディーゼルよりツインターボの方が走りそうなので、よしレガシィに決めた!と思い、なじみの自動車屋に連絡を入れました。

オークションでいいのを探してあげるよと言われ、プリウスの車検がまだ4ヶ月ほど残っていたので了承しました。
すると2週間ほどして程度の良いのが出たよと連絡があったのですが、ボディカラーがシルバーだと言われて、一瞬迷ったのですが白が欲しかったのでこのときは入札を見送りました。

その自動車屋からの電話を切って、数分もしないうちにもう忘れていたプジョー専門店のK社長から2ヶ月ぶりに電話があったのです。
「お探しの308CCが入庫しましたよ~」
このタイミングでの電話は、まさしく悪魔のささやきでした。
い、いや、もうレガシィを買うことにして、なじみの自動車屋へ注文も入れているんですよ、と断る声の弱々しさは相手にも伝わったようです。
どんな会話をしたのかよく記憶にないのですが、「まぁまぁ、買う買わないは別にして、よかったら一度見に来ませんか?」というK社長の言葉だけはうっすらと覚えています。
気がつくと、阪神高速に乗ってその専門店へ向かっている自分がいました。
こういうとき長年連れ添った愛車がすねてしまい、思わぬ故障が起きるようなドラマチックな話を聞いたりしますが、電車扱いされていたプリウス号はそんなに私に対して嫉妬する必要が無かったのか、何事もなく走り始めてくれました。
いや、まだ今なら引き帰せるぞと言ってみたり、アイサイトの運転の楽さは魅力じゃないのか?などと自問してみたりしましたが、もう還暦が近いとは言え、まだアイサイトの力を借りないと運転が危ないところまで年を取っていない。
逆に、今でないともっと年を取ってからだと乗れないかも知れないじゃないかという返事が返ってきました。
一体誰と誰が会話しているんだろうと思いながら走っていると、30分ほどで尼崎のプジョー専門店に到着しました。
いました!いいなと思っていた白の308CC!
「他にも検討している方が3人ほどいらっしゃって・・・」などと言っているK社長の言葉はまったく耳に入らず、何も言わずにぐるっとクルマの周りを一周してみたとき、右斜め後から見たフォルムが心にズキン!と響いたのがわかりました。
この子を連れて帰りたい!一緒に暮らしたい!という気持ちが固まった瞬間です。
故障の多さへの心配などがまだ残っていましたが、理屈ではないなにかが動いた感じで、クルマを買うと言うより、ペットを飼う気持ちに近かったのかなと思います。
何よりも30年ぶりに「これに乗りたい!」と思えたクルマとの出会いを大切にしようと思いました。
こんな感じで、白の308CC ライオン丸は私の手元にやってきました。
プリウスでは滅多に開けたことのないボンネットを開ける毎日がこれから始まるんだと思うと、なんとなくクルマと一緒の生活が始まるんだというような気持ちになれます。
昔とちがって今の複雑な電子制御のクルマは、自分でいじれるところはそんなに多くないかも知れませんが、できるだけのことは自分でやりながら、仲良くやっていこうと思っています。
オープンカーを買って、心がオープンな気持ちになった気分です。
これから長く、オープンカーがある生活を楽しんでいきたいと思っていますので、みなさん、よろしくお願いします。