秋の夜長…にはまだ3ヵ月ほどありますが、旧車好き、とくにサブロクオーナー様にお勧めの本に出会いましたので、初のブック・レビューをいたします。多少のネタバレ御免。
本日紹介いたしますのは、SF作家神林長平による長編作品
『魂の駆動体』(1995年波書房、2000年ハヤカワ文庫)です。
この作品は「第1部:過去」「第2部:未来」「第3部:現在」の三部構成(文庫版では本編が466ページにわたる25章構成)です。第1部と第3部は「私」による主観的一人称記述、そして第2部は三人称視点でさらに途中からその中心点が移動する、というちょっとややこしい方式をとっており、さらに第2部の舞台は――後述しますが――今までの流れをすべて「無かったこと」にしちゃったような唐突な場面展開となるので、ほとんど別の小説といっていいかもしれません。ただ、全く性質の異なるその二つの小説が、だんだんとつながりを見せていくところが見ものです。
それでは、内容のほうに入っていきましょう。まず、第1部の舞台は、今からそう遠くない近未来。読んでいる感じから推察するに、この本が上梓された西暦2000年前後に生まれた――つまりワタクシの世代!――がめでたくジジイに成り果てたころ。おそらく、ブックオフで『ジジイが主人公の物語特集』という企画が組まれたら、池波正太郎の
『獅子』に並んで置かれることでしょう。なので2060年代頃でしょう。主人公の<私>は『新世紀集合住宅』という未来感のない名前をした養老院で暮らしております(因みに好物は“シングル・モルトのスコッチ”と、ワタクシと同じ趣味をしております)。養老院といっても、住人は完全な個室を与えられているので、食事つきのアパートといった感じです。そこには何だかクセの強いジジイがおりまして、友人の「子安」もその一人。もとは人間の意識を仮想空間に転移させる「HIタンク・プロジェクト」の研究員だった男。
さあ、ここでこの作品がにわかに現実味を帯びてきます。このHIタンクというシロモノ、この中に入ると人間の意識は仮想現実空間の中へ送られ、そこには現実と寸分の違いのない世界が広がっています。しかし、コンピュータ・プログラムによって制御されるこの空間では「寿命」というものがありません。また、好きなだけ「眠り」につくことができるので、もはや「時間」の概念もありません。「なんかやる事ないなあ、とりあえず100年くらい寝ようっと、1世紀経ったら起こしてね」ということが可能なのです。また、「快楽」も得ようと思えばいくらでも得られるわけです。――これを読んで何だかピンク色の妄想をしたアナタはスケベです。ただ、フォローを入れるとしたら、勿論「そういうこと」も可能でしょう。
さて、この状況を何と見る? 私はあの「スマート・フォン」と呼ばれる、電気が無ければ役目を終えたカマボコ板以上のものにはならないキカイを想起しました。アレを手放せない人は、現実よりも仮想現実寄りに生きています。ありもしない人間関係のつながりをあの機械の中に見出し、さらに悪いことに、それを心のよりどころとしています。アレをいじっている(別にヤらしい意味ではない)時間が増えれば増えるほど、虚構への願望が高まります。
そしてさらに最近では、Google Glassや、VR(=Virtual Reality:仮想現実)機器なども登場しており、「現実」よりも「現実らしきもの」、つまりは「己の願望に沿った世界」へと退避しようとする動きが益々強まっております。ワタクシは個人的にこれを「電子的自閉症」と呼んでおります。
おっと、色々と長く書いてしまいましたが、つまり「HIタンク・プロジェクト」は何も荒唐無稽なものではなく、かなりの確率で実現可能なもので、人間はノーミソだけの妄想生物へと進化することも選択肢の一つ、と。しかも作品中では、多くの人々がタンクに入りたがっている、とされております。プラグマティック(実用主義的)な現実世界が完成してしまったが故に、「生きるリアリティ」が無意味化してしまったのです。
そんな世界で、<私>は「なんか違うんとちゃうか」という思いを胸に暮らしております。で、ここで先ほど出てきた子安さんに再び登場願います。いやもう、すっかり忘れてた。ひょんなことから<私>は子安さんと、しみったれたジジイのリンゴ農園に盗みに入る計画を立てます。なんでも、子安さんは農園の奥に生えてる「レイゴールド」という品種のリンゴを喰いたいそうな。その林檎には彼なりの思い入れがあるのですが…カット。なんやかんやで農園に侵入、リンゴを奪取します。ただ、退却時に番犬に追われ、しみったれジジイが猟銃かついで追っかけてきます。クレイジー、いや、クレイ爺です。
農園内を逃げ回っているうちに、<私>はあるものに出会います。それは…
<引用>
P.69,L.15
「こんなものがあるなんて」
信じられなかったが、確かにそれは目の前にある。
クルマだった。もう錆びて朽ち果てようとしている。しかし形はとどめていた。車種がわかる程度には。
「プレリュードだ」
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これ以降子安さんの怒涛のダジャレ攻撃が繰り広がられるのですが、カット。主人公にはプレリュードに対する思い入れがあるのです。彼の父親の趣味はクルマのレストアでした。で、最初に手掛けた車が初代プレリュード。また、父親が新婚時に中古で買った車も初代プレリュード。主人公の母は彼を生んですぐになくなりましたが、プレリュードという車は、主人公にとって「母親の象徴」だったのです。
この出来事が<私>の心に変化をもたらします。
<引用>
P.78,L.1
「今あれを……レストアできたらな」
「気にしていたのは、あれか、あの廃車だな。そうか。なるほど」
子安にぽつりぽつりと私は話した。(略)かつてのクルマは単なる移動手段ではなかったということを。
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はい、これです。「かつてのクルマは単なる移動手段ではなかった」。そーですよ、みなさん「かつてのクルマは単なる移動手段ではなかった」んです。大事なことなので2度言いました。これこそがこの作品の主題です。
――と、主題が出てきたところでメチャクチャ長くなってしまった。つーことで次回に続きます。
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世迷言 | 日記
Posted at
2017/06/13 01:07:31