2016年11月14日
11月11日、私がハイマー号を254号沿いにあるトレジャーファクトリーへと走らせていた時には、曇天ではありましたが、午前中の雨は上がり、前日の天気予報ではこれからの降水率は下がっていくはずでした。
私はその店でコットン地のカッターシャツを2着購入し、自動扉をくぐると外は小雨でした。雨が降っている時の慣習的な焦燥から、一瞬雨宿りを考えましたが、しかし――
「フッフフフ、なんと実はこの車、ワイパーを治したのであーる!!」
と、あまり自慢のできない不敵な笑みを浮かべて、私は車に乗り込みました。チョークを引き(始動の度にチョークを引くのはキャブ調整が必要なサインなのかもしれませんが、私はコレを最大の盗難防止策と無理やり考えています)、イグニッションを捻ります。当然ながら、一発始動。回転の様子を見つつ短期的な暖気を終えると、ワイパーのスイッチを引きました(古い車なんでスイッチは“引く”ものなのです)。すると――ワイパー微動だにせず。
「ぬわんじゅあこりゃあぁぁ!!」
ジーパン刑事の断末魔のような叫び。ンもう哀しくてとてもやりきれない感じ。
雨はやむ気配を見せぬ勢い。仕方がない、強行突破エです。この店から家に帰るには確か――
①254号から環八に出る。
②環八から高速池袋五号下に逃げる。
③五号下から住宅街に突っ込む。
――というプロセスを踏まなければなりません。こりゃ厄介です。取り敢えず、フロントガラスをウェスで拭き拭き、発進しました。
視界が悪い、という恐怖に加えて、周りの車が速い、というのも脅威です。流れを乱す訳にはいきませんが、このクルマはステアリングに遊びが無いので、65㎞/hを超えるあたりで路面の振動を如実に拾い、数センチのブレで車体が横っ飛びします。泣きそうになりながら環八を走りぬきました。
問題が起きたのは行程③に移る段階です。環八をきりぬけた安堵感からか、曲がり角を一本間違えてしまいました。しかも厄介なことに、その道は自宅がある丘と、谷を挟んだ向かい側の丘に向かっている一方通行でした。名前のイメージとは裏腹に、意外とアップダウンの厳しい板橋。かつては貧民屈があったほど。平坦なのは宿場町の橋だけ。
戻るわけにもいかず、狭い道を抜けると、地獄のような急坂がそこにはありました。しかも、歩行者が進路をふさぐ形で右に3人、その3メートル向こうに犬の散歩爺さんが一人。犬は小型の好奇心旺盛、最近補充した安物オイルのニオイに興味津々のご様子。
最近の歩行者の特性その1、決して退かぬ。その2、車両道路を走る車両を異端者の目で見つめる。その3、スマートフォンという「スマートじゃない人御用達」の機器に気を取られ、千鳥足となる。
その結果、ハイマー号のクラッチは著しい消耗を強いられ…うぅ、何よりもあの時は死ぬんじゃないかと本気で思いました。「日本における革靴で坂道発進を行うプロフェッショナル」でないかぎり、あの局面はやばかったです。
何だかんだで駐車場までたどり着き、その日は一件落着でした(実をいうと、その4時間後に車幅灯が着けっぱなしになっているのを発見し、すぐさま消したけれどバッテリーがシオシオのパーになっておりました)。
そして今日。また雨が降った。今度は万全であります。スイッチの接触不良具合を把握し、如何様にしてスイッチを引けば動くかを体得しております。更に、フロントガラスには堂々たるガラコを塗り、戦闘態勢万全、といった調子。いざ行けやハイマー号、エンジンブルルン絶好調、といった具合で――ただし室内灯をはじめ、あらゆる電気系統のスイッチを入れると露骨に回転が落ちるようでしたが――発進。
ヘッドライトの明かりも申し分無し、と思った所へ点滅を開始。アララ、と思う間もなくワイパーも上向きで停止。何だなんだ、と室内灯のスイッチをイジってみるも点灯せず。ラジオも黙ったまんま。
要するに電気系統がすべてイカレました。この症状は以前から度々ありましたが今回は雨が降っておる。しかも暗い。洒落にならんのです。
大急ぎで駐車場に帰り、今に至ります。ハイマー号よ、雨の日こそ動いてくれなきゃ困るのだよ…。
Posted at 2016/11/14 21:35:38 | |
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R-2(ハイマー号) | 日記
2016年11月07日
また、酔っておる。酔っておるから無責任なことを書く。ンもう面倒くさいから、今回は『です・ます調』をやめてしまおう。つー事で、今から近年流行りの「エコ」について書いてしまう。もう一度言うが、この記事の内容は「無責任」である。まだ何も書いていないけれどもこれだけは言える。ムセキニン。
従って、この文章は「世間に対する啓蒙」ではない。むしろ『軽耄』である。軽くボケちゃってるんである。だから、読者のスタンスとしては「またアホが何か言ってらァ」というのが望まれよう。
それにしてもワタクシには、酔うと世間を嗤う性癖があるようだ。酔うと気が大きくなる、というのもその原因の一つであろうが、何故か思考がパンクになってしまう。ナァニ、演歌だってもともとデモクラシックなパンクから発生してるんだ、とワケの判らんことをホザキながら本題。
さて、昨今の自動車のCMを見ると、1.運転者の自己中心的な安全設計、2.地球にやさしい低燃費、を必ず謳っておる。まあ、前者に関してはまた酔っぱらった際に書くとして、今回は後者を嗤ってみる。
売り文句を見るに「エコな車」の大前提は「低燃費である事」である。これはつまり、如何に少ないガソリンでより効率的な仕事をするか、に掛かっているワケだ。しかしこれには、ガソリンの燃焼による運動、という点に関しては今までの自動車と全く変わっていない。CO2は依然として排出されるわけで、言ってしまえば「お前ン家のクルマはいっぱい地球を汚すけど、俺ン家のは少ししか汚さないんだじょー」という事である。
そこで登場したのはハイブリッド車、そして電気自動車である。ハイブリッド車はガス給油が必要だが、電気自動車に関してはガスを一切使わずに『電気だけで』走る。しかし、コレで「俺ン家のクルマは全く地球を汚さんのだじょー」と言ってしまうのは、少し早計ではなかろうか。
電気というものは、動力としては非常に優秀である。発生する副作用は「熱」位なものである。
何もワタクシは「電気自動車が普及した暁には、その車各個が発生する熱によって地球の温暖化が進行する」などと突飛なことを言いたいのではない。ワタクシが申し述べたいのは、電気というエネルギーが供給されるまでのプロセス、である。
ここでご登場願うのは、経済産業省エネルギー庁の発行する「エネルギー白書2016」である。これによると、我が国の発電方式は、石油が10.6%、石炭が31.0%である。つまり、日本に於いては電気自動車は動力の41.6%を「従来のエネルギー」に依存しているのだ。また、これにLNG(天然ガス)の46.1%を加えると87.7%となる。これは「火力発電の割合」である。つまり、我が国の電気自動車は、約90%の割合で火力に依存するのだ。
ここでフランスに目を向けよう。フランスでは今も原子力発電が盛んである。2013年度のデータでは、約75%の電力を原子力によって賄っている。つまりフランスを走る電気自動車の動力は75%の原子力なのだ。まるで鉄腕アトムだネ。
いや、お前は発電におけるマイナス面ばかりを見ておる、北欧を見よ、自然エネルギーの発電が主立っているではないか、アイスランドを見よ、火力発電はむしろ少数だぞ、というツッコミもあろう。たしかに、ノルウェーは水力発電が大半を占め、数パーセントの風力と、わずかばかりの天然ガスによって成り立っている。アイスランドに関しては、70%以上の水力発電と30%近い地熱発電、そして風力発電、とクリーンにクリーンを重ねたようなグラフを描いている。
しかし、である。ここで問題にしておるのは、あくまでも『地球規模』のハナシである。つまり、「国」という人為的な枠組みはあまり意味を為さないのだ。そこで、2013年のデータにおける、全世界の発電エネルギーの割合を見てみよう。すると、石炭42.0%、石油4.2%、LNG22.1%、原子力10.8%、である。そう、世界的にみると電気自動車は「68.3%の火力と10.8%の原子力」で動いていることになるのだ。
こうやってみると、電気自動車は20%くらいしかイバレないことになる(原子力は確かに発電時には地球を汚さないが、確実に汚染物質となる廃棄物処理の問題を含め、人類が手にするのにまだ時期尚早である点が多すぎる為、『イバレないモノ』と定義する)。電気自動車がイバレるのはノルウェーやアイスランド国内だけである。
では、「エコカー」は何処が「エコ」なのか? それは「お財布」の中に限定した話である。我々は「エコ」という言葉に「エコロジー」という語を紐付けているが、実は「エコノミー」の「エコ」なのだ。全地球範囲で物を言っているように見せかけて、実のところ個人的な感情に基づいた自己満足の世界だ。「このクルマを買うと、燃料費がかからなくてこんなにお得ですとよ~、ついでに地球を救った気にもなれますよ~」といった所か。なんたるエコエコアザラク。
今のところ一番「エコロジー」なのは、今乗っている車に出来るだけ長く乗ること、ではないか。だって車を造るのも、ツブすのも、結局は相当のエネルギーが必要なのだから。
Posted at 2016/11/07 02:08:37 | |
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世迷言 | 日記