2017年01月01日
アルバイトの帰り道に遠くから除夜の鐘の音が聞こえてきて、早足に玄関までたどり着いたのが12月31日の23時59分30秒頃。テレビではカウントダウンの数字が、その逃れられない運命に向かって刻々と命を削っている最中でした。つまり、どうにかワタクシは家で年を越すことが出来ました。
さて、新しき年を迎えたこの日の予定はかなりハードなものとなっておりました。帰宅後早々に親戚のいる小田原へのロングランの準備をしなければならなかったのです。で、1月1日の午前1時、私と親父はハイマー号に乗り込みました。
車内気温はマイナス1度。吐く息も白く凍てつくような環境です。さらに、わが駐車場は住宅街のど真中に位置しているので、深夜に暖気をしていると大迷惑も甚だしい事になってしまいます。という事で、まずエンジンをかけたら最低限のウォームアップをして、惰性で坂道を下り降り、住宅街の外れまで一目散。そこで再び暖気をする事にしました。暫くすると回転も安定したので小田原に向けての第一歩を踏み出しました。その一歩がとんでもない悲劇を巻き起こすとも知らずに。
結論から言うと、我々は途中で家に引き返さざるを得ない状態となりました。と、言っても、いつもの様に点火不良やブレーキの不具合といったような事態に見舞われたわけではありません。ハイマー号は実によく走りました。いや、走り過ぎたのです。今回は、その事件について詳細にお話しいたします。
我が家があるのは板橋で、そこから小田原に行くには、まず首都高5号線の下の道から環八に出て、そして246号に乗る、といったようなルートを選びました(この選択が結果的には命拾いとなりました)。夜間の寒さもあり快調とはいかないまでも、暫くは問題なく走行しておりましたが、私が異変に気付いたのは環八に入って川越街道との立体交差を超えたあたりでした。いつもよりもエンジンブレーキが弱い事を発見したのです。最初は下り坂という事もあり、さほど気にもしていませんでしたが、それから幾分も経たぬ内にハッキリとした異変が頭をもたげたのです。
まず、アクセル・ペダルの遊びが極端に減りました。そしてさらにペダルの反応が鈍くなってきたため、一度近くのコンビニに逃げ込むことにしました。コンビニの駐車場でエンジンフードを開け、取り敢えずアクセルのワイヤー部分にCRCスプレーを吹きかけて、ついでにコーヒーとチューインガムを購入して、「様子見」という名目の下に進行を再開しました。
さて、またしばらく走っていると、異変は異常となり、非常事態宣言を出さぬ訳にはいかなくなりました。何が起きたのかというと、アクセルを戻してもエンジンブレーキが利かないどころか、逆に加速を続けるようになったのです。ワイヤーが踏み込んだ状態から戻らなくなったのか、シフトチェンジの際もクラッチを踏んだとたんに喧しい音を立てながらエンジンが高回転で空回りをします。この事態は停車時ももちろん継続し、信号で止まるたびに『やたらと煽り立てる暴走族のお兄ちゃん』といった感じになってしまいます。
これはいかん、直ぐにでもこの回転を止めなければ!! しかし前には車。いきなり高ギヤをつないでエンストさせる訳にもいきません。かと言ってこのままエンジンが騒々しく回転を続ければ、近隣に迷惑になるばかりか、お巡りさんが出動するような事態にもなりかねません。
どうする、俺、どうする!? 汗水ダラダラ、頭はエンジンに負けない位に物凄い勢いで回転しています。そして、これがどういった発想によるものだったのか定かではありませんが、その解決方法として体が勝手に一つの選択をしました。理屈は後から付いてきたのです。即ち私は、ほとんど無意識の境地で目いっぱいにチョークレバーを引いたのです。するとどうでしょう。エンジンが一瞬むせ込んだかと思うと、回転が一時的に下がったではありませんか。そして、エンジンが完全に停止しきる前にチョークを戻し、回転が過多になる前にまた引く、といった連続動作を繰り返すことで回転数を手動でコントロールすることに成功したのです。なんという奇跡!!
その後、安全な路肩に車を止め、もう一度後ろを開けて検証してみましたが、ハッキリした原因は不明。どこかでアウターチューブが破損してワイヤーが引っ掛かっていたのか、ワイヤーを稼働するバネがぶっ飛んだのか。
しかし、それだけではどうしても説明のつかない事象もあります。回転がマックスになった時にエンジンを切ろうとした時の事。イグニッションを切ったにも拘らず、未だエンジンがブンブン唸りっぱなしになっていた時には背筋を冷たいものが走りました。詳しい原因の究明は翌日、日のある内に行うことにして帰路につきました。いや、帰路につかせました。というのも、ワタクシはもう、ここまでの道のりで憔悴しきっており、無事にたどり着く自信がなかったのです。なので、回転をコントロールするコツを親父に伝え(即ち「チョークレバーで運転すべし」)、運転を任せました。彼は「踏んでもいないのに時速90キロで走ってる!!」としきりにビビり、私は「俺の時はいくら踏んでも80キロがいいとこだったのに!!」としきりにブータレて何とか我が家にたどり着きました。住宅街では2速キープで、速度調整は主にチョークレバー、というまるで初期型のT型フォードのような運転方式。さらに、バックギアでのハンドルを伴う操作は不可能と判断して、駐車場内はえっちらおっちら押していきました。
さて、2017年の最初の最初はこうして幕を開けた訳であります。この正味1時間ほどの決死のドライブは、今年の厄をすべて背負い込んだものなのか、それとも今年の運勢を暗示しているのか、それは定かではありません。なんにしても今は原因の究明あるのみです。一体ハイマー号に何が起きたのか!? なんだか抜けられぬ泥沼にはまり込んだような感覚です。――そういえば今年は車検もあった…。
Posted at 2017/01/01 22:18:37 | |
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R-2(ハイマー号) | 日記