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半振暮銀のブログ一覧

2017年06月17日 イイね!

【読書感想文】魂の駆動体(後篇)

さて、またまた『魂の駆動体』略して『タマクド』の感想文。こんな記事を数日にかけてダラダラと続けていても仕方がないので、最終回です。


 オリジナルのクルマの設計図を完成させたジジイの身にいったい何が起きたのか!? それは、設計図をプロッターで描き出している最中に起きました。

<引用>
P208,L.17
 ペンの動く音が遠くなり、図面の線は、もつれた糸のように形を崩した。(略)ふわりとした浮遊感。ふと、これが死につつあるということかという思いが頭をかすめたが、なんの衝撃もない。恐怖も、なにも。ただ世界が、自分が、消えていく感覚だけだった……

~~~

 おい、死ぬなジジイ!! ああ、この後どうなってしまうのでしょうか。第1章はここで幕を閉じ、第2章「未来」が始まるのですが、ここで急激な場面転換が起こるので読者は度肝を抜かれることでしょう。うっかり、「さてジジイはどうなったのか」と思いながらページを繰ると、第2章は次のように始まります。

<引用>
P.213,L.1
 翼人のキリアは変身装置に入る前に、なんども警告された。

~~~

 でえい!! いったい何が起きたというのだ!! 作者、狂ったか!? もしくは印刷屋が間違って別の小説を挟んじゃったのか!? さてはイルミナティの陰謀か!? などとアタマがコングロマリットです。この短いセンテンスで疑問が何個も生まれます。「翼人」ってなんだ、「キリア」って誰だ、「変身装置」って、そもそもだからお前はなんなのだ?
 そういった疑問を無理やり置いておいて、とりあえず読み進めていくと、どうやら「翼人」とは遠い遠い未来の地球における支配者で、人間はもうすでに「HIタンク」に入ることで滅びてしまった後らしいです。ちなみに「HIタンク」は化石になって発掘作業中です。そりゃ、管理者もタンクの中に入っちゃったらそうなるわな。もう、人間ってつくづくアホかと…。
 キリアというのは翼人の中でも考古学の研究者で、遠い昔に滅びた「人間」について研究しているそうな。で、その研究の一環として、自らを実験台に「変身装置」に入って「人間」として生活してみよう、というのがこれ以降の流れになります。つまり、第2章は前にも述べましたが、本当に全く違う小説が始まります。なので、ワタクシのように「クルマの話」にいちいち食いついて「このジジイはいいことを言う、ナイスジジイ!」などと言っていた読者は、これ以降若干ツラくなります。なんたって急にトリ人間ですから。ただ、だんだん「人間型トリ人間」が「人間らしさ」を獲得していくプロセスに、「クルマ」が重要な役割を果たすのです。
 ポイントを言うのであれば308ページ。ここで三人称視点の中心軸がトリ人間キリアから別の「人物」へと移ります。そして、そいつが結果的にトリ人間の世界で「クルマ」を再現しようとするのですが、あまり書くと深刻なネタバレになるので割愛。
 ただ、どうしても書きたい部分は、どうにかこうにかしてエンジンを作り上げた時のシーンです。パーツの切り出しや組み立ては、基本的に翼人の技術者たちがやっているのですが、完成したエンジンが動かない、との話を聞いた例の「人物」による、「始動の模様」がワタクシのハートをつかみました。長くなりますが、以下引用。

<引用>
P.416,L.13
「エンジンが冷えているとき、気温が低いときは、チョークを引いて、濃い燃料でないと着火しない…(略)…それが、いつもそうやれば必ず着火するとは限らないんだ。条件によって始動方法を変えないといけない。とても微妙なものなんだ。(略)」
チョークを引いて、スタータをオン。始動しない。チョークを引く量をいろいろ変えて試してみるが、着火する気配がない。スロットルを軽く開けてやってみても、同じだ。
 もう一度、念を入れて生ガスを排気する。プラグが湿ったかもしれない。
 今度はチョークを完全に戻し、スロットルを全開にして、スタータを回す。すると、ブルン、バババ、と断続的に着火の気配。そのままスタータモータを回し続ける。エンジンがバウンと完全に回りだした。スタータモータを切る。始動に成功する。フルスロットルなので最高回転をいきなり超えそうになり、あわててスロットルをアイドル状態に戻すと、エンストする。
 すかさずスロットルを少しあおるようにして再始動。始動する。スロットルを開けるとエンストしそうになるのでチョークを半分ほど引いてみる。すると回転を保ち、高めの回転数でアイドリングする。そのままにしていると回転数が上がっていく。チョークを戻して回転を下げる。また上がりはじめるのをチョークを戻しつつ、一定回転を保つようにする。完全に戻した後、スロットルを開けると、比例して回転が上がる。エンストはしない。

~~~

 これは、ワタクシがハイマー号のエンジンを初めてかけた時と全く同じ手順ではありませんか!! あの時の感動は筆舌に尽くしがたいものでした。それはさておき、ここまでエンジンをかける描写に力を入れた作品が、ほかにあるでしょうか。このシーンを読むだけで、作者のエンスーぶりが伝わります。

 さて前回、前々回、そして今回とやってまいりました『魂の駆動体』のブックレビューは、作品中の「自動車観」に関して共感した部分をピックアップすることが趣旨でしたので、この辺で終了いたします。要するに私の代弁をしてくれた(ここで深刻な誤変換が発生しました)部分をまとめたわけです。
 ストーリー的にもかなり面白いもので、「こんなにも便利になった世の中で、どうして満たされないのか。I Can't Get No Satisfactionじゃあ」といった疑問に鋭い答えを投げかけるものです。自分にとって、本当にやりたい事、魂を鼓舞させるものを知っている人は、本当に幸せなんだと思います。
 これはすべてのエンスーに捧げる本です。クルマ好き、若しくはジジイ好きの方は、ぜひ一度この本を手に取ってみてくださいな。
Posted at 2017/06/17 00:56:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記
2017年06月16日 イイね!

【読書感想文】魂の駆動体(中篇)

さて、前回に引き続き『魂の駆動体』について。



 作品中では「車」二つの呼称で分けています。つまり、移動手段であるところの「自動車」、そして、「魂の駆動体」である「クルマ」。「自動車」は自動的に路面に従い、ほかの車両を追従する完全なる自動操縦で、「所有」という概念がありません。予約を入れれば指定の場所に届けられ、乗り込むと行き先を指定する。で、あとは乗ってるだけで目的地に到着します。要するに水平方向を移動するエレベーターなのです。
 では、この世界における「クルマ」はどこに行ったのか? 何とも悲しいことに、公道は自動運転システムを搭載した「自動車」以外の通行は認められず、「クルマ」が存在できるのは私有地のみ。なので物好きな金持ち以外は「クルマ」を所有できないのです。
「もう一度クルマに乗りたいぞう、できればレストアとかもやりたいぞう」という気分で悶々とした日々を過ごしている<私>に子安さんがとある本を手渡します。それが『ミニ・ストーリー』です。彼がその本を読んだ時の感想は――

<引用>
P.115,L.10
小さなクルマといえばそういうものだという、その手本となった原点が、この本に書かれたミニというクルマなのだと、私はあらためて知った。幼い私が見ていたクルマのほとんどが、このミニというクルマのバリエーションにすぎなかったというのは、驚きだ。

~~~

 これはあくまで、「構造上の新しさで」という意味での発言です。つまりそれ以前のクルマはRRを採用していたことと対比して、外形はコンパクト、室内はなるべく広く、という条件下でもっとも理にかなった、「横置きエンジンをミッションに重ねたFF」という構造のことを言っています。ようするに、職人気質の技術屋の魂が、オリジナルのミニには宿っている、と。
 ただ、主人公はミニのことをこんな風にも言っています。

<引用>
P.120,L.14
「私はこのクルマ自体には興味がないんだ」
(略)
<ミニ・ストーリー>という本の内容には感心したが、しかし私はミニというクルマの時間を共有してはいなかった。だからミニというそのクルマが好きかというと、私は一度だけ昔乗ったことのあるそれを思い出し、あんな重いハンドルで乗り心地の悪い車には二度とのりたくないと思うし、例の父のプレリュードのような思い入れもミニにはなかった。

~~~

 何とも手厳しい。個人的にはミニが好きなだけにちょっと残念。なんたって、ハイマー号を買う前には候補に挙がっていたから。ただ、実車を見に行ったら「きみ、ちょっと写真と違くない?」という状態だったので敬遠したわけで、あれが素晴らしいコンディションであったら、きっと今頃ミニ・オーナーでした。ちょっとした「運命のひとひねり」で「ハード・ミニ・オーナー」にはなれたけど。
 話を小説に戻しましょう。そんなこんなで「クルマ造りてえな」という思いを抱いた悶々オジサンと化した<私>は、子安の提案で「オリジナルのクルマの設計図」を描くことに。
――どんなクルマがいいか?

<引用>
P.137,L.17
「…自分で運転できてどこにも行けるやつだ。エンジンの鼓動でクルマの状態がわかり、自分が操っていることが実感でき、しかも心地よく、運転自体が楽しくて、目的地などどこでもいい、というやつだ」

~~~
 ソレですよ、ソレ。ソレがなければクルマじゃない。スウィングしなけりゃ意味がない、です。そういったコンセプトから二人のジジイによる設計図づくりが始まります。車幅、車高、全長、ホイールベース…といった各所の寸法や、タイヤ径、サスペンションの方式、等々、細かいところまで設計していきます。重量バランス等は子安の持つコンピュータでシミュレート。高性能な3D描画ソフトと物理エンジンがあるのが近未来のありがたい所。
 そして主人公はあることを思い出します。

<引用>
P.170,L.4
私は自分がこの計画をやりはじめて、自分がどのようなクルマに実は乗りたかったのか、忘れていたそういうクルマがあったことを思い出した、それを言った。
「(略)…1980年前後にあったGTIというカテゴリーのクルマだ。コンパクトな実用車をベースに、それには不釣り合いな高性能エンジンを載せた、過激なやつ」

~~~

 主人公は、ロングノーズ・ショートデッキのクルマやオープンカーは「不釣り合い」、キャデラックやジャガーやフェラーリは「乗ってみたいが、エキゾチックすぎて所有したいとは思わない」と言っていましたが、その点ゴルフGTIはコンパクトかつ見た目が実用車でありながら速い、階級制度に切り込むような存在として評価しています。そして、「実用車っぽいスポーツカー」であるGTIは、「スポーツカーっぽい実用車」に負け、また環境問題によって時代がスピードを求めなくなったために、その存在理由を失って廃れていった。
 主人公は基本的に「新しいものが良い」と考えていたので、「こういうクルマが新車で手に入れば…」と思っていましたが、彼がクルマを運転できる歳になった時には、GTIは過去の遺物となって、そういったジャンル自体がなくなっていたのです。
――と、ここまで来て旧車オーナーの諸兄殿は「アレ、なんだかだんだん旧車が関係なくなってきたぞ」とお思いの事でしょう。ワタクシもこの本を読み進めていくうちに、やはり主人公とは好みが違う、しょせん彼は彼であり、自分の分身としてあてはめてはイカンのう…などと思っておりました。ですが、設計を進めるうちに主人公はスンバラシイ「計画変更」を行います。それはエンジンの設計に入る段です。

<引用>
P.191,L.6

「一からは無理だが、改造はできる」
「どこをいじるんだ。ボアアップかい」
「排気量はそのままでいい。燃料供給を、インジェクタから、キャブレタにしよう」

~~~

コレです。このシーンが個人的に大好きです。もちろん子安さんはこれを聞いて、「なんだって? それじゃあ退化じゃないか、キャブなんて始動しないぞ、運が良くて始動、という感じだぞ」とメチャクチャなことを言い出します。しまいには「せめてオートチョークにしよう」と。それに対する主人公の返しもよかった。

<引用>
P.191,L.16
「なにをやりたいんだ」と子安。「始動で苦労したいのか」
「そのとおりだ」と私は言った。「エンジンをかけるというのは、わくわくする。ガソリンエンジンというのは、電気モーターとは違う。スイッチを入れれば即、回るというものじゃない。コンピュータ制御の燃料噴射装置だと、それを忘れそうになる。ガソリンに着火してエンジンが回るというのは、一種、奇跡的なことだ。それを味わいたい。キャブ仕様にしよう。気化器を設計するんだ」

~~~

 主人公殿、よくやった。子安に負けずによく頑張った、感動した。なんともまあ、全国のキャブ車オーナーの気持ちを上手く代弁してくれました。そうなんです。キャブがついているからこそ、クルマはより生物的になるんです。
 なんやかんやで色々なこだわりを乗せた車の設計図が完成します。それを子安が調達してきたプロッター(この時代にも残っていたのか!)でもって描き出している最中に事件が起こります。が、それは次回。実は先ほど文章を書きあげたのですが、あまりにも長くなってしまったので、ここで一旦ぶった切ります。
Posted at 2017/06/16 09:40:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記
2017年06月13日 イイね!

【読書感想文】魂の駆動体(前篇)

秋の夜長…にはまだ3ヵ月ほどありますが、旧車好き、とくにサブロクオーナー様にお勧めの本に出会いましたので、初のブック・レビューをいたします。多少のネタバレ御免。

 本日紹介いたしますのは、SF作家神林長平による長編作品『魂の駆動体』(1995年波書房、2000年ハヤカワ文庫)です。



 この作品は「第1部:過去」「第2部:未来」「第3部:現在」の三部構成(文庫版では本編が466ページにわたる25章構成)です。第1部と第3部は「私」による主観的一人称記述、そして第2部は三人称視点でさらに途中からその中心点が移動する、というちょっとややこしい方式をとっており、さらに第2部の舞台は――後述しますが――今までの流れをすべて「無かったこと」にしちゃったような唐突な場面展開となるので、ほとんど別の小説といっていいかもしれません。ただ、全く性質の異なるその二つの小説が、だんだんとつながりを見せていくところが見ものです。

 それでは、内容のほうに入っていきましょう。まず、第1部の舞台は、今からそう遠くない近未来。読んでいる感じから推察するに、この本が上梓された西暦2000年前後に生まれた――つまりワタクシの世代!――がめでたくジジイに成り果てたころ。おそらく、ブックオフで『ジジイが主人公の物語特集』という企画が組まれたら、池波正太郎の『獅子』に並んで置かれることでしょう。なので2060年代頃でしょう。主人公の<私>は『新世紀集合住宅』という未来感のない名前をした養老院で暮らしております(因みに好物は“シングル・モルトのスコッチ”と、ワタクシと同じ趣味をしております)。養老院といっても、住人は完全な個室を与えられているので、食事つきのアパートといった感じです。そこには何だかクセの強いジジイがおりまして、友人の「子安」もその一人。もとは人間の意識を仮想空間に転移させる「HIタンク・プロジェクト」の研究員だった男。
 さあ、ここでこの作品がにわかに現実味を帯びてきます。このHIタンクというシロモノ、この中に入ると人間の意識は仮想現実空間の中へ送られ、そこには現実と寸分の違いのない世界が広がっています。しかし、コンピュータ・プログラムによって制御されるこの空間では「寿命」というものがありません。また、好きなだけ「眠り」につくことができるので、もはや「時間」の概念もありません。「なんかやる事ないなあ、とりあえず100年くらい寝ようっと、1世紀経ったら起こしてね」ということが可能なのです。また、「快楽」も得ようと思えばいくらでも得られるわけです。――これを読んで何だかピンク色の妄想をしたアナタはスケベです。ただ、フォローを入れるとしたら、勿論「そういうこと」も可能でしょう。
 さて、この状況を何と見る? 私はあの「スマート・フォン」と呼ばれる、電気が無ければ役目を終えたカマボコ板以上のものにはならないキカイを想起しました。アレを手放せない人は、現実よりも仮想現実寄りに生きています。ありもしない人間関係のつながりをあの機械の中に見出し、さらに悪いことに、それを心のよりどころとしています。アレをいじっている(別にヤらしい意味ではない)時間が増えれば増えるほど、虚構への願望が高まります。
 そしてさらに最近では、Google Glassや、VR(=Virtual Reality:仮想現実)機器なども登場しており、「現実」よりも「現実らしきもの」、つまりは「己の願望に沿った世界」へと退避しようとする動きが益々強まっております。ワタクシは個人的にこれを「電子的自閉症」と呼んでおります。
 おっと、色々と長く書いてしまいましたが、つまり「HIタンク・プロジェクト」は何も荒唐無稽なものではなく、かなりの確率で実現可能なもので、人間はノーミソだけの妄想生物へと進化することも選択肢の一つ、と。しかも作品中では、多くの人々がタンクに入りたがっている、とされております。プラグマティック(実用主義的)な現実世界が完成してしまったが故に、「生きるリアリティ」が無意味化してしまったのです。
 そんな世界で、<私>は「なんか違うんとちゃうか」という思いを胸に暮らしております。で、ここで先ほど出てきた子安さんに再び登場願います。いやもう、すっかり忘れてた。ひょんなことから<私>は子安さんと、しみったれたジジイのリンゴ農園に盗みに入る計画を立てます。なんでも、子安さんは農園の奥に生えてる「レイゴールド」という品種のリンゴを喰いたいそうな。その林檎には彼なりの思い入れがあるのですが…カット。なんやかんやで農園に侵入、リンゴを奪取します。ただ、退却時に番犬に追われ、しみったれジジイが猟銃かついで追っかけてきます。クレイジー、いや、クレイ爺です。
 農園内を逃げ回っているうちに、<私>はあるものに出会います。それは…

<引用>
P.69,L.15
「こんなものがあるなんて」
信じられなかったが、確かにそれは目の前にある。
クルマだった。もう錆びて朽ち果てようとしている。しかし形はとどめていた。車種がわかる程度には。
「プレリュードだ」

~~~

 これ以降子安さんの怒涛のダジャレ攻撃が繰り広がられるのですが、カット。主人公にはプレリュードに対する思い入れがあるのです。彼の父親の趣味はクルマのレストアでした。で、最初に手掛けた車が初代プレリュード。また、父親が新婚時に中古で買った車も初代プレリュード。主人公の母は彼を生んですぐになくなりましたが、プレリュードという車は、主人公にとって「母親の象徴」だったのです。
 この出来事が<私>の心に変化をもたらします。

<引用>
P.78,L.1
「今あれを……レストアできたらな」
「気にしていたのは、あれか、あの廃車だな。そうか。なるほど」
 子安にぽつりぽつりと私は話した。(略)かつてのクルマは単なる移動手段ではなかったということを。

~~~
 はい、これです。「かつてのクルマは単なる移動手段ではなかった」。そーですよ、みなさん「かつてのクルマは単なる移動手段ではなかった」んです。大事なことなので2度言いました。これこそがこの作品の主題です。
――と、主題が出てきたところでメチャクチャ長くなってしまった。つーことで次回に続きます。
Posted at 2017/06/13 01:07:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記

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