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半振暮銀のブログ一覧

2018年07月14日 イイね!

街の紋章

 さかのぼること今年の3月。忘れもしない17日の土曜日、地元の酵母工場ワキの坂道で自転車に轢かれた。
 あの野郎は前方から、あの悪しき技術のカマボコ板(スマートじゃない人たち御用達のスマートフォン)を片手にアホ面こいてチャリンコで下ってきた。私はガードレール側に避けたが、あろうことかあのタコはハンドルをこちらに向けてきた。大方“歩行者は避けるもの”なる愚昧な思考回路で導き出された結果だろう。
 で、野郎は私の右肘をハンドルで強打したのちに去っていった。この出来事に気づいていないわけじゃない。奴は私を轢いた後に後ろを振り返って例のアホ面でこちらを見つめた。私もガンジーじゃない。どうぞ左肘もご粉砕なさい、などと差し出す事もせずにソイツを追いかけた。しかし場所は下り坂。見事に野郎にブッチギられ、交差点の赤信号でヨヨと泣き崩れた。
 ビョーインにいくカネもなく、結局今でも右腕を捻ればゴキゴキゴキ、と厭な音が鳴る。

 人々は承認欲求に夢中である。だからしてSNSなどというヨコモジでカッコつけた馴れ合いに多忙である。しかし、である。この承認欲求ってヤツは、ホントに今求めるべきモノであろうか。それはこの「承認欲求」を分類的に命名したマズローっちゅうオッサンに訊いてみなければならん。
 マズローは人間の欲求に5段階の改装を設けた。因みにここでそのご尊顔を提示するが、この上なくハッピーマンな感じでチーズしておる。

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 で、このマズロー氏であるが、彼は「欲求5段階説」を唱えた。まず第1段は生理的欲求で、人間の種の維持に必要不可欠な、食欲、性欲、睡眠欲である。真ん中のヤツァいまだ衰えんぞ、などというスケベジジイは無視するとして、つまりはこうした他のドーブツが皆当たり前のように享受している(オイラ、真ん中のヤツは享受しとらんぞ、などという意見も無視する)欲求はより低次のものとしておる。
 そして、これらの欲求が満たされた際に、次の次元の欲求が現れる。それが安全欲求である。いくら子孫を残せる環境にあるといって、不慮の事故や事件で子供が死んでしまうような環境では、安心して暮らせない。そこで法治国家の存在意義が発生する。
 今の日本の法律が云々カンヌンはここでは置いておくとする。右翼、左翼のアタマの良い人たちが、自らの主張を天啓のように振りかざされても仕方がない。ようするに、死におびえなくともフツーの生活が送れる環境を求めるワケだ。
 で、次の欲求がキモとなる。60年代の若者言葉では“キモい”と言ったカンジだが、この語は80年代以降“気持ち悪い”の意味で使われる様になるから誤解を招く。余談だが、90年代に入ると“キモい”は“キモイ”となり、形容詞から名詞へと姿を変える。より否定的な語となり、排他的な意味合いが強まるのだが、それは置いておこう。
 …と言いながら若干関連してしまうのだが、安全が保障されたのちに訪れるのが、所属に対する欲求である。これは要するに、「自分は異端ではない」と再確認するためのものである。ある種ナショナリズムにも通じるところがある。例えば、来る2度目の東京オリンピックに向けて「トーキョーニーマルニーマル」等と気取ってしまうのがその現れである。この「トーキョーニーマルニーマル」という呪文を唱えることで、あたかも「国益」という、戦前より続く物語的なイデオロギーに貢献しているような印象を人々に与えるが、結局目先のビッグイベントから生じる己の利益だけを求めて、豪華客船の乗客名簿に名を連ねているだけである。その船がタイタニックかもしれないし、あるいは“不沈船”戦艦大和かもしれない。
 なんだかんだで馴れ合いになることで、自分の位置を確かめ、恒久的なもののように思いこむことがこの欲求の最大の目的である。「ずっと続くはずの安定した生活に対する欲求」とも換言できる。
 ここで皆様に問うてみる。このような所属欲求にあなたは満たされているであろうか。あなたは今、貶められる不安のない、居心地の良い、分かり合える仲間のいる、そんな環境に身を置いているであろうか。今の状態で一生を終えるビジョンが見えているであろうか。――首肯できる方は次の段階に進めるのである。
 さて、ここでようやく登場するのがマズロー氏の言う4段目の欲求、「承認欲求」である。仲間とともに居心地のいい環境に置かれていると、「リーダーは誰か」という疑問が生じてくる。誰もいないのであれば、自分がなっちまおう。これが承認欲求である。リーダーだからして、周りに認められなければならない。自分は特別な存在だと知らしめなければならない。
 ――こうしてSNSモンスターが登場するのである。好きなことで生きていこうとするんである。ウドン喰ってるだけで年収何億円、なんて輩が出てくるんである。いや、順序が逆か。まぐれ当たりでウドン喰ってお金持ちになった人がいて、その承認にすがるように、オリジナリティを持たぬ二番煎じが横行するんである。
 情報が超光速でやり取りされる時代、ブームというものも超光速で去っていく。そうしたムーブメントの最先端を行くものは、「オピニオン・リーダー」などとカッチョイイヨコモジで呼ばれる。しかし、オピニオンリーダーとは日本語にすると「変人」である。朝ドラによく登場する、定職に就かずフーテンしてる、いつもアロハシャツ着てる叔父さん、という役柄のアレである。今の世の中、こうした彼ら、彼女らがヒーローである。そして誰しもがヒーローになりたがる世の中なのだ。
 さて、では5段階目の欲求とは何か? それは自己実現の欲求である。これは自分が自分らしく生きる、というもので、場合によってはさらに2段階に分かれる。例えば、自分が絵描きとして大成する。偉くなる。偉いからして自分の描く絵は一級品である。自分の絵は世界に認められる。世界で認められた絵描きの俺ってサイコー。これが最初の自己実現である。しかし、世界に認められるだけでは飽き足らなくなってくる。
 そこで第6段目ともいえる「超越的な自己実現」という欲求が芽生える。例えば、「私が絵筆をひとたび動かせば、人の心を浄化し、世界平和がもたらされる」という承認。あるいは、「私が絵筆をひとたび動かせば、世界中の美女という美女が、私に好意を抱き、衣類を脱ぎ捨て(以下自粛)」等というものである。…そうなのか?

 ハナシが大分に長くなってしもうた。よーするに人々は承認欲求にムチューである。しかしながら、自己実現の欲求に向かう前に、もう一度問いただしてほしい。本当に自分は「所属」できているのか、と。
 虚構の中に仲間を作る時代である。自分の見せたい姿で自分を騙り、相手のデコイを人格そのものとする時代である。人々はコミュニケーションを否定し、人とかかわらずに済む方法を模索し始めている。承認されているのは自分自身ではなく、自らが作り上げた幻影ではないのか。

 かの有名な作家、フランツ・カフカは「街の紋章」という短編を書いた。これはバベルの塔建造に関する話だが、要約すると、まずバベルの塔建築計画は順調であったが、この天まで届く棟を建てるという計画は何世代にもわたるものであった。今の代が最下層の基礎を造り、その上に段を重ねていったにしても、その孫の代には最下層に技術は陳腐化し、老朽化によって補修が余儀なくされる。そんなこんなで新しい代がようやく次の段に取り掛かろうにも、また技術革新が起きて仮想の補修が必要となる。塔の建築現場周辺には職人の街が出来、彼らの家族が生活している。街は代を追うごとに巨大化していくが、その存在意義である塔は一向に成長しない。そうこうするうちに塔の建築は慣例化し、街の生活も様式化していく。そんな中で、誰かがこの街をぶち壊してはくれないか、という思いが蔓延る様になる。誰もがこうした暮らしに飽き飽きしていたのだ。こうした経緯からこの街の紋章には握り拳の絵が描かれている。

 これは1世紀も前に書かれた話である。現代人はいつまで「天に届く塔」を夢見ているのであろうか。承認の前の段階の基礎を固めずして、どうして自己実現が出来ようか。
 ここまで書いて思い出したが、最後に、「華氏451度」を書いたレイ・ブラッドベリのエッセイの抜粋をここに要約する。因みにこれは半世紀以上前に書かれたものだ。
『――私はビバリーヒルズを歩いていた時、目を疑う光景に出会った。夫婦が犬と散歩しているのであるが、夫人は小型のトランジスタ・ラジオから延びるイアホンで耳を閉ざし、そこから流れる音楽に夢中である。そして、彼女はそこに居ないも同然の夫と犬を侍らせて、通りを去っていったのである』 
 
 あなたの隣にいる人も、もしかしたら、あなたがいなくなっても全く意に介さないかもしれない。そう考えたらこわくないですか? 

そんなことよりもあの野郎、医療費払え。


Posted at 2018/07/14 02:36:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記

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