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半振暮銀のブログ一覧

2018年12月17日 イイね!

悲しき片想い

 バイトの後輩君が、来年の頭に成人式を迎える、と言いました。もうそんな時期か、などという月並みな感想を抱いたのですが、彼は地元である三島に帰って、成人式に参加すべきか否か、と悩んでいるようでした。私は、是非とも参加すべきだ、といったやったのですが、その瞬間に、私の最も悲しい思い出が蘇りました。
 私は成人式の日、これ以上にないチャンスをフイにし、それ以来そのことを忘れようとしていました。それは初恋の思い出です。今となってはクサくてクサくて仕方がないことのように思えますが、私にもそんなことがあったのです。で、いま、酔った勢いでそのことを書いてしまおうと思います。書くことで、吹っ切れればいいのですが、たぶん生涯引きずる事でしょう。

 私は13の時からひとつの恋に落ちました。その娘は、色白で、少々病弱で、リンゴのような頬がかわいらしく、時折見せる笑顔からこぼれる八重歯が魅力的でした。少なくとも美化された私の記憶では、そういう事になっておるのです。彼女とは日常的にもよく言葉を交わす方でしたが、その友人の女の子とは「相方」のような立ち位置で、親しくしていました。判りやすく言うと、「相方」の友達に恋をしたのです。
 次の年は学級が違いましたが、その次、つまり中学校最後の年ではまた同じクラスになりました。思えばそのころは1年がもっと長いように感じていました。
 私は度胸がなかったために、彼女にもっと近づく事が出来ませんでした。その当時でも、自分の事がまどろっこしく感じた記憶があります。なぜ、もっと発展的な会話が出来なかったのか、なぜもっとうまく笑えなかったのか、そうした思いを重ねながら日々は過ぎていきました。
 卒業の日、特に親しかった友人たちと私は、卒業アルバムの最後のページに寄せ書きをしあいました。私は、改めて何かメッセージを送ることが照れくさくて、すでに書き込まれている中から何か適当な文句を見つけては傍線を引き、「右に同じ」と書いて署名しました。これが私らしい、とウケたのですが、彼女に対してだけは、しっかりと何か書き綴りました。記憶が正しければ、枕に顔をうずめて叫びだしたくなるような文言だったと思います。それでも彼女は、私に素敵な笑顔で礼を言ってくれました。


 5年の月日が流れました。私は男子校に行き、半ばグレた生活をし、大学に進学しました。しかし、その間も彼女の事は忘れていませんでした。いつか、どこかの街でであったら…などとありもしない希望を持っていました。幾人かの女の子に出会いましたが、常にどこかに彼女を投影しては、理想化されたそれとの相違点を見出し、なかなかに踏み込んだ間柄にはなりませんでした。
 当時は家庭環境も最悪で、ともすれば一家離散、というような一触即発の状態でした。原因は詳しく書きませんが、それまで住んでいた埼玉の街を捨て、板橋のボロマンションに引っ越しました。位置的には東京に越したのだから、「登った」という方が適当なのかもしれませんが、これは紛れもなく「没落」でした。生活レベルは格段に落ち、「コメを買う金もない」というのが当時の母の口癖でした。
 そんな中、私は車を買うために極限の暮らしをし、車を買ってからはそれを維持するためにさらに切り詰めた生活をしていました。日々が風のように過ぎていき、最大の関心毎は常にその日一日の生活でした。過去を振り返る余裕はありませんでした。
 埼玉の街から成人式の案内が届きました。私はそれを無視し、当日もバイトに行く予定でした。そんなものに出席しても、何の意味もないと思っていました。しかし、その数週間前に少年野球時代の仲間から連絡があり、再会できないか、といった誘いがありました。私は急遽バイト先に暇をもらって、成人式に出席することにしたのです。

 成人式の日。私は様々な友人たちと再会しました。小学校以来の人たちは、顔かたちが大分に違っていたりするのですが、不思議と互いにその正体を見破れるものでした。多くの古い友人たちと話をしました。
 思えば小学校の頃から携帯電話の普及が急速に広まり、中学卒業時にはほぼ100%近かったようです。しかし私はそんな中で、あまり必要性を感じていなかったので、結局携帯電話を初めて触ったのは高校に入ってからでした。だから私は、「音信不通」の人物として、ここには現れないものだと思われていたようです。
 懐かしき思い出を再確認している中で、私は遠くから一人の女性がこちらを見ていることに気づきました。私は、名前は思い出せないけれど、古いクラスメイトの一人だろう、くらいの思いで軽く会釈をして、そのくだらない思い出話に戻りました。

――後日思い起こせば、それが「彼女」だったのです。5年間、片時も忘れなかったあの娘です。彼女はその時、緑がかった晴れ着を着ていました。他にはあまり居ない色だったので、それが妙に印象に残っています。
 彼女との再会はほんの一瞬、しかも道を挟んだ向こうとこちら、といった状況でした。そういえばその時、中学時代に一緒につるんでいた仲間の何人かが、彼女の方に道を渡り、話に行っていたようでした。

 私は数日後、この情景を克明に思い出して、悔し涙を流しました。私はなんて間抜けな男なんだろう。どうして気づかなかったんだろう。くすぶり続けた5年間の恋心を打ち明けるチャンスだったのに。そして、それを笑い話にしてきれいさっぱり忘れられたのに。
 私は今でも時折、15の頃に戻ります。そして、彼女を想い続けたあまりにも長い5年間を思い、20の冬にすべてを清算できなかった自分を呪います。
 彼女は今、どこで笑い、何の為に泣いているのか。私は今、タフに生きたくても何かにすがらなければいけないような気分なのです。そして、そんな自分がまた厭になる事が判っているのです。




 あーあ、ヤなこと思い出しちゃった。フントにモー、ヘレン・シャピロな気分です。ここはポップにビリー・ジョエルで気分転換だ。ええと、「Tell Her About It」に「Leave A Tender Moment Alone」…。最悪の選曲ですね。きらいな呑み方だけど、今夜はつぶれてしまおう。


 
Posted at 2018/12/17 02:12:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記
2018年12月15日 イイね!

意外と大容量

 先日、チャーリー号で給油に行ってきました。そのガソリンスタンドは、住宅街にある若干さびれた所なのですが、ウチから一番近いので、ハイマー号の頃からたびたび使ってきました。
 そのスタンドには人懐っこい中年のスタッフさんが居て、私がハイマー号で訪れるたびに色々と話しかけてくれました。今回は彼を目当てに、チャーリー号を見たらどんな反応をするのか、確かめに行ったのです。
 しかし残念ながら、この日は非番のようで、あまり魅力的でない若いオニイチャンが給油してくれました。
 セルフではないので黙っていたら自動的に満タンにしてくれるのですが、我がチャーリー号にはガスが入る入る、なんとまだタンク内にいくらか残っていたにもかかわらず、5.4リッターも入ったのです。チャーリー号のタンクは、小さいように見えて、フレームに乗せるための凹みが無いので、体積が大きいのです。
 どう贔屓目に見てももともと100ccは入っていたはず。ことによると500ccくらい入っていたのでは? カブの燃費は都市伝説的で、リッター100キロ走った、などという声も聴きますが、調子が良くて60キロくらいでしょうか。みんカラの情報を見ると、3,234件の投稿の平均値は、レギュラーで50.4キロだそうです。四捨五入して100キロ…って10の位を四捨五入したらマズイか。キリの良いところでリッター50キロですね。
 だとするならば、正確なタンク容量は分かりませんが、チャーリー号は常識的な走行をしている限りは、無給油で275~300キロ走行可能なわけです。ウチから道程275キロと言いますと、福島県福島市、静岡県浜松市、長野県松本市、新潟県十日市市、あたりでしょうか。グーグルマップっで本当に便利です。
 つーことは、日光、焼津、沼津、那須、宇都宮…には確実に無給油で行けるってことですね。カブってすごい。純正は4リッタータンクだそうなので、1.5倍走れるんですね。500ccの携行缶が安く売ってたので、そいつを2つ装備したら、もう無敵です。ロングツーリングも怖くない。
 問題は、あのサドルで300キロも走る度胸があるかどうか。なんだかおっかないですね。

2018年12月14日 イイね!

リアフェンダーの塗装剥離

 前回、フロントをサイクルフェンダーに交換しました。

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 これによって、フェンダーとタイヤの隙間をなくすことに成功したのですが、カラーがメッキのため、リアフェンダーとのバランスが取れず、後付け感が強い仕上がりとなってしまいました。
 だったらリアフェンダーも同じものを付ければいいじゃないか、とお思いの方も多いでしょう。事実私もそのような考えでした。
 しかし、前オーナーの強いこだわりなのか、現在つけられているリアフェンダーは、いろんなパーツとセットになっており、一部は専用ステイを溶接、という形で取り付けられていたのです。
 説明が面倒なので画像をどうぞ。

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①.荷台の前方を取り付けるためのステイが溶接されています。
②.荷台後方の取り付けステイも溶接されています。
③.荷台後方のステイとに共締めする形でブレーキランプが固定されています。
④.テールランプのステイにナンバープレートのステイが固定されています。
⑤.①と②はリアフェンダーを取り付けている棒に溶接されています。
⑥.また、この棒も当然フェンダーに溶接されています。

 という事は、フェンダーを交換するには、①と②のステイを完全に再現しなくてはなりません。そんな技術は私にはありません。
 つーことで、新品のリアフェンダーはお蔵入りにして、現在使っているものをメッキ仕上げにしてしまう方が数倍楽なのです。

 そういう訳なので、ホームセンターに行き、塗装の剥離剤と竹製のヘラを買ってきました。ナーニ、あれだけ厚塗りしてあるんだから、きっとすぐに剥がせるでしょう。塗料だって見た感じ所々浮いてきてるんだから、溶剤をかけたらたちどころに…。









――ごめんなさい、ナメてました。



 今回は30分くらいで決着がつくだろう、などと考えていた私が甘かったのです。この作業、二日に分けて行いました。その奮闘ぶりをご覧ください。



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 さて、完全にナメた気分でそろえた物品です。ホームセンターのペンキコーナーに置かれていた剥離剤に、内にあったハケ、そして竹製のヘラです。


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 剥離剤をカップにトロトローと出して…


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 全体に塗っていきます。





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 ふと思い立って、カッターで塗装面に無数の傷を入れて行きます。こうすることで、きっと剥離剤がスムーズに染み込んでいくはず。



 もうこれで剥離出来たも同然、とのんびりした気分でコーヒーブレイク。剥離剤が染み込むのを待ちます。そして10分後。


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 もういいだろう、とヘラでこすりましたが、全ッッ然落ちません。



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 ならば、バイト先からもらってきた床面ポリッシャー用の3M製SPPパッドの真ん中(要するに捨てる部分ですね)でこすりまくれば…。




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 だ、駄目だッ!! 落ちる兆しが皆無です。

 ならば最後の手段(最後が早いのね)。








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 気合を入れてハサミで削っていきます。これはかなり有効ですが、根気のいる作業です。っていうか、しっかりと丁寧に下地処理までされていました。前オーナー様、先ほどはナメた口を効いて申し訳ございません。




 1時間後…。




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 どりゃー。何とかハサミだけでここまで落としましたが、エネルギーが尽きました。こんなことになるなんて予想だにしていなかっただけに、疲労感も数倍です。悲壮感も相当なものです。この日はここで時間切れ。



 次の日、開店と同時にホームセンターに行き、軍備を整えました。



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 ディスクグラインダーのアタッチメントです。



 そして…。


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 バイト先からもらってきた床面用のバフパッドの切れ端。いつか使おうと道具箱の底に眠らせていたものです。



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 数年前に何故か購入したディスクグラインダーにラバーパッドをセット。



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 そして、丁度いい大きさにバフパッドをカットし、中央に穴をあけます。同様にSPPパッドの方にも穴を。



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 見せてみよ、SPPの実力を!!
 このパッドは結構固めで、床面のワックスを洗剤なしで落としてくれます。その効果はポリッシャーで実証済み。グラインダーを押し付けると、徐々にですが塗装を剥いでくれます。これは楽です。

 ですが、音がかなりうるさい!! ディスクの回転するギュイィィィンという音に加えて、パッドが当たるとギャンギャンと非常に騒音が出ます。また、溶接されている棒に共鳴して、ビリビリとこれまた大きな音を立てます。
 



 コレは苦情が来る!!




 ご近所の方々に心の中で謝りつつ、適当なインターバルを空けて作業します。終始ビビりっぱなしです。


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 十数分後、SPPパッドは消失しました。




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 塗装も大方剥げました。あとは細かい部分をハサミで削っていきます。
 そしてそのあとにバフ掛けです。正直ご近所の方々に申し訳ないので、この作業をするのは気が引けましたが、サンドペーパーでひたすらゴシゴシする方がもっと気が引けたので、心の中で謝りつつ、成大にバフ掛けしました。




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 バフパッド、消失!!





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 フェンダーもかなりきれいになりました。裏側の塗料は…もう勘弁してください!!




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 あーあ、お気に入りの革ジャンとキンツレーの年代物の腕時計が台無しです。教訓その一、電動工具を使った大掛かりなチキりの際は、粗末な格好でやるべし。



 それでは感動のビュフォー・アフターです。




~ビュフォー~

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 フロントフェンダーはカッチョ良く決まったものの、リアと色合いが違ったため、ちぐはぐな感じでした。ことによるとスペアパーツを着けているように思われていたかもしれません。




~アフター~



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 何という事でしょう。フェンダーが同色で揃っただけで、車体全体の印象が締まったものになりました。
 メッキパーツが増えたことで、高級感すら漂う上品な仕上がりです。また、特徴的な形状のタンクも目立つようになり、人々の目線を車体中央に誘導することに成功しました。だからと言ってどうという事はないけど。

 まあ、なんにしてもこれでバランスがとれるようになりましたね。

 次回、またフェンダー関係のチキりをします。で、次回でひとまずチャーリー号のドレスアップは完成…かな。


2018年12月12日 イイね!

ウソの話

 私が珠のようにかわいい子供だった頃、ミニカーを集めていました。特に数が多かったのは、トミカとホットウィールです。トミカに関しては、中野のミニカーショップで今、数千円するようなものが押入れの奥にしまい込まれた段ボール箱の中でいくつも唸っています。
 私は当時、お小遣いというものをもらってませんでした。小学校のすぐ近くに、交差点にあるから「かどや」などと身も蓋もない名前で呼ばれている駄菓子屋さんがありました。その店のオバちゃんはちょっと偏屈で、「買うの? 買わないんだったら最初ッから入ってこないで」と言い放つ女傑でした。私はお金を持っていないので、友人たちが様々な原色のお菓子を選んでいる間、外でたばこの自販機の銘柄を眺めながら待っていました。
 お小遣いが無い、という状況で私が如何にしてミニカーを手に入れたのか? それは、両親の機嫌がいい時にちょっとした伏線を張り、「予約」する形で私が欲しいものを印象付け、そして次に奇跡が起きるのを願って、いつか買ってきてくれる時のことを待っていました。
 しかしこうした正当な手続きを踏んでいては、なかなかにミニカーは手に入りません。そこで登場するのがオヤジの存在です。彼は生粋のエンスーなので、当然ミニカーなんてものにも興味があります。私もあります。利害が一致します。つまり、互いが互いを言い訳に、こっそりとミニカーを買い集めていったのです。
 私にとってミニカーは、当時から眺めるものでした。ホットウィールはパッケージから出さずにそのまま壁に飾っていたのですが、ある時点から嵩張るようになったので、ひとつずつ包装を開け、安物の陳列棚に並べていました。徐々に増えていくミニカー。車に関して無頓着で、見分けなど一切つかない母も、ある日ついに私に尋ねました。
「こんなのあったっけ?」
私はあまり答えが早すぎないように、少々間をおいて、もっともらしく答えました。
「あったよ。仕舞ってあったのが出てきたから並べ直したの」
 この事件の後父が言った言葉を今でも覚えています。

「お前もウソが上手くなったな」





 前置きが長くなりましたが、つまりこれから私が書くことは全てウソです。私はウソが上手いからして、もっともらしく書いてしまいますが、真っ赤なウソなのです。あるいは夢の出来事です。とにかく現実には起こっていません。アンビリーバボーです。そのことを念頭に置いて読んでくださいね。でも間違えちゃうといけないから、ちょっと小文字で書きますよ。読みづらい方は画面を拡大してください。Ctrlキーを押しながらマウスホイールをぐりぐりするとスムーズに倍率が切り替えられますよ。



 その日は快晴。チャーリー号も快調でした。そして最も重要なことに、私の気分も最高潮でした。なんだか、チャーリー号で遠くに行きたい気分。しかし残念ながら仕事があるのであまり時間をとれません。そこで、かねてから気になっていたことを試そうと思いました。つまり、チャーリー号は果たして何キロまで出せるのか。
 キャブのオーバーホールを終え、試走し、ジェットを交換し、と色々いじりまして、私の思うベストな感じに仕上がっています。しかしそれは時速30キロの制限速度を順守して、尚且つ信号のスタートダッシュで流れを乱さないレベルでの話です。坂道発進やエンジンブレーキを利かせた後のアイドリングも問題が無いので、あとは高速走行にどれだけ耐えうるか、それだけがまだやっていないテストでした。
 私は大通りにチャーリー号を走らせました。そして通りに出ると、平日の昼間という事もあって交通量も少なく、虎視眈々と獲物を狙う白き悪魔、オマーリ・サンの姿もありません。
 ここは私だけのハイウェイ。ギアをニュートラルに入れ、軽い空ぶかしを一つ。信号が青に変わる直前に左のつま先を踏み込み、上げる直前に軽くスロットルを吹かし、青に変わると同時に足を離します。こうすることで、自動遠心クラッチのカブは加速を最大限に活かす事が出来るのです。
 普段よりも引っ張り気味でシフトチェンジし、2速、3速と無駄のないスロットルさばきで加速していきます。そしてもうそろそろ限界だろう、というところでメーターを見ると、なんと振り切る直前でした。これだけ出れば十分だ、とスロットルを緩め、エンジンブレーキを聞かせながら徐々に減速。ここでは具体的な数字を明かしませんが、捕まれば免停までの赤い片道切符を手にするところでした。
 自分で仕上げたキャブが予想以上の成果を発揮した喜びはえも言われません。一度キャブに手を出すとなかなか抜け出せない、とはよく言ったものです。メーカーが作ったベストセッティングをいじっているので、1年間ほぼメンテナンスフリー、という訳にはいかないでしょう。季節によって、またセッティングが必要そうです。ですが、そうしたことが決して面倒ではないように感じられた、そんな出来事でした。




――という夢を見たんですが、どうでしょうか。


Posted at 2018/12/12 18:56:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記
2018年12月11日 イイね!

サイクルフェンダー取り付け

 これは、所ジョージさんがプロデュースしたカブです。

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 一見ノーマルか、と見過ごしてしまいそうですが、後部のフレームがキレイにカットされており、また、前後のフェンダーが変更されています。
 そうです。「サイクルフェンダー」がついておるのです。他にもテールランプやリアウィンカーを排除する、というよく判らん遊びを入れていますが、この際そこはどうでもいいのです。問題は、カブにもサイクルフェンダーが装着可能だという事です。

 いままで、フロントフェンダーの高さが気になっていました。


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 何とかステイを延長して、サスが沈んだ時にタイヤに当たらないぎりぎりまでフェンダーを下げていました。カブのフロントサスは「ボトムリンク式」という構造なので、フェンダーと車輪の中心軸が連動せず、常にタイヤとの高さが変動してしまいます。ですが、先の画像を見てみると…


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 なるほど、アクスルシャフトに共締めすることで、タイヤの動きとフェンダーの動きを連動させています。

 仕組みが判ったら、もうチキらずにはいられません(「チキる」とはグッドフェラス内で通用する造語で、「DIYによる安価カスタム」を指します)さっそくサイクルフェンダーを探しに通販サイトを開きました。









…確実にカブに使えそうなフェンダー
は売ってませんでした。


 よく考えたら、タイヤサイズに合わせてフェンダーの径を決めなければ、いい具合の仕上がりにはなりません。径が大きすぎると間抜けですし、小さすぎるとタイヤに抵触します。また、フェンダーの断面の丸みもタイヤの扁平率にあっていないとカッコ悪いです。
 そして最大の問題点は、試しに買ってみるには価格が高すぎる、という点です。何しろ、カブをサイクルフェンダー化している方の情報が少なすぎて、何のパーツを流用しているのかが判りません。もしかしたら職人さんにワンオフで作ってもらっているのかもしれません。

 うーむ、どうしたことか。やはり板橋の貧民にはサイクルフェンダーは無理なのか…。











――ン!?










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 チリンチリーン♪















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「よーしケンケン、いいことを思いついたぞ!!」
「クシッシッシッシッシ…」










 まず、カブのタイヤの直径を調べてみます。すると、扁平率で多少変わるものの、大体540㎜から560㎜のあいだです。これをインチに換算すると、大体22インチ。
 自転車のタイヤは外径の長さを基準にしているので、22インチ用のフェンダーであれば流用可能です。しかし、自転車のタイヤはかなり細身。このままでは車輪に食い込んでしまいます。なので、もともとタイヤの太い自転車用のフェンダー、つまり、ビーチクルーザー用のフェンダーであれば取り付けられるのではないか?




 そこでいろいろと調べてみたところ、24インチの物であればすぐに手に入ることが判明しました。
 まあ、あまりにも径が大きいようでしたら曲げればいいし、小さすぎるよりはいいか、という事で購入。




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 アルフォートのファミリーパックに包まれて到着。

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 色はクロームメッキです。ほかの選択肢が白と黒だったのでこちらを選択。フェンダーだけメッキというのもSRみたいでカッチョいいと思います。

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 あまり参考にならないかもしれませんが、今着けているフェンダーと比べてみても、曲がり具合は同じ感じです。

 そういえば、ショップの方からのこんなお手紙が同封されていました。

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 「ビーチクルーザーカスタム甲子園」。カブでエントリーしてみたらいったいどんな顔されるのでしょうか。写真送ってみようかな。きっと無視されますね。
 調べてみると、ウチのチャーリー号よりもバイクっぽいビーチクルーザーがエントリーしてました。




 では、さっそく取り付けてみましょう。



――ってなれば非常に楽でよかったのですが、やっぱりそうはいきません。まず、アクスルシャフトに付属の取り付け用の棒を共締めするだけの長さがありません。よく考えたら、単純に棒の直径の4倍の余裕が必要になるわけで、それでは約2センチもシャフトが飛び出ていなければイケない計算です。
 また、なんやかんやしてシャフトを延長出来ても、この棒の長さが足りない事に気づきました。

 そこで…


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 あーあ、やっぱりこうなるのね。一番安いステイの登場です。シャフトの直径が約10ミリなので、それが通るものとなると選択肢は限られます。
 で、コイツを金ノコで半分に切っていくわけです。ハッキリ言って舐めてました。ユニクロの安い奴ですから、こんなものすぐに切れるだろう、と。



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 全ッッッ然切れねえでやんの。

 ノコの方が疲弊して折れてしまいました。刃を取り換えて再度やってトライ。必死に、無心に、ひたすらにギコギコギコと切っていきます。







 そして…









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 パキン!!

















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 エイドリアーン!!







 …とにかく、これでフェンダーの取り付けが可能になりました。可能になった、という事と完成した、という事はだいぶ違いますが、コレで良しとします。つまり、切り口の面取りや整形はしません。疲れました。またいつか、とてつもなくヒマで、マゾヒスティックな気分の時にやります。
 
 
 ハナシはちょっと変わりますが、最近パワーフィルターのカバーがとても便利なことに気づきました。
 何が便利って…


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 強力マグネットを使用しているので、取り外した小さなボルトやナットを一時置いておくのに非常に役立ちます。地面が砂利なので、こうしておくと目を離したスキにどこに置いたか判らなくなる、という事がありません。
 まあ、トレイを一つ用意しておけば済む話なのですが。


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 アクスルシャフトを抜くのは初めてです。ウチにはバイク用のジャッキというものが無いので、気合で車体を抑えつつ、シャフトをギリギリまで抜き、写真を撮り、ステイを挟み込み、そして再びシャフトを通す、という工程を瞬時にやってのける必要があります。だから写真に膝頭が写っちゃいました。

 で、そういう割には大して作業時の写真を撮れずに、完成です。私も今記事を書いていてあまりにも写真が少ないのでびっくりしました。実はステイを挟み込んでからフェンダーの位置を決めて、理想の形にセットするまでにかなりの時間をかけたのですが…。取付用の棒を曲げてみたり、とか。

 では、ビュフォー・アフターです。





~ビュフォー~


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 どうしてもフェンダーの位置がこれより低くならず、多少間の抜けた印象がぬぐい切れませんでした。
長さも短く、何となくカトンボみたいな表情です。


~アフター~


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 何という事でしょう。フェンダーとタイヤが近く、そして抵触することなく固定されています。彼らの中で、永遠の不可侵条約が締結されたのです。これからは仲良く寄り添っていくに違いありません。


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 前から見ても何ら違和感がありません。むしろチャリ感が増してます。


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 ちょっと高めのアングルから。メッキが美しく輝いております。
 この日に写真を撮り忘れてしまったのですが、この後フェンダー上部の取り付け用ステイの部分に引きばねを付けました。あまり意味はありませんが、ちょっとしたアクセントになっていて、かなり気に入っています。

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 何故写真が細いうえにピンボケなのかって?
 実はこれ、後日にやったチキりの完成披露写真の一部なんです。ホントの被写体はこの左手前にあるのですが、ネタバレになるのでトリミングしました。

 でこのフェンダーなのですが、アクスルシャフトに直接ステイをかまして2点で固定しているので、地面の凹凸でサスが動くと、それに合わせてフェンダーが前後にピョコピョコと動きます。これがヒジョーにカワイイのです。これは思わぬ副産物。ただ、それだけナットに負担がかかっているという事なので、こまめに増し締めしないと事故の基ですね。

 因みに、このフェンダーは取付の棒をフェンダーの下側を通すように設計されているようですが、そこは私のこだわりで、無理やり外側に固定しています。やっぱり棒が外に出てた方がカッコイイでしょ。その分タイヤとの隙間も狭められるし。


 さて、フロントフェンダーはこれにて一件落着ですが、今度はリアフェンダーが残っています。こちらもどうにかしない事には色が違っているのでアンバランスです。
 次回、リアフェンダー編。もっともコワかったチキりです。


プロフィール

「ぼくの失敗たち http://cvw.jp/b/2652204/48540902/
何シテル?   07/13 18:48
 スバルR-2(ハイマー号)が退院し、ビンビン走る様になりました。コイツが入院中に浮気した妙なカブ(チャーリー号)も、概ね元気です。いつかこの2台でイベントに出...
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