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半振暮銀のブログ一覧

2018年12月27日 イイね!

格安サイドバッグ


――最高のクリスマスプレゼントは一番お金をかけたものではなく、
一番多くの愛がこもっているものである。
ヘンリー・ヴァン・ダイク





「メーリークリスマス、マイ・スイート・ハート。二人で聖なる夜を熱帯夜に変えようぜベイビー」
「こんな日にするべき事じゃないと思うけど、あなたに話があるの」
「どうしたんだい、マイディア」
「私たち、距離を置いた方がいいと思うの」
「なんてことだダーリン!! こんなに素晴らしいプレゼントを用意したのに」

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「私はそんなEbayで買った合成皮革のハンドバッグ(566円・送料込み)で繋ぎとめられるような安い女じゃないわ」
「ハニー、そいつはとんだ誤解だぜ。今年は奮発してもう一つ用意したんだ。きっと驚くぜ」












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「…もう、あなたの顔も見たくないわ」








 あーあ、どうして私の熱き思いが伝わらないんだろう。実はそんなに熱くないからかな。どうでもいいけど、せっかくのプレゼントが残っちゃったな。仕方がないからチキっちゃおう。ちょうど書類のコピーと簡単な工具が入れられるサイドバッグが欲しかったところだし。
 つーことで、ウソみたいな値段で手に入れたハンドバッグを、チャーリー号に装着します。


 まず、このように二つのバッグをストラップで連結します。

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 で、コイツをタンクとフレームの隙間(下図)に挟み込み、結束バンドで固定するだけ。


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 素晴らしく簡単な作業で、今回の作業は終了。ま、バッグを見つけた時点でこのチキりの80パーセントは終わったも同然です。




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 ハイッ、チャーリー号に素敵なクリスマスプレゼントです。あえてこの位置にバッグを持ってきたのは、近いうちに制作予定のバッテリーカバーを目立たせるためです。また、リアの方にはゼッケンプレートも付けたいので、取付位置はタンク下に決定しました。
 こうすることで、エンジンのスカスカ感も多少ごまかせます。ただ、このままじゃバランスが悪いので、早いうちにバッテリーカバーを仮で作成します。多分、それで見栄えは多少良くなるはず。
 もう今年も残り僅かですが、終わらせなければならない課題は多いです。ラストスパート、頑張らないと。
 
2018年12月21日 イイね!

フェンダーマスコット取り付け

 古い自転車に関して、昔からあこがれていたものがあります。それが、コイツです。


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 「風切りマスコット」です。コレが付いていることがカッチョいいかどうかは置いておいて、コイツにずっと憧れていたのです。

「ぼくは大きくなったらフロントフェンダーにマスコットのついた自転車にのりたいです」

 これは私が小学校の卒業文集に書いた決意表明です(嘘)。今回はその夢が叶います。



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 エアメールで微笑みの国、タイから届きました。リプロ品ですが、新品です。



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 ベンリィ用のものを購入したので、フェンダーに取り付けるためのステイまでついてきました。まあ、これは使わないので外してしまいます。
 それでは早速位置決めをしましょう。



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 取付案その①、最先端に取り付ける。前にを授けることで、グイグイと引っ張られるイメージでしょうか。


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 取付案その②、ちょこっと下げて「HM」の文字が水平になるところに設置。うーむ、こっちのほうが落ち着いた感じがしますかね。取付案②を採用。

 さて、マスコットを付けるには一度フェンダーを外して、穴を空けなければなりません。しかし家に電動ドリルなどある筈もなく、途方に暮れていました。
 で、編み出した方法は…



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 ハンマー、キリ(木工用)、釘(木工用)。これらで穴を空けちまおう、というもの。




――あまりいい作戦じゃなかったみたい。



 釘だと弱すぎて、すぐに曲がってしまいます。そこで作戦変更。

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 釘をやめて、木ねじをぶっ叩いて穴をあけます。ホラ、形だってドリルに似ている。
 (お爺ちゃんの手みたいに、シワシワになっていますが、気にしないでください)


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 何とか穴があきました。――って、アレレ、左側の穴がちょっと上にずれてる? 後で穴を広げて修正しました。




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 ネジを通して…



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 取付完了です。あ、写真を撮り忘れましたが、フェンダーとマスコットの間にカットしたゴム板を挟んでいます。こうしたほうがガッチリと付けられる…気がします。



 それでは感動のビュフォー・アフターです。



~ビュフォー~




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――まあ、これと言って不満があったわけじゃないんですよ。だって十分カッチョいいもん。そろそろホワイトウォールが鬱陶しくなってきたくらいかな。


~アフター~



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 うおおお、シブい、シブすぎるぞ!! なんだかたった数センチの違いですが、これがあるのとないのとじゃ、まるで印象が変わります。


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 「得体のしれない度」が上昇。ホントに「いつの時代のバイクだ?」といった感じです。



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 フェンダー上部の(あまり意味のない)バネがいいアクセントになって、羽のエンブレムを引き立たせてくれています。
 ンもういつまでもナデナデしていたいところですが、雨が降ってしまったためここで撤収。
 
 サイドカバーをどう作るか、未だ模索中です。


2018年12月18日 イイね!

カブは愉し

 原付の最高速度は時速30キロです。現在の法律ではそうなっとるのです。でもこれは、原付を楽しむ、といった点においては誠に理に適っとる様に思えるのです。
 一方、原付の3車線以上の通行帯を持つ道路に置いての二段階右折は、紛れもない悪法のようにも思えるのです。まあ、コレは原付を「パワーの少ないトルコン車」を前提としたモノとして捉えているので、腕次第でいくらでも加速ができるカブにとって、あまり意味のないものなのかもしれません。
 しかし、50ccのカブは、時速30キロまでの加速にかけてはかなり優秀な性能を発揮します。お金持ちの政治家先生方が原付の加速性能を知っているとは到底思えませんが、この法律に基づいてカブをセッティングしている私にとって、この30キロ制限はひとつのゲームであります。如何に交通の流れを乱さず、法廷の最高速までもっていくか、というのが目標です。そして、そのセッティングを100%活かしたシフトチェンジを体得することこそが、本物のカブ乗りに課せられた義務なのです。
 私は、未だに交通戦争の激戦区である板橋で、信号が変わってから、まったく同じ車間で前の車について走行する、という事を常に意識して運転しています。ただ、これも時速30キロを超えない範囲で、という話です。
 なので、無駄に信号待ちですり抜けをして先頭に着こう、などとは考えません。むしろ、あまりにも前の車両との速度差が出るようでは、法定速度で走っていては後ろの車が苛立つので、無意味に戦線離脱して、次の角で左折し、危険因子を先に行かせてからまた運転を再開します。

 原付は不遇な乗り物です。どうせ性能が追い付かないから、というナメられた存在なので、余計な義務を課せられます。ナメられているからこそ、免許なしでも運転できるような法整備がなされているのです。でも、その法律を決めたのは、普段運転手付きのV12を積んだセンチュリーに乗っているお役人様です。自分が乗っている車の性能すら、まともに理解できていない連中です。奴らが現行法ではかえって交通の流れを阻害する、と気づくことはまずないでしょう。アタマのワルい人は形だけ見て判断しようとするので、その原因を突き詰めようとはしません。

 まあ、これは仕方のない事でしょう。二段階右折をする原付が5台集まればベトナムのような状態になる、という事は想定されていません。そもそも、二段階右折という行為をしたことのない人たちによる法なので、それが考慮されることもありません。ソレをきめた本人にしか到底理解できない理論によって定められているのですから。

 カブはこのような理不尽なルールの中で走ると、余計なテクニックが必要となります。新聞屋さんや郵便屋さんは、何故かそうしたルールを無視した、無敵の走りをしても許されるような雰囲気がありますが(事実、歩道・路側帯の走行や逆走、ノーヘル、方向指示器の無灯火はよく見られますね)、個人としてで運転する際に、それを模倣すると、直ちに危険運転のレッテルを張られます。
 カブはカブらしく走行するが吉です。

 私の所属する(そういう事になっとるのです!!)「グッドフェラス」の発起人の一人は、『スローランのすすめ』として以下のように書いています。


「Gを感じる加速もコーナリングも必要なく、制限速度内で十分なんです。
カブに乗る時は、時速30キロ台で道路左端に存在する『カブの道』を走る。
すると今まで普通に飛ばしていた頃とは全然違う世界が見えてくるのです。(略)
信号待ちの停止線はレースのスターティンググリッドなんかじゃなく、車が好き・バイクが好き・カスタムが好きという同じような趣味を持つ人たちとのミーティングの場だと考えてみる。
無言の場合がほとんどだけど、信号が青になるのを今か今かと睨み付けるのではなく、本物のミーティングに参加した時のような目で他のマシンを眺めていると、向こうから声をかけてもらえることだってあるかもしれない。(略)
時速30キロ制限の道は、やはり意味があるから30キロなんだとようやく気づくことができました。
トイレを我慢していて漏れる寸前なのだろうと思ってしまう勢いで走る車やバイクには、邪魔にならないようしっかりと道を譲り、私は自分の道を自分の速度で迷惑にならないよう進もう。」


 なんだか長くなってしまいましたが、つまりそういう事なんです。飛ばしたければ、頑張ってお金貯めて中免とります。でも、たとえ中免とったからと言って、おそらく私は法定速度を超えるような速度では走らないでしょう。スピードが好きなんじゃありません。車が、バイクが好きなんです。速く走ることが正義になるのは、サーキットと救急車の場合です。
 古い話ですが、芸術の世界でも「未来派」というものが流行った時期がありました。
 産業革命が起き、機械による力強いものが礼賛された時代です。総てが力によって合理化され、弱いものは邪魔ものとされました。ちょうど自動車が段々と高性能になっていった頃でしょうか。スピードに美学を見出し、やがて、思考は極右的になります。
 力強きものとはつまり男性性である、として男尊女卑的になり、また、力あるものがすべてを支配すべきだ、指導者となるべきだ、として、ファシズムの庇護者となっていきます。
 やがて、「未来派」の芸術家たちの発言は、戦争擁護論となり、段々と過激なものとなります。戦争が終わると、彼らは――今の言葉を使うと――「干された」形となり、一気にその力を失います。

 私がカブに乗るとき、私は早さを求めません。また、利便性も求めません。そこにはただただ、楽しさだけを求めているのです。なので、30キロ出せれば十分です。30キロという限られた世界で、すべての技術を出し切る事こそが、カブの楽しみなのです。


 こんなことが、最近判り始めてきました。時速30キロの世界。自転車で必死こいて走っていたのと同じ世界です。ことによると、30キロで安定して走るために使ったエネルギーは、自転車と変わりなかったのかもしれません。
 スロットルを数センチ捻るだけで壊れてしまう脆弱な世界ですが、これほどハードボイルドなものはないと思います。こんな走りをする奴はタフじゃない、と誰かが言うかもしれません。しかし、周りに流されず、自分の誘惑に打ち勝ってそれを守ることが、真にタフな姿なんじゃないか、と思えるのです。


 
Posted at 2018/12/18 03:49:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記
2018年12月17日 イイね!

悲しき片想い

 バイトの後輩君が、来年の頭に成人式を迎える、と言いました。もうそんな時期か、などという月並みな感想を抱いたのですが、彼は地元である三島に帰って、成人式に参加すべきか否か、と悩んでいるようでした。私は、是非とも参加すべきだ、といったやったのですが、その瞬間に、私の最も悲しい思い出が蘇りました。
 私は成人式の日、これ以上にないチャンスをフイにし、それ以来そのことを忘れようとしていました。それは初恋の思い出です。今となってはクサくてクサくて仕方がないことのように思えますが、私にもそんなことがあったのです。で、いま、酔った勢いでそのことを書いてしまおうと思います。書くことで、吹っ切れればいいのですが、たぶん生涯引きずる事でしょう。

 私は13の時からひとつの恋に落ちました。その娘は、色白で、少々病弱で、リンゴのような頬がかわいらしく、時折見せる笑顔からこぼれる八重歯が魅力的でした。少なくとも美化された私の記憶では、そういう事になっておるのです。彼女とは日常的にもよく言葉を交わす方でしたが、その友人の女の子とは「相方」のような立ち位置で、親しくしていました。判りやすく言うと、「相方」の友達に恋をしたのです。
 次の年は学級が違いましたが、その次、つまり中学校最後の年ではまた同じクラスになりました。思えばそのころは1年がもっと長いように感じていました。
 私は度胸がなかったために、彼女にもっと近づく事が出来ませんでした。その当時でも、自分の事がまどろっこしく感じた記憶があります。なぜ、もっと発展的な会話が出来なかったのか、なぜもっとうまく笑えなかったのか、そうした思いを重ねながら日々は過ぎていきました。
 卒業の日、特に親しかった友人たちと私は、卒業アルバムの最後のページに寄せ書きをしあいました。私は、改めて何かメッセージを送ることが照れくさくて、すでに書き込まれている中から何か適当な文句を見つけては傍線を引き、「右に同じ」と書いて署名しました。これが私らしい、とウケたのですが、彼女に対してだけは、しっかりと何か書き綴りました。記憶が正しければ、枕に顔をうずめて叫びだしたくなるような文言だったと思います。それでも彼女は、私に素敵な笑顔で礼を言ってくれました。


 5年の月日が流れました。私は男子校に行き、半ばグレた生活をし、大学に進学しました。しかし、その間も彼女の事は忘れていませんでした。いつか、どこかの街でであったら…などとありもしない希望を持っていました。幾人かの女の子に出会いましたが、常にどこかに彼女を投影しては、理想化されたそれとの相違点を見出し、なかなかに踏み込んだ間柄にはなりませんでした。
 当時は家庭環境も最悪で、ともすれば一家離散、というような一触即発の状態でした。原因は詳しく書きませんが、それまで住んでいた埼玉の街を捨て、板橋のボロマンションに引っ越しました。位置的には東京に越したのだから、「登った」という方が適当なのかもしれませんが、これは紛れもなく「没落」でした。生活レベルは格段に落ち、「コメを買う金もない」というのが当時の母の口癖でした。
 そんな中、私は車を買うために極限の暮らしをし、車を買ってからはそれを維持するためにさらに切り詰めた生活をしていました。日々が風のように過ぎていき、最大の関心毎は常にその日一日の生活でした。過去を振り返る余裕はありませんでした。
 埼玉の街から成人式の案内が届きました。私はそれを無視し、当日もバイトに行く予定でした。そんなものに出席しても、何の意味もないと思っていました。しかし、その数週間前に少年野球時代の仲間から連絡があり、再会できないか、といった誘いがありました。私は急遽バイト先に暇をもらって、成人式に出席することにしたのです。

 成人式の日。私は様々な友人たちと再会しました。小学校以来の人たちは、顔かたちが大分に違っていたりするのですが、不思議と互いにその正体を見破れるものでした。多くの古い友人たちと話をしました。
 思えば小学校の頃から携帯電話の普及が急速に広まり、中学卒業時にはほぼ100%近かったようです。しかし私はそんな中で、あまり必要性を感じていなかったので、結局携帯電話を初めて触ったのは高校に入ってからでした。だから私は、「音信不通」の人物として、ここには現れないものだと思われていたようです。
 懐かしき思い出を再確認している中で、私は遠くから一人の女性がこちらを見ていることに気づきました。私は、名前は思い出せないけれど、古いクラスメイトの一人だろう、くらいの思いで軽く会釈をして、そのくだらない思い出話に戻りました。

――後日思い起こせば、それが「彼女」だったのです。5年間、片時も忘れなかったあの娘です。彼女はその時、緑がかった晴れ着を着ていました。他にはあまり居ない色だったので、それが妙に印象に残っています。
 彼女との再会はほんの一瞬、しかも道を挟んだ向こうとこちら、といった状況でした。そういえばその時、中学時代に一緒につるんでいた仲間の何人かが、彼女の方に道を渡り、話に行っていたようでした。

 私は数日後、この情景を克明に思い出して、悔し涙を流しました。私はなんて間抜けな男なんだろう。どうして気づかなかったんだろう。くすぶり続けた5年間の恋心を打ち明けるチャンスだったのに。そして、それを笑い話にしてきれいさっぱり忘れられたのに。
 私は今でも時折、15の頃に戻ります。そして、彼女を想い続けたあまりにも長い5年間を思い、20の冬にすべてを清算できなかった自分を呪います。
 彼女は今、どこで笑い、何の為に泣いているのか。私は今、タフに生きたくても何かにすがらなければいけないような気分なのです。そして、そんな自分がまた厭になる事が判っているのです。




 あーあ、ヤなこと思い出しちゃった。フントにモー、ヘレン・シャピロな気分です。ここはポップにビリー・ジョエルで気分転換だ。ええと、「Tell Her About It」に「Leave A Tender Moment Alone」…。最悪の選曲ですね。きらいな呑み方だけど、今夜はつぶれてしまおう。


 
Posted at 2018/12/17 02:12:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 世迷言 | 日記
2018年12月15日 イイね!

意外と大容量

 先日、チャーリー号で給油に行ってきました。そのガソリンスタンドは、住宅街にある若干さびれた所なのですが、ウチから一番近いので、ハイマー号の頃からたびたび使ってきました。
 そのスタンドには人懐っこい中年のスタッフさんが居て、私がハイマー号で訪れるたびに色々と話しかけてくれました。今回は彼を目当てに、チャーリー号を見たらどんな反応をするのか、確かめに行ったのです。
 しかし残念ながら、この日は非番のようで、あまり魅力的でない若いオニイチャンが給油してくれました。
 セルフではないので黙っていたら自動的に満タンにしてくれるのですが、我がチャーリー号にはガスが入る入る、なんとまだタンク内にいくらか残っていたにもかかわらず、5.4リッターも入ったのです。チャーリー号のタンクは、小さいように見えて、フレームに乗せるための凹みが無いので、体積が大きいのです。
 どう贔屓目に見てももともと100ccは入っていたはず。ことによると500ccくらい入っていたのでは? カブの燃費は都市伝説的で、リッター100キロ走った、などという声も聴きますが、調子が良くて60キロくらいでしょうか。みんカラの情報を見ると、3,234件の投稿の平均値は、レギュラーで50.4キロだそうです。四捨五入して100キロ…って10の位を四捨五入したらマズイか。キリの良いところでリッター50キロですね。
 だとするならば、正確なタンク容量は分かりませんが、チャーリー号は常識的な走行をしている限りは、無給油で275~300キロ走行可能なわけです。ウチから道程275キロと言いますと、福島県福島市、静岡県浜松市、長野県松本市、新潟県十日市市、あたりでしょうか。グーグルマップっで本当に便利です。
 つーことは、日光、焼津、沼津、那須、宇都宮…には確実に無給油で行けるってことですね。カブってすごい。純正は4リッタータンクだそうなので、1.5倍走れるんですね。500ccの携行缶が安く売ってたので、そいつを2つ装備したら、もう無敵です。ロングツーリングも怖くない。
 問題は、あのサドルで300キロも走る度胸があるかどうか。なんだかおっかないですね。

プロフィール

「ぼくの失敗たち http://cvw.jp/b/2652204/48540902/
何シテル?   07/13 18:48
 スバルR-2(ハイマー号)が退院し、ビンビン走る様になりました。コイツが入院中に浮気した妙なカブ(チャーリー号)も、概ね元気です。いつかこの2台でイベントに出...
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