
愛媛出張✈️ということで、秘かに城めぐりを計画😎

何故か、香川県の高松空港へ🛬
今回の出張先は高松空港と松山空港の間に位置するので、取引先さんに無理言って香川県に上陸😁

やっぱ「うどん県」に来たら讃岐うどんでしょ😆
巨大な衣を纏った天麩羅うどんを食す🤤
四国のうどん屋さんには、何故かおでん🍢が置いてある😳うどんもおでん🍢も美味しゅうございました🙏
仕事の前に、せっかくムリヤリ香川に来たので、現存十二天守丸亀城🏯へ🚗💨

丸亀城🏯は、瀬戸内海を望む標高66mの亀山に築かれた渦郭式平山城で、1597年に生駒親正が高松城🏯の支城として築いた総構えの城郭で、堀の内でも東西約540m、南北約460mの規模を誇る👏

丸亀城🏯には3つの日本一があり、その第一は、標高66mの山壁を覆う四段合わせて約63mの日本一の高さを誇る石垣だ👏
その威容は、まさに鉄壁の城砦だ😳

青空に現存天守が映える👏

内堀に架かる石橋から大手二の門・大手一の門・天守閣のショット📸

広大な内堀☺️

布積みの石垣が美しい👏

丸亀城🏯だけあって、何匹もの亀🐢が甲羅干しをしている😁

大手二の門は1670年に再建された高麗門だ👏
二の門の左右には立派な切込接ぎの石垣とその上には狭間塀が続く🤔
狭間が一つしかない様に見えるが、丸亀城🏯の狭間は全国でも珍しい開閉式なのだ😳

大手二の門をくぐると、桝形になっている🤔
大手桝形の石垣は、巨大な鏡石の周囲を多くの小さめの石で取り巻いて積む「笑積」と呼ばれる技法が用いられている😳

右に90度折れると大手一の門が立ちはだかる🤔
楼上に太鼓を置き、城下に時を知らせたことから太鼓門とも呼ばれ、大手二の門とともに国の重要文化財に指定されている👏

現存十二天守の中で、大手門も遺っているのは、丸亀城🏯の他には弘前城🏯と高知城🏯だけだ👏

大手一の門の先の桝形は、とんでもなく広い😳

山頂部分の縄張☺️
往時は12基の櫓があったと云う👏

大手門から山上に向かう大手道はあまりの急坂に、登って来た道を振り返るため、「見返り坂」と呼ばれている💦

三の丸北側の石垣😳
丸亀城🏯の中で最も高く、高さ20m以上の石垣が続いている👏

算木積みの石垣の隅角部は、「扇の勾配」と呼ばれ美しい曲線を描いている👏

扇の勾配を過ぎると「見返り坂」は更に角度を増し、思わず振り返ってしまう💦
取引先さんは革靴👞だったので、かなり苦戦していた(スマン🙇♂️)

三の丸東櫓台から眺める三の丸高石垣👏

二の丸石垣☺️右手は番頭櫓の櫓台👏

見返り坂を登り切り三の丸に到着💦

月見櫓まで続く石垣👏

寄手を阻む二の丸虎口👏

左に折れた先には辰巳櫓が見える👀

右に折れて二の丸へ🚶♂️

二の丸☺️

本丸石垣👏

本丸虎口にはスロープがついている🤔

いざ、本丸虎口😊

ジャ〜ン🥁
現存十二天守 丸亀城天守閣🏯
丸亀城🏯第二の日本一は、現存天守の中で最も小さい天守だ😳

天守は独立式層塔型三層三階で、一層目、二層目、三層目の大きさの比率が極端に大きく、天守を大きく見せる工夫がなされている😳
現在は独立式の天守となっているが、江戸時代には西側と東側は渡櫓に接続されていた👏
西側に腰羽目が無いのは、そのせいだろうか🤔

瓦には京極家の家紋「平四つ目結」があしらわれている🤔
1640年、生駒氏がお家騒動で転封となると、築城の名手山崎家治が入り、丸亀城🏯の再興に取り組み、現存する圧巻の石垣の約8割を築き上げたが、城の完成を見ないまま、この世を去った🙏
その後、丸亀藩主となった京極高和の時代、1660年に天守は完成を見た🤔

多聞櫓から姫櫓を望む👀

本丸からの眺望👀
右手には瀬戸大橋が見える👏

姫櫓側から見るシンプルな天守の西面👏
ギリッギリに建てられている😳

下を覗くと三の丸が見える👀

いざ、天守内部へ🚶♂️
丸亀市の伝統工芸うちわの貸出しがありがたい🙏

戦う城に欠かせない「石落とし」と「狭間」☺️
二の丸の搦手門の上に位置し、防御を高めている👏

現存天守の階段と言えば、やっぱりこの角度😊

2階の武者走り😊

3階へ🚶♂️ギシギシと音の鳴る階段が歴史を感じさせる☺️

3階せまっ😳感覚的には6畳間程度だ🤔

剥き出しの屋根裏の無骨さが堪らない☺️

格子窓の足元には非常時にブチ抜いて使用する大砲狭間がある😳

番頭櫓側から見る天守☺️

二の丸に降り、本丸石垣を見ると刻印を発見😎

丸亀城🏯第三の日本一は、深さ65mの日本一深い井戸「二の丸井戸」だ👏
この井戸に纏わる幽霊伝説がある👻
丸亀城🏯の石垣完成の功労者、羽坂重三郎は、「空飛ぶ鳥以外にこの城壁を乗り越えるものはあるまい」とご満悦の殿様の前で、尺余りの鉄の棒を使いスイスイと城壁を登ってしまった😳
殿様は、重三郎の寝返りを恐れ、井戸の底に重三郎を騙し入れ、石を投じて殺してしまったと云う😨

吸い込まれる様な井戸の口😳
取引先さんが小石を投げ入れたら、4秒くらい経って底に当たる音がした😬

二の丸の天守側へ🚶♂️

天守は瀬戸内海からの攻撃に備えるため北向になり、石落とし、矢や鉄砲用の三角形の狭間とともに、大砲用の四角形の狭間も完備している👏

小さな天守の下には、圧巻の打込接ぎの石垣が続く👏

一層目には腰羽目を巡らし、二層目に唐破風の意匠を凝らし、三層目に格子窓を設け、瓦葺の屋根は北側正面に入母屋部分を見せることによって、屋根を高く美しく見せる工夫がなされ、瀬戸内海側に睨みを効かす外観となっている👏
天守下の二の丸から三の丸にはかつては搦手門があった☺️

本丸西側の石垣👏
2018年の西日本豪雨☔️や台風🌀の影響で崩落した石垣の復旧工事👷が行われていて、この先は立入禁止🚧になっている😭

戌亥櫓は火災で焼失🔥したらしい🤔

姫櫓の櫓台と丸亀城天守👏

美しい扇の勾配を魅せる長崎櫓の櫓台と天守👏

後ろ髪を引かれつつ天守を後にする🚶♂️

三の丸から見る三の丸東櫓台と見返り坂👀
傾斜角11〜13度らしいが、もっと急に見える😳

山下曲輪に戻り、大手桝形から西へ🚶♂️

山下の平地を山下曲輪と呼ぶらしい🤔

藩主玄関先御門と天守のコラボ📸
左右に木戸のついた薬医門形式で、京極氏の屋敷の表門にあたる😳

門に接して番所・御駕篭部屋・長屋もあり、香川県の有形文化財に指定されている👏

往時は、藩主の屋敷のあった芝生広場から見る丸亀城天守👏
丸亀城🏯は、入る家が悉く御家断絶となるなど、呪われた城🥶とも呼ばれていたが、京極家だけは無事に明治期まで居城し続けた😳

城内にある丸亀市立資料館には、丹羽長秀の愛刀「にっかり青江」が所蔵されているが、残念ながら公開されていなかった😭
丹羽長秀〜豊臣秀吉〜豊臣秀頼〜京極家と渡った「にっかり青江」は、幽霊を斬った伝説を持ち、魔除の力で京極家を守ったのかもしれない😳

資料館には、江戸時代初期に檜材で作られた、丸亀城🏯の木図もある😳
木図が残っている城は全国的にも例がなく、12基の櫓が隅を固め、天守と渡櫓で接続される堅固な在りし日の丸亀城🏯の勇姿を魅せてくれる👏

内堀越しに見る丸亀城天守👏

大手二の門・大手一の門・天守👏
まだまだ見たいが、仕事があるので仕方なく丸亀城🏯を後にする🚗💨

崩落した石垣の復旧工事🏗が続く👏
2024年3月を目指している石垣の修復は1年遅れの進捗だが、暑い中💦工事の方々👷♀️👷👷♂️には、ただただ感謝だ🙇♂️
360年以上の歳月を経た現在も天守だけでなく、三基の門を遺し、圧巻の石垣が往時の威容を十二分に伝えてくれる石垣の名城、丸亀城🏯お見事でした👏
②に続く