2007年11月07日
昭和18年のおわりごろのことである。マリアナ諸島方面で行われた迎撃戦で相手はF6F戦闘機。そのときベテランまたはベテランに近いパイロットたちを五二型、中堅またはそれ以下のクラスのパイロットたちを二一型に搭乗させて行った迎撃戦の結果は、ベテラン組の五二型組に戦果が少なく損害が多く、比較的若年の二一型組の勝利に終わったと言う例が示すように、当時の対戦闘機空戦では二一型に利ありという証明になった。
もし私がその時、どちらを操縦して戦うかと問われたら躊躇無く二一型と答えただろう。零戦の生みの親といわれた堀越技師も、零戦は11回にわたって改造されたが、必ずしも、その全てが改良ではなかったという。「私がもっとも理想とする零戦は、二一型です」が口癖であった。
私も同感である。零戦は一一型から二一型、三二型、五二型と改造されて微妙に性能が変わったが、単機空戦の格闘戦に関する限り、二一型が最強であった。(坂井三郎著:零戦の運命・上より抜粋)
坂井三郎中尉が最後の迎激戦に選んだのは最後の傑作機と言われた最新鋭の紫電改では無く零戦であったという。
*零戦は、正式名は零式艦上戦闘機。ゼロセンではなくレイセンと読み、ニジュウイチガタではなく、ニイイチガタと読む)
今日も磨き上げた傷だらけの愛機を眺めながら・・・
一人くゆらすタバコはやめられない。
フィンの無いデフだけを換えて世に出した平成2年型の愛機は
心中、紛れも無い零戦二一型なのである。
NB・NCの洗練されたあれこれを知りながら空想に溺れる。
11日、列線に集う戦闘機群に思いを馳せる。
Posted at 2007/11/07 12:01:21 | |
トラックバック(0) |
独り言 | 日記