一昨日になりますが、お世話になっているショップの社長から、地元の気仙沼に秋田のショップさんと共に首都圏から届けられた物資の運搬に行くから手伝ってくれないか?と連絡をもらい、お手伝いをすることになり、気仙沼にいくことになりました。もちろん、緊急支援物資運搬車両用手形ありです。
読むに当たって被災地の画像等がいろいろと出てきます。
不謹慎だと思われる方がいるかもしれませんが、報道されていない部分に触れているところでもあり、実際に行ってみないとわからない部分も多くありました。
それが少しでも読んでくれている人に伝わればと思いブログで状況を書くことにしました。
気仙沼は私の親友といえるような人が住んでいてよく遊びにいくとても大好きな町です。
早朝4時頃一関ICにて秋田のショップさんと合流、一路気仙沼へ
到着してしばらく走ると津波の後がいたるところに・・・
大島を結ぶフェリー乗り場も2階部分のガラスが割れてました。
これほどまでとは思いませんでした。
足の力が抜け、涙が出てきました。
湧き上がる感情を抑えながら、社長の実家へ
持ってきた物資の仕分け、
その後、避難所のセンターとなっている気仙沼消防本部へ行き、避難所の情報収集、気仙沼では救援物資が一箇所に集められ、避難所に一日数回運んでいるとのことでした。
そこで物資が集められている場所の気仙沼青果市場に物資を輸送
自衛隊の人が手伝ってくれました。なれている人たちの動きのよさはさすがでした。
物資はたくさんありましたがそれでも数日分しかなく、全体にいきわたらないという話でした。
ちなみに避難所の数は100箇所以上、約2万人が避難し市役所でも把握していない住居に近隣住人や親戚等が避難している場所もあるというお話でした。
ほんとに甚大な災害なんだと驚きました。
物資の搬入を終え、被害状況の把握と、社長の親戚縁者宅への物資の配達のために気仙沼市を回ることに・・・。
あの美しい大谷海岸が・・・(松林がまったくなくなっていました。)
大谷郵便局
その隣のローソン
気仙沼松岩地区震災前はこのあたり全部家がありました。
ジャスコ気仙沼店も1階部分が浸水
友達の家があった場所・・・。
何もない・・・。
南気仙沼駅方面(赤岩橋から)この先は橋と道路が寸断されていて立ち入れませんでした。)
今回一番被害のひどかった鹿折地区(津波と火災のあった地域)の川(川の中に秋刀魚漁船と大型船がいます)海から2キロ以上奥です。
あたり一面焼けたにおいと何かが腐ったようなにおいで気持ち悪くなります。
唐桑地区
陸前高田市入り口にある気仙中学校(3階部分までガラスが割れてます。海沿いに立っている学校ですが、目の前に高さ5mくらいの防波堤がありましたが破壊されてました。)
陸前高田市内(もう。何も残ってませんでした。)海から1キロ以上奥にある気仙小学校も3階のガラスが割れてました。
こうしている間にも物資の輸送も無事終了し、社長の実家へ帰宅しました。
正直来るまで、ここまで被害がひどいとは予想もしてませんでした。
しかも、被害箇所が1箇所ではなくほんとうに広範囲に広がっていることが驚きと絶望を垣間見ます。
しかしながら、物資を運搬していて思ったことは住民の皆さんは本当に力強く生きようと努力していたことです。
それがすごく感じ取れました。
みんな笑顔でした。
それにすごくこちらも勇気をもらいました。
こういうときの「がんばれ」という言葉は正しくないのだと本当に思いました。
被災者のみなさんは今、本当にがんばってます。心底から力強く生きようとがんばってます。
なのに、いまさら「がんばれ」という言葉をかけるのは不適切、無責任でとても相手に重くのしかかる言葉にしかならないなと痛感いたしました。
また、気仙沼の町が笑顔であふれ楽しい街になることを願ってます。
最後に、22日に国土地理院から今回の東日本大震災における浸水地域地図が発表されました。
http://www.gsi.go.jp/
これを見ると非常に広範囲にわたって浸水しているのがわかります。
本当に未曾有の被害です。
Posted at 2011/03/25 09:30:28 | |
トラックバック(0) |
日常 | 日記