
あの熊本地震から…今日で丸4年!
家族3人…あの日の事を毎年思い出します。
 
上の画像は…マンションの隣の駐車場に発生した…新たなる断層です。
これと同じ位の断層がマンションの直下に走っていました。
 
これは…当時の娘の勉強部屋(洋間6畳)
震源が余りにも近かったので…最強の揺れに教われ…部屋はぐじゃぐじゃ状態になりました。
 
バスユニット横の電気温水器…
200L貯蔵できるユニットが配管をへし折り…端に移動しています。
当時(前震の4月14日)は…本社工場のヘルプで、熊本市内(益城町近く)から往復90㎞の遠距離通勤で夜勤でした。
hiro-kumaの工場もかなりの揺れでしたが…とりあえず、怪我人も無し…嫁さんからの携帯も直後に入り家が大変な事になったと伝言入りました。
現場は仲間に頼み…自宅へ移動…
この揺れでは…俵山トンネルは潰れていると予想し…
意を決して…あの赤橋(阿蘇大橋)を渡り、57号線を熊本市向けに走りました。
大津町→菊陽町を抜けて益城町に入ると…道の両脇の家が所々崩壊しレスキュー隊の消防車、自衛隊の車両、警察のパトカーが至る所にいて、救命活動&消化作業をされていて…まるで、地獄絵を見ている様でした。
上空はテレビ局&自衛隊、県警、防災ヘリが多数旋回…消防車&パトカーなどのサイレンも鳴り止まず…航空自衛隊の偵察用のファントムもやって来て旋回している様です。
益城町から自宅迄の4㎞ほどは液状化で地盤沈下が起きて、マンホールが突起 したり、舗装もズタズタ状態…終いには小川に架かる橋に段差が発生…どうにか、自宅に到着できましたが…何処をどうやって帰って来たのか?…当時はその記憶でさえ…ぶっ飛んだ心境でした。
当時乗っていた、4気筒ターボのムーヴ(L902S)は、底打ちしたり、ボロボロ状態となっていました。
でも…どうにか、自宅マンションに帰りつき…家内と娘に再会👍
生きていてくれたんだね!…と二人を抱き締めたのを、覚えています。
その後…約1ヶ月…
5月6日まで、近くの中学の体育館に避難生活…5月末まで、家内の実家にお世話になり…6月から仮設契約のマンションを自力で見つけ移り住み…現在に至っています。
熊本県?…の見解で、8割復興しているとか発表されていますが…未だに、かなりの県民が仮設にそのまま住んでいる現状…hiro-kumaファミリーもその中の人数に含まれるのですが…また、仮設マンション住まいです。
と…言うのも、マンションの住民同士の意見が割れて…4年間、全く話が進まず凍結状態でしたが、やっと最近動き出し…国の特例がおり、全壊したマンションを公費解体へ話が進んでいます。
※マンションは解体となり更地になりますので、建て直すか?…土地を売るか?(分割して分配)の選択になります。
今日はhiro-kumaがサポートして頂いている弁護士の先生と、午後から、その件でお話していました。
あれから…4年と…世間ではニュースとなりましたが…
hiro-kumaファミリーにとっては…
これから、復興へのステップ…
第一歩を踏み出します👍
これから、どう進むのか?
また、分かりませんが…
早く我が家の復興する様に…
頑張って行かねばと思っています!
  Posted at 2020/04/16 19:41:10 |  | 
トラックバック(0)