最近はあまりこういう募金箱を置いているお店は、
かなり少なくなってきたようだね。
今から三年前の3月11日、東日本大震災が起きた直後は
どこの店にも置いてあったものだが。。。
冒頭の写真の募金箱は、
今月上旬に近所のドラッグストアにおいてあったものだ。
あれからもう3年か、あれからまだ3年か。
人が感じる時間の長さはそれぞれだが、
被災した人々の時間は後者が圧倒的に多いだろうか。
中には時があの日のままだという人も少なくはないだろう。
原発の放射能の影響で、未だ帰宅が出来ずにいる人々もいる一方で、
着実に町が活気を取り戻しつつある場所もあり、
復興の足並みはそろわない。
お金の問題ではないのは十分に理解しているが、
少しでも復興の役に立てればとの思いがあり、
買い物に行くと、冒頭のような募金箱を店内や街中で
探す癖ができた。
3・11は防災の日と位置付けている自治体も多い。
自分が今出来ることは何かと考えるキッカケにする日と
位置づけることが重要なのかもしれないよね。
なんらかの形で継続することも重要なんだと思うよ。
流石に人類がこれまで体験してきた自然災害すべてを
記憶に残すってのは無理だからさ、
せめて直近で起きた出来事だけは、忘れないでいようと
思うだけでも違うかもしれないね。
ボクら一人ひとりの考えるベクトルが同一の方向に向いた時、
復興へのスピードは、飛躍的に加速すると思うよ。
さて・・・。
ボクの住んでいる街は一日中忙しい天候だったよ。
朝から大粒の雨が降って、お昼前には小雨に収まり、
午後に入って雨が止んだかと思ったら、急に凄まじい風が吹いて
ボクのカツラが飛びそうかとヒヤヒヤしたかと思ったら、
夕方になる前に空はパァーっと晴れて太陽が見え始めて
もぅ何が何だかな日だったよ。
↑割とキレイな空だろう?
しかも今日撮った写真と見せかけて実は一週間前に撮った
空の模様なんだぜ?
ワイルドだろ~ぅ?
そういえばさ、ここ数日になってようやく春っぽくなって来たよね?
エアコンの使用回数も激減さ。
それに近所に点在するソメイヨシノの花が、
ボチボチ咲き始めてきたよ。
あーもぅ、なんか春っぺぇなぁ~
って感じ? みたいな。 フフフ。
そんな桜の開花が始まり、新年度の風が吹き始めた先日、
ボクの知り合いに不幸が訪れたことを聞かされた。
なんでも親族が亡くなったとのことだった。
その知り合いと色々と話を交わしたよ。
実感としてわかないんだと彼は言っていたよ。
何とも空虚だ、とも言っていた。
始めボクは何も言わずにうなずくことしかできなかったよ。
けれども話すたびに、ようやく会話が小さな波に乗った。
春だというのに葬式、というのも
人の死は季節を選ばないものだ。
当たり前のことではあるが、なんとも切ないよね。
せっかく開花した桜の花が、今日のような春の強い風や長雨によって
すぐに散ってしまうのを見ると、
それはまるで人生の短さを象徴しているのかと思えてならない。
彼と話した後に、時間が経ってから結構色々なことを思い出したよ。
まったく自分でも呆れるくらい、不謹慎なことを思い出したね。
もぅ、だいぶ前の話になるが、ボクの親族が他界し、
火葬場で焼かれた遺骨を骨壺に納める時のことだ。
遺族が順番に骨壺に入れるよね。
どうしても親族が多いと順番待ちになってしまうんだが、
自分の番が回ってくるまで、ジーっと焼かれた骨を眺めているんだ。
不思議だよなぁ。
子供のころに初めて遺骨を拾った時は、それはもぅ、
恐怖で一杯だったんだけど、
そんなことは微塵も思わなかった。 本当に不思議だ。
で、 ボクを含めた遺族が時間をかけてゆっくりと少しずつ拾うよね。
あんだけ時間をかけて、悲しみながら慎重に、
大切に一部ずつ骨壺に入れていく。
遺族全員が終わった後にそれでもかなりの骨が残るんだ。
また一周するのかと思いきや、
いやいやそんなことは無いんだ、今も昔も。
そのあとにガタイの良い(だったと思うが)火葬場の職員が、
「それでは、みなさん、もう、よろしいでしょうか?」とボクらに
一声かけて、ボクらが何も言わずにいると、
軍手一丁でガンガン骨をかき集めて
数分もしない間に全て(喉仏以外)骨壺に収めてしまったよ。
これには圧倒されたね。
そんな光景を見たら、なんだか笑えてくるよ。いや、悪い意味ではないよ?
そして、実際には笑えないんだけどね。
つまりさ、
遺族があれだけ時間を掛けて、丁寧に慎重に大切に
拾っては納めてを繰り返してきた行為を、
あっという間にサクッと終わらせるんだ。
要するにガッツリしてるなぁって思ってしまって、
呆気にとられちまった、ということさ。
あとは、そうだなぁ・・
初めて親族の葬儀に出た時だったかなぁ。
当時ボクは小学生に上がる前だったなぁ。
オヤジがね、外で火葬場の煙突を指差して、こう言うんだ。
「後でおばあさんの骨を拾うから、もう少し待ってるんだよ」って。
おばあさんは死んだこと、コレだけはボンヤリとだが理解できていた。
だが、その時の、オヤジの言っている意味が分からなかった。
が、その言葉をそのまま受け止めた当時のボクはこう思ったんだ。
あの煙突の先から煙と混じって、おばあさんの
骨が外に落ちて来るんだと。
で、それをみんなで拾うんだ、と。
まったく、子供の頃の話とはいえ、今考えたら笑ってしまうよ。
ああ、ごめんよ。変な話になっちまったね。
まぁ、とにかく、心身ともに疲れた彼が、
今はゆっくりと心とカラダを休められるよう、願ってやまないよ。
そしてまた、元気な彼と会話できることを願っているよ。
Posted at 2014/03/31 00:04:25 | |
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