2011年08月05日
まず、原爆の使用はもちろん、保有自体があるべきではないと強く感じます。
特に、原爆の使用自体はこれこそが戦犯であると国際社会で裁かれなければ、同じ過ちを必ず繰り返すでしょう。
原子力の平和利用を掲げた日本は、今までこの原子爆弾が投下され被爆した唯一の国であるにも拘らず、発電には原子力を推進してきました。
これは、自然の力を人間の知恵が克服できると信じていたから行ってきた仕業ですが、それが絵に描いた餅であったこともようやく認識した、あるいは認識していても政治が無視していたのが、明確になったのが、今回の原発事故です。
安全神和はあくまでも神和だったと。自然災害だから仕方がないという事は、単に言い訳に過ぎないとしか言いようがありません。自然を克服できると信じてやった結果ですから、その仕業自体が浅はかだったというしか無いと思います。
人間の行いには完全や絶対が無いということが、普段のモノ作りでも痛感していますが、それでも少しでもリスクを減らそうと努力しているのが、実際のモノ作りの現場です。その中で、一歩間違えるととんでもない事になるという事を、身をもって経験している日本が原子力を一押しで推進してきた事に、基本的誤りもあったのではないかと思います。
原子力はこの先原子炉の耐用年数を安易に伸ばすなんて事はせずに、徐々に無くして行くことが、日本のソフトランディングの道かと思います。もちろん新規建設は有り得ません。
日本の人口ピラミッドから見ても、この先生産人口はどんどん減少し、製造業などは衰退する事は明らかですから、電力消費も、各製品の省エネルギー化も手伝ってどんどん減少するはずで、原子力発電がなくなっても困らなくなると思っています。
Posted at 2011/08/05 23:07:39 | |
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