2017年06月07日
エアバッグの生みの親
Myファンのゆうz,さんのブログ「Das Beste oder nichts」(ダス ベステ オーダー ニヒテ)英訳「The Best or Nothing」を拝見し感銘を受け、思い出したことがあったので、便乗しつつ本日のブログを書きます。(ゆうz,さん、大変素晴らしいブログ、ありがとうございました)
即ち「最善か無か」
メルセデスの数々の神話を生み出してきたキャッチコピーですね。
私がもっとも車の世界では共感でき、好きな思想・キャッチです。
メルセデスは「エアバッグ」を早い時期に搭載したメーカーですが、メルセデスの偉いところがそのパテント(特許)を無償公開したことです。
このことによりエアバッグは世界中で爆発的に搭載、標準化がなされていきました。
さて、この「エアバッグ」。
ハンドルに頭をぶつけて大怪我、最悪は亡くなってしまうという事に目をつけ、「そのエネルギーを風船のようなもので吸収したらどうか」と考えた方がどのような方か、皆さんはご存知でしょうか?
なんと、日本人なんですね。
その方の名前は「小堀保三郎博士」。
彼はシートベルトが義務化される前の1960年代にこの思想を既に持っていました。
当時はシートベルト着用の義務化は当然のようになせれておらず、また現在のような三点式シートベルトでは無く、二点式が主流だったため、頭を打つ、車外放出等が死亡原因の大きな要因となっていました。
そこで小堀博士は「衝突の瞬間に風船のようなものを膨らませて乗員を保護すればよいのでは無いか」と考えたのです。
開発は困難を極めたようです。
現在のようにミリ波レーダーや認識カメラがあるわけでも無く、衝撃感知センサーの精度も比べ物にならなかったでしょうから、博士の苦労が想像できます。
ついには「事故で亡くなる人を少しでも減らしたい」という博士に熱意から私財まで投入して開発を進めたようです。
実用化の目処が立ち、運輸省(現国交省)にこのアイディアを持って行くと「そんなわけの分からんもん、認可できませんね。欧米で実用化されているのですか?日本では無理です」と一笑に付されたそうです。
ここでも「霞が関」というより「お役所」の「前例踏襲主義」と「事なかれ主義」の悪弊が(怒)
結局、今も昔も変わっていませんね。
チャレンジングなことは絶対やらない・・・
結局、小堀博士の開発した「エアバッグ」は日の目を見る事無く、忘れ去られていきました。
小堀博士の発明について、他に少し調べたのですが、現在でいうところの「歩行者保護エアバッグ」(ボルボやスバルが実用化、搭載してますね)
先見の明が有りながら我が国の官庁の悪弊により実用化されなかった博士の発明。
特許はとったそうですが、日本のメーカーは関心を示すところはなく、その開発に着目したのが欧米メーカー(特にもメルセデス、ボルボ)だったようです。
そして・・・
最悪の結末。
小堀博士はエアバッグの開発に私財を投入してまでやったのですが、その開発費用捻出が厳しくなっていたようです。
そして・・・小堀博士は1975年、奥様と心中されました・・・
その数年後、メルセデスが実用化、市販車への搭載を開始することになります。
これを「早すぎた技術」とか言ってしまうのは簡単です。
しかし言うなればこれは「悲劇」としか言いようが無いと思います。
この話は結構前から知っておりましたが、今回ブログを書くため小堀博士について少し調べていると日本の役人の了見の狭さに怒りを通り越して、本当にガッカリさせられました。
霞が関にも「なんだそれ?おう!面白そーじゃねーか!」という気質の方も確かにいます。
でも、私が先日書いた拙文「忖度」で書いたとおり、そういう方は決定権のある地位に就けないという悪循環。
もし、小堀博士が提案した時に、運輸省が「これは!」となっていれば我が国の自動車産業・安全性、そして何よりも交通事故死する方の数も減っていたことでしょう。
小堀博士の無念を思うと・・・
ただ、教え子であった方の言葉。
小堀先生は「やるべきことは全部やった」とおっしゃってました。というのを見て、少し救われた気持ちになりました。
きっと小堀博士夫妻は天国で自分の作ったエアバッグが世界中で当たり前になり、さらなる安全技術が出てきていることに喜んでいると思います。
偉大なる博士の発明はもう忘れ去られる事はないでしょう。
本日も乱文・長文、失礼いたしました。
いつも最後までお読み頂き、また沢山のイイね!ありがとうございます。
※厳密に言えば、小堀氏は「博士号」を取得していません。しかし、私は崇敬出来る方には「博士」を付けることにしております故、今回の拙文にも「博士」を付けさせていただきました。
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Posted at
2017/06/07 13:17:34
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