2017年07月13日
「改題」ドラマ「LEADERS1」を観て
今日は少し?涼しいですね。
扇風機生活4日目のバーンスタインです。
トヨタから「新型カムリ」が正式発売されましたね。
この新型カムリ、CMがいいですね。
歴代、トヨタのセダンからクーペまで懐かしいCM映像を流しつつ新しいカムリがその中から出てくるという演出。
トヨタのCMに込めた願いは「これらトヨタ歴代の名車達を流れを汲み、なおかつそれらを超えた存在」という事を言いたいのでしょうか。
一瞬ですが「二代目ソアラ」のCMや「セリカ・カムリ」のCMが流れるあたり、トヨタの「セダン復権」への本気度を感じます。
売れるといいですね。
さて、カムリのCMを観て今年放送されたドラマ「LEADERS」を1のディレクターズ・カット版と2を観ました。
リアルタイム放送でも観ましたが、ブルーレイに落としていたものを一気に。
こちらのドラマ、視聴した方も多いと思います。
トヨタがモデルのドラマですが、現在のトヨタ自動車を造った「豊田喜一郎」氏が主人公の話です。
何故かドラマなのに全ての人物は架空の人物として描かれています。
ドラマ内で重要なファクターを占める人物を実在の関係者と照らし合わせ、紹介します。
舞台は愛知県に本拠を置く織機メーカー「愛知自動織機」
↓「愛知自動織機(後のアイチ自動車)関係者」
愛知佐一郎(あいち さいちろう)=佐藤浩市さん
愛知自動織機常務。当時の日本で国産自動車製造等、夢のまた夢だった時代に「このままでは日本は欧米の自動車に席巻されてしまうと考え、自動車こそ日本の主力産業にしなければならない」という強い理念のもと、悪戦苦闘しながら自動車開発を進める男。
この「愛知佐一郎」こそ「豊田喜一郎」がモデルです。
愛知自動織機社長・石山又造(いしやま またぞう)=橋爪功さん
愛知自動織機社長。佐一郎が研究と称し、自動車製造へ多額の会社の金を投資することに危機感を抱き、自動車開発・製造に反対する。しかし、佐一郎の熱意に根負けし、自動車製造に理解を示すようになる。
この人物はトヨタ自工・自販時代に自工の社長であった「石田退三」氏と喜一郎の義兄であった「豊田利三郎」氏をミックスさせた人物でしょう。
「喜一郎」の影に隠れがちな「利三郎」とは一体どういう人物だったのか。
それは後ほど。
愛知正二(あいち しょうじ)=椎名桔平さん
主人公・佐一郎の従兄弟。東京帝国大学で自動車工学を学び、佐一郎の「国産自動車開発」の夢と熱意に惹かれ、自らもその道へ飛び込む。
この「愛知正二」のモデルは上で挙げた「石田退三」氏とならび「トヨタ中興の祖」とまで言われ、2013年に100歳の長寿を全うされた「豊田英二」氏がモデル。
大田耐介(おおた たいすけ)=緋田 康人さん
アイチ自動車工場長、エンジニア。佐一郎の自動車製造への熱意に惚れ込み、国産自動車製造において一番難しいとされた「純国産エンジン」造りに悪戦苦闘する。
この人物は「トヨタかんばん方式」「ジャスト・イン・タイム」と後に有名になるトヨタ製造方式の礎を造った「大野耐一」元副社長がモデルでしょう。
神田征太郎(かんだ せいたろう)=神保悟志さん
日本GM法人の腕利き販売員として「副支配人」にまで登りつめるが、自社の車の販売網を造りたかった佐一郎の国産自動車製造への熱意に惚れ込み、アイチ自動車へ転職。
全国ディーラー網造りに奔走する。
この人物はトヨタ自工・自販時代に「自販」の社長を努め「販売の神様」とまで言われた「神谷正太郎」氏がモデルですね。
愛知洋一郎(あいち よういちろう)=溝端淳平さん
佐一郎の息子。幼少の頃から自動車造りに没頭する父を見て、自らもエンジニアになる道を選ぶ。北海道でコンクリート技師として活躍。
モデルは「豊田章一郎」現トヨタ名誉会長ですね。
↓日本銀行関係者
財部登(たからべ のぼる)=中村芝翫さん
日銀総裁。佐一郎とは東京帝大の同級。佐一郎の「国産自動車」等は夢のまた夢であり、日本は繊維等の軽工業立国を目指すべきというスタンスを取る。日銀総裁としてGHQ指令と国民の板挟みとなり苦悩するが、中小企業向け援助廃止を断行。アイチ自動車が倒産の危機に瀕した際、人員整理と引き換えに日銀主導の銀行団協調融資を提案。
財部総裁のモデルは「一万田尚登」日銀総裁でしょう。
後に政治家に転身、大蔵大臣として活躍しました。
山梨良夫(やまなし よしお)=香川照之さん
日銀名古屋支店長。当初は財部総裁の秘書として「国産自動車不要」論者であったが、佐一郎の掛ける熱意に次第に共鳴し、名古屋支店長着任時に遭遇したアイチ自動車倒産危機を回避すべく、財部総裁への根回し、協調融資の音頭取り等に奔走。
こちらの人物のモデルはわからなかったので調べました。
どうやら「高梨杜夫」さんという方がモデルのようです。
この方のエピソードは後に。
↓その他の人々
児島正彦(こじま まさひこ)=吹越満さん
西国銀行名古屋支店長。アイチ自動車倒産危機の際、メインバンク三行の1つでありながら、融資に反対。協調融資に最後まで反対しアイチ自動車への融資の中止、債権を引き上げる。
私の好きな吹越さん(笑)
このドラマでは完全な「ヒール」です。
こちらもモデルとなった人物は分かりかねたので調べました。
小川秀彦さん、後にプリンス自動車社長にまで登りつめる方でした。
この方にも面白いエピソードがあるので、それは後ほど。
このドラマを観るといかに「国産自動車製造」が困難なものであったのかが理解できます。
当時、我が国を走っているのは欧米産の自動車ばかり。
「自動車」に対する技術的スキルは勿論、生産スキルもありません。
ドラマの中でも佐一郎が購入したシボレーを分解し、それを再度組み上げるという行動を何度も繰り返し「自動車」というもののメカニズムから理解する描写が描かれます。
そこで印象深い一言。
「常務、全部で部品が一万点もありますよ。これを全部国産で造るのですか?」
今の車で4万点位と言いますが、当時のなんのノウハウもない状況で一万点もの部品を製造して「一台」の車を造ることの難しさをこの一言が表していると思いました。
一番困難を極めたのはエンジンだったようです。
エンジンブロックを造るのに、型に鉄を流し込む「鋳造」で造ろうとしたわけですが、その「鋳物型」作成にかかる土と油の比率に相当悩まされた描写が出てきます。
どんなに比率を変えても断端部が潰れてしまっていたり、ウォータージャケット部が潰れていて使い物にならないものが何度やっても型から出てきてしまう・・・
大田工場長が失敗作を見ては涙を流す姿、印象的です。
またドライブシャフトも鉄の配合比率が難しかったらしく、何度も「アイチ」の車のシャフトが折れたり曲がったりして故障し、顧客から「人や荷物じゃなくて故障を積んで走っているじゃないか!」と罵声を浴びせられるシーンもあります。
現在でこそ車は「普通」に乗り、交換部品さえちゃんと交換していれば30万キロはノントラブルで足ることが出来るとスバルのエンジニアの方が仰っていましたが、ゼロからの出発だった当時、相当の苦労があった事が分かります。
現在、「自動車産業」は我が国を代表する産業ですが、このような先人達の苦労と努力があったからこそ、今の隆盛があるのだと実感させられました。
また「豊田喜一郎」の「社員は家族」という考えと、倒産の危機に瀕し銀行団から突きつけられた協調融資条件である「合理化・人員整理」の相克。
勿論、ドラマですから相当部分で美化されている描写もあるでしょう。
しかし喜一郎という人物は「自動車」にかける熱意と、それを実現させるために一緒に汗を流した社員達を謂わば「切る」という行為に悩みに悩んだに違いありません。
結局、佐一郎(喜一郎)は人員整理を断行します。
そして「仲間」達を「切る」ことのけじめとして自らも社長を退きます・・・
このくだりも現実のトヨタ倒産危機と労働争議事件と同じですね。
この数日後に朝鮮戦争が勃発、「対共産圏」最前の防波堤であった日本に軍需用物資の製造・発注が爆発的に入ることとなり「アイチ自動車」は倒産の危機を脱し、現在の「トヨタ自動車」への道を歩み始めます。
(ドラマでは積極的に描かれていませんが、トヨタの「自工販分離」も協調融資の条件とされ「トヨタ自動車工業」と「トヨタ自動車販売」の分社体制となり、1982年までこの状態が続きました。工販合併の日、当時の豊田章一郎社長は「トヨタの戦後はやっと終わった」と全社員に向けて述べたそうです)
後日譚として、息を吹き返し社長を退任していた喜一郎は社長への復帰を打診されます。
本人は1人で新技術の開発を好き放題にやっている日々を送っていたので渋ったようですが、結局受けました。
しかし、その社長復帰寸前で病に倒れ、57歳の若さでこの世を去りました。
トヨタの組合が組合活動全盛期においても「余り攻撃的ではなかった」事の理由に、この「喜一郎の社長退任と死」が関係しているという説があります。
その理由として、上で挙げた合理化・人員整理の際に喜一郎は社長を退いたわけですが、その際①喜一郎を社長から退かせてしまった②また、その決断をさせるため心労をかけてしまった③その心労が理由で57歳の若さで社長復帰を目前に亡くなってしまったetc・・・
このことが社員達の胸に謂わばトラウマのように刻まれ、トヨタの組合員達は攻撃的ではなくなったという説・・・
あくまでもこれは労働争議史の授業で聞いた話です。
ただ、「トヨタ自動車」を造った「喜一郎」の謂わば「悲劇的」な死に対する社員達のある種の気持ちを抱いたであろうことは分かります。
さて、話は変わって上で挙げた三人の人物の後日譚。
まずは香川照之さん演じる山梨良夫日銀名古屋支店長。
モデルとなった高梨杜夫支店長の奔走のおかげでトヨタは倒産の危機を脱することとなるわけですが、日銀理事まで上り詰めた高梨氏は退任後「JAF」の初代会長に就任されました。
「JAF」は社団法人ですから自動車メーカーの「力」が働くことは無いと思いますが(笑)
なんだかこの話を知ると「トヨタが恩に報いた」ような気がしますね(^^)
二人目は橋爪功さんが演じた「石山又造」のモデルの1人であろう「豊田利三郎」氏。
利三郎はかの「豊田佐吉」が開発した自動織機で中京地区屈指の財閥となっていた豊田家に「婿入り」した人物。
「利三郎」は「喜一郎」の妹の夫であるので、今の戸籍法から見れば「義弟」になるのですが、旧戸籍法では「妹の夫」であっても、その「夫」が年長者であれば「義兄」となり「戸主」と見たそうです。
利三郎も現在のトヨタの隆盛の礎を築いた人物でしょう。
ただ、評伝等を読むと喜一郎の「自動車製造」には当初猛反対したようです。
それはそうでしょう。
自分が「婿入り」した財閥を当時わけもわからない「自動車」なんて物に投資してその財閥を潰してしまったら佐吉に顔向け出来ないという気持ちだったでしょうから・・・
ただ喜一郎の熱意に絆されたのか、強硬に自動車製造に反対していた利三郎は熱心に自動車産業の重要さを説く喜一郎に「よし。先代は何回も会社を潰して今の織機を造った。今回織機を潰してもあの世で「よくやった」と褒められるだろう。お前と、いや自動車と心中だ!」と語って自動車の本格製造のゴーサインを出しました。
(たしかトヨタ博物館で買った伝記に書いてあったような・・・)
まぁ、伝記ですから美化されているかもしれませんが、利三郎の決断が無ければ「トヨタ自動車」はなかったのかもしれません。
利三郎の言葉でもう一つ、印象深いものが。
「三井、三菱でさえ手を出さない「自動車」なんてわけのわからんものに、なんで田舎財閥の俺達が手を出さなきゃいけないんだ!」
わかります(^^)
私が利三郎と同じ立ち位置だったら絶対に許しません(笑)
「先見の明があった」と言えば簡単ですが、ここが大企業を創造していった起業家達と私のような凡人の違いなのでしょうね(^^;)
(映画「ソーシャル・ネットワーク」でザッカーバーグの青春を見るにつけ、トヨタとの成り立ちは違えどこういう思いになります。)
なお、利三郎は喜一郎が旅経って半年後、後を追うように亡くなったそうです。
さて、最後の人物の後日譚。
倒産の危機に瀕した「アイチ自動車」への協調融資を渋り、結局融資をすることなくメインバンクでありながら債権回収に走った「西国銀行・児島名古屋支店長」
ドラマ内で一番のヒールです(笑)
吹越さんのイヤミったらしい台詞を聞いていると本当に「嫌な奴」です(笑)
吹越さんはこういう役から刑事役からコミカルな役まで多様な演技の出来る「バイプレーヤー」ですね(^^)
まぁ、この「児島支店長」もドラマなので、その「ヒール」っぷりを誇大に表してるところも相当あるかとは思います。
銀行家として「倒産の危機」に瀕した会社へ更なる融資等論外でしょうし、債権回収に走るのも当然の行為でしょう。
この「児島支店長」のモデルとなった人物は「小川秀彦」氏と言われています。
そして「西国銀行」のモデルは「大阪銀行」(現三井住友銀行、以下住銀と書きます)。
この協調融資を懇願するトヨタ首脳に対し、小川支店長が言い放ったとされる言葉。
「機屋(はたや)に貸せても鍛冶屋には貸せませんなぁ」
まぁ、ドラマでこのシーンを見ると私が喜一郎(佐一郎)だったらぶっ飛ばしてますね(笑)
嘘か誠かこの話、堅調な織機には貸せても(機屋)、わけの分からん物造り(鍛冶屋)には貸せないという事です。
本当に言ったんですかねぇ・・・
私がいくら「非情な銀行家」でもここまで言えません(笑)
結局、住銀は協調融資に加わることも無く、トヨタへの債権も引き上げました。
それでもトヨタが持ちこたえたのは上で書いたとおり住銀抜きの協調融資と合理化、朝鮮戦争という出来事があったからです。
この後、児島支店長こと小川さんは業績の低迷していた「プリンス自動車」へメインバンクの住友銀行から社長として出向します。
(プリンス自動車が住銀支配下に入ったとも言えるでしょう)
そして、当時の通産省や住銀の意向もあり当時「日本一」の自動車メーカーとなっていた「トヨタ」との合併を画策します。
謂わば、救済合併をトヨタに申し込んだわけですね。
小川プリンス自動車社長に面会したのは石田退三トヨタ自工会長だったようです。
その時合併を願い出た小川社長に石田会長が言い放った言葉。
「お宅は鍛冶屋とは一緒になれんでしょうからなぁ」
という説と
「お宅は鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうからなぁ」
あの倒産の危機に瀕していたときの事を忘れていなかったのですね(汗)
結局、プリンスはトヨタとの合併は出来ず、業界二位だった日産と合併したのは皆様、ご存知のところかと思います。
小川社長は大株主であった「石橋正二郎」氏(言うまでもなくブリヂストン創業者・社長)からトヨタとの合併話を不首尾に終わらせたことで不興を買い(また「機屋には~」の話を聞いた石橋氏が、自分も一から興したブリヂストンの苦労と喜一郎氏の無念を重ね合わせ小川氏に不興を抱いたという説も)、社長を解任されました。
また住銀の事をトヨタは許さず、取引は一切行わず(これまた噂では社員の給与振込口座さえもダメだったとか)、2001年に現在の「三井住友銀行」となるまで一切の取引をしなかったそうです。
(しかも合併→取引再開後も「トヨタ」との窓口は「三井出身者」で無ければダメだったとか・・・)
いやはや、この小川支店長を「先見の明が無かった」と言ってしまうのは簡単ですが、氏は「銀行家」としては至極当たり前の結論から融資を断ったのだと思います。
ただ、氏の見切りが甘かったのは「日銀主導の協調融資」という後ろ盾があった事を蔑ろにした(といっても日銀の保証は無いわけですが)ことと、当時「トヨタ」が倒産すれば中京地域の産業がどうなるかという事、即ち政府は中京の工業を守るため何かしらの策はとったであろうという事を考えなかったことではないでしょうか。
しかし、それは「歴史の傍観者」たる後世の人間である私が「結果論」を見て言っているだけなのでフェアではありません。
最早「世界の」という冠の付いた「大トヨタ」誕生には様々なドラマが交錯していたと思うと感慨深いものがあります。
喜一郎は「国産自動車を100万台造る」とドラマで言っていましたが、よもや「1000万台」をトヨタが造る時代が来るとは思いもしなかったでしょう。
あの世で喜一郎、利三郎、石田さん、神谷さん、そしてつい最近逝った英二さんでどのような会話をしているのでしょうね(^^)
最後にもう一つ。
当時、豊田自動織機は「東海精機」という会社からエンジンのピストンリングを納品させていました。
その「東海精機」の社長は学歴こそなかったものの、技術の取得に貪欲で裸一貫から会社を興し、「出来ないことは無いはずだ」をモットーに泣き言を言う社員には鉄拳を食らわせながらも一緒に油まみれになって研究開発に没頭する人でした。
この東海精機にトヨタがピストンリングを発注した際、中々トヨタを満足させる品質のものを造ることが出来ず、この社長は工業高校(旧制)の聴講生となり、金属工学を学びトヨタを満足させるピストンリング製造に成功、納品を開始しました。
「東海精機」は発展を遂げ、遂にはトヨタからの資本出資を受けるまでに成長。
この社長はトヨタからの出資を受けたため専務へと退きますが、会社の成長はとどまる所を知りません。
しかし好事、魔多し。
1945年、三河地震により東海精機の主力工場であった浜松工場は倒壊。
東海精機創業者であったこの専務は終戦の混乱もあり自立再建は断念、豊田自動織機にすべての事業を譲渡し「人間休養」と称し世捨て人のようになってしまいます。
しかしこの人物、やはりエンジニアの血が疼いたのでしょう。
同じ浜松に豊田自動織機に事業譲渡した資金を元手に会社を興しました。
その名は「本田技術研究所」
あの「ホンダ」の誕生です。
ここでいう「東海精機」を興した人物こそ「本田宗一郎」氏なのです。
「東海精機」の出資の話については「宗一郎が自ら乞うた」という説と「豊田自動織機がその技術を欲しいがために子会社化した」という説があります。
ま、どっちにしても「ホンダ」の設立に「トヨタ」との思わぬ関係があったのですね。
都市伝説めいた話ですが「マスキー法」が施行され、「どこのメーカーもクリア出来ない」とまで言われた同法をホンダが「CVCCエンジン」でクリアした時、豊田英二氏が宗一郎氏にそのパテントの使用許可を願い出た時、宗一郎氏は「豊田さんには恩があるから結構です。どんどん使って下さい」と言ったとか言わないとか・・・
(CVCCのパテントは無償公開されていたので、使うにしてもパテント料を払う必要はありません。しかし英二氏が宗一郎氏に仁義を切りに行ったのは事実のようです。またホンダ側技術者の言葉「トヨタが最初というのは、CVCCにとっても、Hondaにとってもプラスが大きかった。トヨタに技術供与をしたと新聞に出たら、すぐに国内や米国メーカーからも引き合いがありましたからね」(ホンダHPより転載))とあるようにまぁ「美談」では無いにしても「トヨタ」と「ホンダ」の因縁浅からずな関係は覗えます。
国内販売は勿論、トヨタとホンダはしのぎを削る関係となりました。
宗一郎氏もここまで自分の会社が大きくなるとは思わなかったかもしれませんね(^^)
宗一郎氏も亡くなったあたりにNHKでドラマ化された記憶があります。
(勿論NHKですからこれまた本名では無く「架空の人物」扱いでしたが笑)
LEADERSの続編に絡めてでもいいですし、宗一郎氏を主人公にしたドラマでもやってくれませんかねぇ。
今日も長いブログになってしましました。
皆様、最後までお読み頂きありがとうございました。
また、ドラマの内容と私の記憶の糸を手繰りながらの内容なので誤りがあるかもしれませんが、ご容赦の程を。
また、先日来の沢山の「イイね!」頂き、重ねて感謝いたします。
追記:こうして書いた記事を改めて読んでみて「パート1」の事しか書いていませんでした(汗)
「パート2」のことはいずれまた書きたいと思います。
ブログ一覧 |
徒然なるままに日常雑記 | 日記
Posted at
2017/07/13 16:21:27
タグ
今、あなたにおすすめ