最近、とみに暑い日が続きますね。
暑さの余り日記サボり気味のバーンスタインです。
今日も車ネタではありません(汗)
クラシックの古今東西の名曲たち、よく第○番「○○」のように題名が付いている曲、結構あります。
有名どころではベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」、交響曲第5番「運命」、第六番「田園」、第九番「合唱付き」、シューベルトの交響曲第八番「未完成」、チャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」etc・・・
しかし、この「曲名」、我が国だけで通用している曲名がかなりあることを皆様ご存じでしょうか?
例えばベートーヴェン交響曲第五番「運命」。
この交響曲に「運命」という名前を付けて読んでいるのは日本だけなんです。
例えば外国で「Beethoven、「Destiny」symfony」と言っても通用しないと思われます。
では何故、我が国でベートーヴェンの交響曲第五番が「運命」と呼ばれるようになったのか?
一説では第五交響曲の、あの有名な「ダダダダーン」は何を表しているのか?と聞いた弟子にベートーヴェンが「運命はかくの如く扉を叩く」と答え、そのことが「ベートーヴェンは第五交響曲で「運命」を表現したかったという事になってしまい「運命」という「通称」が我が国で一般化してのでは?と言われています。
恐らく「ダダダダーン」を聴いて「交響曲第5番」と言う方より「あ、運命ね」という方が多いのでは無いのでしょうか(^^)
「ダダダダーン」の旋律は恐らく交響曲、いやクラシックの旋律で最も有名な旋律でしょう。
コミック的使い方もされますし、悲劇的な場面などでも使われますしね。
この交響曲第5番には面白い逸話があります。
冒頭の「ダダダダーン」がモールス信号にすると「V」即ち「Victory」であるので、かのアルトゥーロ・トスカニーニがイタリアが連合国軍に敗れた時に第一楽章のみを演奏し「残りはドイツが降伏してから」と予告、ドイツが降伏すると全曲を通して演奏したエピソード。(トスカニーニはイタリア出身の大指揮者ですが、ファシズムと相容れず祖国イタリアやドイツの敗戦を願っていました。)
また冒頭の「ダダダダーン」では指揮者もかなり大きな動きとなりますが、指揮者の山田一雄さん(尾高尚忠さんという説も)が「運命」と「田園」、二曲を演奏する演奏会で曲順を間違え「ダダダダーン」のつもりで指揮したら「田園」のこれまた有名なあの美しい旋律が流れた話等など・・・
エピソードの話はちょっとマニアックな所かもしれませんが、「運命」という通称の話、もし何かの場面で「運命」交響曲が流れたら豆知識として開陳してみては如何でしょうか(笑)
「運命」ほどメジャーな曲では無いですがこの他の名曲でも「日本」でしか通じない通称が付いた曲があります。
例えばドヴォルザークの交響曲第八番「イギリス」。
ドヴォルザークと言えば交響曲第九番「新世界より」が最も有名だと思われますが、恐らくその次に有名な曲はこの「第八交響曲」だと思われます。
では何故「イギリス」という通称が付いたのか?
当時、ドヴォルザークはドイツの音楽出版社と契約していたのですが、その作曲料があまりに安かったため、イギリスの出版社からこの「交響曲第八番」を出版したことに由来するそうです。
そりゃ、大作曲家だって聖人君子ではありませんし、その道の「プロ」ですから自分の技量を高く買ってくれる所に行くのは当たり前ですね(^^;)
因みにこの交響曲第八番は全く「イギリス」らしくない曲調で、ドヴォルザークの祖国、チェコの牧歌的、土俗的な曲調になっています。
近年では「イギリス」と通称を付ける傾向は無くなってきました。
しかし改めて私のCD棚を見ると「交響曲第八番 イギリス」と記載されたものがあります(笑)
昔買ったCD達ですので通称付きなのでしょうね(^^;)
もう一曲。
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第五番「革命」
こちらも第五番(笑)
それも「運命」と「革命」ですから面倒ですね(^^)
さて、この「革命」ですが、何故その通称が付いたのか。
その作曲の経緯ですが、ショスタコーヴィチはスターリン統治下のソ連において若くして「大作曲家」と言われるほどの存在でした。
そのショスタコーヴィチが作曲したオペラに「ムツェンスク郡のマクベス夫人」というオペラがあります。
このオペラ、相当に端折った言い方をすれば、その内容が「ポルノ」なんです(笑)
オペラの内容を知ったスターリンは激怒し、かの「プラウダ」等で「寝室オペラ」や「ポルノフォニ-」等と叩かれます。
所謂「スターリン恐怖の粛清政治」の時代でしたからショスタコーヴィチも相当怯えたと思われます。
(ショスタコーヴィチ自身の友人や親類達も「粛清」の名の下に処刑されたり、収容所送りになった人が多々いたようですから、その恐怖は相当の物だったでしょう)
そこで「汚名挽回」に作曲した交響曲、それがこの「第五交響曲」となったわけです。
この交響曲は当時台頭しつつあった前衛音楽とは違い単純明解でわかりやすい曲調だったことと、苦悩から歓喜(ここで言う歓喜とは社会主義革命により全人民が抑圧から解放された事)へ至る過程をあらわしたとされた事、そして作曲された1937年がロシア革命から20周年に相応しい作品という評価を受けショスタコーヴィチは名誉を回復します。
以上のような作曲の経緯があったため「革命」という通称が付きました。
また下記の説もあります。
「正当な批判に対する、ある芸術家の創造的回答」が非公式な副題のようなものとして浸透し、この副題はソ連よりもむしろ西側諸国でより喧伝されたという。
(以上Wikipediaより)
ということで、作曲者ショスタコーヴィチの意図しなかった「革命」という通称が付いてしまったものと思われます。
以上のような経緯があったため、この曲は「粛清を逃れるためにスターリンにゴマをすったロシア革命礼賛交響曲」という評価が殆どでした。
ただ、これもまた近年の研究では疑問が呈されていて「表面的にはロシア革命を礼賛しているが、ショスタコーヴィチ自身はその裏側に革命の理念とはかけ離れたスターリン統治を皮肉ったのだ」という説が有力になってきました。
特に第四楽章は「圧制に苦しめられていた民衆が革命成功を歓喜している」ものとされていたのがショスタコーヴィチ自身が友人に語ったとされる「あれはムチで叩かれながら「喜べ!喜べ!」と強要された「歓喜」なのだよ」という言葉。
ただ、そのショスタコーヴィチ自身が語ったとされる言葉や書簡を集めた本(ヴォルコフ/ショスタコーヴィチ著「証言」)自体が偽書という説もあるので、最早彼の本心を知ることは出来ません。
話が少し脱線しますが、「運命」の冒頭部分「ダダダダーン」同様、この曲の第四楽章も指揮者によってその解釈が異なることがよく分かる曲となっています。
「運命」の「ダダダダーン」は指揮者によって「ダダダダーン」の人もいれば「ダッダッダダーン」、「ダダダダーーーーン」の人もいます。
(本当は最初の「ダ」の前に全休符記号があるので「ン・ダダダダーン」なんですが)
「革命」の第四楽章もその傾向が顕著で最初の「ダーン、ダンタンダンタン」部分を速く演奏する指揮者もいれば、ゆっくりと演奏する指揮者もいます。
また、終結部も速さも指揮者によって相当異なります。
これは「革命」交響曲への指揮者の解釈の違いでしょう。
(上手く説明出来ないのでYouTube等で聴いて頂ければよく分かるかと思います。お聴き頂けるとあ、この曲、聴いたことあるなぁと思われる方が殆どかと)
以上のように作曲家が意図しなかった「通称」がついた曲というのもあります(笑)
まぁ、それらしい「副題」がついている方が覚えやすいですし、レコードの売上が期待できるというレコード会社の思惑もあったのでしょうね。
以上の三曲はその「通称」が「その曲の本質」を逸脱している例ですが、他にも「作曲者が意図しなかった通称」が付いた名曲は結構あります(笑)
ただ、それらは何かしら曲のフレーズやエピソード等「本質から逸脱しない」程度の「通称」が付いた曲達です。
例えばシューベルトの「未完成」交響曲は、その通称の通り「未完成」です(笑)
クラシック音楽というと「小難しい」「眠くなる」「敷居が高い」とお考えの方もいらっしゃると思います。
ですが、このように楽しい?エピソードの宝庫でもありますので、ご一聴いただく端緒になれば幸いです(^^)v
本日も車とは全く関係の無い内容のブログとなってしまいました(^^;)
最後までお読み頂き感謝いたします。
追記:
7月29日(土)20時から、前に拙ブログ
「忘れ去られた「国際的日本人ミュージシャン」で書いた指揮者「近衛秀麿」氏のユダヤ人救出の話をあの「のだめカンタービレ」で指揮者を演じた「玉木宏」さんをストーリーテラーに迎えBSプレミアムで放送するようです(^^)
↓番組HP
「玉木宏 音楽サスペンス紀行 マエストロ・ヒデマロ 亡命オーケストラの謎」
前回のドキュメンタリー的内容から今回は玉木さんを迎えエンターテイメント要素も増えて楽しめる内容かと思います。
NHKの回し者ではありませんが(笑)是非、ご覧になってみてください。