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2017年08月06日

祖国と引き裂かれた指揮者「ラファエル・クーベリック」の「我が祖国」

今日は昨日と打って変わって暑いです・・・
出かけようかという気も失せ、本日はCDとラジオを聴きつつ読書の日です。

今日は車ネタではありません。

読書しながらCDを聴いていたのですが「聴くと涙が出てしまう」演奏を聴いてしまったので・・・

ベドルジハ・スメタナ作曲 連作交響詩「我が祖国」
ラファエル・クーベリック指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (1990年 プラハの春 オープニングライブ)

スメタナの「我が祖国」というと二曲目「モルダウ(ブルタヴァ)」が有名です。
「ぼへーみあーのかーわーよーもーるだーうよー」のアレです(笑)
(今は歌詞が「なつーしきかーわよーもーるだうよー」に変わっているのかな?)

この曲は中学の合唱コンクールの課題曲でした。
(恐らく同じ経験をされた方も多いのでは)

因みに私は指揮者でして(汗)
その頃からクラシックばかり聴いていたので普通なら二拍子を振るだけなのですが、「カラヤンやバーンスタイン」に心酔しまくっていた生意気ざかりな中学生(笑)は、まるでその真似をするかのような指揮をして1人、悦に浸っていました(笑)
お陰で「指揮者賞」なるものを貰いました(^^;)

そのときのビデオが残っていてちょっと前に見返したのですがコレが酷い(笑)
目を閉じ、かき回すような指揮姿、完全にカラヤンに「成りきって」ます。
同級会の時に同級生がその事を思い出して「あの時、歌う側は笑いを堪えるので大変だった」と皆、口を揃えていました(大笑)

これが功を奏したのか(笑)卒業式での「大地讃頌」も指揮者を任されました。
こっちもビデオがあったので見返したのですが「モルダウ」より酷い(笑)
歌う側300人は「卒業」ですから涙で顔がグシャグシャ、そして指揮者の私も涙でグシャグシャ(笑)
そんな涙と鼻水グシャグシャで今度はバーンスタインばりに飛び跳ね、山田一雄先生なみにキューを出しまくってます(汗)
あぁ、消したい黒歴史(^^;)
でも同級生、みんなにこのビデオ配布されたんだったなぁ・・・等と思い出しながら。

いつもこのビデオの存在が同級生と会うとネタにされるのは「過去の過ち」として仕方無いですね(笑)

話が脱線しました(笑)

ラファエル・クーベリックについて紹介します。


クーベリックは世界的ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックの息子としてチェコに生まれました。
言葉を憶えるより楽譜を読むことの方が先に出来たという逸話が残っているほどその才能を父親から受け継いだようです。

わずか28歳でチェコ・フィル音楽監督に就任、栄光の時代が始まるかと思いきや。
1948年、チェコスロバキア政変(所謂二月事件)が起き、共産党政権が樹立されます。
クーベリックは「共産政権」が「人民の平等」の名を借りた「独裁政権」であることを喝破し、イギリスへ亡命、活動を西側へ移します。

その後、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任しますが、当時「シカゴ・トリビューン」誌の「ある意味」名物であった女流評論家「クラウディア・キャシディ」の激しい攻撃(演奏自体というより個人的攻撃までされたようです。キャシディに賞賛された指揮者のなんているか?という具合だったようですね)を受けシカゴ響を退任。

クーベリックは人格者ぶり、温厚さは有名で滅多な事では怒りを露わにする人物ではなかったそうですが、シカゴ響時代のことを聞かれると「あの女!!!」と罵ったとのこと・・・

その後、クーベリックはドイツのバイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任。
バイエルン放送馨を「ドイツを代表するオーケストラ」へと、その存在を押し上げます。

1986年、持病の悪化もあり指揮活動から引退、悠々自適の生活を送るはずでしたが・・・

1989年、当時のチェコスロバキアでも「民主化革命」(所謂ビロード革命)が起き、共産党政権は崩壊。クーベリックの祖国、チェコスロバキアはハーヴェルを大統領とする民主国家となります。

チェコスロバキアでは毎年「プラハの春」と呼ばれる音楽祭が開催されています。
ハーヴェル大統領は1948年に祖国を離れて以降、チェコスロバキアの土を踏んでいない「世界的指揮者・ラファエル・クーベリック」に是非、祖国で指揮して欲しいとの希望を伝えます。

クーベリックは祖国の民主化をとても喜んだようですが、指揮活動から身を引いて既に4年経ち、最初はハーヴェルの希望に難色を示したといいます。
また「自分は1948年に祖国を「捨てた」と言われても仕方ない。そんな人間をチェコスロバキアの人達は果たして迎え入れてくれるのだろうか?」との葛藤もあったようです。

しかし祖国、チェコスロバキアの民主化の翌年、1990年の「プラハの春」音楽祭にラファエル・クーベリックは帰って来ました。
42年ぶりに踏む、祖国の土。
この演奏会に望むまでのクーベリックの模様がドキュメンタリーとして残されています。

何処へ行っても歓呼の声で迎えられるクーベリックが向かったのは父、ヤン・クーベリックのお墓でした。
クーベリックは祖国を離れた1948年以来、父の墓参も出来なかったのは共産圏から西側へ亡命した者の運命として当然だったでしょうが、過酷です。

そこで父、ヤンのお墓に向かってラファエルが語りかけるシーン・・・
これは何度見ても年甲斐も無く泣けるのですが・・・

「お父さん、お久しぶりですね。ラファエルです。すっかりご無沙汰してしまって・・・申し訳ありません。こちらは我が妻、そして息子に娘。そして私の孫です。お父さんから見ると孫とひ孫ですよ。こうして何十年も会いにも来ないで・・・親不孝をお許しください」

ダメだ、書いていてまた目頭が熱くなってきた・・・

そしてラファエル・クーベリックは42年前、自らが音楽監督を努めたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台に立ちます。
曲目は「プラハの春」音楽祭、オープニングを飾る曲となっているスメタナ「我が祖国」

上で挙げた経緯があるクーベリックが「我が祖国」を指揮するだけでもう・・・

クーベリックは「我が祖国」を亡命後、4度録音しています。
シカゴ響、ウィーン・フィル、ボストン交響楽団、バイエルン放送交響楽団。
その録音全てを私は持っていて、どれも「鉄のカーテンの向こう側」にある「我が祖国」を想った名演です。

しかしこのチェコ・フィルとの42年ぶりの再会演奏はこの4度の録音には無い「感動」が詰まっています。
メカニカルな部分で見るとチェコ・フィルとのこの演奏・録音はオケの技術もバイエルンから見れば劣る部分もありますしライブ故のキズもあります。
しかし、それを補っても余りある「感動」がそこにはあります。
(勿論、バイエルンを始めとした4度の録音、全てが「名盤」と誉れ高いものです。特にバイエルンとの録音はベルリン・フィルにも匹敵するであろうオーケストラの技術とクーベリックの解釈が素晴らしく融合した超・名演であると思っています。)

YouTubeにこのライブの模様がありました。


「我が祖国」全曲は結構長いのですが、最後の曲「ブラニーク」ではオーケストラ団員も感極まっているように見えますし、それを感情を抑えながらも指揮するクーベリック、終わった後の聴衆の歓呼の声・・・

クーベリックは1996年に波乱と栄光に満ちた、そして何十年踏むことが出来なかった「祖国」の土を踏むことが叶った生涯を閉じました。
そのお墓は長年、墓参が許されなかった父、ヤン・クーベリックの隣にあります。
長年会うことが出来なかった親子、きっと今は四方山話で賑わっていることでしょう(^^)

クーベリック親子のお墓は「ヴィシェフラット墓地」の「スラヴィーン」という地域にあるそうです。
そこはチェコ民族の発展に貢献した方だけが眠る墓地だそうで、アメリカで言えばアーリントンのようなものでしょうか。
そこにはクーベリック親子の他にスメタナ・ドヴォルザーク・画家、ガラス工芸家のミュシャのお墓もあるそうです。

「西側」と「東側」に別れたことによって引き裂かれた人々は多くいます。
「ラファエル・クーベリック」もその1人。
しかし42年と時を経て彼は祖国の指揮台に戻ってきました。
その時、彼の胸の去来したのはどういった想いだったのでしょう・・・・・

「東西冷戦」という言葉が最早、過去の出来事となっている現在。
東側の民主化革命の嵐が吹き荒れたあの頃、私はまだ子供でしたが、今になって思うのは「東西冷戦とは何だったのか?」と。

イデオロギーの違いで片付けるのは簡単ですが、それで多くに人々が引き裂かれ、また民主化を志した人々が同じ国内の体制によって殺されていった事実。
無情としかいいようがありません。

またもや話が脱線しますが、「イデオロギーの違いで闘うことの無情」を明朗に喝破した人間がいます。

その人は第19代内閣総理大臣、原敬。

曰く「(前略)戊辰戦役は、政見の異同のみ。当時勝てば官軍負くれば賊との俗謡あり。その真相を語るものなり。(後略)」

原は当時、戊辰の役で「賊軍」とされた「盛岡藩」(現岩手県中部~青森県八戸地方)家老職の家出身でした。

戊辰の役以降、奥羽列藩同盟に加わった地方の人々は「白河以北一山百文」(白河から北の人間は一山いても100文程度の価値しか無いという説、白河以北の山の価値は100文しか無いという説等あり)と蔑まれ、原自身も相当苦労しながらも「内閣総理大臣」、それも「平民宰相」として国のトップに立ったわけですが、その原自身の言葉「政見(政治への意見、見解)の違いのみで争い(戊辰の役)は起きた。しかし勝てば官軍の言葉が全てを物語っている。(勝てば官軍~)=即ちはこのような事で争うとは非常に無駄な事である」と。

これは戊辰の役で「賊軍」「朝敵」「逆賊」として死んでいった東北諸藩(奥羽列藩同盟)の武士達慰霊の牌建立の際の言葉です。
「西側」と「東側」から見るとスケールの違いこそあれ、当時小さな日本でも「イデオロギーの違い」により多くの人間が亡くなり、辛い別れが多くあったことでしょう。
それを原は平明かつ明朗にこの言葉で喝破したと思います。

「勝者が歴史を創る」と言いますが仮に「戊辰の役」で新政府軍が敗れていれば、そちらが「逆賊」となったでしょうし、東側(共産体制)が隆盛を誇り、西側で革命が起きていれば「資本主義・民主主義」の敗北という歴史になっていたことでしょう。

(因みに原は「平民宰相」と呼ばれますが、盛岡藩の「家老職」の家出身なので歴代首相の中では「東久邇宮稔彦」「近衛文麿」に次ぐエスタブリッシュメント出身と言ってもいいでしょう。維新の志士達は殆どが下級武士でした。また原の雅号「一山」は「白河以北~」から取ったもので彼の反骨精神をよく表しています)

まぁ、この「イデオロギー」の犠牲になった人々が「勝者の側」は靖国に立柱され、賊軍、即ち「敗者」は成されないのも「勝てば~」で原が皮肉っているとおりですね。
(A級合祀やら何やらの問題は置いておいて)

話が相当脱線してしまいました(笑)

ラファエル・クーベリックには名盤が多く残されています。
バイエルンとの録音は「ハズレ」が無く、彼の誠実な人柄が伝わってくる名演ばかりですし(特にモーツァルトやシューマンの交響曲集は皆さんに自信を持ってお勧めできます)、若き日のシカゴ響との録音は音が悪いのが難点ですが「新天地アメリカ」での溌剌とした演奏、9つのオーケストラを振り分けたベートヴェンの交響曲全集は各オケの特色を見事に引き出した名演揃い。

ラファエル・クーベリックは「恐怖型トスカニーニ・ライナー・セル」「カリスマ型カラヤン・バーンスタイン」とは違った「人柄」でオーケストラを魅了してしまう人だったのかもしれません。
と言いつつ、彼のマーラー交響曲全集はバーンスタインのような内生する「どす暗さ」や「死生観」を抉り出したこれまた名演なのですが・・・

クーベリックのCDはどなたにもお勧めできる名盤揃いですので
「これから聴いてみたいけど誰が指揮したのを買ったらいいか分からない」
という場合には「カラヤン」と並んでお勧めいたしますので頭の片隅にでも憶えておいて頂ければ・・・
(ただし所謂「歴史的録音」なんてのは音が悪いのが常ですのでそのあたりは要注意ですよ笑)

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
また、先日より沢山の「イイね!」を頂き感謝致します。

ブログ一覧 | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
Posted at 2017/08/06 17:05:32

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この記事へのコメント

2017年8月6日 19:33
こんばんは、非常に読み応えのあるブログでした。クーベリックの演奏は私も好きですね。特にバイエルン放送響とのマーラー全集は一級品だと思います。やや地味かもしれませんが、テンシュテットやバーンスタイン、あるいはクレンペラーのマーラーと並ぶものだと思います。
コメントへの返答
2017年8月6日 19:57
Coptic_Lightさん、こんばんわ(^^)
コメント頂きありがとうございます。

クーベリックは同世代のカラヤンやバーンスタインから見ると「地味」な印象を受けますが、彼の誠実な演奏はおっしゃる通り、一級品が殆どです。
彼のマーラーは正直言って購入して聴くまで「端正」な演奏なのだろうと思って買ったのですが、「暗く」「激しく」「時にから騒ぎ」というマーラーの交響曲の内生を抉った演奏に惚れ惚れしました。

クラウス・テンシュテットも名匠でしたね。
彼のガンからの生還後のマーラーの5番や9番は大変感銘を受けましたし、ロンドン・フィルとの名盤の数々、復刻をどんどんとして欲しいところです。

クレンペラーは面白い逸話が多いマエストロですが、彼のマーラーはさすがは直弟子の1人であると思わされる演奏です。(同じマーラーの弟子でもワルターとは解釈が全く違っているのも興味深いですね)
また、マーラーのみならずベートーヴェンでも素晴らしい演奏を、それもステレオで残してくれた事に感謝しています。

最近の俊英達には疎くて、ベルリン・フィルの監督がペトレンコになると聞いて「誰?」という有様で(笑)

昔の名盤にそれほど聞き惚れていることなのでしょうが、最近の指揮者達も少し勉強しなければと思いました(笑)
2017年8月6日 21:10
こんばんは♪職場でコッソリ拝見し
思わず吹き出しそうになりました。
学校の合唱コンクールで瞳を閉じ
モルダウ&大地讃頌で指揮者賞?
28年前、愛知は三河の片田舎にも
そんな少年が居たんですよ~(>_<)
でも彼は学がナイばかりに挫折を繰り返し
現在、尾張の片隅で車売りとして
禄を食みつつ、毎週月曜は昼から飲酒し・・

スミマセン。ブログの後半は
帰宅後、ゆっくり拝見させて頂き〼♫

コメントへの返答
2017年8月6日 21:34
キドニーパイさん、こんばんわ(^^)
コメント頂きありがとうございます。

「ははなーるだいちーのふーとーぉこーろーにー」も懐かしいです(^^)
三河にもバーンスタインがいたのですね(笑)

私は他の同級生指揮者がタクト無しでやっている中、楽器屋に行って生意気にもタクトを購入、それを使ってコンクールに望むという大馬鹿者でした(汗)
しかも楽器が何も出来ないくせに齋藤秀雄先生の「指揮法教程」なんて本まで買って(笑)
そのタクトを練習中に太ももに突き刺すという大失態も演じました(大笑)

卒業式は未だにネタにされます。
歌った側曰く「卒業で泣いているのにお前の指揮のお陰で泣き笑いになった」と(笑)
でも親御さんたちからは大好評だったようで、友人の親御さん達に今でも「あの時は感動したわ~」なんて言われると滝汗です(笑)

私も自衛官を目指して蹉跌を踏み、厚労省でも蹉跌を踏み、挙げ句の果てに病気ですからね・・・

不労所得で禄を食み、しかも家庭も持てず(涙)

その点、キドニーパイさんはバイエルンの名車を売り、立派にご家庭を引っ張っていらっしゃるのですから私から見ると全然立派ですし、羨ましい限りです(^^)v

折った指揮棒ですか?
物置のどこかにありますよ(笑)

懐かしい、恋愛や友人との二度と戻ってこない思い出とともに・・・
2017年8月7日 9:30
「モルダウ」私も思い出があります。
学生オケでチェロを弾きはじめて2年目の演奏会。
「わが祖国」からモルダウとブラニークを弾きました。
モルダウはやさしいメロディーに似合わず、アマチュアオケにはなかなか難しい曲です。
ppでさざ波のような細かい音型で始まり、同じ音型が他の楽器を加えて大きな流れになって行く。そこにあの「ぼへーみあーのかーわーよーもーるだーうよー」のメロディーが乗るのですが、音楽初心者には8分の6拍子は難しく、細かい音型に指が回らない人も多く、出だしから合わなくて苦労しました。
ブラニークも同様に難所が多い曲ですが、どちらも良く考えられたオーケストレーションで弾きこんで行くと、どんどん楽しくなったのを覚えています。
レニーの指揮で弾いてみたかった(笑)
当時、クーベリックはLP廉価版が多くて貧乏学生にはありがたい指揮者でした。確かブラームスの交響曲集を持っていたはずです。
音楽家が紛争や政治に翻弄されるのは、宮廷音楽家として王様のお抱えだった頃からですね。今はベネズエラの音楽家たちの事が気がかりです。
コメントへの返答
2017年8月7日 14:15
山爺さん、こんにちは(^^)
コメント頂きありがとうございます。

オーケストラで弾いたことのある山爺さんからのコメント、非常に興味深く拝見しました。

フェレンツ・フリッチャイの「モルダウ」のリハーサルの映像を観たことがあるのですが、出だしのフルートのppから弦を加えた合奏になっていく所、あそこを何度も彼も繰り返しやっていました。
フリッチャイは「最初のppは水が湧き出し生命が生まれる所なんだ。弦のピチカートはその水の周りの水滴のように」と話ていましたし、最後の盛り上がりの部分は「川が単なる大河、そして急流になっただけでは無い。もう少しで海というところで「モルダウ川」が「さようなら」と言っているんだ。そのように演奏して欲しい」とも。
確かフリッチャイが不治の病で余命幾ばくもない時の映像だったと思います。
(いかん、これも思い出したら目頭が熱くなってきた・・・)

ブラニークは民族の勝利を高らかに謳った交響詩ですね。
モルダウの影に隠れがちですが、あの連作の中では「ヴィシェフラート」「シャールカ」と並んで好きな曲です(^^)

実際にオケで弾かれた方のお話を聞くと勉強になります。
そしてやっぱり何か楽器をやるべきだったと今更ながら後悔しています。
そうすればもっと山爺さんのように深く聴くことが出来たであろうに・・・

私の「迷・指揮者」ぶりではオケがストを起こすことでしょう(笑)
昨日ブログを書いて久しぶりにDVDに落とした件の卒業式を観ましたが、本当に酷いです(汗)
レニーやカラヤンというより「非常に劣化した山田一雄先生のモノマネ」という感じでした(^^;)

クーベリックの演奏は「ハズレ」がありませんよね。
本当に彼の誠実な人柄が伝わってくるかのような演奏で、確か最初に買ったモーツァルトの交響曲CD(確か39、40、41のカップリング)はCBSのクーベリックの物でした。

音楽が政治に利用されるのはおっしゃる通り、宮廷音楽家の時代の名残でしょう。
ナチスの時代、東側共産圏、ヴァン・クライバーン等それらの動きに翻弄された方々、相当いますよね。
昔、近所のICBMばかり撃っている国の先代が「小澤さんに指揮して欲しい」なんて言ってましたね。
当然、彼は歯牙にもかけなかったですが、あれはプロパガンダというより先代の趣味だったのかしら(笑)
先代はクラシックにも相当造詣が深かったとか。
今でも映像を見ると祝賀会のような時は軍服を来て演奏するオケが見えますね。

ベネズエラは「エル・システマ」によってドゥダメルのような俊英を送り出した国なので、彼らがそういう具に使われないことを祈るばかりです。
彼の国の「シモン・ボリバル交響楽団」を堤俊作さんの指揮でショスタコの5番を聴きましたが溌剌としたいい演奏でした。

長々と返信してしまい申し訳ありません(汗)

プロフィール

「DIY考~長年のブランクが通用するか~ http://cvw.jp/b/2783642/41040549/
何シテル?   01/30 03:26
バーンスタインです。よろしくお願いします。 HNは20世紀を代表する指揮者で大作曲家でもあるレナード・バーンスタインから取りました。 当然、車と同じ位、...
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