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2017年06月04日 イイね!

忘れ去られた「国際的日本人ミュージシャン」

今日は一日、音楽三昧の日でした。

NHK-FMが一時から見るとクラシック番組が減ってしまったのが残念ですが、FMとCDと一日、聴いておりました。

さて、我が国は世界に誇るミュージシャンといえば皆さんは誰を思い描きますか?

「世界のオザワ」こと小澤征爾、「坂本教授」こと坂本龍一、「ジャズの女王」穐吉敏子、「音響の魔術師」富田勲、「ノヴェンバー・ステップス」武満徹等が「日本人の世界的音楽家」と言えるでしょうか。
(ポップやロックの世界はよく分かりません・・・申し訳ありません)

しかし、もう一人、戦前に世界を股にかけた活躍をしながら、戦後、ほぼ忘れ去られた存在になってしまった一人の音楽家の話です。

その人の名は「近衛秀麿」(このえ ひでまろ)。
オーケストラ指揮者、作曲家です。

近衛という名字でピンときた方もいらっしゃるかもしれませんが、五摂家筆頭の近衛家の御曹司であり、兄は戦前~から戦中に我が国の首相を努めた近衛文麿という華麗なる(というより華麗すぎる)一族の方です。

近衛の功績は現在のNHK交響楽団(日本を代表するオーケストラ)の前身「新交響楽団」を設立し、我が国に「オーケストラ」の先鞭を付けたこと。
因みにこの「新交響楽団」にはあの「黒柳徹子」さんのお父さん「黒柳守綱」さんが重要なポスト「コンサートマスター」として在籍していました。
(コンマスは非常に端折った言い方をすれば団のまとめ役。また指揮者の意図を汲んでオーケストラを統率する役割です。)

しかし、この方、戦前の活躍を見ると凄いのです。

今でも世界最高のオーケストラとして語られる「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」での演奏会を日本人では2番目に行い(日本人最初は作曲で有名な山田耕作)、その後ヨーロッパで八面六臂の大活躍。

その後渡米しアメリカではストコフスキー(古い洋画好きの方ならディズニーの「ファンタジア」、D・ダービン主演の「オーケストラの少女」に出演していた白髪の指揮者と言えばわかりやすいでしょうか。当時のアメリカでは大統領、チャールズ・チャップリン、レオポルド・ストコフスキーが「逢いたくても逢えない男性」TOP3だったそうです)に認められ全米のオーケストラに「近衛を指揮させるように」とお触れが出たり、かのトスカニーニ(言うまでも無く20世紀最高の指揮者の一人)の為にNBC放送が金の力で全世界から有能な奏者を集めた「NBC交響楽団」の副指揮者に指名されたり・・・
最早、音楽家の頂点に近い所まで戦前で到達しちゃってます(笑)

しかし、この輝かしいキャリアは太平洋戦争の機運が高まってしまいアメリカでの活動は全てキャンセル。
仕方無く活動の場を再びヨーロッパに移し、かのベルリン・フィルとの録音や数々のヨーロッパの著名なオーケストラを指揮するなど、その活躍はとどまる所を知りませんでした。

当時、我が国はドイツ(言うまでも無くナチス統治下の第三帝国)と同盟関係であり、しかもその同盟国の首相の弟ということがあったことを割り引いて考えても、このような八面六臂ぶりは戦後の小澤征爾の登場まで待たなければなりません。

ヨーロッパでは「グラーフ・コノエ」(近衛伯爵)として社交界でも華々しく活躍、どこへ行っても大人気だったようです。

ただ、この近衛、同盟国の首相の弟だからナチスの政策に協力していたのではないかと思われる方もいるかもしれません。

しかし、彼は迫害されるユダヤ人の保護地下活動に協力していたのです。
これは2年位前でしたかBS-1で「戦火のマエストロ」として放送されました。
ナチス統治下でのユダヤ人保護と言えば「シンドラーのリスト」で有名になったオスカー・シンドラーや在カウナス領事だった杉原千畝が有名ですが、近衛も「ナチスの人種差別的政策には全く賛同できない」と手紙に残しているとおり、音楽家・同盟国の首相の弟、そして貴族という仮面をかぶりながらユダヤ人の保護に奔走していたのです。
結局、その活動もナチスに露見することとなり警察に勾留されたり(しかしVIPな事が分かって直ぐに釈放)、ドイツ国内での移動を秀麿の活動を快く思わない駐ドイツ大使だった大島浩に禁じられます。

ちょっと話が脱線しますが、当時の我が国はナチス・ドイツと同盟国でした。
ということはユダヤ人に対して厳しい態度を取っていたのではないかと思われる方も多いかもしれません。
しかし実際はそうでも無かったようです。
当時のドイツからユダヤ人が亡命する際、通過地として選んだ国に日本を選んだ方々がかなりあり、ドイツから一旦日本に渡り、その後他国へ亡命する人や、そのまま日本に滞在した人も相当いたようです。
一応「敵性外国人」とはなっていたようですが強制収容所に入れられることも無く、自由の制限こそあれ、ドイツに留まるよりはるかに安全だったそうです。

また「河豚計画」なる当時、日本が統治していた満州にユダヤ人自治区を建設し、そこにユダヤ人を居留させる計画を当時の日本政府が真剣に検討していたことも分かっています。
歴史にifは禁物と言いますが、この河豚計画が実行・実現していたら現在のパレスチナ問題は違ったかたちになっていたのかもしれません。
(勿論、我が国の敗戦により満州国自体が雲散霧消したのですから、パレスチナの地を彼らはどのみち目指したとは思いますが)

話を元に戻します。
やがてドイツの敗戦に第三帝国崩壊。
近衛は自ら進駐してきたアメリカ軍に出頭、勾留・取り調べを受けることになります。
近衛はそこで自らが行った活動を積極的には供述しなかったようです。
貴族のプライドなのか、それともまだ日本は負けていないという意識があったのか・・・

この取り調べにエピソードの中に私が好きな話があります。
取調官に「子供は何人いるか?」と聞かれた近衛。
返事が無く「何故、答えない?」と聞くと。

「待て。今、何人いるか数えているところだ」

と答えたという話(笑)
取調官は絶句したそうです・・・

前述の輝かしい出自、栄光の日々を考えればモテるのも当然ですね(笑)
貴族の娘やら当時人気絶頂だった女優やら、京都一の美貌と言われた芸姑さんやら・・・
「英雄、色を好む」とはまさに。
判明しているだけで7人のお子さんがいたそうです。
まぁ、その他にもいたのでしょうね(^^;)

間もなく日本も無条件降伏し、敗戦を迎え近衛も帰国します。

帰国直後、首相を退いていた兄の近衛文麿と再会した秀麿はこう言われたそうです。

「お前は音楽をやっていてよかったなぁ・・・」と。

文麿自身も学者になりたいと思っていたようですが、近衛家の長男が自分の好きな道に行く事など出来るわけも無く、政治家になったからでしょう。
ですから文麿は自分のできなかった夢を好きな「音楽」の道に進んだ弟にその希望を託すと同時に援助を惜しまなかったのでしょう。

そういう会話をしながら兄弟で久方ぶりの酒を酌み交わした夜、兄・文麿は自決しました。

この後、秀麿は戦後間もないころこそ我が国の音楽文化復興に尽力するのですが、自分が設立に携わったNHK交響楽団にも殆ど招かれず、自分の資産をはたいてオーケストラを作るも資金を持ち逃げされたり、詐欺にあったりと戦前の栄光に満ちた日々とは真逆の日々を強いられることになります。
また、かつて自分が活躍したヨーロッパやアメリカからも戦後の混乱期故か、客演の声もかかることもありませんでした。
そのうち、新進気鋭の音楽家達が綺羅星の如く登場し始め、秀麿の存在は忘れ去られて行きました。

1973年、秀麿はその栄光に満ちながらも晩年は不遇だった人生に幕を閉じました。

最後に近衛の逸話をもう一つ。
小澤征爾が「世界のオザワ」となり世界中を飛び回っていた頃、外国のどこに行っても「お前はここに来た日本人では二人目だ。最初にここに来たのはグラーフ・コノエだった」と言われたそうです。

海外旅行等、夢のまた夢だった戦前。
海外を飛び回り「近衛伯爵」として「世界的ミュージシャン」の嚆矢となり、プレイボーイだった秀麿。

彼がいたからこそ、ジャンルを問わず、現在の日本のミュージシャンの世界での活躍は有るのかもしれません。
晩年は不遇だった彼ですが、きっとあちらの世界で今の日本人ミュージシャン達の活躍を見てニンマリしていることでしょう。

それと・・・
きっと、綺麗な子、かわいい子にもチェックを入れていると思います(笑)

自分の好きなミュージシャンの、その人となりを知ると更に音楽がいい意味で違って聴こえるかもしれません。

相も変わらず、本日も長文・乱文、脱線失礼いたしました。
最後までお読み頂き感謝いたします。
Posted at 2017/06/04 20:59:49 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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