2017年06月09日
今日は車ネタですありません(笑)
つい先日、プロレスのテレビ放送を十数年ぶりで見ました。
いやー今のプロレスは本当に凄いですね。
テクニックやらなんやら・・・
その放送を見ていて子供の頃にプロレス好きだった頃を思い出しました。
時は昭和の末期(笑)
猪木・馬場の両巨頭が君臨し、長州力や天龍、ジャンボ鶴田や藤浪辰巳が大活躍している時代でした。
私の周りも猪木派と馬場派がいて「どっちが強い」でよく喧嘩してましたね(笑)
そんななか、私はなぜか「スタン・ハンセン」が大好きでした。
ウエスタン・ラリアットがバコーンと決まって、相手がマットに沈むシーン、未だに憶えています。
ある日、私の地元に全日本プロレスが巡業でやってくることになり、猪木派も馬場派も皆で見に行こうという話になりました。
当時の全日本プロレスには長州力率いる維新軍が新日本プロレスから離脱して、全日本プロレスに参戦して、それは凄い人気でした。
そして試合当日。
サインを貰おうということになり、各々が目当ての選手が乗ってくるバスを待っていました。
最初にやってきた「ALL JAPAN PRO Wrestling」とデカデカと書いたバスから馬場さん、鶴田さん、天龍さんらが降りてきました。
私の友達はこぞって駆け寄り、サインを求めると皆さん、面倒な顔もせずしてくれていました。
その後、維新軍のバスがやってきて長州さんや谷津さん、アニマル浜口さんらが降りてきました。
今度は長州派の友達達が駆け寄っていってサインをもらいました。
私の目当ては「ハンセン」だったので外人組はいつ来るのだろう?と思って待っていると。
やってきました、三台目のバス。
これに外人組が乗っているのだろうと確信した私はハンセンが降りてくるのを待ってました。
ところが。
バスのドアが開いても誰も降りてこないのです。
「ありゃ、これも違うのかな?」と思った矢先。
奇声が聞こえ、バスから「タイガー・ジェット・シン」と「ハンセン」が降りてきたんです(笑)
シンはトレードマークのサーベルを振り回し、ハンセンはロープを振り回しながらお客さんを威嚇しまくっています(怖)
「こっ、これはムリだ」と思いました・・・
そして他の外人を引き連れそのまま会場の体育館に入っていってしまいました。
ハンセンのサインを貰えずに私は意気消沈。
友人達は目当ての日本人人気選手のサインを貰って喜んでいる中、内心「いいな~」と・・・
やがて開場時間となり、会場の中に入りました。
まだ試合開始までは時間がありました。
私はハンセンにサインを貰うことが叶わず、しょうがないので誰か他の選手のサインを貰おうかと考えました。
会場を廊下をウロウロしていたら「ロッキー羽田」選手がいました。
あまりメジャーな選手ではありませんでしたが、今にして思えば甘いマスクの背のとても高い方で次世代を担う選手の一人だったと記憶してます。
そのロッキー羽田選手に「サインください」と話かけると。
「俺の?俺なんてまだまだ人気も無いし、本当は誰のサインが欲しいんだい?」と聞いてきました。
見透かされていた(笑)
全日本組と維新軍、外人組は対立のアングルでしたのでダメ元で「ハンセンのが欲しいんです」と言ってみました。
「ハンセンか~・・・ちょっと待ってな。」と言いつつグッズ売り場で葉巻を燻らす馬場さんの元に連れて行ってくれました。
すると馬場さんに何か小声で話しているんですね。
すると「OK。ハンセンの所に行こう」となりました。
「は?マジで?」という思いとさっきの怖いシンとハンセンを思い出し、サインなんて言った瞬間に羽田選手もろともぶっ飛ばされるんじゃないかという恐怖にも駆られました。
「外人控室」と書かれたドアを羽田選手がノックし英語で誰かと何かを喋っていたのを記憶してます。
すると・・・
ハンセンが出てきた(驚)
羽田選手がまたもや英語でハンセンに何かいうと「怖いはずの」ハンセンが笑顔で「OK!OK!」言いながら私の手元から色紙をひったくりサインしてくれたのです。
恐らく私は恐怖で震えていたと思います(笑)
しかもそのハンセン、英語で何かを言うと私の色紙とペンを持ったまま控え室に戻ってしまったんです。
何が起きたのか分かるわけもなく羽田さんに「やっぱりハンセン、怒っているんでしょうか?」と聞いたらニヤっと笑って何も言いません。
一分位経ってハンセンが戻ってきました。
そして私に色紙とペンを返してくれました。
色紙を見るとさっきハンセンが書いたサインの他にも二人、サインが増えていました。
羽田さんがそれを見て「こっちはシン、こっちはスヌーカだね」と教えてくれました。
なんとハンセン、他の悪役(笑)外人組のサインも貰ってくれたんですね。
もう感謝感激です(^^)
小学生の私がやっと言える英語「Thank you very much」というと私の頭をゴシゴシとしごき、大笑いしながら何か英語で喋ってました。
そしてまた控え室の中に戻ったかと思うとすぐに戻ってきたのです。
こんどはなんと・・・
あの「狂虎」ことタイガー・ジェット・シン」を連れて・・・・・
しかもシンはトレードマークのサーベル、ハンセンはテンガロンハットとブルロープを持ってます。
これは流石に今度こそヤバいと思いました。
が。
ハンセンが羽田選手に話しています。
「写真を撮ろうって」
願ってもないお言葉ですが、私は怖くて怖くて・・・
そこに丁度「週刊ゴング」か「週刊プロレス」の記者さんがいて、その方が写真を撮ってくれました。
私は怖いのですが写真まで一緒に撮ってくれたシンとハンセンに再度「Thank you very much」と挨拶するとあのおっかない二人が英語で何を言っているのか当時の私では当然理解できませんでしたが「ワハハハ~」と笑いながら手を振って控え室に帰って行きました。
羽田選手にもお礼を言うと「今の事はあんまり色んな人には言わないでね。普段はいい人達なんだよ」と言ってました。
週刊誌の記者さんから写真が出来たら送るよということで家の住所を教え、試合を待つため席に戻りました。
試合が始まっても私は殆ど、夢心地でどんな試合だったか憶えていません(笑)
ただ、いざ試合となったら、あの優しかったハンセンとシンが観客を威嚇しながら入場してきた事だけは鮮明に憶えています(笑)
あんなにいい人達だったのに・・・
このブログを書くにあたって当時の方々は今どうしているのか少し調べました。
言うまでも無くジャイアント馬場さんは1999年にあまりにも若すぎる生涯を閉じました。
ハンセンとシンに引き合わせてくれた「ロッキー羽田」こと羽田光男選手。
惜しいことに馬場さんよりも早く、1991年に43歳の若さでお亡くなりになっていました・・・
この方がいなければ、あの夢心地を経験することもありませんでした・・・
合掌。
スタン・ハンセン。
アメリカで今もお元気のようです(^^)
引退後もプロレス団体の重要な役職を担うなど、その人柄は後輩たちからも慕われているとのことでした。
また日本人を奥様に迎え、大変な親日家だということです。
あの「ブレーキの壊れたダンプカー」と評された凶暴ぶりとは裏腹にやはりジェントルマンのようです。
「狂虎 タイガー・ジェット・シン」
現在もカナダ・トロントでお元気のようです。
様々な事業を興し、大成功を収め、実業家として今は優雅な生活を送られているとのこと。
また、あの「狂虎」のイメージは完全に「創られた」ものであり素顔は紳士、北米インド人社会では尊敬される人物であるとも。
あの時、羽田選手がおっしゃった「あまりこのことは~」はこの二人のギミックを崩してはならないという配慮だったのでしょうね。
極東の地でプロレスに心ときめかせていた少年にその表の顔とは違う本当の顔を少し見せてくれた二人。
また、その一少年の願いを聞いてくれた馬場さんと羽田さん。
私はあの4人こそ、本当の「スペシャリスト」であり「プロ」だったのだとこの歳になって実感させられました。
プロレスは全く見なくなってしまいましたが、この思い出は一生忘れることは無いでしょう。
この時頂いたサインと後日送られてきた写真は実家にこれまた少年時代の英雄であった「高橋名人」から頂いたサインとともに飾ってあります。
今のテクニック、大技全盛のプロレスは勿論凄いのですが私は色々なアングル、ギミックに満ちた「昭和プロレス」がやはり最高だったなとしみじみ思いました・・・
いつものことながら今日も長文・乱文となってしまいました。
いつも最後までお読み頂き、また沢山のイイね!本当にありがとうございます。
Posted at 2017/06/09 20:24:37 | |
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