2017年06月22日
昨日の雨から一転、今日は天気が良いです。
雨の日は偏頭痛に悩まされるので今日は晴れやかな気分で読書できます。
晴れやかな日はやっぱり胸をすくような本を読みたいと思い二冊の本を読んでおります。
どちらも戦前、我が国を代表する「快男児」と言ってもいい人物の評伝。
その二人とは「薩摩治郎八」と「貴志康一」。
どちらの名前もあまりメジャーな名前ではありませんが、戦前に様々な意味で「快男児」ぶりを発揮した日本人の話です。
前に拙ブログ「忘れ去られた日本人ミュージシャン」で書いた「近衛秀麿」も「快男児」でしたが、上に挙げた二人も負けておりません。
まずは「薩摩治郎八」
東京の大富豪の息子として生まれ、イギリス~フランスへ留学。彼の地で30年過ごす。
その間国際大学都市構想のあったパリに私財を投じて「日本館」を創立、モーリス・ラヴェルやアンリ・マティス、藤原義江、藤田嗣治のパトロンとしてフランス芸術の隆盛に尽力した人物。
まぁ、この経歴だけ見ると「大金持ちの芸術振興に尽力した人物」なのですが、彼の凄いのは。
この30年間で現在の邦貨価値で600億円(一説には800億円)もの仕送りを受けそれを全て使い切ってしまったこと(笑)
毎月現在換算で3000万円の仕送りを受け、それでも足らずに仕送りを受けまくっていたそうです。
では何に一体そんなに使ったのか。
彼は全て「一流」にこだわり、衣服から車、家全てが万事、そういう生活だったようです(^^;)
例えばカンヌで自動車のコンコルソ(コンクールの事です)があると聞けばクライスラーのボディを純銀で塗装、さらに淡い紫色に染めた特注車(笑)を購入、運転手にも金で出来た薩摩家の家紋入りの制服を着せ、「マリー・アントワネットの馬車以来」と言われるほどの豪華さを誇り、このコンコルソではスウェーデン王室の車と大賞を争い、大賞を受賞したとか、一度の食事会に一億円費やしたとか・・・
この逸話でけで溜息がでます(笑)
勿論、食べるもの、住む所、着るもの何から何まで「一流」で無ければ済まない性格。
女性も「一流」が好みだったようで(笑)会津藩の殿様の娘(これまたとんでもない美人で、あの「ヴォーグ」誌の表紙を飾ったほど)を奥様に迎えたりもしています。
現代の「エスタブリッシュメント」と言われる人達でもここまで放蕩の限りを尽くした人はいないのでは・・・
現代のアラブの石油王達ですら真っ青になるようなエピソードが沢山あります。
ただ、彼の評価されるべきところはこの「放蕩」の中に「パトロン」としての側面が相当あったことです。
ラヴェル・マティスは言うに及ばず我が国(というよりフランス)を代表する画家となった藤田嗣治やオペラ歌手として名声を得た藤原義江を見出した彼の眼力は素晴らしいものであったと言わざるを得ません。
当時のパリには日本人貴族達が多く留学しており、やはり相当の仕送りを得ていたようですが、彼らは「どうせあぶく銭なんだからいつかは破産するだろう。それならフランスの名画を今のうちに買っておこう」とか「将来性のある芸術家を育てよう」という気概があったようです。
いやはや、時代が違うとは言え昔の大富豪達はやることなすことのスケールが違いすぎて笑ってしまいます(^^)
そんな彼のあだ名は「東洋のロックフェラー」「バロン・サツマ」はたまた「東洋の貴公子」
彼は爵位を持たない人ではありましたが、その破天荒な金遣いやら芸術への惜しみない援助から尊敬の念を込めて社交界では「バロン」と言われていたようです。
それと彼の容姿。
これがまた「貴公子然」としていてカッコいいんです(笑)
女性には相当モテたようで「彼は贅沢、芸術への探求は勿論、エロスへの探求をやめることは無かった」とまで言われています(笑)
生前の薩摩を知る人曰く「これまでの歴史を見て、恐らく日本人男子、いや世界中の男子の中でも「女性体験」の数は薩摩に勝るものはいないのではないか」とまで言わしめています(笑)
男としてこれほどの事を言われるのはある意味「名誉」ですね(^^;)
と言うか素直に羨ましい(大笑)
薩摩の一生、ドラマ化してくれないかしら(笑)
薩摩は放蕩しまくった挙句、一文無し同然になって戦後、帰国します。
そしてその華麗なる半生を小説として書いたというのですから、マルチな才能もあったのでしょう。
(というか、そんな生活していたら私でも書けそう笑)
まさに「破天荒」を地で行く「快男児」。
薩摩関連の図書は結構出版されていますのでご興味の湧いた方、ご一読頂ければ。
さて、もう一人の「快男児・貴志康一」
貴志も大阪の大富豪の御曹司として生まれた人です。
幼少の頃に音楽家を志し渡独、ヴァイオリニストを目指しベルリン高等音楽院で勉学に励みます。
若干20歳の若さで名器として今でも語られる「ストラディバリウス」を購入、日本へ凱旋。
今でも「ストラディバリウス」は億単位の値がつくヴァイオリンですが、若干二十歳の若者にこれをポンと買い与えた親御さんも凄いですね(笑)
しかしヴァイオリニストとして限界を感じた彼は「指揮者・作曲家」への転身を決意、再び渡欧し今度は作曲・指揮の勉強を重ねます。
当時は今のようにヨーロッパに行くということは簡単な事では無かったでしょうし、戦後の1950年代後半、あの小澤征爾が渡欧する際にも「もう二度と日本には帰ってこられないかもしれない。その気持で出発前の晩、兄貴と水杯を交わした」という位でしたから、そのような時代に通算三度も渡欧したというのは白眉としか言いようがありません。
さて、その貴志。
音楽家として稀有な才能を持っていただけでなく人間的魅力にも優れた人だったようで、人嫌いで知られた、かの大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに可愛がられ、パウル・ヒンデミットからも作曲を教えてもらったりと、こちらも「大富豪の御曹司」らしくない気さくな人柄だったようです。
あの近衛秀麿でさえ貴志の仲介があってフルトヴェングラーに面会できたそうですから、当時「未知の国・日本」からやって来た若い芸術家を大巨匠達が可愛がった事からも彼は相当人間を引きつける魅力ある人物だったのでしょう。
また、現在でも世界有数のオーケストラである「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」を私費で雇い自作の曲を録音したり、日本を紹介する短編映画をこれまた自費で撮影して放映したりと「大富豪の御曹司」で無ければ出来ないことを事も無げにこなし、「日本」の紹介にも尽力しました。
帰国後、貴志はこれまた「ドイツ帰りの若き巨匠」として我が国の楽団で大活躍。
日本人指揮者なんて数えるくらいしかおらず、またオーケストラも拙い技術だった時代に彼はベートヴェンの「第九交響曲」を暗譜(楽譜を見ないで指揮すること)で指揮し、これまたセンセーショナルな成功を収め一躍「時の人」となりました。
しかし「好時、魔多し」
彼は間もなく病を得、1937年、わずか28歳でこの世を去ってしまいました。
まさに「天才薄命」「短くも強く燃え」「太く短く」を地で行く一生でした。
もし、彼が長命を得ていたとしたらこの後の我が国の楽団、ひいては音楽界は違った姿になっていたのかもしれません。
1つ、貴志の曲のエピソード。
湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞したときのこと。
受賞記念晩餐会で湯川夫妻は会場に流れる音楽にふと日本的なものを感じたそうです。
「この曲は何か?」と尋ねると。
「コーイチ・キシ。タケトリモノガタリ」との返答が。
晩餐会では受賞者の国の音楽を演奏するという習わしがあるそうですが、ノーベル財団の誰かが貴志の生前のヨーロッパにおける活躍を記憶していてこの選曲となったのでしょう。
貴志の生前の写真を見るとこちらも「いい男」です(笑)
こりゃ相当モテたと思われますが、貴志は薩摩とは真逆で、あまり女性には興味を持たずひたすら「芸術の求道」に生きたようです。
(でも相当モテたようではあります笑)
我が国楽団の大長老であり、「大阪フィル」の監督を半世紀以上努め、93歳まで現役指揮者として活躍した朝比奈隆曰く「彼は指揮台の上に立つとパッと上着を脱いだ。するとブルーの我々が見たことも無いような洒落たシャツを来ていた。しかも指揮台の前には譜面台が無い。暗譜でやるということなんです。しかもドイツ帰り、フルトヴェングラーから教えを請うたと言うのですから我々はグウの音も出ませんでした」と語っています。
芸術家としての一面の他にショーマンシップにも溢れていたのでしょう。
貴志も長い間、その存在が埋もれたものとなっていましたが、最近になって再評価が進み様々な彼に関する評伝が出版されていますので、是非貴志の本もご一読頂けると幸いです。
今の時代、このような「快男児」は登場する事は最早無いでしょう。
しかし先日書いた近衛、そして今日紹介した薩摩、貴志。
「日本」が欧米で「未開の地」に近い扱いだった時代に、彼の地の人々を驚嘆させるような生活ぶりや才能を見せつけた事になんだか爽快感を憶えました(^^)
この三人の誰かに生まれ変われるなら・・・
「薩摩治郎八」に生まれ変わりたいです(笑)
何故かは・・・聞かないでください(汗)
こうして見るといくつでも「ドラマ」の題材になりそうな日本人、沢山いるのですけどね。
誰か脚本家さん、この三人の誰かを題材に書いてくれないかしら(笑)
本日もダラダラと雑記を書きなぐってしまいました。
いつものことながら乱文・長文、申し訳ありません。
また沢山の「イイね!」やコメントを頂き、本当に感謝いたします。
また面白い本や人物、音楽の事など気の向くままに書いていければと思っております。
Posted at 2017/06/22 16:28:57 | |
トラックバック(0) |
徒然なるままに日常雑記 | 日記