今日は世間様では仕事納めの日ですね。
役所では「御用納め」と言いますが・・・
現在の私のように不労所得で食っている人間としてはなんの感慨も無いのですが(笑)役人時代は12月28日になると「あーやっと休める」って感じで一年が終わるのだなという気がしていたものですが、世捨て人のような暮らしをしていると相も変わらず読書とCDを聴いて一日が終わるという毎日の繰り返しです(^^;)
さて、体調が戻りみんカラでブログを再開してから音楽ネタばかりでクルマネタが無いのです(汗)
Rはディーラーに冬季入庫してしまいましたし、かといってSAIも特段書くことが無いですし(笑)
私の住んでいる地方も積雪に見舞われ道路は圧雪&凍結ですがSAIはアンダーパワー故か何事も無く走ってくれています。
ちょいと旧世代HV特有のブレーキ・フィールが気になりだしましたが(笑)
ただ、7年前のクルマ故かUSBポートが無いのでHDDにCDを録音するかMP3をCDに落としたものしか聴けません・・・
その代わり「MDスロット」という最早、過去の遺物が装備されているところに時代を感じるというか笑ってしまうというか(^^;)
あぁ、
お袋から電話があってハスラー君のバッテリーがあがったそうです(笑)
恐らく、私のもとから持っていってろくに運転してあげてないからでしょう・・・
それに最近の寒冷がトドメをさしたものと(笑)
テレビを見ていたら大谷翔平君の大リーグ移籍の話をしていました。
彼が来年、どのような成績を残すことが出来るのか。
非常に楽しみです(^^)
大谷選手は勝手なイメージですが「努力型」の選手イメージです。
古くは「努力型」の王さんと「天才肌」の長嶋さん。
はたまた天才肌のイチロー選手と努力型の福留選手。
なんてことを考えていました。
では指揮者をそんな感じに勝手に分類したら?なんて考えてみたのです。
今日はカルロス・クライバーのブラームス交響曲第四番を聴きながらブログを書いています。
カルロス・クライバーはまさに「天才型」のマエストロだったのではないでしょうか。
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カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
G・ビゼー作曲 歌劇「カルメン」より序曲 前奏曲
流れるような指揮姿、オケマンを魅了する人柄と演奏解釈、聴衆を熱狂させたその音楽。
彼を同業者たるマエストロ達が評した言葉にも、それが分かります。
カール・ベーム曰く「カルロスは天才だよ。彼こそ音楽の紡ぎ手だ」
ヘルベルト・フォン・カラヤン曰く「彼こそ正真正銘の天才だよ」
レナード・バーンスタイン曰く「彼の指揮したプッチーニのラ・ボエームこそ私の音楽体験の中で最も美しい体験だった」
悪口や罵詈雑言渦巻く(笑)音楽家の世界でこのような賞賛を受けた指揮者は他にはいないのでは?と思います。
今は便利な世の中になって私も「結局は幻」となったクライバーの指揮ぶりがネットで視聴することが出来るようになり、その姿を観ると本当に惚れ惚れします。
快刀乱麻といいますか、ミューズの神が舞い降りたかのような指揮というか・・・
彼の父親、エーリッヒ・クライバーも大巨匠として崇め奉られる指揮者でカルロスはその父の幻影に怯えていたとも言われますが、その才能は受け継がれたのでしょう。
それにポストにも演奏会にもがっつく事無く「気が向いたら指揮する」「指揮してほしかったらなんか美味しい話持って来い」←
このあたりはアウディ社とのやりとりが面白いです(笑) なんて茶目っ気のあるところも「天才型」かなぁと。
そんなカルロス・クライバーの指揮姿をもう一個。
VIDEO
カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
L・V・ベートーヴェン 交響曲第七番より第四楽章
なんというか・・・彼は「本当に音楽を愛し、それを楽しみ、そしてそれが聴衆すらも熱狂させた」稀有な存在だったという事なのでしょう。
カロルス並に「天才型」と思われるマエストロ。
やはり「レナード・バーンスタイン」ではないでしょうか。
名門、ハーバード大で学び、その後これまた名門カーティス音楽院に学び、ディミトリ・ミトロプーロスやフリッツ・ライナーにその才能を買われ、ブルーノ・ワルターの代役として指揮したニューヨーク・フィルの演奏会が大成功、一夜にしてスターに。
作曲にもその才をいかんなく発揮し「ウエストサイド・ストーリー」「キャンディード」等、20世紀に残る名曲まで残し、また母校ハーバードで講義すら持っていた・・・
まさに「天才」の言葉通りの活躍です。
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レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
D・ショスタコーヴィチ 交響曲第五番より第四楽章(1979年東京文化会館Live)
彼の指揮ぶりはカルロス・クライバーのような「流麗な」指揮ではありませんが「音楽にのめり込み」「エクスタシーを感じさせる」指揮ぶりです。
バーンスタインはそのプライベートなどを考えると「エキセントリックな天才」だったような気がします。
マーラーの演奏等に見られるような曲の内生を抉り出すような所を見ても・・・
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レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル
G・マーラー 交響曲第一番「巨人」第四楽章より後半
彼の創り出す音楽、特にその凄絶なところはバイ・セクシャルであったことの悩みから来る狂気性とも関連していたとハンフリー・バートンの本だったかで読んだ記憶がありますが、その事も勿論影響はあったにせよ、彼もオケマン達から愛され、自身も音楽を愛し、聴衆を魅了した「天才型」であったと思います。
もう一人「天才型」と思われるマエストロ。
その人は「山本直純」
指揮者としては勿論、作曲家としても(それもクラシックから映画音楽まで)、また音楽の啓蒙者としても、そしてお茶の間の人気者としてもその才を発揮した我が国のマエストロ。
映画「寅さん」のテーマなんてこれからもずっと生き続ける音楽と言える存在ではないでしょうか。
齋藤秀雄からも「山本は天才」と言わしめたことからも彼の豊か過ぎる才能は若い頃から開花していたことが分かります。
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山本直純作曲&出演
森永エールチョコレートCM
直純さんが作曲から出演まで果たしたCM。
河合克彦氏著「山本直純と小澤征爾」によると大人数の合唱が合わず苦労していたところ直純さんが「俺が指揮する!」となり実際やってみたらピタッとそろったとか・・・
どうせなら気球にのって指揮してくださいなんて無茶振りにも付き合って「大きい事はいいことだ」が生まれたなんて逸話も書いてありました。
直純さんもバーンスタインのような「エキセントリック型天才」だったと思います。
彼はお茶の間に音楽の裾野を広げようと活躍したためボードビリアン的見方をされますが、「あの」小澤征爾が「僕はいつも彼(直純さん)の陰にいた。なぜなら彼の方がずっと上にいたからです」とまで言わしめたのですから、その才能は言わずもがな。
まぁプライベートで世間を賑わせてしまった結果、その傾向が強まってしまった感もありますが・・・
他にも「天才型」と言えば「恐ろしい毒舌家」と言われたセルジュ・チェリビダッケが「恐ろしく無知だが」という前置き付きで(笑)「天才」と言わしめたリッカルド・ムーティ等もその代表格なのかもしれません。
では一方の「努力型」マエストロは誰が考えられるのでしょうか。
まずは「ヘルベルト・フォン・カラヤン」だと思います。
ウィーン・工科大学を経てモーツァルテウム音楽院を卒業し、その後小劇場等の監督を経て第四代ベルリン・フィル音楽監督に就任、楽団の帝王へ・・・
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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
L・V・ベートーヴェン 交響曲第5番
「楽団の帝王」となるまでのカラヤンの道程は順調とは言えなかったと言えます。
ウルムやアーヒェンの小劇場の監督からキャリアを開始し、ポストを得るためにナチスへの入党(これは疑惑ですが)や「奇跡のカラヤン」としてゲッベルスとゲーリングの政争の具に利用されたり等。
彼の音楽は上辺だけで信念が無いという批判がありますが、私は彼の流麗で分厚い濃密かつ精緻な音創りは「努力の賜物」であると考えています。
結果、その努力があったからこそ結果がついて来たとも言えますし努力を惜しまない若い音楽家たちへの援助を惜しまなかった姿も彼の人間性の裏返しでしょう。
(何故、若い音楽達をそんなにまで援助するのか?という質問に「私は若い頃、仕事を求めて夜汽車を、それも三等客車を乗り継ぐ日々を送り、そこで勉強をした。才能ある若者や努力を惜しまない若者に私と同じ苦労はさせたくないし、十分に勉強する時間を与えたい」と言ったと。カラヤンの伝記によれば彼が「帝王」になってから列車を使わず自家用ジェットやスーパーカーを愛したのもその事を思い出したくなかったからだとか)
カラヤンは音楽は勿論のこと、様々な分野でも晩年まで探求を止めずCDやレーザーディスク等、当時の最先端技術にも大変興味を持ち「如何に音楽を家庭に、それもいい音・美しい画像で届けるか」まで求道し続けました。
このことからも彼は「努力」を惜しまず、どんな事にも一生懸命取り組んだマエストロではないでしょうか。
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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
G・ロッシーニ作曲 歌劇「ウィリアム・テル」より序曲
徹底した音楽美と映像美の融合した世界。
この世界を実現できた存在はカラヤンしか思い浮かびません。
もう一人の「努力型」。
それは小澤征爾。
世界のオザワと言われる存在であるのは最早誰も異存の無い所ですが、彼も努力型の人なのだと思いました。
「天才型・山本直純」とほぼ同じ時期に齋藤秀雄に弟子入りしたわけですが、師の斎藤曰
く「山本は天才だが(中略)小澤は天才なのか才能が無いのかわからない。しかし大きな可能性を持っている」と言われた存在。
その後、日本を徒手空拳とも言える状態で飛び出しブザンソン指揮者コンクールで優勝。バーンスタインに認められニューヨーク・フィル副指揮者に。
そして日本に凱旋するも有名な「N響事件」(N響が小澤さんをボイコットした事件)という奇禍に見舞われ、またもや日本を飛び出し・・・トロント響、サンフランシスコ響の監督と順調に階段を登っている最中に今度は日本での手兵だった日本フィルの分裂騒動・・・
それを乗り越えボストン響の監督となり、ついにはウィーン国立歌劇場音楽総監督へ・・・
まさに「波乱万丈」です。
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小澤征爾指揮 ベルリン・フィル
P・チャイコフスキー作曲 序曲「1812年」
小澤さんの場合は日本で教育を受け、徒手空拳とも言える状態でフランスに渡り結果、ブザンソンコンクールで優勝したところから実質的キャリアがスタートしたと言えると思うのですが渡仏の際に「もう生きて日本には帰国できないかもしれない」とまで思ったそうです。
そりゃ、そうですよね・・・
明らかな伝手があるわけでも無く日の丸を描いた富士重工のラビット・スクーターを相棒に欧州に「修行」に行くわけですから。
あるのは恩師齋藤秀雄先生に教えられた音楽の知識のみ。
彼は著書「ボクの音楽武者修行」で書いています。
「自分とほぼ同じキャリアの岩城(宏之)さんや外山(雄三)さん達が華々しくN響を指揮しているところを見てジェラシーを感じずにはいられなかった」と。
しかし彼はそれでも努力を怠らず勉強に勉強を重ねた結果、シャルル・ミュンシュ、レナード・バーンスタイン、そしてヘルベルト・フォン・カラヤンという終生の師に認められ寵児の階段を登って行くわけですから・・・
(この「ジェラシー」の時、お父様である小澤開作さんに「嫉妬は人間の中でもっとも悪い感情だ。嫉妬で命を落とした奴もいる。兎に角努力しろ。そうすれば自ずと道は開ける。」との言葉で目が覚めたとも仰っています)
勿論、小澤さんにも師・カラヤンと同じく「政治力でのし上がった」という批判も有ることは承知しています。
しかし「政治力」を身につけるのも「努力」があってこそ。
そして「努力無き者」を庇護する大家もいないと思われるわけで。
小澤さんも大変失礼な言い方ですが「人生の黄昏」を迎えている年齢ですが、師と同じく若い才能への援助を惜しまない姿勢はかつての自分と重ね合わせているからなのでは無いかと思います。
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小澤征爾指揮 NHK交響楽団
ベートーヴェン 交響楽団第五番
N響事件という「ある意味」世界へ雄飛する結果となった因縁のN響との共演。
彼の胸に去来するものは・・・
でも、こうして書いていて。
歴史に名を刻むマエストロ達は「才能」があり、「不断の努力」をしたからこそ名を刻む存在になったのだということに気付かされました(笑)
「天才型」と書いたクライバー、バーンスタイン、直純さんは「天才」だったでしょうが「努力」を怠ることは無かったでしょう。
「努力型」と書いたカラヤン、小澤さんだって「才能」が無いわけでは当然無く、それがあって「努力」をし続けたからこその存在でしょう。
言い換えれば「ミューズの神に愛された者が血の滲むような努力をした結果」なのだと思います。
音楽は勿論、プロスポーツも将棋も囲碁も・・・・・
有名な逸話。
ある人が「How can I go to Carnegie Hall?(カーネギーホールに行くにはどうしたらよいですか?)」と通りがかりの老人に道を聞いた。
すると老人は「Practice、Practice、Practice」(練習、練習、練習だよ)と答えた。
この老人はトスカニーニだった。というジョークがありますが、まさにその通りですね。
あぁ、なんだか惰性で生活している自分が(汗)
「日々是精進」「日々是努力」
これ、来年のモットーかな(笑)
今日もとりとめのない内容となってしまいました(^^;)
本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。