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バーンスタインのブログ一覧

2017年06月28日 イイね!

カーマニアなマエストロ達

今日は昨日より暑いですね。
我が家の軒下のツバメとスズメ達の賑やかな声に起こされ、今日も音楽と読書の日です。

相も変わらず自分の車のネタで書くような事が無く(汗)、皆さんのブログや愛車紹介、パーツレビューを拝見し楽しんでおります。

昨日は久々にカー雑誌を購入し「アイサイト」の進化に驚き、セカンドカー選びはカムリや新型WRX S4が出るまで待とう・・・と思ったのですが、新型リーフ等も登場を控えているとのこと。
これは悩みますね(笑)
悩んでいるうちに買う時期を逸する、私の恋愛パターンと同じです(笑)

さて、今日は「カーマニア」「車好き」として有名だったマエストロ達の話を書きたいと思います。

現代の売れっ子歌手や俳優ら、謂わば「セレブ」(「ハイソサエティ」ではありません)は綺羅星のような高級車や陸上の王のようなスーパースポーツを持っているのはテレビ等で見ます。

でもクラシックの世界にもいる(いた)んです。

まずはその代表格。
「ヘルベルト・フォン・カラヤン」

昨日のブログでも書きましたがCDの収録時間を決めるほどの発言力、自ら操縦桿を握り自家用ジェットで世界中を飛び回り、自らの写真・映像にまでアングルを決めさせ認めたもの以外は発表させない、そのダンディズムに溢れた風貌とタクトさばき。

彼をあらわす言葉「楽団の帝王」「音楽のセールスマン」「錬金術師」「新技術の開拓者」「ナルシスト」etc。
またレナード・バーンスタインはカラヤンとは「犬猿の仲」と言われていましたが、実際はそうでもなかったようでジョークめかして「俺の友達の中で初めてのナチだ」と言っていたそうです。

毀誉褒貶はあれど彼が20世紀を代表する音楽家であったことは言うまでもありません。

彼に関するジョーク。
ある日、カラヤンがタクシーに乗った。
運転手は「どちらへ?」と聞いた。
するとカラヤン「何処へでも。世界中が私を待っている」(笑)

そんなカラヤンですが生粋のカーマニアとしても有名でした。

ポルシェ911ターボRSや959、メルセデス300SL(石原裕次郎さんが乗っていたガルウィングのあれですね)、フェラーリの数々、ランチア・ストレイタス、フォードGT40等羨ましい限りの愛車を持っていたようです。

そんな彼はスピード狂でもあったようで相当いつも飛ばして運転してようで、同乗したことがある盛田昭夫さんだか大賀典雄さんだったか失念しましたが「彼は兎に角運転となると飛ばしまくる。そして「どうだい、まったく怖くないだろう」と。しかし私は恐怖で引きつった笑いを返すのが精一杯だった」と言っています(笑)

MyファンのWRX-NSさんに教えて頂いたのですが彼のドライビング・スキルはあの「ニキ・ラウダ」直伝だったそうですから、そのスキルも相当のものだったのでしょう。
あの頃の車は今のように制御技術により調教されていたわけでもないでしょうから・・・

こうして見ると数々の垂涎の的とも言える車を所有し、運転はラウダ仕込み。
羨ましいとしかいいようがありません(^^)

彼の車、というかメカ好きな一面は「ウィーン工科大学」に若き日に籍を置いたことが関連しているのかもしれません。
最先端のテクノロジーへの飽くなき探究、これが彼のライフワークであり、「クルマ」もその一片だったのかも・・・

もう彼のような音楽は勿論、ライフスタイルから何から何まで計算されつくしたような音楽家は出ないと思います。
それほどにカラヤンという存在は音楽シーンでとても重要な一ページを刻んだ人物だと私は思っています。

二人目の「カーマニア」なマエストロ。
「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ」

こちらは20世紀を代表するピアニストです。

彼は「完璧主義者」として有名で自らの演奏するピアノを来日公演の時、ホール据え付けのピアノではダメとい言い出しイタリアから2台空輸させたり、冬の公演時「暖房を使うとピアノの調子が崩れる」と暖房使用にダメ出しし、コートを着て演奏会を開いたり(お客さんも大変だったでしょう笑)、とにかくちょっとでも自分が納得のいかないところがあると公演をキャンセルするので「キャンセル魔」とも言われていました。

そんな彼が愛した「クルマ」はフェラーリ。
しかもフェラーリの中でも「伝説」の存在と言ってもいい「250GT」のオーナーでした。
故郷、イタリアを愛していた彼はやはり自国の誇るスーパーカーを愛していたようです。

彼も「スピード狂」として有名で同乗したことのあるピアノ調律師の方の証言で「街中でも平気で100キロ以上、アウトストラーダでも260キロ以上で飛ばしていた。」とか(汗)
彼曰く「死と隣り合わせの緊張感がたまらないのだよ。ミスが許されない演奏と同じだ」と語っていたとか。
周りは迷惑ですね(笑)
またあの「ミッレ・ミリア」にも出場したと言っていたとか・・・

いやはや、やはりクルマ好きの「マエストロ」達は逸話に事欠きませんね(^^)

彼はカラヤンとは対極にある音楽家だったのかもしれませんが、こういうエキセントリックな人物、私は好きです(^^)

3人目。
「カルロス・クライバー」

こちらも20世紀から今世紀始めにかけてとんでもない人気を誇った大指揮者です。
父親のエーリヒ・クライバーも19世紀から20世紀中盤まで活躍した指揮者であり、音楽の才が受け継がれた好例とも言える存在です。

彼は指揮者を目指した当初、当時すでに大物指揮者であった父・エーリヒから反対されそれでも隠して音楽活動を続けたそうです。

そんな若き日のカルロス。
ある演奏会で指揮をすることになりました。
父・エーリヒにバレるとマズいので「カール・ケラー」なる変名を使い、指揮台に立つことに。
不安と期待が入り交じる楽屋に一通の電報が届きました。

そこには「貴君の演奏会の成功を祈る。老ケラーより」と一言。

つまりは親父、エーリヒにバレていたんですね(笑)
このエピソード、私とても好きです(^^)

また彼は面白いエピソードが多い人物ですが、ちょっと長いのですがもう一つ。

セルジュ・チェリビダッケ(愛称チェリ)という、完璧主義者の余り、練習で気に食わないことがあると直ぐに公演をキャンセルしてしまう、これまた「幻の指揮者」がいました。
チェリは毒舌家としても有名でよく同業指揮者の批評で毒を吐いていました(笑)

曰く。
ヘルベルト・フォン・カラヤンについて。
「彼は耳が聴こえないらしいね。そうでなければあのような空虚な音楽は創れない。彼は商売人だろう?」
レナード・バーンスタインについて。
「彼の「演奏」する音楽と私の「創る」音楽は全く無縁のものだ。彼は指揮台の上で踊っているのかね?」
カール・ベームについて。
「奴はじゃが芋袋だ。生涯に一度たりとも一小節もまともに指揮したことが無い」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーについて。
「彼はいい時に死んだ。耳が聴こえなくなっていたのだから」
等など・・・
チェリは禅にも深い造詣があり、世界観が他の指揮者達とはかなり違ったのが要因かもしれませんが、まぁ何という罵詈雑言(^^;)

これにカチンと来たカルロス。

ある日新聞の投書欄にこのような投稿が掲載されました。

投稿者の名前は「天国のトスカニーニからチェリビダッケさんへ」
「こちらの世界ではモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス皆があなたのテンポは間違っていると言っています。そしてこちらにいる指揮者仲間たちはあなたの批評を見て笑い転げているのです。
実はここ天国に居るもの皆がカラヤンに夢中なのです。
指揮者だったものには、嫉妬心さえ憶えます。
彼があと15年か20年後にここに来て(この時カラヤンは存命中)、我々が歓待できるなど、殆ど誰も思っていません。
あなたがその場に居合わせられないのは残念です。
しかし、聞くところによりますと、あなたは煮炊きもずっとうまくできると言いますし、オーケストラは永遠にリハーサルに付き合ってくれるといいます。それどころかオーケストラは小さなミスを故意にしてくれて、あなたに永遠にやり直しをさせてくれるそうです。
ここ天国ではエンジェルが直接作曲者の眼から読み取って演奏してくれ、私達指揮者は、ただそれを聴いていればよいのです。」

この「天国のトスカニーニ」氏、このカルロスが投稿者だったんです。しかも「天国の~」がカルロスと明らかに分かるような細工まで(笑)
毒舌の標的だったカラヤンはあの世でも大人気、チェリのテンポは作曲家自身が間違っていると強烈なジャブを繰り出し、「リハには永遠に付き合ってくれる」とこれまた強烈なボディブロー(笑)

チェリはこの後、相当静かになったようです(笑)

数年後、日本からヨーロッパに向かう飛行機でこの二人は鉢合わせしてしまったそうです。
周囲は殴り合いになるのではとカラハラしたそうですが、お互いにちゃんと挨拶を交わし、チェリが自分のオーケストラを指揮してくれ」と言ったとか。
さすがはお互い世界を股にかける大音楽家、大人の対応ですね。

さて、そんなカルロスですが、彼もカーマニアとして有名です。
彼はサルーンが好きだったようでメルセデス、BMW、アウディ、ロールス・ロイス等セダンばかり、それも超高性能のAMGモデルやアルピナ(何故かMモデルではなかったそうです)を取っ替え引っ替え乗りまくっていたとか。

カルロスも「キャンセル魔」として有名で完璧な練習が出来なければ、タクトを投げ捨てキャンセルしたり「今回は気が乗らない」と言ってキャンセルしたり・・・

かく言う私も、確か1992年だったと思います。
中学合格のご褒美としてクライバー/ウィーン・フィルの来日公演のチケットを買ってもらったのです。
東京へ初めての一人旅、しかも「あのカルロス・クライバーとウィーン・フィル」の組み合わせが聴ける!と小躍りして喜んだのもつかの間・・・
やっぱり彼は来日をキャンセルしてしまいました(泣)

カルロスは「人間嫌い」の一面がかなりあったようで、聴衆の前に立つ指揮者という仕事ながら耳目を集める事を極端に嫌ったようです。
彼がレナード・バーンスタインに語った「僕は庭の野菜のように太陽を浴びて育ち、食い、飲み、愛し合う行為をしたいだけ」という言葉に如実にあらわれています。

またカラヤンは「カルロスは冷蔵庫が空にならないと指揮台に立たないのさ。」と言っていたといいます。(かのカラヤンもカルロスの事は「正真正銘の天才だよ」と語っていたとか)

そんな気難しい人格、そして同業者への嫉妬と憎悪渦巻く音楽界(笑)でも彼の人柄は全ての同僚たちから愛されたとか。
その溢れ出る才能は同業者達からも尊敬されていたことの証左なのでしょう。

まさにカルロス・クライバーは「天衣無縫」を地で行く人物。

また話が脱線しました(汗)

そんなキャンセル魔で「別にコンサートなんてがっつく必要ないし」なカルロス(笑)

アウディ社主催のコンサートで是非とも指揮台に立って欲しいという依頼が来ます。

(以下の会話の下りはエピソードをもとにした私の想像ですよ笑)

「いやー気が乗らんからやらんわ」
断ったカルロスにアウディの幹部から、「マエストロ、一度でいいのでお願いします。指揮して頂けたら我が社の最高級車A8をプレゼントします」との一言。

これにはセダン好きのカルロス。
「何?ホントか?う~ん、どうしようかなぁ・・・」

逡巡したカルロス。
「そういやお宅の会社の工場、見たことないね。見せてくれる?」
「勿論です!マエストロ!お安いご用です」
「それとさ、オプションなんだけど、これとそれと、あぁこれもだ、あとこっちも、あ、エアロもフルエアロね。あとタイヤは21インチにして。それと内装はフルオーダーね。てかオプション全部乗っけ盛りで」

この無茶振りにアウディ幹部はフルオプションにオーダー内装等など計算してみたらとんでもない金額に・・・

「マッ、マエストロ・・・この仕様だとちょっと金額が金額で(汗)、申し訳ありませんがご希望には添えません・・・」
「あっそ。まぁ、この程度の金額なら俺、買えるし。じゃあコンサートの件は無しね。」
(しめしめ、これで指揮しなくてよくなったわい笑)

しかしどうしても「幻の指揮者」カルロス・クライバーに自分の会社主催のコンサートを指揮して欲しいアウディ幹部。

「マッ、マエストロ・・・(震え声)・・・・・分かりました!マエストロのご希望のA8、ご用意致します!何卒、タクトを!!!!!」

「マッ、マジか・・・分かった。演奏会をやろう」

のような経緯がありアウディ主催のベルリン・フィル演奏会の指揮台に「幻の指揮者」「キャンセル魔」カルロス・クライバーが立ったのです(笑)

一説によると乗り気では無かったカルロスは無茶な要求をすればアウディは断ってくるだろうと思いこのような無茶振りをしたと言われています。
しかしまさかのアウディ、全面降伏(笑)

コンサートは大成功を収め、このコンサートを主催したアウディの株は大いに上がったとか(笑)

ただ後日新聞(確かシュピーゲル誌)で「カルロス・クライバーは高級車と引き換えに指揮台に立った」とネガティブな論調で書かれたそうです(^^;)

クラシックの分野のみならず「カーマニア」の音楽家は多いですね。
やはりとてつもない高みに登ると「車」も最高のものを欲するのかもしれません。

本日もダラダラと長文・乱文となってしまいました。
「クルマ」にまつわる話ということでお許し下さい。
また先日来、沢山の「イイね!」ありがとうございます。
他愛もない内容のブログですが、書く気力となっております(^^)

本日も最後まで拝読頂きありがとうございました。
Posted at 2017/06/28 16:21:58 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月27日 イイね!

運転の時に聴いて欲しいクラシック音楽=渋滞・イライラ時編

今日も暑すぎずかと言って涼し過ぎず非常に過ごしやすい日です。
皆さんのお住いの地域はいかがでしょうか?

藤井奏太四段、あっさりと連勝記録を更新しましたね。
若干14歳であの強さ、畏敬に念すら抱きます。
私は将棋は駒の動かし方くらいしか分からないのですが、将棋や碁の棋士の頭の中身はどうなっているのでしょう(笑)
100手先まで読むとか・・・
私なんて数分で終わってしまうヘボ将棋なのに長考試合になると9時間とか。
将棋に関して言えばAIがまだ勝てないと言いますから、彼らの頭脳は優秀な演算装置より上を行っているのだと思います。
(みん友のSamSさんより将棋もプロ棋士がAIに勝てないということをご教示頂きました。私の完全なる勘違いです汗SamSさん。ご教示頂き深謝いたします)
棋士の有名な言葉に「兄貴たちは皆頭が悪いから東大に行った」という言葉があります。(米長さんだか中原さんだか忘れましたが)

彼らからしてみたら存在する文学やら法学やら医学やら、それらを掘り下げて勉強することはつまらないことなのでしょうね(笑)
でも、彼らの言葉だと説得力があります。

さて、将棋指しはクラシック好きが多い事を思い出し今日は「運転時にイライラした時」に聴いて欲しい名曲を数曲書きたいと思います。

渋滞、煽られた等など運転中、イライラすることは結構あると思います。
そういう時に所謂「景気のいい曲」を掛けてしまうと逆に心がはやり、さらにそのイライラを増幅させかねません。
ですので心静まる曲という事で二曲ほど。

一曲目はギュスターブ・マーラー作曲 交響曲第9番。
マーラーは作曲家として有名ですが、当時は指揮者としてもとても高名な存在でした。
そのマーラー、最後の交響曲となった「第九交響曲」。

この曲は彼の「死生観」を著した曲で、非常に端折った言い方をすれば「必ず来る死に対し、その恐怖とあちらの世界への憧憬」を見事に表現した曲です。
こう書くと「気の滅入る」曲と思われる方もいるかもしれません。
確かに全曲通しで聴くと大体80分~90分程度かかり長いですし滅入るかもしれません(笑)

ですので取り敢えず「第四楽章」のみを聴いて見て欲しいのです。
冒頭部、美しい旋律から始まるこの楽章はマーラーが「死」への恐怖を克服し、むしろそれを受け入れ「安息」を手に入れたかのような楽章となっています。

本来は全曲通しで聴くとこの交響曲の意味が見えて来るのですが、なにせ演奏時間が時間です。
なかなか全曲通しというのはしんどいと思います。
(かく言う私も全曲通しで聴くのは月に1度有るかないかです。邪道かもしれませんが笑)

この第四楽章、冒頭部、寂しげな旋律から始まり、その終結部で、演奏する指揮者への指示として「死に絶えるように」と書かれています。
実演では指揮者がタクトを下ろすので分かるのですが、CD等、特に外乱要因の多いカーオーディオではいつ終わったのか分からないという事もあります。
それほど「静謐」な楽章です。

この「第四楽章」を聴くとさっきまでのイライラは何処へやら「何をそんなにイライラしていたんだ」と思わさられる曲となっています。

この「マーラー 交響曲第九番」は名盤揃いです。
私のHNの由来であるレナード・バーンスタインが生涯、唯一ベルリン・フィル(以下Bph)を指揮した一期一会の凄絶な演奏、あのヘルベルト・フォン・カラヤンがその3年後に彼にしては珍しくLIVE収録した「精緻かつ濃密」な演奏、小澤征爾がサイトウ・キネン・オーケストラと演奏した「祈り」を感じる演奏、その他兎に角名盤揃いです(^^)

是非、この曲ご一聴頂ければ。

二曲目は「L・V・ベートーベン 交響曲第九番「合唱付」

普通、「第九」と言えばこの曲を連想される方が殆どだと思いますし、「え~第九ぅ?」と思う方もいらっしゃると思います。

年末の定番、「歓喜の歌」(歓喜に寄すとも言います)。
師走になるとあちらこちらで演奏会が開催され、街のBGMとしてもよく聴かれるまさに「名曲」ですが何故この曲をチョイスしたかと言いますと。

「第九」と言えば前述したとおり「歓喜の歌」(第四楽章)があまりにも有名すぎて第一楽章から第三楽章はあまり聴かれたことの無い方が多いかと思います。

しかし第一楽章から第三楽章も耳が聞こえなくなったベートーヴェンが創り出した最高傑作と言え、不安・恐怖、そして第四楽章「歓喜に寄す」へ至るベートーヴェンの人生の集大成と言っても良い旋律を聴くことが出来ます。
その第一楽章から第三楽章までを聴いて、第四楽章「歓喜に寄す」を聴くとこちらも些細な事でイライラしていた事がバカバカしくなり、気分が晴れやかになることはお約束できます(^^)

ベートーヴェンの「第九」も当然ながら名盤揃いです。
「最高」と言われるのはヴィルヘルム・フルトヴェングラーがバイロイト祝祭管弦楽団を指揮したものが決定版と言われていますが、録音が1954年のモノラル録音のため、とっつきには余りお勧めできません。
ここは聴いて「音の良いもの」(その解釈は色々有ると思いますが)に絞って。
となりますと、上で書いた「マーラーの第九」と同じカラヤン/Bphの最後のデジタル録音とバーンスタインのLIVE版がとっつきには良いと思います。
カラヤンの録音は正確無比、そして録音の良さはデジタル録音成熟期の物ですが分厚いサウンドで「第九」の醍醐味を味わう事ができますし、バーンスタイン版は「ベルリンの壁」崩壊を記念して行われたLIVE録音で、対立していた東西ドイツ、米ソ英仏各国のオーケストラメンバーで構成された、まさに「東西冷戦の終結」を象徴するかのようなコンサートのものです。そしてこちらは「Freude(フロイデ=歓喜)」を「Freiheit(フライハイト=自由)」と第四楽章の歌詞を変えているのも印象的なものです。

最近、ネットでのDL販売が中心となってきたためか、「名盤」たちが今は安いものでは1,000円程度で買うことが出来ます。
年末ではなくてもベートーヴェンの「第九」聴いてみてはいかがでしょうか。

さて、「第九」にまつわる面白いエピソードを。

一つ目は「第九のジンクス」。

ベートーヴェンの「第九交響曲」は彼の最後の交響曲となったわけですが、この後の作曲家達は「九曲目の交響曲を書くと死ぬ」ということを真剣に考えていたようで、現に上に上げたマーラーはそのジンクスから逃れようと九曲目に作曲した交響曲に「第九番」という番号をふらず「大地の歌」という名前を付け、その後、第九交響曲を書いたのですが・・・

結局、それが彼の最後の交響曲となりましたし、マーラーと「音響の大伽藍」という意味では双璧とも言えるアントン・ブルックナーも「第九交響曲」が最後の交響曲となりました。

また「未完成交響曲」で有名なシューベルト。
彼もまた「第九交響曲」が最後の交響曲となりましたし(ですが、近年の研究で「未完成交響曲」を第七番、最後の「大ハ長調」を8番と呼ぶようになってきました)、「新世界交響曲」で有名なドヴォルザークもこの「交響曲第九番 新世界より」が最後の交響曲となっています。(ただしドヴォルザークについても未発表の交響曲があったため厳密に言えば「最後の」交響曲ではないようですが)

この「第九のジンクス」から逃れようとドミトリー・ショスタコーヴィチは自作の「第九交響曲」を非常に軽めの短い作品として発表、彼は15番まで作曲できました。(しかし「第九交響曲」といえば大作曲家達が素晴らしい作品を残していたので当時のソ連政府はショスタコーヴィチに「歴史に残る」大交響曲を期待していたようで、その小品交響曲はこっぴどく「プラウダ」等で批判されたとか・・・)

いやはや、作曲家も大変ですね(^^)

二つ目は「コンパクト・ディスク誕生」の裏話。
この話は真実なのか都市伝説の類なのかはっきりしておりませんが、これも「第九交響曲」にまつわる面白い話なので。

コンパクト・ディスク(CD)はオランダ・PHILIPS社とSONYが共同開発していましたが、その収録可能時間に2つの案があったそうです。
一つ目は60分で直径11.5センチ(だったと記憶してます)の物。
二つ目は74分で直径12センチの物。(現在のCD)

そこで当時SONYの副社長で後に社長にもなる大賀典雄さん(指揮者としても活躍されました)が、「楽団の帝王」であったヘルベルト・フォン・カラヤンに「マエストロ、この二案が最終まで残りました。マエストロのご意見を」と伺いを立てたところ。
「ヘル・オオガ。簡単だよ。74分にしなさい。そうすれば私の指揮するベートヴェンの第九が一枚に収まる」
この鶴の一声でCDの規格は12センチ、74分に決まったという(笑)
どうやらカラヤンはLPで交響曲一曲を聴くのにA面、B面を裏返す事が我慢ならなかったらしく、そうなったという話です(笑)
カラヤンという人は新技術にとても貪欲な人だったらしく試作のCDの音を聴いてとても喜び、それまで彼が録音した膨大な曲をデジタル録音で再録するという野望もあったようです。

またカラヤンと大賀さんの友情を超えた「エンジニア」として尊敬しあっていた関係。
それはあまりにも劇的な形で終焉を迎えます。

1989年、大賀さんがカラヤン邸を訪問した際に、カラヤンは突然倒れ、介抱する大賀さんの腕の中で息を引き取りました。
「まだ、その時ではないのに。」という最後の言葉を残して。
カラヤン逝去のニュースは徳光和夫さんがアンカーをしていた18時のニュースのトップとして扱われたことを私は鮮明に憶えています。

カラヤンはカー・マニアとしても有名で、来日した時に飛行機の試乗のため訪れた富士重工で(彼はパイロットの資格も持っておりプライベート機を自ら操縦することもあったそうです)「スバル・レオーネ」を見て「あの車はなんだ?ちょっと乗せろ」という話になり、乗ってみて大満足、3台(5台という説も)を買ってヨーロッパに帰り、一台は自分用、残りは親友達に「とても素晴らしいジャパニーズ・カーだ!」と言ってプレゼントしたとか(笑)、世界中の富豪たちが欲しくても限定故、買う人が限られた「ポルシェ959」をポルシェ社から献呈されたとか逸話に事欠かない人物です(^^)
(なんと彼が乗っていた「ポルシェ911ターボ」の「ヘルベルト・フォン・カラヤン」モデルのミニカーまで存在します笑)

あの世でカラヤンは現在のブルーレイや7.1Chサラウンドを見て「なんでもっと早く出さなかった!」と
大賀さんや盛田さん、井深さんやレイ・ドルビー博士を怒っているかもしれませんね(^^)

話が脱線しました。

渋滞やらなんやら、運転中にイライラするシーンは沢山あります。
そんな時、心静まる曲で余裕を持って運転するのも良いものですよ(^^)v

また、皆様のドライブ中、様々なシチュエーションでお聴きになっている曲をジャンルを問わずご教示頂けると幸いです。

まだまだ「イライラ解消」出来るであろう名曲は沢山ありますが、本日はここまでとしたいと思います。

本日も相も変わらずのとっ散らかりブログ、最後までお読み頂きありがとうございました。
また他愛もない内容のブログに沢山の「イイね!」、本当に感謝いたします。
Posted at 2017/06/27 16:53:46 | コメント(3) | トラックバック(1) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月25日 イイね!

「クラウン」というブランド力

今日は曇り空。
暑すぎずちょうどいい天気です。

一昨日から叔父夫妻が遊びに来ていました。

私の二人の伯父・叔父、どちら俗に言う「クラウン信者」で「伯父」の方は現行アスリート、「叔父」の方は現行マジェスタと私の親父を除いてどちらもずっとクラウンを乗り続けています。

叔父とは数年ぶりに会ったのですが私の車庫(というより納屋笑)に入っているGT-Rを見て「おー!これが今のGT-Rか!全然昔と違うな!丸テール位だな、名残あるのは。ちょっと乗せろ」
とのことで叔母を家に置いて少し叔父の運転でドライブしてきました。

エンジンスタート、直ぐに発進しようとする叔父に「叔父ちゃん、メーターのチェックの所がOKになってから発進して」というと「面倒くせぇ車だな笑、まぁ昔友達が乗っていたハコスカも云々・・・」と長話が始まりました(笑)

で、発進。
「なんつーうるせぇ車だ!」「おい!これ足回り換えてんのか?乗り心地悪すぎんぞ!」「ボディの見切り悪いな!」
とまぁネガな部分のご指摘が(笑)
「でもなーハコスカの頃、確かヒーターもついてなかったから、やっぱりGT-Rは走りの車だから仕方ねーか」とも。
なんだかんだ言って気に入ってんじゃないの?(^^;)

バイパスに出た途端いきなりアクセルをがっつり踏んだらしく助手席であの加速を味わうと運転席とは違う感覚でした。
ネズミ取りしてたらどーすんの(笑)

小一時間ほどドライブして家に帰ってきて叔父が一言。
「お前、いい歳して嫁も貰わねーで暴走族みたいな車乗りやがって」
と笑いながらキーを返してくれました。

私も現行クラウンは伯父のアスリートは一度運転したことがあるのですが、マジェスタは乗ったことがありませんでしたのでお願いして運転させて貰うことにしました。

まぁ、兎に角「快適」ですね。
内装の質感の高さは私の乗っていた200系よりずっと良いですし、アスリートよりはやっぱり足のストロークが長いゆったりした乗り心地。
V6の3.5HVエンジンも静粛性は流石でした。
(ただやっぱりCVTには慣れません。それと同じ3.5のHVでもフーガHVのように高速域でのコースティング走行が無い分、80キロ位からはフーガHVの方が静かかな?とは思いました)

叔父曰く「現行になって安くなったけどよ、エアサスは無くなるしパネルも偽物(木目調のことらしい)にはなるし、顔も普通のクラウン(ロイヤルのことらしい笑)とそんなに変わらねーし、それに8発(V8のこと)じゃなくなったしな。マジェスタの良さが無くなったな。」「兄貴(伯父の事)のクラウン(アスリート)と殆ど違いが分からん。あっちは普通の3.5だけど加速とか兄貴の車の方がいいな。(いや、そんな事はないだろう笑)」

これまた小一時間ほどマジェスタを乗り回し帰宅。
その間、叔母は散らかり放題の我が家を掃除してくれていました(笑)

「あんた達は車の事になると・・・笑」

その後、今の病状の事やらなんやら叔母の作ってくれたご飯を食べながら久々に会う叔父夫妻との会話を楽しみました。
2歳になったばかりの従甥の写真を一杯持ってきて「お前も嫁を貰えばこういう幸せが・・・」やら「習い事は何をさせたらいい?」やら典型的爺・婆バカですね(笑)

叔父が好きな焼酎を買っておきましたので、叔母の手料理を肴に車談義をしましたが、久々に会った叔父は相変わらずエネルギッシュでした(笑)
私もものすごく薄く割った焼酎を舐める程度飲んでみましたが直ぐに酔いが回りました(笑)
ドクターからは「ほんの少しならOK」とは言われていましたが今まで断酒していたので、やっぱり効きます(^^;)

私は叔父にLEXUSを勧めました。
「クラウンも来年あたりモデルチェンジでしょ。今度はレクサスにしたら?」と。
すると「あーレクサスはいい車だろうけどよー、俺たち世代はやっぱりクラウンが好きなのよ。もう名前で乗っているようなもんだ。だからセールスからモデルチェンジの話が出りゃカタログも見ね-で予約してきたからな。」
「でも次の型は6発(6気筒のこと)無いって噂もあるよ」
「はぁ!?クラウンから6発無くなったらどーなんのよ」
「4気筒のターボとHVだけって話。マジェは6気筒、残るかもしれないけど・・・」

暫く黙っていた叔父。
「もうクラウンも4発の時代か・・・古いっちゃあ古い考えかもしれんがクラウンは6発じゃなきゃな・・・」と寂しそうに言ったのです。
やっぱりこの戦後世代には「クラウン」というブランド力は絶対的なものがあり、また「6気筒」というこだわりもあるのだなと実感させられました。

「お前の前乗っていたグロリア(フーガのことらしい笑)はまだ6発か?」
「フーガね(笑)あれはまだ6気筒だよ。」
「名前が気に食わねぇけど次は初めての日産でも乗ってみっかなぁ」
「やめとけって!もうモデル自体が古い!」
「じゃあ次の型はいつ出るのよ」
「分からん(笑)」
「今の車はどんどん昔のイメージとは違った車になっていくな・・・」

あれほどトヨタ信者だった叔父から「日産に乗ってみようかな」という発言が出たことが驚きでした。

私見ですが、そんな人達の受け皿がレクサスだと思います。しかし、どうしても「クラウン」や「セドリック」「グロリア」というネームに強い拘りがある世代がいるのも事実。

「レクサスは一回、ディーラーを冷やかしに行ったけどなんだか敷居が高くてよ。小奇麗過ぎるっつーのか・・・外車は商売やってる人間は乗れんしな」

そのレクサスに何度も冷やかしに私は行ってるわけで(笑)敷居高いか?と思ったのですがトヨタ店のような「普通」のディーラーに慣れた叔父には肌に合わないのかもしれません。

横から叔母が一言。
「そんなら今の長く乗れば?」
確かに(笑)

うちの親父の兄弟達はみんな車好きで、その血が受け継がれたのが私だけのようでして(従兄弟達は全然車好きはいません笑)こんな会話が出来るのを叔父も楽しそうでしたが、やっぱり「クラウン」という「ブランド力」「神通力」は未だ健在なんだなぁと実感させられました・

高齢化社会が更に進んでいけば当然今までの「クラウン」ユーザーも減って行くでしょうし、ダウンサイジングが世界の趨勢となっている昨今、やはりトヨタとしても伝統あるブランドカーでも変革は求められているのでしょう。

「いつかはクラウン」だった時代はもう終わり、トヨタの上級サルーンは「レクサス」へ移行させ若い世代の掘り起こしというマーケティング戦略に移ったのかもしれません。

拙ブログ「マークXが消える?」でも書きましたが「トヨタ」ブランドでFRセダンはクラウンのみという事になってしまうのでしょうか。
もしかしたら、次々期型クラウンあたりでこんどは「遂にFFへ!」なんてことにもなるのかもしれません。

そんなこんなで様々な観光地に行ったり(アラフォーの私でも叔父夫妻から見れば「甥っ子」なんですね。私がご馳走しなければならないのに全部ご馳走になったりお土産まで買ってくれたり、子供の頃と同じ扱いでした笑)楽しい2日間を過ごし、叔父夫妻は帰っていきました。

「早く結婚式の招待状寄越せよ。いや、その前に早くそういう人を連れてこい。」
と最後に言い残して。
だからもうあり得ないって(笑)

こりゃ工作して伯父共々レクサスを買わせるかと算段してます(笑)
でもあの世代を説き伏せる(というか騙す笑)には困難そうですね。

叔父・叔母との楽しい二日間でしたが「クラウン」というブランドの威光とその源泉を垣間見た気がします。

4気筒には4気筒の良さがあります。
しかし「6気筒」は勿論、「8気筒」という響きに甘美な物を感じるのも事実。
メルセデスが直6をまた開発しているという話もありますし、これから登場してくるであろう新型車、楽しみなものが多いですね。

相も変わらず本日も長文・乱文、失礼しました。
お目汚しのこととは思いますが、最後までお読み頂きいつもありがとうございます。
また先日来、沢山の「イイね!」、本当に感謝いたします。
Posted at 2017/06/25 14:54:23 | コメント(7) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月22日 イイね!

戦前「我が国の快男児」の話

昨日の雨から一転、今日は天気が良いです。
雨の日は偏頭痛に悩まされるので今日は晴れやかな気分で読書できます。

晴れやかな日はやっぱり胸をすくような本を読みたいと思い二冊の本を読んでおります。

どちらも戦前、我が国を代表する「快男児」と言ってもいい人物の評伝。

その二人とは「薩摩治郎八」と「貴志康一」。

どちらの名前もあまりメジャーな名前ではありませんが、戦前に様々な意味で「快男児」ぶりを発揮した日本人の話です。
前に拙ブログ「忘れ去られた日本人ミュージシャン」で書いた「近衛秀麿」も「快男児」でしたが、上に挙げた二人も負けておりません。

まずは「薩摩治郎八」

東京の大富豪の息子として生まれ、イギリス~フランスへ留学。彼の地で30年過ごす。
その間国際大学都市構想のあったパリに私財を投じて「日本館」を創立、モーリス・ラヴェルやアンリ・マティス、藤原義江、藤田嗣治のパトロンとしてフランス芸術の隆盛に尽力した人物。

まぁ、この経歴だけ見ると「大金持ちの芸術振興に尽力した人物」なのですが、彼の凄いのは。

この30年間で現在の邦貨価値で600億円(一説には800億円)もの仕送りを受けそれを全て使い切ってしまったこと(笑)
毎月現在換算で3000万円の仕送りを受け、それでも足らずに仕送りを受けまくっていたそうです。

では何に一体そんなに使ったのか。

彼は全て「一流」にこだわり、衣服から車、家全てが万事、そういう生活だったようです(^^;)

例えばカンヌで自動車のコンコルソ(コンクールの事です)があると聞けばクライスラーのボディを純銀で塗装、さらに淡い紫色に染めた特注車(笑)を購入、運転手にも金で出来た薩摩家の家紋入りの制服を着せ、「マリー・アントワネットの馬車以来」と言われるほどの豪華さを誇り、このコンコルソではスウェーデン王室の車と大賞を争い、大賞を受賞したとか、一度の食事会に一億円費やしたとか・・・

この逸話でけで溜息がでます(笑)

勿論、食べるもの、住む所、着るもの何から何まで「一流」で無ければ済まない性格。
女性も「一流」が好みだったようで(笑)会津藩の殿様の娘(これまたとんでもない美人で、あの「ヴォーグ」誌の表紙を飾ったほど)を奥様に迎えたりもしています。
現代の「エスタブリッシュメント」と言われる人達でもここまで放蕩の限りを尽くした人はいないのでは・・・
現代のアラブの石油王達ですら真っ青になるようなエピソードが沢山あります。

ただ、彼の評価されるべきところはこの「放蕩」の中に「パトロン」としての側面が相当あったことです。
ラヴェル・マティスは言うに及ばず我が国(というよりフランス)を代表する画家となった藤田嗣治やオペラ歌手として名声を得た藤原義江を見出した彼の眼力は素晴らしいものであったと言わざるを得ません。
当時のパリには日本人貴族達が多く留学しており、やはり相当の仕送りを得ていたようですが、彼らは「どうせあぶく銭なんだからいつかは破産するだろう。それならフランスの名画を今のうちに買っておこう」とか「将来性のある芸術家を育てよう」という気概があったようです。

いやはや、時代が違うとは言え昔の大富豪達はやることなすことのスケールが違いすぎて笑ってしまいます(^^)

そんな彼のあだ名は「東洋のロックフェラー」「バロン・サツマ」はたまた「東洋の貴公子」
彼は爵位を持たない人ではありましたが、その破天荒な金遣いやら芸術への惜しみない援助から尊敬の念を込めて社交界では「バロン」と言われていたようです。

それと彼の容姿。
これがまた「貴公子然」としていてカッコいいんです(笑)

女性には相当モテたようで「彼は贅沢、芸術への探求は勿論、エロスへの探求をやめることは無かった」とまで言われています(笑)

生前の薩摩を知る人曰く「これまでの歴史を見て、恐らく日本人男子、いや世界中の男子の中でも「女性体験」の数は薩摩に勝るものはいないのではないか」とまで言わしめています(笑)

男としてこれほどの事を言われるのはある意味「名誉」ですね(^^;)
と言うか素直に羨ましい(大笑)
薩摩の一生、ドラマ化してくれないかしら(笑)

薩摩は放蕩しまくった挙句、一文無し同然になって戦後、帰国します。
そしてその華麗なる半生を小説として書いたというのですから、マルチな才能もあったのでしょう。
(というか、そんな生活していたら私でも書けそう笑)

まさに「破天荒」を地で行く「快男児」。
薩摩関連の図書は結構出版されていますのでご興味の湧いた方、ご一読頂ければ。

さて、もう一人の「快男児・貴志康一」

貴志も大阪の大富豪の御曹司として生まれた人です。
幼少の頃に音楽家を志し渡独、ヴァイオリニストを目指しベルリン高等音楽院で勉学に励みます。

若干20歳の若さで名器として今でも語られる「ストラディバリウス」を購入、日本へ凱旋。
今でも「ストラディバリウス」は億単位の値がつくヴァイオリンですが、若干二十歳の若者にこれをポンと買い与えた親御さんも凄いですね(笑)

しかしヴァイオリニストとして限界を感じた彼は「指揮者・作曲家」への転身を決意、再び渡欧し今度は作曲・指揮の勉強を重ねます。

当時は今のようにヨーロッパに行くということは簡単な事では無かったでしょうし、戦後の1950年代後半、あの小澤征爾が渡欧する際にも「もう二度と日本には帰ってこられないかもしれない。その気持で出発前の晩、兄貴と水杯を交わした」という位でしたから、そのような時代に通算三度も渡欧したというのは白眉としか言いようがありません。

さて、その貴志。
音楽家として稀有な才能を持っていただけでなく人間的魅力にも優れた人だったようで、人嫌いで知られた、かの大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに可愛がられ、パウル・ヒンデミットからも作曲を教えてもらったりと、こちらも「大富豪の御曹司」らしくない気さくな人柄だったようです。
あの近衛秀麿でさえ貴志の仲介があってフルトヴェングラーに面会できたそうですから、当時「未知の国・日本」からやって来た若い芸術家を大巨匠達が可愛がった事からも彼は相当人間を引きつける魅力ある人物だったのでしょう。

また、現在でも世界有数のオーケストラである「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」を私費で雇い自作の曲を録音したり、日本を紹介する短編映画をこれまた自費で撮影して放映したりと「大富豪の御曹司」で無ければ出来ないことを事も無げにこなし、「日本」の紹介にも尽力しました。

帰国後、貴志はこれまた「ドイツ帰りの若き巨匠」として我が国の楽団で大活躍。
日本人指揮者なんて数えるくらいしかおらず、またオーケストラも拙い技術だった時代に彼はベートヴェンの「第九交響曲」を暗譜(楽譜を見ないで指揮すること)で指揮し、これまたセンセーショナルな成功を収め一躍「時の人」となりました。

しかし「好時、魔多し」
彼は間もなく病を得、1937年、わずか28歳でこの世を去ってしまいました。
まさに「天才薄命」「短くも強く燃え」「太く短く」を地で行く一生でした。

もし、彼が長命を得ていたとしたらこの後の我が国の楽団、ひいては音楽界は違った姿になっていたのかもしれません。

1つ、貴志の曲のエピソード。

湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞したときのこと。
受賞記念晩餐会で湯川夫妻は会場に流れる音楽にふと日本的なものを感じたそうです。
「この曲は何か?」と尋ねると。
「コーイチ・キシ。タケトリモノガタリ」との返答が。
晩餐会では受賞者の国の音楽を演奏するという習わしがあるそうですが、ノーベル財団の誰かが貴志の生前のヨーロッパにおける活躍を記憶していてこの選曲となったのでしょう。

貴志の生前の写真を見るとこちらも「いい男」です(笑)
こりゃ相当モテたと思われますが、貴志は薩摩とは真逆で、あまり女性には興味を持たずひたすら「芸術の求道」に生きたようです。
(でも相当モテたようではあります笑)

我が国楽団の大長老であり、「大阪フィル」の監督を半世紀以上努め、93歳まで現役指揮者として活躍した朝比奈隆曰く「彼は指揮台の上に立つとパッと上着を脱いだ。するとブルーの我々が見たことも無いような洒落たシャツを来ていた。しかも指揮台の前には譜面台が無い。暗譜でやるということなんです。しかもドイツ帰り、フルトヴェングラーから教えを請うたと言うのですから我々はグウの音も出ませんでした」と語っています。
芸術家としての一面の他にショーマンシップにも溢れていたのでしょう。

貴志も長い間、その存在が埋もれたものとなっていましたが、最近になって再評価が進み様々な彼に関する評伝が出版されていますので、是非貴志の本もご一読頂けると幸いです。

今の時代、このような「快男児」は登場する事は最早無いでしょう。

しかし先日書いた近衛、そして今日紹介した薩摩、貴志。

「日本」が欧米で「未開の地」に近い扱いだった時代に、彼の地の人々を驚嘆させるような生活ぶりや才能を見せつけた事になんだか爽快感を憶えました(^^)

この三人の誰かに生まれ変われるなら・・・

「薩摩治郎八」に生まれ変わりたいです(笑)
何故かは・・・聞かないでください(汗)

こうして見るといくつでも「ドラマ」の題材になりそうな日本人、沢山いるのですけどね。
誰か脚本家さん、この三人の誰かを題材に書いてくれないかしら(笑)

本日もダラダラと雑記を書きなぐってしまいました。
いつものことながら乱文・長文、申し訳ありません。
また沢山の「イイね!」やコメントを頂き、本当に感謝いたします。

また面白い本や人物、音楽の事など気の向くままに書いていければと思っております。

Posted at 2017/06/22 16:28:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月20日 イイね!

運転中に聴いて欲しい「クラシック音楽」~第一弾

昨日は定例の通院日でした。
往復、大体60キロ程度なのですが、やはり体力が低下しているため疲れますね。
でも35に乗ることが出来るのでこれはこれで楽しみでもあります。

さて、私はナビのHDDのストックされた音源かUSBメモリに音源を突っ込んで車内で聴いておりますが、車内でもほぼクラシック音楽しか聴いておりません。

そこで今日は皆様に聴いて頂きたい曲を私の独断と偏見でちょっと書いてみたいと思います。

「クラシック音楽」というとベートヴェンやらバッハ、シューベルト、ブラームス等の作品が思い浮かぶ方が多いと思います。
それら「楽聖」と言われる作曲家達と言うと、音楽室に飾ってあった厳しい肖像画を思い出す方もいらっしゃるでしょうし「クラシックって眠くなりそうだよな~」「退屈そうだよな~」とお考えになる方もいらっしゃることでしょう。

ですので今日は趣向を変えて。

「日本人作曲家」による「クラシック作品」、尚且つ「聴いて面白い」と思う作品を数曲、紹介します。

まずは一曲目。

外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディ」

外山氏というと指揮者のイメージが濃い方もいらっしゃるかもしれません(指揮者としても一流です)が、作曲家としても多くの作品を残しています。
その中でも彼の出世作となった「管弦楽のためのラプソディ」。

この作品はNHK交響楽団が1960年代に世界一周演奏旅行を行う際にアンコール・ピースとして作曲されたもので演奏時間も大体7~9分程度と長すぎず、程よい長さです。

さて、その作品の中身なのですが「日本」を前面にだしたものとなっており「あんたがたどこさ」「ソーラン節」「炭坑節」といった日本人なら一度は聴いたことのある旋律が巧みにオーケストレーションされています。
また使う楽器にも「拍子木」や「お鈴」「チャンチキ」や「うちわ太鼓」など我が国の祭り等で使われている楽器が至る所で顔を出し、とても陽気で楽しい作品になっています。

この作品は今でこそ我が国の作曲家の作品の中では「古典」の部類になるのでしょうが、欧米で初めて演奏された時は万雷の拍手だったと言いますから欧米人にとってとても新鮮な作品だったことでしょう。

若き日の外山が精魂込めて創り出した名曲、ご一聴頂ければ。

二曲目。
伊福部昭作曲「シンフォニア・タプカーラ」

伊福部と言うと映画「ゴジラ」のあのテーマの作曲家として広く知られていますが、映画音楽のみならずオーケストラ作品も多くの名曲を残しています。

伊福部は当時の帝室林野局の官僚として北海道に赴任中にアイヌの民の祭礼音楽の旋律に惹かれ、それらをモチーフに作曲した作品を多く残しています。
氏の作品は「土俗的」かつ「勇壮」な旋律が多く「眠くなる」ということはあまり無いでしょう(笑)

また彼の座右の銘「優れた音楽は平易なもので優れた礼節は簡素なものである」から分かる通り、理屈をこねくり回したような(苦悩とか歓喜とか)では無く兎に角聴いていて飽きない音楽となっているのも魅力です。
分かりやすく言うならモーリス・ラヴェルの名曲「ボレロ」のように、シンプルだが耳に残る旋律が何度も形を変えながら現れると言えばいいでしょうか。

この曲はまた意外な所でも有名というか活躍しています。
「緊急地震速報」のあのチャイム音、余り聴きたくない音ではありますが今ではあの音が有るおかげで大地震へのとっさの対策を取ることが出来るようになりました。
あのチャイム音、この紹介した「シンフォニア・タプカーラ:第三楽章冒頭の和音部分をモチーフに造られています。

因みに緊急地震速報のチャイム音を開発したのは「伊福部達」東大名誉教授。
この「伊福部昭」の甥子さんにあたる方なんですね。

NHKから「地震警告音」の作成を依頼された伊福部教授は次のような課題を突きつけられたそうです。
「どのような雑踏の中でも耳に入る音であることを前提とし、いたずらに聴いた者の不安を煽ること無く、しかし切迫した事態が迫っていることを分からせる音」
難しすぎますね(笑)

そこで伊福部教授は伯父さんの作品であった「ゴジラ」のテーマをモチーフにしたものを最初は考えたそうですが、あまりにも有名すぎる作品ですから「切迫感」が足りず、またあの最初の和音が「不安をいたずらに煽る」と考えボツにしたそうです。
(ですから緊急地震速報のチャイム音はゴジラから作られたという話、あれはあながち間違いでは無く惜しいところをついている話です)

そこで今日紹介した「シンフォニア・タプカーラ」第三楽章冒頭をモチーフにあのチャイム音が出来たそうです。

この話を聞いて「シンフォニア・タプカーラ」聴いてみたくなった方も多いのでは?(笑)
全曲を通して聴くと30分位の作品となってますので、まずは第三楽章だけでも聴いてみてもいいかもしれません。

三曲目。
本日最後に紹介するのは。
芥川也寸志作曲 「交響三章」

言うまでも無く芥川也寸志はあの文豪、芥川龍之介の三男です。
(長男もこれまた俳優として有名だった芥川比呂志)

写真を見るとお父さんに似たシニカルさとダンディズムが共有したとてもカッコいい方です(笑)

芥川也寸志は上で紹介した伊福部昭の弟子にあたり作風もとても似ています。
また映画音楽でも、あの「八甲田山」の作曲家として知られ、マルチな才能であったことが分かります。

この「交響三章」も伊福部の作品に似たダイナミックかつ情感に溢れた旋律が魅力の作品です。
こちらも師・伊福部昭の言葉「優れた音楽は平易で~」を見事に著した作品であり、聴いていて飽きることのない作品であり、クラシックにありがちな「苦悩」を著した「重苦しさ」を感じない楽しく、かつ熱狂的な作品となっています。

ただ、芥川自身はやはり余りに偉大な父「芥川龍之介」の影から逃れることが出来なかったと生前語っていたそうです。
東京音楽学校(現在の東京芸大)に最下位で合格した際には学長に呼び出され「偉大な文豪を父に持ちながらこの成績はなんだ!恥と思え!」と叱責されたそうですし(それを聞かされ奮起するのですが)、「いつもあの「文豪」の三男として紹介され、いつまでも親父にお守りされているような気分だった」「親父が死んだ36歳を過ぎる頃は辛かった。未だに自分が確立されていない苛立ちからいつも「畜生!畜生!」と心の中で叫んでいた」etc・・・

余りに偉大な父を持ってしまったことへの苦悩、しかし彼はその父とは違った分野で大成しその名を残すことになりました。
(今日紹介した「交響三章」は暗さを感じさせない作品ですが、氏の作品には勿論その内生する「苦しみ」が現れているものもあります)

芥川という人物はその苦しみを打破するためなのかエキセントリックな行動をする方でもあったようです。
日光に疎開中だった師(と言ってもこの時はまだ正式な弟子ではない)、伊福部のもとを突撃訪問し自分の書いた曲を見せて批評を乞うたり(この時、伊福部に「作曲家は己自身の全てを音楽で語らねばだめだ」と言われ打ちのめされ、その自身が書いた楽譜を破って川に流したそうです)、進駐軍のラジオから聞こえるソ連の音楽に憧れを持ち、密入国同然にソ連を訪問、ハチャトゥリアンやショスタコーヴィチから指導を乞うたり・・・

しかし、これら行動も「偉大な父」の幻影から自らを解き放つため、即ち音楽の道で名を残すための行動だったのかもしれません。

さて、この「交響三章」は大体25分程度の作品です。
全部を聴くのがしんどいという方は是非「第三楽章」を聴いてみてください。
先程書いた「楽しさと熱狂」「平易で素晴らしい音楽」を聴くことが出来ます。

CDを買うのはちょっと・・・
という方、今は「YouTube」があります(笑)
こちらで大体の作品は聴くことが出来ますのでご一聴あれ(^^)

私はGT-Rの中でこの三人の紹介した作品を聴くと高揚した気分になりアクセルをつい踏んでしまいがちです(笑)

運転中のクラシック音楽は「眠くならない効果」もあるそうなので(ただし作品によると私は思いますが笑)運転の際、普段は聴かない曲をかけてみるのもいいかもしれませんね。

本日は「第一弾」と銘打ちましたが「第二弾」はいずれ(笑)

本日も長文となり失礼しました。
最後までお読み頂き、本当に感謝いたします。
また先日来、沢山の「イイね!」本当にありがとうございます。

Posted at 2017/06/20 15:35:47 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記

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