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バーンスタインのブログ一覧

2017年07月31日 イイね!

「珍」な演奏と曲

今日は突然の雨に驚きました。
ザッとふって10分程度でやみましたが、こんな豪雨が一時間続いたらと思うとゾッとします。
近隣の某国は相も変わらず、ICBM花火を上げて喜んでいる始末ですし、せめて天気くらい良くなって欲しいものです。

さて、今日も相変わらず車のネタが無いので音楽ネタです。

クラシックの曲、特にオーケストラ作品は指揮者の解釈によって様々な表情を出します。
「深刻」な解釈の指揮者もいれば「打ち上げ花火」のような明るい解釈を信条とする指揮者。
そのこと自体に優劣はありません。
なぜなら「作曲家の意図を読み取って、さらにそこに自分の解釈を加えて演奏させる」のが「指揮者」という存在なのですから。

しかしたまーに「あんた、それ真面目にやってんのか?」という指揮者や音楽に出会うことがあります。
「真面目にやってんのか?」と言ってもふざけたり、聴衆をバカにしたような意味では無くて「どういう意図で?」とある意味、笑わされるという意味です。

例えばベートヴェンの交響曲第九番「合唱付」
我が国では「歓喜の歌」の部分だけが有名ですね。
「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン」で始まるあの部分。

大体のその曲の速さ(テンポ)は皆様の頭の中にあるとは思いますが、一応標準的なテンポということで下記の映像を。
カラヤン/Bph 1977年
12:56あたりから所謂「歓喜の歌」


大体、皆様の頭に刻まれている「歓喜の歌」はこの位のテンポだと思います。

しかし、面白い物を見つけました。
その存在は前から知っていたのですが・・・

まずは下記の「第九~歓喜の歌」を聴いてみてください。
1:34:15あたりから「歓喜の歌」


どうでしょう。
まるで「歓喜の歌」が仏教のお経のようですね(笑)
私が初めてこの演奏を聴いた時は腹を抱えて笑ってしまいました(^^)

第九の大体の演奏時間は第一楽章から第四楽章までで、70分~78分程度が普通ですが、この第九はなんと110分(笑)
演奏時間が長いためか、オーケストラはなんだかやる気無しで合唱団も殆ど「死んだ魚の目」状態(^^;)

この指揮者はふざけてこんなにゆっくりやっていると思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、当の本人は大真面目にやっているんです。

彼の名は「マキシミアンノ・コブラ」
怖い名前ですね(笑)

彼の理論は「テンポ・ジュスト理論」と言って、通常は指揮棒の動きの「片道を一拍」として数えますが、彼の「テンポ・ジュスト理論」は指揮棒の「往復運動で一拍」と数えるという大真面目な理論なのです。
この理論の根拠は「メトロノームが用いられた最初期時代の作曲家は、メトロノームという器具への理解がいまひとつ統一されておらず、誤ったテンポ設定がなされた」からだそうです。

だとしても・・・
これはまさに「珍なる」演奏と勝手に認定します(笑)

普通の「第九」でさえ全曲聴くのは結構難儀しますが(笑)、コブラの第九は一年に一度聴けばもう十分です(笑)

でも、こういった「解釈」も指揮者に任されたものであり、それが如何に聴衆を惹き付けるかが勝負ですからね。
コブラ自身も「このテンポが絶対正しい!」と思ってやっているでしょうから「1つの解釈」ですね(^^)

是非、時間がある時「第四楽章」だけでも聴いてみてください。
眠くなります(笑)

次にご紹介するのはドヴォルザーク:交響曲第九番「新世界より」
この曲も有名曲の1つです。
第2楽章は「とーおきーやーまにーひーはおーちてー」と歌詞が付いたものを「家路」として音楽の授業で習ったかたも多いのでは?(^^)

その第二楽章も有名ですが第四楽章も有名です。
映画「ジョーズ」を思わせる出だしを聴けば「あ、あれか」と思われる方が殆どだと思います。

ドヴォルザーク:交響曲第九番「新世界より」

ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
2008年、マゼール&ニューヨーク・フィルが平壌で行ったライブです。
今の緊張状態からは考えられない光景です。


この曲はむしろ第2楽章より第四楽章の方が有名かもしれません。
この曲のラストは盛り上がって、最後は管楽器がテーマを伸ばして静かに終わります。
上の平壌での演奏会では10:55秒あたりからお聴きいただくと分かりやすいかと。

まず「新世界」交響曲の終結部はその長さの差こそあれど、どんな指揮者でもこのような終わり方です。
平壌ライブのものは歴史的映像だと思ってリンクしましたが音が悪いのでもう一つ。

グスターボ・ドゥダメル指揮 シュツットガルト放送交響楽団
ローマ法王臨席コンサート(どうやら80歳の記念公演?らしいです)


11:15あたりから終結部。

二人の演奏をお聴き頂いて「大体同じだね」という感じをお持ちになったかもしれません。

しかーし!

やっぱり面白い「新世界」交響曲もありました(笑)
惜しくも音声のみですが、下記をお聴きになってみてください。


出だしの金管の咆哮からして、上で挙げた2つの演奏と比べなんだか重戦車の進撃のような響きです。
これはこれでいい演奏ですね。
しかし、衝撃は終結部にやって来ます(笑)
10:40あたりから聴いてみてください。

・・・・・・

ほぼ「別の曲」のような終わり方です(笑)

こちらはロシアの巨匠、エフゲニー・スヴェトラーノフが指揮、ソビエト国立交響楽団の演奏です。
当時のソ連のオーケストラは国内中から腕利きばかりを集めたオーケストラが群雄割拠している状態でした。
西側の洗練されたオーケストラとは違う迫力を楽しむことが出来ます。

しかし、このラストを聴いたときも大笑いしました(^^)
いかにも当時のソ連らしいというか、こりゃもう作曲者の指示を無視してるでしょ(笑)

スヴェトラーノフは面白い逸話があって指揮台の前にある譜面台に「扇風機」を付けていたという話。
極度の暑がりだったのか不明ですが、その扇風機のファンの音が曲の静かなところではブンブン聴こえてオーケストラの団員が困ったとか、録音のときもその音を拾ってしまうので「マエストロ、扇風機は外してください」とエンジニアが言ったら「これが無いなら録音はしない!」と言ってそのまま録音したとか・・・
(確か、スヴェトラーノフの録音でそのファンの音を拾ってしまったのがあるとタモリ倶楽部でやってました笑)

さて、ここまでは「演奏が珍」なものを紹介しましたが、曲自体が珍なものを。

まずは作曲家の指示に「指揮者が倒れる」という指示がある曲(笑)



マウリツィオ・カーゲルという作曲家の作品のようですが、こちらも大笑い必至です(^^)

このカーゲル、もう一曲面白い曲が。
「ティンパニとオーケストラのための協奏曲」



カーゲルさん、あんた確信犯でしょ(笑)

もう一つ、恐らく真面目に作曲はしたのでしょうが大笑いというかシュールなこの曲。

アンディ・アキホ作曲 「ピンポン協奏曲」


真面目に演奏するオーケストラをバックに卓球・・・
シュール過ぎて笑えます(^^)

他にも色々な「珍」とも言える演奏や曲、歴史的な意味合いがある興味深い録音が多数ありますが、本日はこのへんで。

今日もしょーもない内容のブログ、最後までお読み頂き感謝いたします。
また、イイねも沢山頂戴し、感激しております。

Posted at 2017/07/31 22:25:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月31日 イイね!

再考「BS 音楽サスペンス~亡命オーケストラの謎~マエストロ・ヒデマロ」を見て

今日はぐっすりと眠ってしまったため眠くなりません。
眠剤を処方されているので飲みましたが中々・・・

なので昨日(正確には一昨日)放送された「BSプレミアム 玉木宏 音楽サスペンス~亡命オーケストラの謎~マエストロ・ヒデマロ」を見ての内容の紹介と感想を。

「近衛秀麿」については拙ブログ「忘れ去られた「国際的日本人ミュージシャン」 で書きましたが、今回は改訂版ということで。

近衛家は5摂家の筆頭。藤原氏の本当の「直系」です。
ある意味「天皇家」の分家と言ってもよい存在でしょう。

そこの次男として生まれたのが秀麿。
兄は我が国の首相を努めた近衛文麿。

↓若き日の秀麿


言うまでも無く戦前の我が国の「エスタブリッシュメント」です。

秀麿の出生の経緯等はWikipediaや拙ブログをご覧いただくとしてYouTubeに興味深い映像を見つけましたので御覧ください。



ハーケンクロイツと日の丸をバックにベルリン・フィルを指揮する秀麿。
最初に「わが友邦国、日本から来た才能あふれる指揮者、グラーフ・コノエによる日独親善演奏会」と紹介されています。

残念ながらこの演奏会の模様はこれしか残っていないようですが、恐らくナチス政権の幹部(想像するにゲッベルス宣伝相やゲーリング航空相あたりがいたのではと推測してます)と当時、駐独大使だった大島浩(後にA級戦犯、日独伊三国同盟を推進した1人)あたりが出席した謂わば「プロパガンダ的」演奏会であったと思われます。

この映像は「マエストロ・ヒデマロ」でも紹介されていました。
この映像だけを見ると秀麿はナチスの文化政策に協力的であったと考えるのが一般的でしょう。

しかし、秀麿はまさに「同盟国の首相の弟」「才能溢れる指揮者」という仮面のもと、「ユダヤ人の亡命工作」を行っていたことは前にブログで述べました。

このユダヤ人亡命への関与について1つ興味深いというか、後の我が国のクラシック音楽に大きな影響を与えたであろうことが分かりました。
秀麿は著名なピアニストであったレオニード・クロイツァーの亡命を手助けし、クロイツァーを日本に亡命させます。
(クロイツァーはベルリン音楽大学の著名な教授でもありましたが、1933年のナチス政権樹立によりその職を追われ、同年秀麿の説得もあり我が国に亡命)

クロイツァーは戦後も日本にとどまり我が国のオーケストラやピアニストの育成に尽力しますが、そのクロイツァーの演奏会を聴いた1人の少年がいました。
彼はその音楽の魅力に取り憑かれ「音楽家」になることを決めたそうです。
その人の名は「小澤征爾」。
もしクロイツァーが日本に亡命していなかったら「世界のオザワ」は誕生しなかったのかもしれません。

↓レオニード・クロイツァー


「クロイツァー」で画像検索すると「ヨコハマ」のアルミホイールが出てきました(笑)
クロイツァーは好きなデザインのアルミです(^^)

クロイツァーはベルリンに奥さんを残して来てました。
奥さんもユダヤ人だったためナチスの迫害を受け、夫のクロイツァーもいなくなってしまった為、生活も困窮していたようです。
そのクロイツァー夫人に秀麿は経済的援助を惜しまなかったようですが、この事がナチスに露見、逮捕・勾留されてしまい(しかしVIPな事が判明し即釈放)、ドイツ国内での演奏禁止という処分を受けます。

話は少し脱線しますがナチス統治下のドイツでは音楽家達も「政争の具」となっていました。
ヒトラーは有名な「ワグネリアン」でしたが、それをいい事に部下の閣僚達はお追従の意味合いもあったのでしょう。

リヒャルト・シュトラウスは「帝国音楽院総裁」というポストに就かされ、その事が戦後、彼の栄光に影を落とすことになりました。

ちなみにこのリヒャルト・シュトラウス、我が国の「皇紀2600年」に際し「日本の皇紀2600年に寄せる祝典曲」という作品を残しています。同盟国、日本の為に書いた曲ですが、現在は殆ど演奏されることがありません。嫌々書いた曲なのでシュトラウスの曲の中でも「駄作」との評価があります。
↓リヒャルト・シュトラウスとゲッベルス宣伝相


ヴィルヘルム・フルトヴェングラーはナチスに抵抗しますが、結局は狡猾なゲッベルスの罠に嵌り「プロイセン枢密顧問官」というポストにこれまた就かされ、このことも戦後の彼の活動に暗い影を。
↓フルトヴェングラーの演奏会に臨席するヒトラー


この写真にはある意味が込められていると言います。
当時ドイツでは「ハイル・ヒトラー」とともに右手を高く上げるのが「総統に忠誠」を尽くすという意味で一般化していました。
しかしフルトヴェングラーはヒトラーを忌み嫌っていたため一計を案じ、タクトを持っていればそれをしなくて済むと言っていたそうです。確かに軽く会釈程度ですね。

そのゲッベルスの政敵であったゲーリング航空相はフルトヴェングラーのライバルとして「ヘルベルト・フォン・カラヤン」に目をつけ、その若き指揮者を「奇跡のカラヤン」とセンセーショナルに登場させ、ゲッベルスに対抗します。
このことがフルトヴェングラーとカラヤンの対立につながっていきますし、戦後、カラヤンの「ナチス入党疑惑」としてこれまた暗い影を落としてしまいます。

勿論、ユダヤ人音楽家たちはドイツに留まれば生命の危険があるわけですからその殆どがアメリカへ亡命、アメリカの音楽界は隆盛を極めることになるのですが、アメリカでは無く日本を目指した音楽家たちもかなりいました。
この事が我が国の音楽界の本格的夜明けとなったのは言うまでもない事実です。

話を元に戻すと、そのような治世下のドイツでしたから同盟国の首相の弟で貴族、そして才能の溢れる秀麿をナチスはプロパガンダに、ひいては「政争の具」としても使いたかったことでしょう。
現にゲッペルス宣伝相は猛アプローチをかけ、秀麿も「乗った」ふりをします。
そして彼はその「仮面」を上手く利用し、ナチスへの反逆とも言える行動をしていたことになります。
(クロイツァー夫人への援助でバレてしまうのですが)

ドイツ国内での演奏ができなくなった秀麿はポーランド、フランスで活動をしたようです。
ポーランドも当時はナチス占領下で、ポーランド人はナチスから見ると「劣等民族」なので「偉大な作曲家の残した作品を聴くこと、演奏することは罷りならん」という状況だったそうです。
(それにしても「劣等民族」とか「選民思想」という言葉には虫唾が走ります。)

因みに、かのアドルフ・ヒトラーは「我が闘争」の中で「日本人」を「小手先だけが器用な民族で我々ゲルマン民族が光を当ててやらなければ何も出来ない民族」「想像力に劣った民族だが、我がゲルマン民族の手足として使うには好都合」と書いてあります。しかし戦中、それらの表記は削除され、戦後、鈴木東民らによって暴露されました。また、米内光政は原語版を読み、ヒトラーの本心を知っていたため日独伊三国同盟に反対したという説もあります。

そのポーランド・ワルシャワで秀麿は演奏会を開きます。
客はドイツ軍の将校やドイツ人に限られた演奏会だったようですが、ワルシャワ人で組織されたオーケストラを指揮をすること自体が危険な行為であったと番組では紹介されていました。
上で挙げた通り「演奏することもダメ」なわけですから。

その事について秀麿の孫、水谷川優子さんが仰っていました「秀麿はきっとナチスに一矢報いた買ったのだと思いますし、抑圧されたポーランド人に勇気を与えたかったのではないでしょうか」と。
いくらVIPとは言え秀麿の行動には頭が下がりました。

その後、秀麿は「オーケストラ・グラーフ・コノエ」を私費で組織し、ナチ占領下のフランス各地で演奏を行いました。
(本来、秀麿は「子爵」なので「ヴァイカウント」なのですが、当時のドイツに「ヴァイカウント」はなかったため、プロトコールで一つ上の「グラーフ」=伯爵と呼んだそうです)
秀麿の戦後の手記に拠れば「オーケストラは50人弱」となっているのですが、このオーケストラの団員サイン帳には30名程度のサインしかありません。

ここからは番組の推測でしたが残り20人はユダヤ人で演奏旅行中に亡命させたのではないか?という推測でした。

残念ながら当時、フランスとスイス国境で亡命の手伝いをした人々、唯一の生き残りの方にインタビューをしていましたが秀麿の事は知らないとのことでした。
ただ、近衛家に伝わる話として孫の近衛一さん(オランダ放送フィルファゴット奏者)が語っていた「祖父はこのオーケストラのユダヤ人楽団員を愛車のフィアットのトランクに隠して亡命させたことがあったと聞いています」という話がありました。

いくら同盟国のVIPでもこの活動がバレたら一巻の終わりでしょう。
秀麿という人は貴族でありながらナチスの思想とは相容れず、自らの命を賭けてまで勇気ある行動をとっていた・・・
杉原千畝もユダヤ人を多く救いましたが、戦後暫くの間、その存在すら忘れられていましたが、もう一人そのような活動をしていた(であろう)人がいた事に同じ日本人として誇らしい気持ちになりました。
(杉原は当時の外務省訓令に背いてビザを発給したため、戦後外務省を追われてしまっています。しかし、彼のビザのお陰で命を救われた方がイスラエルで大臣になり、その存在が明らかとなった経緯があります)

ドイツ降伏後、秀麿は進駐してきた連合国軍に出頭しました。
この時、周りの人々は彼を匿おうとしたようですが「皆さんに迷惑を掛けるから」と言って出頭したそうです。
やはり秀麿の行いを周りの人々も賞賛していた証左だと私は思います。

戦後、秀麿は様々な著書を出しますが、ユダヤ人救出の事はほんの少ししか触れていません。
きっと彼の性格上、その事は「人間として当然の事をしたまで」という気持ちだったのではないでしょうか。
彼こそ「日本男児」だったのかもしれないと思います。

前回の「戦火のマエストロ」では放映されなかった新事実が色々と出てきた上に、相当掘り下げられていたいい番組でした。

月並みですが戦争の無情、非情、憎悪etc・・・それらをつとに感じさせられました。
それでも人間は「戦い」を止めない困った生物・・・

ただ「近衛秀麿」という音楽家としては勿論、1人の人間として「ナチス」という巨大な存在と闘った人物がいた事が少しでもこうして世間に広まっていってくれればと思っています。

↓晩年の秀麿


戦後は自らの活躍譚を語ることも無く、自分が手塩にかけて育てたNHK交響楽団からもぞんざいに扱われ、詐欺にあったりと不遇な晩年を過ごした秀麿。
しかし、彼の行った勇気ある行動が評価され、そして評価される日はもうそこまで来ていると思います。

「グラーフ・コノエ」よ、永遠なれ。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
Posted at 2017/07/31 04:02:03 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月29日 イイね!

強烈な「オーラ」を放つ車達

今日は行く宛を決めずドライブしてきました。

独り身の土日って本当にやることが無くてヒマです(笑)

涼しく体調もいいのでちょっと朝から遠出しようと決めました。

高速道路に乗り相変わらずのクルコン、95キロセットでダラダラと。

土日の高速は色々な車を見ることが出来て楽しいです。
欧米の高性能車達や国産の珍しい車や高性能車達。
助手席に乗ってくれる人(出来れば女性笑)がいれば写真でも撮れるのですが(涙)

そんな今日見た車達で印象深かった車達・・・

まず目を引いたのがこの車。


ロールス・ロイス ファントム。
左車線をゆったりと走っておりましたが「オーラ」がすごいですね(^^)
車に興味がない人でもあの「オーラ」には何か感ずるものがあるのでしょう。
めっちゃ前後の車間が空いてました(笑)

ロールスの車名は「ファントム」(亡霊)とか「ゴースト」(幽霊)とか特徴のある車名が多いですね。
(一説ではその静けさが「亡霊」や「幽霊」のようだからそのような車名が付いたとか)

追い越しレーンから抜きつつ運転している方を拝見しましたが、お爺さんが運転していました。
追い越しを終えその前に入ると助手席にはお婆ちゃん。
ショーファーでは無く自分で運転されているのかしら?

ロールスでゆったりと高速を流すご夫妻(と勝手に想像笑)、素敵ですね。
一生乗ることが出来ない憧れではありますがロールス・ロイスの存在感の凄まじさに圧倒されました(笑)
まるで「陸上の豪華客船」のような存在感でした。

次に見た「オーラ」を纏う車。


黒塗り&フェンダーミラー、そして後席にはカーテン(笑)
どなたがお乗りだったのか分かりませんが、センチュリーにも「オーラ」がありますね。
センチュリーこそ「ジャパン・オリジナル」と言ってもいいデザインでしょう。
センチュリーのモデルサイクルが長い事と、デザインを大幅に変えない理由は「ショーファー・カー」として「冒険」出来ないことが一番の理由なのでしょうね。
次期型が出るという噂もありますがどのようなデザインになるのか楽しみです。

暫く走行していると見慣れぬリアの車がおりました。
その車も左レーンをゆったりと走っています。
追い越しレーンから抜きつつ観察すると、とてもスタイリッシュなセダンでした。
で、その車の前に入ると。
この車でした。


マセラティ・ギブリ。
カッコいいですね~(^^)
この車も独特な「オーラ」を放つと同時に「色香」を感じさせるセダンですね(^^)
イタ車はなんでこうも「色香」あるデザインが出来るのでしょうか・・・
お金があったら欲しい・・・
でも私にはイタ車に乗る「ドライバーの色香」が絶対的に不足してますので(笑)
運転されていた方はサングラスをかけたちょっと初老な感じの男性がお一人でした。
きっと相当、車に一家言をお持ちの方なのでしょう。
いつかは乗ってみたい車ですね(^^)
(値段を見たら諦めがつきましたが笑)

SAで小休止して、またもや高速を名車探しの旅(笑)

ぶっ飛ばしていくミニバンやら軽やらを横目にまたもやクルコン95キロセット(笑)

暫く行くと妙に平べったい、横幅のある車が前方を走っています。
今度は何かいな?(笑)


これでした(^^)
ランボルギーニ・アヴェンタドール。
ランボルギーニというとフェラーリと並んで「絶対登ることが出来ない山の頂」のような存在です。
それにしても平べったくて幅が広い・・・

車高の低さは凄いですね(^^;)
マセラティとは違った「イタリア」を感じるデザインです。
(かく言う私はカウンタック世代ですが笑)
眺めているだけでなんだか幸せな気分でした。


前から見ると獰猛なデザインですね(^^;)
こんな「暴れ牛」や「跳ね馬」に睨まれたら「GT-R」もなんとかの前のカエルですね(^^;)
こちらのアヴェンタさんも男性が1人、左レーンを流していました。
お陰で十分に堪能させて頂きました(笑)
(追い抜き時に窓を開けてエグゾーストサウンドを聴きたかったですが、我が車の音と風切り音やらなんやらで聴けませんでした涙)

気づくと既に200キロ近く走っていました(笑)
最寄りのICを降り、コンビニでジュースを買って来た高速を逆方向へ。

帰りの道は思わず「オッ」となる車には中々出会えませんでした。

すると居ましたよ、ものすごい「オーラ」を放っている車(^^)
リアは若干クラシック調とも言えるデザインで、何の車か分かりませんでした。
しかしこれまた横幅が大きく、純白のボディから発せられるオーラが只者では無い(笑)

またもや追い越しレーンから抜きつつ横を見ますと巨大なセダンでした。
で、追い越しレーンから走行車線に移り、バックミラーで見るとこの車でした。



ベントレー・ミュルザンヌ。
こちらも往路で見たロールス・ロイス・ファントムに負けていない存在感とオーラです(^^;)

もとはと言えばロールス・ロイスとベントレーは兄弟車でしたし、両車とも世界中のハイソサエティに引っ張りだこな車ですから、似たような雰囲気とオーラを醸し出しているのかもしれません。
(現在はロールス・ロイスはBMW、ベントレーはVWのグループとなっているので昔から見ると差異がはっきりしています)

ロールス・ロイスがショーファー・カーだとすればベントレーはドライバーズカーというイメージですが運転できるならどちらでもしてみたいです(笑)
こちらもロールス・ロイス同様、前後の車間がものすごく空いてました(笑)
やっぱりあの巨大な車体から放たれる強烈な「オーラ」には車に詳しくない人達でも近づき難いものがあるのかもしれませんね(^^)v

そうこうしているうちに自宅近くのICが近づいてきたので高速ドライブは終了。
今日は珍しく?フェラーリとは一台も遭遇しませんでした。
また販売好調とも言われる「レクサスLC」との遭遇も期待していたのですが一台も会えませんでした。走っている姿を一度、見てみたいのですが・・・

久々の高速道路長距離でしたが様々な名車を見ることが出来て楽しい一日でした。
それにしても右車線をとんでもないスピードで飛ばしていく車を見ると「大丈夫かいな?」と思う車が多いですね。
欧米車や国産のハイエンド車だったら安心して見ていられるのですが(笑)背高なミニバンやファミリーカー、軽を見ると他人様の事ながら心配になります。

でも、今日見た「強烈なオーラ」を放っている車や欧米車、国産のハイエンドは大体が左車線をゆっくり流しているんですね。

国産ではハイエンドな性能であろうGT-Rに乗っていて思う事「流れを乱さない程度に流す」という気持ちと「いつでもその性能を見せてあげられるんだよ」という余裕をやっぱり欧州や国産の高性能車にお乗りの方はお持ちなのかもしれません。
(たまに飛ばしている車もお見受けしますが笑)

それにしても・・・

マセラティ・ギブリはかっこよかった(笑)
今回はどうやらイタ車の「色香」に当てられたようです(^^)
マセラティの似合う男になりたいなぁ・・・

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
強烈な豪雨がまさにゲリラ的に発生しております。
皆様お住いの地域にそういう事がありませんよう。

※文中に登場する写真はそういうわけで私が実際「見た」と車と思われるものをHP等からお借りしたもので実際に「撮った」写真ではありませんので悪しからず・・・(汗)

Posted at 2017/07/29 22:46:27 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月25日 イイね!

クライスラーも撤退ですか・・・

本日のニュースより。
「クライスラー、日本市場から撤退へ」

フォードに続いてクライスラーも撤退ですか・・・
残念ですね。

アメ車は我が国の自動車産業に大きすぎる影響を与えた存在なのは言うまでもありませんが、やはり日本の市場には合わないのでしょうか。

私は欧州車は勿論好きですが、アメ車のビッグセダンも好きなんです。

キャディラックCT6、リンカーン・コンチネンタル、クライスラー300等は欧州車には無い佇まいや、古き良き時代を感じさせるV8・OHVの組み合わせにたまらなく惹かれます。

欧州車のメカニックな素晴らしさとはまた違った「デカダンス」なところと言いますか・・・

↓クライスラー・300


↓リンカーン・コンチネンタル


↓キャディラック・CT6


こうしてエクステリアデザインを見ると最近のアメリカ車も独自の方向性を持っていると感じます。
我が国は国土が狭いのでビッグセダンは厳しいという考え方もあるのでしょうが、レクサスや日産、ホンダのハイエンド、欧州のEセグあたりとくらべてもそんなに「大きい」とは感じません。

これはやはり「売れよう」とする努力だけではどうにもならない所があるのかもしれません。

その昔、日米貿易不均衡の打開策としてトヨタがGMの車を売り出したことがありました。
その名は「キャバリエ」。
「騎士」の名を持つ車で、2.4リッターエンジンを搭載しながらコロナより安く、カローラと同等位の戦略的価格で登場した車だったと記憶しています。

私が免許を取るあたりに出た車で、一度見に行きましたが内装はとても「トヨタクオリティ」とは言えず、エンジンも素人の私が試乗しても、もっさりしたエンジンでがっかりした記憶があります。
所謂「安かろう悪かろう」のような感じでした。

↓トヨタ・キャバリエ


あの頃のアメ車から見ればカタログで見る限りはキャディラックの各車や、クライスラー300は内装のクオリティも良くなっていますし、エンジンも現代的なものになっているのに・・・

やはりアメ車というと「ガス食い」のイメージが我が国では浸透してしまっているのかもしれません。

またクライスラーもFCAとなり、ブランドそのものが最早「役割を終えた」とする向きもあるのでしょうが、伝統有るブランドだけに残念です。

フォード・クライスラーが撤退する中、GMは日本での販売強化に更に力を入れると名言しています。
「アメ車唯一の砦」となってしまうGMが気を吐けば、フォードやクライスラーの再参入もありえるのかもしれません。

先日、青ナンバーの見慣れないビッグセダンを見かけました。
「ヒュンダイ・ジェネシス」でした。
恐らく青ナンバーなので大使館か領事館の車でしょう。

↓ヒュンダイ・ジェネシス


ヒュンダイも一時、我が国の自動車販売に参入しましたが鳴かず飛ばずで終わったことがあります。
しかし、今のジェネシス(一瞬見ただけですが)はちょっとアウディ似なエクステリアでしたが、堂々たる佇まいで、他のEセグより割安な価格で出せば一定の成果はあげられるのではないかと思いました。

欧州、特にドイツ御三家やボルボは最早そのネームバリューだけで「売れる」存在です。
他の外国メーカーがこの御三家達と肩を並べる存在になるには、それこそ「レクサス・ショック」や「インフィニティ・ショック」位の車を造ることが出来なければ無理でしょう。

今回の撤退の報は残念ですが、いつの日か「栄光のアメリカ車」が日本に再上陸する日を願ってやみません。

GMから今年国内投入される新型カマロは直4のターボで登場とのこと。
V8モデルも用意されるようですが、このカマロのように「入門編」にちょうどよいモデルを用意するのも1つの戦略かもしれませんね。

↓新型カマロ


なんか書いていて、思考停止中のセカンドカー選び(笑)。
クライスラー300が大幅値引きとかしてくれないかなぁとか邪な考えが(^^;)

でもセカンドカーには大きすぎますね(笑)

人生、一度はドイツの御三家に乗りたいとは思っていますが、同時にアメリカ車にも一度はとの思いを新たにした本日の報道でした。

今日はだいぶ短めでした(笑)
最後までお読み頂き、いつもありがとうございます。

Posted at 2017/07/25 20:44:16 | コメント(7) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月23日 イイね!

「イケメン」な指揮者達~おまけも有るよ(笑)~

今日は幾分涼しい日。
定例の通院日でした。
行きも帰りもUSBに突っ込んでおいた音源を聴きながらチンタラと病院へ・・・

私がよく冷やかしに行くレクサスの前の信号が赤で停車したら納車待ちでしょうか、純白の「LC」が停まっていました。

カッコいいなぁ・・・
もうちょい安ければいいのに(涙)

さて、今日も先日の交響曲「通称」に続いて本日も音楽ネタです(笑)
しかも長いです(汗)

カッコいい「LC」を見た時にインスピレーションを受けたのと、みん友の山爺@Around60さんのブログ「怖い顔の指揮者たち」に感化され、私は所謂「イケメン」な指揮者達をバーンスタインの独断と偏見で紹介します(^^)

まずはこの方から登場頂きましょう。

お一人目。
私のHNの由来、レナード・バーンスタインさん(笑)

↓青年期


どうです、派手めなジャケットを来てカッコいいでしょ(笑)

彼はアメリカ生まれでは初の「世界的指揮者」と言ってもいい存在で、20世紀を代表する音楽家と言っても良いでしょう。
また指揮活動のみならず、ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」や「キャンディード」の作曲者としても有名ですし、三曲の交響曲も残しています。
その才は小さい時にすでに現れていたようで赤ちゃんの頃、蓄音機の音楽を聴いては喜んでいたそうです。

彼は大指揮者、ブルーノ・ワルター(戦前から戦後にかけて活躍した大指揮者。ユダヤ人だったためドイツを追われアメリカで指揮活動をしていた)が急病の為指揮できなくなったニューヨーク・フィルを代役で指揮することになり、全米に生中継された演奏がセンセーションを巻き起こし、一夜にしてスターダムに上り詰めた「アメリカン・ドリーム」を地で行く人物でした。

また自分がそのようにしてスターダムに上り詰めた事もあったせいでしょうか、若い演奏家への教育活動に力を入れ、我が国の誇る小澤征爾もバーンスタインの弟子の1人ですし、晩年は札幌を会場にPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を主宰し、若い才能の発掘に尽力しました。

また子どもや青少年への音楽啓蒙活動にも熱心であり、CBS放送で「ヤング・ピープルズ・コンサート(Young People’s Concert)という番組を持ち、子供や青少年に関心を持ってもらえるよう情熱を傾けた人物でもありました。
(この番組、ゴールデンタイム放送だったのはバーンスタイン人気の裏返しでしょう)

↓壮年期



ダンディなおじさんになりましたね(笑)

彼は音楽家ではよくある事なのでしょうが、所謂「陽性エキセントリック」な人間だったようで、ライバルと言われたヘルベルト・フォン・カラヤンのコンサートに行くと駄々をこねたり、大先輩で大指揮者のトスカニーニのレコードを聴いておかしいと思った箇所があったので自宅へ突撃訪問してそのことを指摘したり(が、家に帰ってよく見たら違う指揮者のレコードだったという笑い話)とかなり奔放な人物でもあったようです。

また当時、相当タブーであったであろうバイセクシュアルであったことを公言し、女優出身の美人な奥様が居たにも関わらず男性とイチャつくこともあったようです。
(奥様が見るに見かねて「男とイチャつくのはやめて!」と言ったら「何言ってんだ、音楽家はホミンテルン(ホモ+コミンテルン)なんだぜ」と言ったとか言わないとか・・・
ただ、このバイセクシュアルであった事を「神に背くもの」と相当、悩んでいたようです。

また本名は「ジョン・スミス」というアメリカでは「よくある」氏名だったため「レナード・バーンスタイン」という名前にしたとかしないとか・・・

ヘビースモーカーぶりと飲酒量の多さも有名でタバコは一日5箱、ウィスキー一本を日課としていたとか(笑)

↓晩年


彼は1990年に栄光に満ちた生涯を閉じました。
私はこのバーンスタインの「明け透けな陽性なエキセントリック」な所と若い才能の発掘に情熱を注いだ所や彼の創り出す「曲の内生を抉るような」演奏が好きです。
是非、彼の演奏をお聴き頂ければ・・・

ではお二人目に登場願いましょう。
ヘルベルト・フォン・カラヤンさん(^^)

バーンスタインと並んでこれまた私の崇敬する指揮者です。
HNを登録する時「バーンスタイン」と「カラヤン」で悩みました(笑)

↓青年期


バーンスタインとは違ったカッコよさですね。

彼はオーストリアで生まれ、当初は両親に音楽家になることを反対されたために「ウィーン工科大学」に入学しますが、やはりその夢諦め難く、モーツァルテウム音楽大学、ウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)に入学し直し音楽家の道をスタートしました。

彼も若い音楽家の育成には大変情熱を注いだ人で、小澤征爾はバーンスタインの弟子であったことは上で書きましたが、カラヤンの弟子でもありました。

何故カラヤンが若い音楽家の育成に情熱を注いだのか?

昔、何かの本で読みましたが、カラヤンがまだ若く、売れない指揮者だった時代に声がかかればありがたいという状況で、また経済的にも大変だったので夜行列車での遠距離移動やら何やらで音楽の勉強をする時間を取ることに苦労したから、才能を認めた若い音楽家達に自分と同じ苦労をさせたくなかったからと読んだことがあります。
また、カラヤンはポストを得るためナチスに入党したという苦い過去もあるのでそういう事をさせたくないという思いもあったのでしょう。

カラヤンはバーンスタインの陽気で明け透けな人物像とは真逆で、自らを「神秘的」な存在とし、全てにおいて「完璧」を求め、それを「演じた」人物でした。
写真も本人が認めたもの以外はNG、プライベートはほぼ秘密、人前に現れる時は計算され尽くしたかのような出で立ちという具合に・・・

例えば↓の写真



タートルネックの出で立ちに派手なストライプの入ったポルシェ911ターボ(^^)
まぁ私生活を滅多に出さないカラヤンでしたが、珍しく出す時もこのような写真です。

では演奏時の写真を。


これ、普通に演奏しているように見えますが、これも「カラヤン美学」が現れています。
というのも「オーケストラのヴァイオリン奏者」が普通に並んで演奏している写真を撮るとこの写真のように綺麗に各奏者の顔が並ぶことはありません。

これ、わざわざ各奏者の顔が綺麗に並んで映るように各奏者をずらして配置しているのです。

カラヤンが一番大きく映り、奏者の顔より目立つようになっているのもカラヤンの指令だそうです(笑)
曰く「奏者が私より目立ってはいけない。主役は私なのであり「カラヤン」の映像だから買うのだ」と。

また、これは噂ですが「頭の薄い」奏者が居ると光が反射して醜いという「カラヤン美学」のため、カツラをかぶらせて演奏させたとかさせないとか・・・
そこまで映像美に拘ったところがカラヤンらしいですね。

カラヤンも「ヘルベルト・カラヤン」が本名で貴族出身という事をあらわす「フォン」は付いていたとかいなかったとか・・・

まぁ、そのあたり全てがカラヤンの求める「完璧」だったのでしょう。
このような事からカラヤンの音楽は表面を取り繕っただけの薄っぺらい音楽と言った批判がありました。
しかし、カラヤンの創り出す音楽は非常に美しく、バーンスタインのような「抉る」感覚は無いのですが、だからと言って「空虚」だとは私は思いません。

カラヤン時代のベルリン・フィルを誰だったか著名な指揮者が言い表した言葉「ベルリン・フィルはオートマチックのスーパーカーだ」と。
言い得て妙ですね。

このカラヤンの「計算され尽くしたカッコよさ」にも憧れます。ただ彼の場合、計算されていたとしても「薄っぺらい」カッコよさでは無い所がいいんです(笑)

彼は音楽を如何にして最高の音と画像で世界中に届けるか、それを求道した一生であったと思います。

↓晩年


「楽団の帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンは1989年にこの世を去りました。
バーンスタインとは違った「徹頭徹尾美しい」という美学に拘ったカラヤン。
彼の名も忘れ去られることは無いでしょう。
カラヤンの残した名演奏も今や廉価で購入できます。
是非、ご一聴頂ければ・・・

では三人目。
この方に登場願いましょう。

↓青年期


え?分からない(笑)

彼こそ「世界のオザワ」こと小澤征爾さんの若かりし頃の一枚です。
男前ですねぇ。

小澤さんは日本統治下の満州・奉天で生まれました。
お名前の「征爾」の由来がまた凄いんです。

あの「関東軍作戦参謀」板垣征四郎の「征」と、同じく作戦参謀であった石原莞爾の「爾」を一文字ずつもらって名付けられたそうです。
言うまでも無くこの二人は「満州事変」の首謀者の二人なんですが、何故この二人からかと言うと・・・

小澤征爾さんのお父さん、小澤開作(開策とも)さんは本業は歯医者さんでしたが、満州の地で宣撫官という地位にありました。
宣撫官とは、相当簡単に言えば統治している土地の住民の不平不満を聞いて、政治に活かす役割です。

開作さんは「満州国」を「五族共和」の地に本気でしようと考えていたらしく、その活動は相当高度な次元で行われていたようで、板垣・石原の両参謀も一目置いていて、助言を請うていたそうですし、あの小林秀雄も満州の小澤家に居候していた時期があったとか。
しかし、彼の地で日本の統治政策が自らの理想とした「満州国」とは全く色合いを異にするに至り、その活動をやめてしまい帰国します。
(現に日中戦争には反対の立場をとり、戦後、ベトナム戦争に突入したアメリカを訪れロバート・ケネディに面会、日本の満州での失敗を説いたという話もあります)

昔、「笑っていいとも」のテレフォンショッキングに「小沢健二」さん(開作さんから見れば孫、征爾さんから見れば甥っ子)が出た時に「うちの爺さんは右翼の大物だったらしいです」と言ってました(笑)

そんな小澤征爾さんですが「世界のオザワ」になるまでには相当の苦労があったようです。
中々師匠である齋藤秀雄先生から手放して貰えず悶々とした日々を送り、齋藤先生に黙ってヨーロッパ行きを決意、富士重工からスクーターを一台借り、それを積んだ貨物船でフランスへ渡ります。
(齋藤先生からは一時「破門」を言い渡されたとか)
フランスに到着後はスクーターで欧州の地を音楽修業の旅。
そんな時にフランスの「ブザンソン」市で指揮者コンクールがあると知り、日本大使館を訪れコンクールへの推薦状を依頼しますが・・・

「君の学校は?桐朋学園?知らんね。うちは芸大じゃなきゃ推薦できないよ」と言われ意気消沈。

そこでアメリカ大使館に駆け込みダメ元で推薦状を依頼すると。

「お前は良い指揮者か?悪い指揮者か?」と聞かれ「きっと良い指揮者になるだろう」と答えると推薦状をくれたそうです。

昔から日本の役人根性はダメですね(笑)

ブザンソン指揮者コンクールで優勝を収め、いよいよ「世界のオザワ」の1ページが始まります。
シャルル・ミュンシュ(フランスの名指揮者)に認められ渡米。
そして生涯の師の1人となるレナード・バーンスタインにその才能を買われ「ニューヨーク・フィルハーモニック」の副指揮者となります。

↓ニューヨーク・フィル来日時の一枚


師であるバーンスタインと並んだ写真、まさに「凱旋帰国」ですね(^^)
このとき師・バーンスタインは「セイジ、よかったな!よかったな!」と我が事のように喜んでいたそうです。

が、順調に見えた出世階段ですがここで大きな落とし穴が。
所謂「N響事件」

1962年、小澤さんは我が国を代表する「NHK交響楽団」を半年に渡って指揮する契約を結んだのですが、年末好例のベートーヴェン「第九交響曲」のコンサートをN響がボイコットするという我が国のクラシック音楽の歴史に残る大事件が起こります。

こうなった経緯には諸説あって「練習にいつも寝坊して来る小澤さんにN響が頭にきた」「小澤さんのバーンスタイン仕込みの指揮ぶりが激しすぎて楽団員が反感をもった」「若い才能にN響の団員達が嫉妬心を憶えた」「小澤さんと同じく、若くしてコンサートマスターになった海野義雄さんが小澤さんに反感を持って煽動した」etc・・・

結局、真相は当事者達しかわかりません。
小澤さんはこの時「二度とこの国では音楽はやらない」と誓ったそうです。
しかし、この後のことを考えるとこれが更に彼を世界へ雄飛させる出来事になったのは皮肉です。
(小澤さんが再びN響の指揮台に立ったのは事件から33年後の1995年。当時を振り返って「あの頃僕は若くて生意気だった」と語っていたのが印象的でした)

N響事件の後、その才能を惜しんだ人々によって「小澤征爾の音楽を聴く会」が発足され、その方々が小澤さん擁護の論陣を張ります。
そのメンバーが・・・

井上靖、大江健三郎、石原慎太郎、浅利慶太、曾野綾子、谷川俊太郎、梶山季之、武満徹、黛敏郎そして三島由紀夫(抜粋)

うーむ、凄すぎる(汗)

やはり才のある方々は小澤さんの才を見出していたのでしょうし、このまま「終わらせてしまっては」という気持ちがあったのでしょう。
(三島さんと石原さんの所謂「右」の方々と大江さんという「左」の方が一緒に活動したというのも興味深いところです)
この時指揮した「日本フィルハーモニー交響楽団」が小澤さんの日本における「手兵」となります。
(日フィルは1972年に分裂、その後小澤さんは分裂した一方の「新日本フィル」が手兵となります)

追記:YouTubeにこの「小澤征爾の音楽を聴く会」顛末のニュース映像がありました。これを見て不覚にもジーンときました。仲間っていいですね(^^)
ここで「京子夫人」という言葉が出てきますが、小澤さんの前夫人「江戸京子さん(ピアニスト)」の事です。江戸英雄三井不動産社長のご令嬢でした。


この事件もあり、小澤さんは海外での活動がメインとなりカナダ・トロント交響楽団の音楽監督に。

↓トロント交響楽団との録音ジャケットより


若き日から見るとだいぶ重みが出てきましたね。
(と言ってもこの時は若干27歳)

この後の小澤さんの八面六臂の活躍ぶりは言うまでも無いでしょう。
「世界のオザワ」として君臨し続け、フリークであろうとアンチであろうと我が国で「指揮者」を目指す人の目標となった事は言うまでもありませんし、世界の楽団界でもその存在は無くてはならない存在とまでなりました。
(冷静に考えてみると・・・今の私より若くしてボストン交響楽団の監督か・・・)

↓山本直純さんとの友情も有名でしたね。


中々仕事が来ず、またヨーロッパ行きも決断できず腐っていた若き日の小澤さんに、当時すでに「寅さん」をはじめとする「映画音楽」で有名になっていた直純さんがかけた言葉
「小澤、お前は音楽の頂点を目指せ。お前が頂点を極めて帰ってきた時の為に俺は裾野を広げる」

直純さん、愉快なおじさんと思っていたけど泣けるぜ!そしてカッコよすぎ!!
(勿論、直純さんの指揮者・作曲家としての才能は凄かったようです。直純さんが亡くなった時、小澤さんは「直純さんこそ本当の天才だった」と語ったとか・・・)

↓ボストン交響楽団監督のあたり


遂には「ウィーン国立歌劇場総監督」という「ゴール」と言ってもいいところにまで上り詰めました。
最近はガンとの闘病等もあり指揮活動が少なくなって来ていますが、ずっと元気でいて頂いて「我が国の誇る世界的ミュージシャン」として君臨し続けて頂きたいものです。

↓最近


だいぶお痩せになってしまいました(涙)でも、まだまだ頑張って欲しいです。

↓ついでにご子息「小澤征悦」さん


女優の「杏」さんや「滝川クリステル」さんと浮名を流しましたね(笑)
ドラマや映画でも大活躍、お父さんの若き日より男前です(^^)

↓娘さん「小澤征良」さん


征良さんも美人ですね(^^)
征良さんは作家として活動されています。

私、小澤さんとは二度お会いしてお話したことがあります。
一度目は学生の頃、ちょっとした伝手がありお会いする機会に恵まれました。

生意気ざかりな学生の頃「世界のオザワ」を目の前にして緊張してたのもつかの間、だんだんと場に慣れてとんでもない事を私、言ってしまったのです。

「先生、先生のブラームスの第四交響曲の最後ってあっさり過ぎませんか?バーンスタインみたいにもっと伸ばしたら如何でしょう」と(汗)

楽器も出来ない聴き専門の二十歳そこらのガキが恐ろしい事を言ったものです(冷汗)

しかし小澤さん、怒るもせず「そぉ?レニーのはちょっとくどいよ」と笑って仰ってました。
ホント、今思い出しても恐ろしい事を・・・(滝汗)

二度目は征良さんもいらっしゃいました。
とても綺麗で、尚且つ気さくな方で思わず「結婚してください」と言いたかったですが、もう大人になっていたので前回のような無茶はしませんでした(笑)

それにしても美男美女揃い、しかも才能ある血統でうらやましい・・・
お母さん(征爾さんの奥さん)は「入江美樹」さんというモデルさんだったそうで・・・
(親父に聞いたら昔、とんでもない美人モデルとして有名だったそうです(笑)、Wikipediaで調べたら吉田拓郎さんも大ファンで「入江剣」という別名を使うこともあるとか笑)

我が国の誇る「マエストロ・オザワ」の音源も沢山ありますので、是非こちらもどうぞ(^^)

さて、我が国を代表する「イケメン指揮者」にも登場願いましたので次の方。

四人目。「リッカルド・ムーティ」さんです。

↓若かりし頃


ムーティはイタリア出身の名指揮者で現在「世界三大オーケストラ」の1つに挙げられる(と言ってもウィーン・フィル、ベルリン・フィルは鉄板として、あとの1つが人によって違うのですが笑)シカゴ交響楽団の音楽監督をされています。

ちょっと「トム・クルーズ」似ですね。
この方も若い時から世界的指揮者として名を馳せた方で、その甘いマスクも相まって女性ファンが楽屋に押しかけない日は無かったとか・・・

↓そして現在


やはりお年を召しました(^^;)
トム・クルーズからブルドッグに・・・(汗)

しかしムーティを「現代の楽団の帝王」と見るむきもあります。
名だたるマエストロ達が鬼籍に入りカラヤンのように「世界を股にかけて」活躍するムーティを重ねるのも不自然ではありませんね。
(ムー帝というあだ名もあります笑)

ムーティのエネルギッシュな活動は今後も続くでしょう。
まだまだ聴く楽しみがあるマエストロです。

五人目。
グィード・カンテッリさん。

↓ジャケットより


なんか昔の洋画に出てきそうな男前です。
カンテッリも幼少期より「神童」と呼ばれる程の才能を持っていたそうで、かのアルトゥーロ・トスカニーニの秘蔵っ子とまで言われた指揮者でした。

彼の経歴は波乱万丈でムソリーニ統治下のイタリア軍に徴兵されましたが、それに反発。
イタリア降伏後にドイツ軍に逮捕され、脱走。レジタンス活動に身を投じました。
しかし、その後また逮捕され処刑寸前まで行きますが再度脱走成功(^^)v
この時、最終的に脱走に成功したのはたった二人だったそうです。

戦後、トスカニーニに見出されアメリカ、ヨーロッパで大活躍。
いよいよ「カンテッリ時代到来!」の筈が・・・

1956年、パリからニューヨークに向かう飛行機が墜落し、36年の短すぎる生涯を閉じました。
(この事故での生存者は二人。この時「奇跡の二人」に再びカンテッリは入ることができなかったとのこと。Wikipediaより)

カンテッリとイシュトヴァーン・ケルテスの二人が長命なら世界の音楽界の勢力図は違っていただろうとまで言われるまでの存在でした。(ケルテスはイスラエルで遊泳中に溺死しました。享年43歳)

そんなカンテッリ、晩年の一枚。



長生きして名演奏を沢山残してほしかった指揮者です。

六人目。
トマス・シッパーズさん。



こちらは「ジェームズ・ディーン」似の伊達男といった雰囲気。

彼はニューヨーク・フィルやシカゴ交響楽団等、アメリカのオーケストラとの演奏は絶賛され、バーンスタインのように「アメリカ生まれでアメリカで高等音楽教育を受けた」巨匠となり、彼の後を襲う存在となるはずでした。

しかし、彼も47歳という若さで病を得、この世を去ってしまいました。

カンテッリ、ケルテス、シッパーズ。
「音楽の神・ミューズ」も時に残酷な事をするものです・・・

では最後、おまけ編。

「美人指揮者達」(笑)

「女流指揮者」はまだ絶対数は少ないですが、美人さんが結構いらっしゃいます(笑)

まずは日本。
西本智実さんから。




西本さんは「美人」というより、まるで「宝塚」から抜け出してきたかのような「男装の麗人」という感じです。
ロシアで音楽教育を受け、現在は国内外を問わず様々なオーケストラを指揮し、ご活躍しています。

数年前、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」を彼女が指揮する映像を「スズキ・スイフト」のCMで使っていました。
いや~かっこ良かったです(^^)

西本さんにも面白い話があって、彼女は大阪出身で大阪音楽大学OGですが、宝塚線に乗ると宝塚音楽学校の生徒から先輩に間違えられて挨拶されたり、小声で「あの人、宝塚よ」等と言われていたそうです(^^)
やっぱり美人は違いますね。

さて、日本から二人目。
三橋敬子さん。




こちらは西本さんのような「凛々しい」感じでは無くチャーミングな方です。
私は実演に一度だけ接したことがありますが、ステージに出てきた時、背がちっちゃくて可愛いなぁ(笑)と思ったのですが、その小さな体でオーケストラをドライブする姿には感銘を受けました。
あの時はまだ20代後半位でしたから、今は更に円熟を重ねて素晴らしい指揮者になっていることでしょう(^^)v

次は外国編。

アロンドラ・デ・ラ・パーラさん。
私、この方知りませんでした(汗)
このブログを書くきっかけとなった山爺@Around60さんのブログで知った次第でありまして・・・

↓アロンドラ・デ・ラ・パーラさん


彼女はメキシコ出身のまさにこれからの次代を担う逸材のようです。
日本のオーケストラにも呼ばれたことがあるようなので、来日の時は是非行きたいですね(笑)

シーヨン・ソンさん
彼女は韓国の女流指揮者で、同国初めての音楽監督ポスト(ソウル市交響楽団)に就いた方とのこと。

↓シーヨン・ソンさん


こちらはオリエンティックな美人さんですね~(^^)
彼女も結構な頻度で日本のオーケストラに客演しているそうです。
こちらも見に行きたい(笑)

最後。アヌ・タリさん。
彼女はエストニア生まれとのこと。
北欧は美人さんが多いお国柄なのでしょうか?(笑)

↓アヌ・タリさん




まるでモデル誌から出てきたかのような美しさ(^^)
こういう方の指揮で演奏できるオーケストラマンが羨ましい・・・(笑)

もし、女流指揮者の演奏会を聴きに行くならサントリー・ホールの「P席」がお勧めです。
P席はオーケストラの後ろ側の席になっているので、普通なら後ろ姿しか見えない指揮者を正面から観ることが出来ます(笑)
なんか理由が不純ですが(大笑)
P席は音響的には少し難ありという見方もありますが、私は実演を聴くと全て感動する単純な質なので(^^;)
もちろん、「女流指揮者」の演奏会ではなくとも、指揮者の動きを見ることが出来るので楽しいですし、S席等から見ると価格も抑えられています。
(ただし、たまに気合が入りすぎてとんでもない変顔になる指揮者の時は笑いを堪える事も必要になりますが笑)

今日もダラダラと長文になってしまいました。
最後まで忍耐強くお読み頂きありがとうございますm(_ _)m
また先日来、沢山の「イイね!」、感謝の限りです。

暑い日がまだまだ続くと思われますので皆様、ご自愛くださいませ。





あ。




もう一人「超イケメン指揮者」を忘れていました。




この方。









千秋真一さんでした(笑)

おそまつ・・・・・
Posted at 2017/07/24 22:31:11 | コメント(3) | トラックバック(1) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記

プロフィール

「DIY考~長年のブランクが通用するか~ http://cvw.jp/b/2783642/41040549/
何シテル?   01/30 03:26
バーンスタインです。よろしくお願いします。 HNは20世紀を代表する指揮者で大作曲家でもあるレナード・バーンスタインから取りました。 当然、車と同じ位、...
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