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バーンスタインのブログ一覧

2017年07月22日 イイね!

交響曲の「通称」について

最近、とみに暑い日が続きますね。
暑さの余り日記サボり気味のバーンスタインです。

今日も車ネタではありません(汗)

クラシックの古今東西の名曲たち、よく第○番「○○」のように題名が付いている曲、結構あります。
有名どころではベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」、交響曲第5番「運命」、第六番「田園」、第九番「合唱付き」、シューベルトの交響曲第八番「未完成」、チャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」、ドヴォルザークの交響曲第九番「新世界より」etc・・・

しかし、この「曲名」、我が国だけで通用している曲名がかなりあることを皆様ご存じでしょうか?

例えばベートーヴェン交響曲第五番「運命」。

この交響曲に「運命」という名前を付けて読んでいるのは日本だけなんです。

例えば外国で「Beethoven、「Destiny」symfony」と言っても通用しないと思われます。

では何故、我が国でベートーヴェンの交響曲第五番が「運命」と呼ばれるようになったのか?

一説では第五交響曲の、あの有名な「ダダダダーン」は何を表しているのか?と聞いた弟子にベートーヴェンが「運命はかくの如く扉を叩く」と答え、そのことが「ベートーヴェンは第五交響曲で「運命」を表現したかったという事になってしまい「運命」という「通称」が我が国で一般化してのでは?と言われています。

恐らく「ダダダダーン」を聴いて「交響曲第5番」と言う方より「あ、運命ね」という方が多いのでは無いのでしょうか(^^)

「ダダダダーン」の旋律は恐らく交響曲、いやクラシックの旋律で最も有名な旋律でしょう。
コミック的使い方もされますし、悲劇的な場面などでも使われますしね。

この交響曲第5番には面白い逸話があります。

冒頭の「ダダダダーン」がモールス信号にすると「V」即ち「Victory」であるので、かのアルトゥーロ・トスカニーニがイタリアが連合国軍に敗れた時に第一楽章のみを演奏し「残りはドイツが降伏してから」と予告、ドイツが降伏すると全曲を通して演奏したエピソード。(トスカニーニはイタリア出身の大指揮者ですが、ファシズムと相容れず祖国イタリアやドイツの敗戦を願っていました。)

また冒頭の「ダダダダーン」では指揮者もかなり大きな動きとなりますが、指揮者の山田一雄さん(尾高尚忠さんという説も)が「運命」と「田園」、二曲を演奏する演奏会で曲順を間違え「ダダダダーン」のつもりで指揮したら「田園」のこれまた有名なあの美しい旋律が流れた話等など・・・

エピソードの話はちょっとマニアックな所かもしれませんが、「運命」という通称の話、もし何かの場面で「運命」交響曲が流れたら豆知識として開陳してみては如何でしょうか(笑)

「運命」ほどメジャーな曲では無いですがこの他の名曲でも「日本」でしか通じない通称が付いた曲があります。

例えばドヴォルザークの交響曲第八番「イギリス」。

ドヴォルザークと言えば交響曲第九番「新世界より」が最も有名だと思われますが、恐らくその次に有名な曲はこの「第八交響曲」だと思われます。

では何故「イギリス」という通称が付いたのか?
当時、ドヴォルザークはドイツの音楽出版社と契約していたのですが、その作曲料があまりに安かったため、イギリスの出版社からこの「交響曲第八番」を出版したことに由来するそうです。

そりゃ、大作曲家だって聖人君子ではありませんし、その道の「プロ」ですから自分の技量を高く買ってくれる所に行くのは当たり前ですね(^^;)

因みにこの交響曲第八番は全く「イギリス」らしくない曲調で、ドヴォルザークの祖国、チェコの牧歌的、土俗的な曲調になっています。

近年では「イギリス」と通称を付ける傾向は無くなってきました。
しかし改めて私のCD棚を見ると「交響曲第八番 イギリス」と記載されたものがあります(笑)
昔買ったCD達ですので通称付きなのでしょうね(^^;)

もう一曲。
ショスタコーヴィチ作曲 交響曲第五番「革命」

こちらも第五番(笑)
それも「運命」と「革命」ですから面倒ですね(^^)

さて、この「革命」ですが、何故その通称が付いたのか。

その作曲の経緯ですが、ショスタコーヴィチはスターリン統治下のソ連において若くして「大作曲家」と言われるほどの存在でした。
そのショスタコーヴィチが作曲したオペラに「ムツェンスク郡のマクベス夫人」というオペラがあります。
このオペラ、相当に端折った言い方をすれば、その内容が「ポルノ」なんです(笑)
オペラの内容を知ったスターリンは激怒し、かの「プラウダ」等で「寝室オペラ」や「ポルノフォニ-」等と叩かれます。

所謂「スターリン恐怖の粛清政治」の時代でしたからショスタコーヴィチも相当怯えたと思われます。
(ショスタコーヴィチ自身の友人や親類達も「粛清」の名の下に処刑されたり、収容所送りになった人が多々いたようですから、その恐怖は相当の物だったでしょう)

そこで「汚名挽回」に作曲した交響曲、それがこの「第五交響曲」となったわけです。

この交響曲は当時台頭しつつあった前衛音楽とは違い単純明解でわかりやすい曲調だったことと、苦悩から歓喜(ここで言う歓喜とは社会主義革命により全人民が抑圧から解放された事)へ至る過程をあらわしたとされた事、そして作曲された1937年がロシア革命から20周年に相応しい作品という評価を受けショスタコーヴィチは名誉を回復します。

以上のような作曲の経緯があったため「革命」という通称が付きました。

また下記の説もあります。

「正当な批判に対する、ある芸術家の創造的回答」が非公式な副題のようなものとして浸透し、この副題はソ連よりもむしろ西側諸国でより喧伝されたという。
(以上Wikipediaより)

ということで、作曲者ショスタコーヴィチの意図しなかった「革命」という通称が付いてしまったものと思われます。

以上のような経緯があったため、この曲は「粛清を逃れるためにスターリンにゴマをすったロシア革命礼賛交響曲」という評価が殆どでした。

ただ、これもまた近年の研究では疑問が呈されていて「表面的にはロシア革命を礼賛しているが、ショスタコーヴィチ自身はその裏側に革命の理念とはかけ離れたスターリン統治を皮肉ったのだ」という説が有力になってきました。

特に第四楽章は「圧制に苦しめられていた民衆が革命成功を歓喜している」ものとされていたのがショスタコーヴィチ自身が友人に語ったとされる「あれはムチで叩かれながら「喜べ!喜べ!」と強要された「歓喜」なのだよ」という言葉。

ただ、そのショスタコーヴィチ自身が語ったとされる言葉や書簡を集めた本(ヴォルコフ/ショスタコーヴィチ著「証言」)自体が偽書という説もあるので、最早彼の本心を知ることは出来ません。

話が少し脱線しますが、「運命」の冒頭部分「ダダダダーン」同様、この曲の第四楽章も指揮者によってその解釈が異なることがよく分かる曲となっています。

「運命」の「ダダダダーン」は指揮者によって「ダダダダーン」の人もいれば「ダッダッダダーン」、「ダダダダーーーーン」の人もいます。
(本当は最初の「ダ」の前に全休符記号があるので「ン・ダダダダーン」なんですが)

「革命」の第四楽章もその傾向が顕著で最初の「ダーン、ダンタンダンタン」部分を速く演奏する指揮者もいれば、ゆっくりと演奏する指揮者もいます。
また、終結部も速さも指揮者によって相当異なります。

これは「革命」交響曲への指揮者の解釈の違いでしょう。
(上手く説明出来ないのでYouTube等で聴いて頂ければよく分かるかと思います。お聴き頂けるとあ、この曲、聴いたことあるなぁと思われる方が殆どかと)

以上のように作曲家が意図しなかった「通称」がついた曲というのもあります(笑)
まぁ、それらしい「副題」がついている方が覚えやすいですし、レコードの売上が期待できるというレコード会社の思惑もあったのでしょうね。

以上の三曲はその「通称」が「その曲の本質」を逸脱している例ですが、他にも「作曲者が意図しなかった通称」が付いた名曲は結構あります(笑)

ただ、それらは何かしら曲のフレーズやエピソード等「本質から逸脱しない」程度の「通称」が付いた曲達です。

例えばシューベルトの「未完成」交響曲は、その通称の通り「未完成」です(笑)

クラシック音楽というと「小難しい」「眠くなる」「敷居が高い」とお考えの方もいらっしゃると思います。
ですが、このように楽しい?エピソードの宝庫でもありますので、ご一聴いただく端緒になれば幸いです(^^)v

本日も車とは全く関係の無い内容のブログとなってしまいました(^^;)
最後までお読み頂き感謝いたします。

追記:
7月29日(土)20時から、前に拙ブログ「忘れ去られた「国際的日本人ミュージシャン」で書いた指揮者「近衛秀麿」氏のユダヤ人救出の話をあの「のだめカンタービレ」で指揮者を演じた「玉木宏」さんをストーリーテラーに迎えBSプレミアムで放送するようです(^^)
↓番組HP
「玉木宏 音楽サスペンス紀行 マエストロ・ヒデマロ 亡命オーケストラの謎」

前回のドキュメンタリー的内容から今回は玉木さんを迎えエンターテイメント要素も増えて楽しめる内容かと思います。
NHKの回し者ではありませんが(笑)是非、ご覧になってみてください。
Posted at 2017/07/22 22:21:20 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月17日 イイね!

久々にアニメ映画を観ました。「CARS2」

今日は涼しいので早起きしてしまいました。
いつも9時とか10時起床なので、なんだか得した気分ですね(^^)

といってもやることも無いので昨日録画した「CARS2」を観ました。

アニメは観ないのですが「CARS」は車が主人公なのでまぁ、観てみようかと。

結論からいうと楽しめました。

観るまでは子供向けディズニーアニメかと思っていましたが、主人公「マックイーン」とその仲間達の活劇。
マックイーンはモデルになった車は不明ですが、その他の車達は実車が殆どモデルとなっていて、デフォルメされたコミカルな動きにあっという間の二時間。

「2」は最初の舞台が我が国・日本だったのでS30Zと思しき車や懐かしの日産フィガロ、それとフェンダミラーの黒塗りの車はセンチュリーかしら(笑)

それと「腕利きの英国スパイ」役の車「フィン・マックミサイル」は格好は「アストンマーティンDB4」ということでどう見ても「007」こと「ジェームズ・ボンド」ですね(笑)

またそのボンド・ガールとも言える存在「ホリー・シフトウェル」はジャガーXJ220がモデルのようで「007シリーズ」へのオマージュでしょうか。

どうせ日本を舞台に出すなら「二度死ぬ」の「タイガー田中」こと「丹波哲郎さん」をオマージュした車も出してほしかったですね(笑)

お子様向けのアニメも今の作品は楽しめますね(^^)

一昨日から「CARS/クロスロード」の公開が始まったようなのでその映画宣伝の意味合いが強いのでしょうが、正直観に行きたくなりました(笑)

でもアラフォーのおっさんが1人で観に行くのは相当の勇気がいるなぁ(汗)

甥っ子を連れて行こうかと思いましたが、もう大学生ですし彼女と観に行かせて感想を聞かせてもらうのもいいかとも思ったり、従甥は遠くに住んでいるので観に連れていけないし・・・

DVD化を待つのが賢明そうですね(笑)

映画館なんて、10年以上行ってません。
たしか最後に観たのは・・・

確か渋谷の「ユーロ・スペース」で観たブルーノ・ガンツ主演「ヒトラー最後の12日間」だったはず。
映画館には本当に足を運ばなくなりました。

所謂「箱物映画館」はどんどん姿を消して「シネコン」が中心になりつつありますもんね・・・
「シネコン」だと話題作しか放映しないでしょうし、なかなかマニアックな映画は直ぐにユーロ・スペースなんかでやったりするんですが直ぐに終わっちゃうんですよね・・・

ドキュメンタリー映画「ナチスのオーケストラ」とか「ベルリン・フィル~最高のハーモニーを求めて」も「ユーロ・スペース」で上映しているって聞いて、観に行こうと思ったら終わってましたし・・・(涙)

ま、やっぱりパラマウントやFOX等、大手配給の宣伝打ちまくりの大作や日本だとどこなのかしら?東宝とか東映の豪華キャスト映画じゃないとお客さんが来ないでしょうから仕方ないですね・・・
(今でもOPの波ザッパーンなのかなぁ)

今、改めて見たい映画・・・
小林正樹監督「東京裁判」ですね(^^;)

佐藤慶さんのナレーションと武満徹さんの音楽が印象的でした。
ただ上映時間がとんでもなく長かったような・・・
(調べたらなんと4時間半・・・)

子供の頃観て「全くわけの分からない」映画で(と言うより、よくもまああんな大作を地上波でやったものだと感心笑)、「東条英機」や「土肥原賢二」「板垣征四郎」やら「廣田弘毅」と言った「A級戦犯」は「悪でしかない」と思ったものですが、今観ればインドのビノード・パル判事が主張した所謂「事後法」をもって裁くことの違法性からの「全員無罪」主張とか、ジョセフ・キーナン主席検事の「天皇免訴」の為の働き、それに対し「天皇訴追」を主張するウィリアム・ウェブ裁判長との対立とか、今観たら相当違う観点から観ることが出来ますし、楽しめると(楽しむ映画ではありませんが)思っています。

「東京裁判」はDVDで買うしかないかなぁ・・・

邦画もこうしてみるとドキュメンタリーチックな物は殆ど姿を消しましたね。
最近では「日本の一番長い日」位でしょうか。(リメイク版)

あれは阿南惟幾陸相が主人公でしたが、旧作の方が良かったと思います。
(リメイク版はキャストこそ豪華でしたが「美化」描写が多すぎて・・・例えば阿南陸相の今際の際に言った「米内を斬れ!」とかありませんでしたし)

まぁ「暗い映画」や「バッドエンド」映画はウケませんから仕方ないですよね(^^;)

暴力描写や性描写が減るのは時代の趨勢でしょうが、なんとなくそれが映画の「画一化」「平板化」を招いていると思うのは私だけでしょうか・・・
(「戦国自衛隊」も旧作(千葉真一さん版)と新作(戦国自衛隊1549、江口洋介さん版)では最早「違った映画」でしたね)

まぁ「みんなが安心して観ることが出来る映画」となると致し方ないのでしょう。


本日はいつもより短めにまとめてみました(笑)
今日も最後までお読み頂きありがとうございます。

また、先日来より沢山の「イイね!」ありがとうございます。
Posted at 2017/07/17 08:17:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月14日 イイね!

昨日の続き「LEADERS2」を観て

今日はフレッシュ・オールスターを観てこれから台頭し、一軍を伺う存在になるであろう二軍を代表する選手たちのプレーを見ておりました。

昨日、ドラマ「LEADERS」について書きましたが「1」の内容に終止してしまったので「2」の内容について日付も変わったので書きたいと思います。

「1」は愛知佐一郎(豊田喜一郎)を主人公とした謂わば「車造り」への悪戦苦闘と、人員整理案に端を発する労働争議、そしてアイチ自動車(トヨタ自動車)の経営危機とそれに対する日銀主導の銀行団協調融資をめぐる日銀とのやり取りが物語のメインストリームでした。

「2」では視点を変え、「販売」の面でアイチ自動車を支えた人々が物語のメインストリームになっています。

登場人物は「1」とほぼ変わりませんが「2」で新たに登場した人物とそのモデルとなった思われる人物について。

↓「日の出モータース」
「日の出モータース」は日本GMの代理店でありましたが、トヨタの販売店に鞍替えします。

というのも当時の欧米メーカーは謂わば「殿様商売」でディーラーには販売ノルマを課し、売れなければ代理店取り消し。
また顧客には「月賦販売」を認めるが、メーカーから販売店へ卸す際は分割払いを認めなかったそうです。
即ちディーラーは「代理店」の看板を守るためメーカーから一括でノルマ台数を購入し、その車を顧客には月賦で販売するという販売形態が殆どを占めていたのでディーラーは資金調達が大変だったようです。

この「日の出モータース」支配人だった人物。

山崎亘(やまざき わたる)=内野聖陽さん
ドラマ中では佐一郎の造った試作車とひょんなことから出会い、その出来栄えに呆れるが、佐一郎の自動車への情熱に興味を持ち、また理不尽とも言える日本GMの販売体制に不満もあり「アイチ自動車」ディーラー第一号となります。
内野さんと言えばドラマ「ゴンゾウ」で「熱い男ながらも影のある人物」を演じ、今回は「国産自動車の販売に自らを投げ打つ」熱い男を演じています。
いい俳優さんですね。

この人物のモデルは「愛知トヨタ」の創業者である「山口昇」氏とのことです。
山口氏は昨日のブログで紹介した「販売の神様」神谷正太郎氏の誘いも大きかったとのこと。
現在「愛知トヨタ」は全国のトヨタディーラー網でも屈指の存在となっているようです。

ドラマ中で「GM」の販売権を返上し「アイチ」のディーラーとなると宣言した時、殆どの社員が去って行く場面、当時販売員でも「海の物とも山の物ともつかない」国産車を売ることに不安があった裏返しでしょう。

↓「若草自動車」
「アイチ自動車」のライバル社として「若草自動車」というメーカーが登場します。
これは「日産」がモデルでしょう。

当時「日産」は「鮎川財閥」の自動車部門という存在であり、当時「アイチ=トヨタ」から見ればとんでもなく巨大な財閥でした。

その「若草自動車」の人物。

菊間武二郎(きくま たけじろう)=大泉洋さん

モデルは「菊池武三郎」氏とのことです。
タクシー、バス会社を経営する実業家であったが、自社のバスが事故を起こし廃業。
その後、日産へ転職、「奈良日産自動車」を創立するが、その後「奈良トヨタ自動車」へ鞍替え。
ディーラー網が整備された現在、ライバル社に鞍替えするという事は考えられませんが、この当時はディーラー網もあまり整備されていなかったのか、こういう事が可能だったのかもしれません。

ドラマ中では「菊間武二郎」も「愛知佐一郎」の車造りへの情熱と社員、そしてディーラーにまで気を使う姿に共鳴しトヨタへの鞍替えを決意させたことになっています。

もう一人。
少ししか登場しませんが。
浅田(若草自動車常務)=尾上菊之助さん

恐らくこの方のモデルは鮎川財閥の総帥「鮎川義介」氏ではないかと思います。
浅田常務は菊間の身の上を案じており、アイチの苦境は「2」でも描かれますが、その際「若草に戻ってこい」との言葉を投げかけます。
ここでは省きますが「鮎川義介」氏も我が国の産業を語る上では外せない人物ですので、ご興味のある方は是非、Wikipedia等で見てみてください。

↓「アイチ」を支える人々
大島磯吉(おおしま いそきち)=山崎勤さん
大島商会という板金屋。アイチのトラック発表会にて「国産自動車製造」に共鳴、自らも何かの役に立ちたいと自分の造っているオイルカイロを大田工場長に渡す。
シャフトの強度不足問題が発生した時、大田工場長は素晴らしい板金技術のオイルカイロを造った大島の存在を思い出し、佐一郎自ら工場に招き教えを乞う。
また労働争議で揺れるアイチに危機感を持ち「スト」を打とうとする下請け会社の社長達を諌める。

この大島磯吉のモデルは「小島濵吉」氏とのことです。
現在、氏の会社は「小島プレス工業」としてトヨタ下請けの中核を担う会社となっているそうです。
(小島氏自身、下請け会社で造る「共豊会」会長を努め、下請け会社の代表としてトヨタと渡り合ったそうです)

↓その他の人物

その他と言えば「ヒール」ですね(笑)
「1」では吹越満さん演じる「西国銀行 児島支店長」が融資を渋り「機屋に貸せても鍛冶屋には貸せない」という罵詈雑言を浴びせるヒールでしたが・・・
(児島支店長のモデルとなった人物とその後については拙ブログ「LEADERS1」を観てをご覧下さい。

今回のヒール役は・・・
酒田健太郎(さかた けんたろう)=郷ひろみさん
GM代理店「酒田モータース」支配人であり、国産自動車など夢のまた夢と考える。
また強引な手法で、「一県一ディーラー」であったGM代理店の座を獲得、内野さん演じる山崎亘の「日の出モータース」と対立する。

郷さんのヒール役ってのも新鮮ですね(^^)

彼も罵詈雑言では「1」の児島支店長に負けていません(笑)

「日の出モータース」の内野さんに
「乳母車でも人を運べるのにアイチの車は満足に運ぶこともできませんねぇ」
とか
「アイチの車は渋滞製造機ですか?」

極め付きはアイチに鞍替えした内野さんに「世間では「日の出モータース」と言っている人物はいませんよ。「日の暮れモータースですな」・・・

こちらも視聴者にいい「ムカつき」を覚えさせる演技ですね(笑)

この「酒田健太郎」のモデルは「ヤナセ」の創業者、「簗瀬長太郎」氏と言われていますが・・・
果たしてどうだったのでしょう。

ここまでヒールな人物だったら現在の「ヤナセ」の隆盛は無いと思います。

「酒田健太郎」は「簗瀬長太郎氏」を意識したところもあるかもしれませんが、ここまで酷い人物だったとは思えません。
ただ、長太郎氏は息子であった「簗瀬次郎」さんにはDVと言ってもいい酷い事を平気でやっていたようです。
人の前で「出来損ないの息子」と面罵されたり・・・

また、この「酒田健太郎」のモデルが「簗瀬長太郎」氏だったという説を裏付ける話として「VWの独占輸入権をヤナセから取り上げ、トヨタが「DUO店」を設立しVW車の販売をすることでヤナセに仕返しした」という話。
当時、トヨタとVWは蜜月の存在でしたからトヨタがVWに働きかけそれをやったという・・・

でも一種の「私怨」の為、そこまでやるとは、あの「無駄金は使わない」トヨタがやるとは考えにくいですね。

「2」のラストも痛快です。
「アイチ」の車が売れだすと機を見るに敏な「酒井健太郎」、「アイチ」のディーラーになりたいと申し出ます。
すでにこの時に亡くなっていた「佐一郎」の写真をバックに「石山社長」がこう言います。
「一番苦しい時にアイチを支えてくれたのは彼ら(日の出モータースを始めとするディーラー達)です。お引き取り下さい。」
それに対し酒田は「いいのですか?我々のディーラー網は全国を網羅しており販売数を稼げるのですよ」
対して
石山社長。
「私が穏やかに話している間にお引き取りください・・・帰りなさい!」

痛快(^^)

昨日のブログで「何故実名でやれないのか」と書きましたが「実名」ドラマとなると良い所を演じる人物や会社のイメージは上がりますが、ヒールな人物、会社はマイナスイメージになることは必定ですし、TBSも「トヨタ」だけがクライアントではありませんから、他のメーカーに気を使う必要もあるからでしょう。

ただ、「豊田喜一郎」をモデルとした映画「遙かなる走路」があります。
こちらはすべて実名、豊田喜一郎役には市川染五郎さん(現・松本幸四郎さん)、豊田利三郎には米倉斉加年さんが演じています。
こちらはDVDを持っておりますが「LEADERS」からみると「人間ドラマ」の側面が強く、自動車開発への苦闘も描かれますが、利三郎との対立、そして喜一郎の実母への想いを描いた作品です。
(こちらも自動車好きの方にはお勧め出来ます)

ここでバーンスタインの勝手な提案(笑)

国産全メーカーをクライアントにしてドラマを創りましょう(^^)

1970年代後半から現在までの「国内自動車戦争」や「日米自動車戦争」「環境負荷低減車開発競争」あたりを題材に、各社の思惑やトップ達の決断、合併や提携なんてのを題材に・・・

山崎豊子先生がご存命で、こういう話題で小説書いたら相当、面白かったでしょう。

まぁ実現したとしても4時間ドラマでも描ききれないでしょうから1クールで(笑)

毎週、クライアントを変えて2社位でCMを回すようにして、国産全メーカーから金を出させれば「超・豪華」なキャストも組めるでしょうし、CMも「車」だけなので「車好き」な視聴者は飽きないでしょう(笑)

今日もしょうもない内容のブログとなってしまいました。
夜になり昼間より暑くて寝苦しそうなので、もう少し夜更かししようと思います(^^;)

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
また先日来、沢山の「イイね!」を頂き感謝致します。
Posted at 2017/07/14 01:37:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月13日 イイね!

「改題」ドラマ「LEADERS1」を観て

今日は少し?涼しいですね。
扇風機生活4日目のバーンスタインです。

トヨタから「新型カムリ」が正式発売されましたね。
この新型カムリ、CMがいいですね。

歴代、トヨタのセダンからクーペまで懐かしいCM映像を流しつつ新しいカムリがその中から出てくるという演出。
トヨタのCMに込めた願いは「これらトヨタ歴代の名車達を流れを汲み、なおかつそれらを超えた存在」という事を言いたいのでしょうか。
一瞬ですが「二代目ソアラ」のCMや「セリカ・カムリ」のCMが流れるあたり、トヨタの「セダン復権」への本気度を感じます。
売れるといいですね。

さて、カムリのCMを観て今年放送されたドラマ「LEADERS」を1のディレクターズ・カット版と2を観ました。
リアルタイム放送でも観ましたが、ブルーレイに落としていたものを一気に。

こちらのドラマ、視聴した方も多いと思います。

トヨタがモデルのドラマですが、現在のトヨタ自動車を造った「豊田喜一郎」氏が主人公の話です。

何故かドラマなのに全ての人物は架空の人物として描かれています。
ドラマ内で重要なファクターを占める人物を実在の関係者と照らし合わせ、紹介します。

舞台は愛知県に本拠を置く織機メーカー「愛知自動織機」

↓「愛知自動織機(後のアイチ自動車)関係者」

愛知佐一郎(あいち さいちろう)=佐藤浩市さん
愛知自動織機常務。当時の日本で国産自動車製造等、夢のまた夢だった時代に「このままでは日本は欧米の自動車に席巻されてしまうと考え、自動車こそ日本の主力産業にしなければならない」という強い理念のもと、悪戦苦闘しながら自動車開発を進める男。

この「愛知佐一郎」こそ「豊田喜一郎」がモデルです。

愛知自動織機社長・石山又造(いしやま またぞう)=橋爪功さん
愛知自動織機社長。佐一郎が研究と称し、自動車製造へ多額の会社の金を投資することに危機感を抱き、自動車開発・製造に反対する。しかし、佐一郎の熱意に根負けし、自動車製造に理解を示すようになる。

この人物はトヨタ自工・自販時代に自工の社長であった「石田退三」氏と喜一郎の義兄であった「豊田利三郎」氏をミックスさせた人物でしょう。
「喜一郎」の影に隠れがちな「利三郎」とは一体どういう人物だったのか。
それは後ほど。

愛知正二(あいち しょうじ)=椎名桔平さん
主人公・佐一郎の従兄弟。東京帝国大学で自動車工学を学び、佐一郎の「国産自動車開発」の夢と熱意に惹かれ、自らもその道へ飛び込む。

この「愛知正二」のモデルは上で挙げた「石田退三」氏とならび「トヨタ中興の祖」とまで言われ、2013年に100歳の長寿を全うされた「豊田英二」氏がモデル。

大田耐介(おおた たいすけ)=緋田 康人さん
アイチ自動車工場長、エンジニア。佐一郎の自動車製造への熱意に惚れ込み、国産自動車製造において一番難しいとされた「純国産エンジン」造りに悪戦苦闘する。

この人物は「トヨタかんばん方式」「ジャスト・イン・タイム」と後に有名になるトヨタ製造方式の礎を造った「大野耐一」元副社長がモデルでしょう。

神田征太郎(かんだ せいたろう)=神保悟志さん
日本GM法人の腕利き販売員として「副支配人」にまで登りつめるが、自社の車の販売網を造りたかった佐一郎の国産自動車製造への熱意に惚れ込み、アイチ自動車へ転職。
全国ディーラー網造りに奔走する。

この人物はトヨタ自工・自販時代に「自販」の社長を努め「販売の神様」とまで言われた「神谷正太郎」氏がモデルですね。

愛知洋一郎(あいち よういちろう)=溝端淳平さん
佐一郎の息子。幼少の頃から自動車造りに没頭する父を見て、自らもエンジニアになる道を選ぶ。北海道でコンクリート技師として活躍。

モデルは「豊田章一郎」現トヨタ名誉会長ですね。

↓日本銀行関係者

財部登(たからべ のぼる)=中村芝翫さん
日銀総裁。佐一郎とは東京帝大の同級。佐一郎の「国産自動車」等は夢のまた夢であり、日本は繊維等の軽工業立国を目指すべきというスタンスを取る。日銀総裁としてGHQ指令と国民の板挟みとなり苦悩するが、中小企業向け援助廃止を断行。アイチ自動車が倒産の危機に瀕した際、人員整理と引き換えに日銀主導の銀行団協調融資を提案。

財部総裁のモデルは「一万田尚登」日銀総裁でしょう。
後に政治家に転身、大蔵大臣として活躍しました。

山梨良夫(やまなし よしお)=香川照之さん
日銀名古屋支店長。当初は財部総裁の秘書として「国産自動車不要」論者であったが、佐一郎の掛ける熱意に次第に共鳴し、名古屋支店長着任時に遭遇したアイチ自動車倒産危機を回避すべく、財部総裁への根回し、協調融資の音頭取り等に奔走。

こちらの人物のモデルはわからなかったので調べました。
どうやら「高梨杜夫」さんという方がモデルのようです。
この方のエピソードは後に。

↓その他の人々

児島正彦(こじま まさひこ)=吹越満さん
西国銀行名古屋支店長。アイチ自動車倒産危機の際、メインバンク三行の1つでありながら、融資に反対。協調融資に最後まで反対しアイチ自動車への融資の中止、債権を引き上げる。

私の好きな吹越さん(笑)
このドラマでは完全な「ヒール」です。
こちらもモデルとなった人物は分かりかねたので調べました。
小川秀彦さん、後にプリンス自動車社長にまで登りつめる方でした。
この方にも面白いエピソードがあるので、それは後ほど。

このドラマを観るといかに「国産自動車製造」が困難なものであったのかが理解できます。
当時、我が国を走っているのは欧米産の自動車ばかり。
「自動車」に対する技術的スキルは勿論、生産スキルもありません。

ドラマの中でも佐一郎が購入したシボレーを分解し、それを再度組み上げるという行動を何度も繰り返し「自動車」というもののメカニズムから理解する描写が描かれます。

そこで印象深い一言。
「常務、全部で部品が一万点もありますよ。これを全部国産で造るのですか?」

今の車で4万点位と言いますが、当時のなんのノウハウもない状況で一万点もの部品を製造して「一台」の車を造ることの難しさをこの一言が表していると思いました。

一番困難を極めたのはエンジンだったようです。
エンジンブロックを造るのに、型に鉄を流し込む「鋳造」で造ろうとしたわけですが、その「鋳物型」作成にかかる土と油の比率に相当悩まされた描写が出てきます。
どんなに比率を変えても断端部が潰れてしまっていたり、ウォータージャケット部が潰れていて使い物にならないものが何度やっても型から出てきてしまう・・・
大田工場長が失敗作を見ては涙を流す姿、印象的です。

またドライブシャフトも鉄の配合比率が難しかったらしく、何度も「アイチ」の車のシャフトが折れたり曲がったりして故障し、顧客から「人や荷物じゃなくて故障を積んで走っているじゃないか!」と罵声を浴びせられるシーンもあります。

現在でこそ車は「普通」に乗り、交換部品さえちゃんと交換していれば30万キロはノントラブルで足ることが出来るとスバルのエンジニアの方が仰っていましたが、ゼロからの出発だった当時、相当の苦労があった事が分かります。

現在、「自動車産業」は我が国を代表する産業ですが、このような先人達の苦労と努力があったからこそ、今の隆盛があるのだと実感させられました。

また「豊田喜一郎」の「社員は家族」という考えと、倒産の危機に瀕し銀行団から突きつけられた協調融資条件である「合理化・人員整理」の相克。

勿論、ドラマですから相当部分で美化されている描写もあるでしょう。
しかし喜一郎という人物は「自動車」にかける熱意と、それを実現させるために一緒に汗を流した社員達を謂わば「切る」という行為に悩みに悩んだに違いありません。

結局、佐一郎(喜一郎)は人員整理を断行します。
そして「仲間」達を「切る」ことのけじめとして自らも社長を退きます・・・

このくだりも現実のトヨタ倒産危機と労働争議事件と同じですね。

この数日後に朝鮮戦争が勃発、「対共産圏」最前の防波堤であった日本に軍需用物資の製造・発注が爆発的に入ることとなり「アイチ自動車」は倒産の危機を脱し、現在の「トヨタ自動車」への道を歩み始めます。
(ドラマでは積極的に描かれていませんが、トヨタの「自工販分離」も協調融資の条件とされ「トヨタ自動車工業」と「トヨタ自動車販売」の分社体制となり、1982年までこの状態が続きました。工販合併の日、当時の豊田章一郎社長は「トヨタの戦後はやっと終わった」と全社員に向けて述べたそうです)

後日譚として、息を吹き返し社長を退任していた喜一郎は社長への復帰を打診されます。
本人は1人で新技術の開発を好き放題にやっている日々を送っていたので渋ったようですが、結局受けました。
しかし、その社長復帰寸前で病に倒れ、57歳の若さでこの世を去りました。

トヨタの組合が組合活動全盛期においても「余り攻撃的ではなかった」事の理由に、この「喜一郎の社長退任と死」が関係しているという説があります。

その理由として、上で挙げた合理化・人員整理の際に喜一郎は社長を退いたわけですが、その際①喜一郎を社長から退かせてしまった②また、その決断をさせるため心労をかけてしまった③その心労が理由で57歳の若さで社長復帰を目前に亡くなってしまったetc・・・

このことが社員達の胸に謂わばトラウマのように刻まれ、トヨタの組合員達は攻撃的ではなくなったという説・・・
あくまでもこれは労働争議史の授業で聞いた話です。

ただ、「トヨタ自動車」を造った「喜一郎」の謂わば「悲劇的」な死に対する社員達のある種の気持ちを抱いたであろうことは分かります。

さて、話は変わって上で挙げた三人の人物の後日譚。

まずは香川照之さん演じる山梨良夫日銀名古屋支店長。

モデルとなった高梨杜夫支店長の奔走のおかげでトヨタは倒産の危機を脱することとなるわけですが、日銀理事まで上り詰めた高梨氏は退任後「JAF」の初代会長に就任されました。
「JAF」は社団法人ですから自動車メーカーの「力」が働くことは無いと思いますが(笑)
なんだかこの話を知ると「トヨタが恩に報いた」ような気がしますね(^^)

二人目は橋爪功さんが演じた「石山又造」のモデルの1人であろう「豊田利三郎」氏。
利三郎はかの「豊田佐吉」が開発した自動織機で中京地区屈指の財閥となっていた豊田家に「婿入り」した人物。
「利三郎」は「喜一郎」の妹の夫であるので、今の戸籍法から見れば「義弟」になるのですが、旧戸籍法では「妹の夫」であっても、その「夫」が年長者であれば「義兄」となり「戸主」と見たそうです。
利三郎も現在のトヨタの隆盛の礎を築いた人物でしょう。

ただ、評伝等を読むと喜一郎の「自動車製造」には当初猛反対したようです。

それはそうでしょう。
自分が「婿入り」した財閥を当時わけもわからない「自動車」なんて物に投資してその財閥を潰してしまったら佐吉に顔向け出来ないという気持ちだったでしょうから・・・

ただ喜一郎の熱意に絆されたのか、強硬に自動車製造に反対していた利三郎は熱心に自動車産業の重要さを説く喜一郎に「よし。先代は何回も会社を潰して今の織機を造った。今回織機を潰してもあの世で「よくやった」と褒められるだろう。お前と、いや自動車と心中だ!」と語って自動車の本格製造のゴーサインを出しました。
(たしかトヨタ博物館で買った伝記に書いてあったような・・・)
まぁ、伝記ですから美化されているかもしれませんが、利三郎の決断が無ければ「トヨタ自動車」はなかったのかもしれません。

利三郎の言葉でもう一つ、印象深いものが。
「三井、三菱でさえ手を出さない「自動車」なんてわけのわからんものに、なんで田舎財閥の俺達が手を出さなきゃいけないんだ!」

わかります(^^)

私が利三郎と同じ立ち位置だったら絶対に許しません(笑)

「先見の明があった」と言えば簡単ですが、ここが大企業を創造していった起業家達と私のような凡人の違いなのでしょうね(^^;)
(映画「ソーシャル・ネットワーク」でザッカーバーグの青春を見るにつけ、トヨタとの成り立ちは違えどこういう思いになります。)
なお、利三郎は喜一郎が旅経って半年後、後を追うように亡くなったそうです。

さて、最後の人物の後日譚。
倒産の危機に瀕した「アイチ自動車」への協調融資を渋り、結局融資をすることなくメインバンクでありながら債権回収に走った「西国銀行・児島名古屋支店長」

ドラマ内で一番のヒールです(笑)
吹越さんのイヤミったらしい台詞を聞いていると本当に「嫌な奴」です(笑)

吹越さんはこういう役から刑事役からコミカルな役まで多様な演技の出来る「バイプレーヤー」ですね(^^)

まぁ、この「児島支店長」もドラマなので、その「ヒール」っぷりを誇大に表してるところも相当あるかとは思います。
銀行家として「倒産の危機」に瀕した会社へ更なる融資等論外でしょうし、債権回収に走るのも当然の行為でしょう。

この「児島支店長」のモデルとなった人物は「小川秀彦」氏と言われています。
そして「西国銀行」のモデルは「大阪銀行」(現三井住友銀行、以下住銀と書きます)。

この協調融資を懇願するトヨタ首脳に対し、小川支店長が言い放ったとされる言葉。

「機屋(はたや)に貸せても鍛冶屋には貸せませんなぁ」

まぁ、ドラマでこのシーンを見ると私が喜一郎(佐一郎)だったらぶっ飛ばしてますね(笑)
嘘か誠かこの話、堅調な織機には貸せても(機屋)、わけの分からん物造り(鍛冶屋)には貸せないという事です。
本当に言ったんですかねぇ・・・
私がいくら「非情な銀行家」でもここまで言えません(笑)

結局、住銀は協調融資に加わることも無く、トヨタへの債権も引き上げました。

それでもトヨタが持ちこたえたのは上で書いたとおり住銀抜きの協調融資と合理化、朝鮮戦争という出来事があったからです。

この後、児島支店長こと小川さんは業績の低迷していた「プリンス自動車」へメインバンクの住友銀行から社長として出向します。
(プリンス自動車が住銀支配下に入ったとも言えるでしょう)

そして、当時の通産省や住銀の意向もあり当時「日本一」の自動車メーカーとなっていた「トヨタ」との合併を画策します。
謂わば、救済合併をトヨタに申し込んだわけですね。

小川プリンス自動車社長に面会したのは石田退三トヨタ自工会長だったようです。
その時合併を願い出た小川社長に石田会長が言い放った言葉。

「お宅は鍛冶屋とは一緒になれんでしょうからなぁ」
という説と
「お宅は鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうからなぁ」

あの倒産の危機に瀕していたときの事を忘れていなかったのですね(汗)

結局、プリンスはトヨタとの合併は出来ず、業界二位だった日産と合併したのは皆様、ご存知のところかと思います。

小川社長は大株主であった「石橋正二郎」氏(言うまでもなくブリヂストン創業者・社長)からトヨタとの合併話を不首尾に終わらせたことで不興を買い(また「機屋には~」の話を聞いた石橋氏が、自分も一から興したブリヂストンの苦労と喜一郎氏の無念を重ね合わせ小川氏に不興を抱いたという説も)、社長を解任されました。

また住銀の事をトヨタは許さず、取引は一切行わず(これまた噂では社員の給与振込口座さえもダメだったとか)、2001年に現在の「三井住友銀行」となるまで一切の取引をしなかったそうです。
(しかも合併→取引再開後も「トヨタ」との窓口は「三井出身者」で無ければダメだったとか・・・)

いやはや、この小川支店長を「先見の明が無かった」と言ってしまうのは簡単ですが、氏は「銀行家」としては至極当たり前の結論から融資を断ったのだと思います。
ただ、氏の見切りが甘かったのは「日銀主導の協調融資」という後ろ盾があった事を蔑ろにした(といっても日銀の保証は無いわけですが)ことと、当時「トヨタ」が倒産すれば中京地域の産業がどうなるかという事、即ち政府は中京の工業を守るため何かしらの策はとったであろうという事を考えなかったことではないでしょうか。

しかし、それは「歴史の傍観者」たる後世の人間である私が「結果論」を見て言っているだけなのでフェアではありません。

最早「世界の」という冠の付いた「大トヨタ」誕生には様々なドラマが交錯していたと思うと感慨深いものがあります。
喜一郎は「国産自動車を100万台造る」とドラマで言っていましたが、よもや「1000万台」をトヨタが造る時代が来るとは思いもしなかったでしょう。
あの世で喜一郎、利三郎、石田さん、神谷さん、そしてつい最近逝った英二さんでどのような会話をしているのでしょうね(^^)

最後にもう一つ。

当時、豊田自動織機は「東海精機」という会社からエンジンのピストンリングを納品させていました。

その「東海精機」の社長は学歴こそなかったものの、技術の取得に貪欲で裸一貫から会社を興し、「出来ないことは無いはずだ」をモットーに泣き言を言う社員には鉄拳を食らわせながらも一緒に油まみれになって研究開発に没頭する人でした。

この東海精機にトヨタがピストンリングを発注した際、中々トヨタを満足させる品質のものを造ることが出来ず、この社長は工業高校(旧制)の聴講生となり、金属工学を学びトヨタを満足させるピストンリング製造に成功、納品を開始しました。

「東海精機」は発展を遂げ、遂にはトヨタからの資本出資を受けるまでに成長。
この社長はトヨタからの出資を受けたため専務へと退きますが、会社の成長はとどまる所を知りません。

しかし好事、魔多し。

1945年、三河地震により東海精機の主力工場であった浜松工場は倒壊。

東海精機創業者であったこの専務は終戦の混乱もあり自立再建は断念、豊田自動織機にすべての事業を譲渡し「人間休養」と称し世捨て人のようになってしまいます。

しかしこの人物、やはりエンジニアの血が疼いたのでしょう。
同じ浜松に豊田自動織機に事業譲渡した資金を元手に会社を興しました。






その名は「本田技術研究所」

あの「ホンダ」の誕生です。

ここでいう「東海精機」を興した人物こそ「本田宗一郎」氏なのです。

「東海精機」の出資の話については「宗一郎が自ら乞うた」という説と「豊田自動織機がその技術を欲しいがために子会社化した」という説があります。

ま、どっちにしても「ホンダ」の設立に「トヨタ」との思わぬ関係があったのですね。

都市伝説めいた話ですが「マスキー法」が施行され、「どこのメーカーもクリア出来ない」とまで言われた同法をホンダが「CVCCエンジン」でクリアした時、豊田英二氏が宗一郎氏にそのパテントの使用許可を願い出た時、宗一郎氏は「豊田さんには恩があるから結構です。どんどん使って下さい」と言ったとか言わないとか・・・

(CVCCのパテントは無償公開されていたので、使うにしてもパテント料を払う必要はありません。しかし英二氏が宗一郎氏に仁義を切りに行ったのは事実のようです。またホンダ側技術者の言葉「トヨタが最初というのは、CVCCにとっても、Hondaにとってもプラスが大きかった。トヨタに技術供与をしたと新聞に出たら、すぐに国内や米国メーカーからも引き合いがありましたからね」(ホンダHPより転載))とあるようにまぁ「美談」では無いにしても「トヨタ」と「ホンダ」の因縁浅からずな関係は覗えます。

国内販売は勿論、トヨタとホンダはしのぎを削る関係となりました。
宗一郎氏もここまで自分の会社が大きくなるとは思わなかったかもしれませんね(^^)

宗一郎氏も亡くなったあたりにNHKでドラマ化された記憶があります。
(勿論NHKですからこれまた本名では無く「架空の人物」扱いでしたが笑)

LEADERSの続編に絡めてでもいいですし、宗一郎氏を主人公にしたドラマでもやってくれませんかねぇ。

今日も長いブログになってしましました。
皆様、最後までお読み頂きありがとうございました。

また、ドラマの内容と私の記憶の糸を手繰りながらの内容なので誤りがあるかもしれませんが、ご容赦の程を。
また、先日来の沢山の「イイね!」頂き、重ねて感謝いたします。

追記:こうして書いた記事を改めて読んでみて「パート1」の事しか書いていませんでした(汗)
「パート2」のことはいずれまた書きたいと思います。
Posted at 2017/07/13 16:21:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年07月11日 イイね!

高校野球を見て思い出した憧れのプロ野球選手達

今日も暑いですね・・・
扇風機二日目にチャレンジしています(笑)

エアコンだと快適な事はわかりきっているのですが、外に少しでも体を鍛える?意味で「暑い」ときには「暑い」事を体に分からせようという算段です(笑)

さて、私の住む地方でも夏の甲子園予選が始まっていて、それを観ています。(勿論テレビで)
高校球児達の全力プレーを見ていると清々しいですね。

特にもアウトになることが分かっていても全力疾走する姿は一番素晴らしいです。

そんな私、バーンスタインも小学生の頃は野球スポーツ少年団に入っておりまして「一応」レギュラーでした。
と言っても「9番・ライト」が私の指定席でしたが・・・

私の少年時代、左バッターは殆どおらずライトには球が殆ど飛んでこない→捕球下手&肩が弱くても務まる(^^;)
そしてバッティングも殆ど「三振製造機」でしたから「9番」(笑)

中学に上がると同時に、高校受験への準備が1年から始まることもありましたし、地元を離れたので野球はそこでやめてしまいましたが、今でもプロ野球観戦は好きです。(勿論テレビですが・・・久しぶりに球場へ足を運びたいですね)

そんな子供の頃、やはり「一番人気」は「巨人」でした。
思い出すだけでも、野手では原、篠塚、松本、中畑、クロマティ、吉村が、投手では斎藤雅樹や水野、槇原、そして桑田等、本当に「銀河系集団」でした。
巨人はそんなスター揃いだったので子供達に人気があったのは当然だったでしょう。
二番人気は「阪神」
こちらもバース、掛布、岡田、真弓をはじめ投手ではキーオや中西、川尻などこちらもスター揃いで「巨・阪」好きが殆どでした。

パ・リーグでは「西武」ファン以外は殆どいませんでした。
あの頃の西武は秋山、辻、伊東、石毛そして清原等野手、投手陣も東尾、渡辺久信、工藤、郭泰源等、巨人に負けないスター揃いでした。
西武VS広島の史上初の「第8戦」まで行った日本シリーズはこのあたりだったでしょうか。

そんな頃、バーンスタインは「西武」ファンでした。
我が家の伝統なのか、祖父も親父も所謂「アンチG」で祖父は阪神、親父はヤクルト、私は西武という具合でした。

西武ではミーハーながらも清原選手が好きでした。
豪快に飛ばすホームラン、当時パの試合はテレビで放映することも無く、新聞やニュースで見ることしか出来なかった時代ですが、清原選手は未だに一番印象深い選手です。
(日本シリーズ最終戦でファーストにいた清原選手が涙を流しながら守備に就いていたシーン、あれは忘れることができません)
あんな風にバコーンとホームランを打てたらなぁ・・・といつも清原選手は憧れの存在でした。

それと秋山選手のバック宙ホームインも忘れられません。
秋山選手もホームランをバカスカ打てる選手で、甘いマスクでカッコよかったですし憧れの存在でした。

それと「アンチG」とは言え、篠塚選手と松本選手だけは私の中では別格の存在でした。
篠塚選手の守っても、打っても良しなのにいぶし銀のような存在感と松本選手の、あっという間に一塁を走り抜け、二塁に達する俊足。
どちらも勿論、「スター選手」ではありましたが当時の巨人の中では子供の間では原選手や吉村選手、中畑選手が人気でした。

でも、当時のプロ野球選手で私が一番好きだった選手は「阪急」の「山田久志」投手です。
別名「サブマリン投法」と呼ばれたアンダースローから150キロを超える球をズバズバ投げ込む姿。

「阪急」は贔屓球団ではありませんでしたが山田投手だけは大好きで、アンダースローをピッチャーでも無いのに真似してました(笑)

↓山田久志投手

当時はオーバースローやスリークォーター投手でさえ150キロを終止投げ込むことが出来る投手は少なかった中で山田投手はダイナミックに沈み込むフォームから、とんでもなく速い球を投げ込む姿に「ああいう投手になりたい」と思ったものです。(勿論、ピッチャーはなれませんでしたが笑)

あの当時、アンダースローでは西武の松沼博久投手(松沼「兄」とも呼ばれてましたね)もいて、山田投手は「本格派」、松沼投手は「技巧派」というイメージでした。

たまにNHKでパの「西武VS阪急」なんて試合を放送したときは、テレビに齧りついて見てました(^^)
とくに山田投手が投げる場合、どっちも応援してましたね・・・
「親父は「パ・リーグ喜んで見ている子供は珍しいな」といつも笑っていました)

もう一人、山田選手と並んで好きだった選手。
「ロッテ」の「村田兆治」投手です。
ロッテもあの頃は川崎球場がホームで観客席はいつもまばらな時代・・・
現在のQVCスタジアムの熱狂的ジャンプ応援を見ていると隔世の感を憶えます。

村田投手と言えば「マサカリ投法」
あの独特のフォームから投げこまれるこれまた「火の玉」ストレート、そして何よりも子供ながらも驚いたのが「フォーク」の落差。
あの落ち方は桑田真澄投手が所謂「スプリット」を体得し、投げたのを見るまで「魔球」でした(笑)

↓村田兆治投手

足を高く上げ、全身の力を込めて投げる球、カッコよかったなぁ・・・
(巨人の西本投手も足を高く上げるフォームでしたが、当時の野球少年達は真似していたと思います笑)

野茂投手や伊良部投手、松井選手といったこの次の世代が「スター」になる頃には野球をやめていましたが、野茂投手の「トルネード」投法と松井選手の清原選手を超えた怪物ぶりには、ただただ感嘆の声を上げていました。

あの頃から見ると150キロを投げる投手なんて「ザラ」にいること自体が驚きですし、大谷翔平選手の165キロ&二刀流なんてもう・・・
大谷選手は「野球の神の子」なのかもしれません(^^)

今「アンダースロー」投手がどのくらいいるのかと思ったら、なんと一軍先発レベルだと二人しかいないそうです。

西武の牧田投手とヤクルトの山中投手。

牧田投手はWBCで中継ぎから抑えまでこなし、活躍しましたね。

牧田・山中の両投手は所謂「技巧派」です。
球速こそ速くはないものの、多彩な変化球で三振・ゴロの山を築く・・・

でも二人しかいないという状況は寂しいですね。
アンダースロー投手はこの先、絶滅危惧種なのかもしれません。

大谷選手や阪神の藤浪投手、ヤクルトの小川投手のようにオーバースローから豪速球で勝負、または巨人の菅野投手、ロッテの涌井投手や楽天の岸投手のようにスリークォーター気味のフォームから緩急織り交ぜたピッチングをするような投手が主流になってきているのでしょうね。
また左腕もソフトバンクの和田投手や西武の菊池雄星投手のような豪腕型が台頭してます。
(左腕の「豪腕」と言えば「江夏」投手でしょうが、私はリアルタイムで見ていないので「レジェンド」です)

今のプロ野球、特にも憧れた「投手」という存在で一番好きなのは・・・

オリックスの「金子千尋」投手です。

速い球もあれば、チェンジアップのキレも素晴らしいですし、変化球の球種も多彩で、「いい意味で」狡猾なピッチングが出来る投手。
今期は余り成績が芳しくないですが、確か今年の年俸を一番稼いでいる選手です。

今でこそ贔屓球団は無くなりましたが、贔屓目で観なくなった分、様々な視点で野球を楽しめるようになった気がしています。

かつては「子供のなりたい職業No.1」だった「プロ野球選手」。
サッカー選手等に押されているかもしれませんが、高校球児は勿論、リトルリーガー達にも頑張って「最高の頂」を目指して欲しいものです。

連日、暑い日が続いております。
皆様、体調にはご自愛くださいませ。

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。
Posted at 2017/07/11 15:42:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記

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