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バーンスタインのブログ一覧

2017年06月22日 イイね!

戦前「我が国の快男児」の話

昨日の雨から一転、今日は天気が良いです。
雨の日は偏頭痛に悩まされるので今日は晴れやかな気分で読書できます。

晴れやかな日はやっぱり胸をすくような本を読みたいと思い二冊の本を読んでおります。

どちらも戦前、我が国を代表する「快男児」と言ってもいい人物の評伝。

その二人とは「薩摩治郎八」と「貴志康一」。

どちらの名前もあまりメジャーな名前ではありませんが、戦前に様々な意味で「快男児」ぶりを発揮した日本人の話です。
前に拙ブログ「忘れ去られた日本人ミュージシャン」で書いた「近衛秀麿」も「快男児」でしたが、上に挙げた二人も負けておりません。

まずは「薩摩治郎八」

東京の大富豪の息子として生まれ、イギリス~フランスへ留学。彼の地で30年過ごす。
その間国際大学都市構想のあったパリに私財を投じて「日本館」を創立、モーリス・ラヴェルやアンリ・マティス、藤原義江、藤田嗣治のパトロンとしてフランス芸術の隆盛に尽力した人物。

まぁ、この経歴だけ見ると「大金持ちの芸術振興に尽力した人物」なのですが、彼の凄いのは。

この30年間で現在の邦貨価値で600億円(一説には800億円)もの仕送りを受けそれを全て使い切ってしまったこと(笑)
毎月現在換算で3000万円の仕送りを受け、それでも足らずに仕送りを受けまくっていたそうです。

では何に一体そんなに使ったのか。

彼は全て「一流」にこだわり、衣服から車、家全てが万事、そういう生活だったようです(^^;)

例えばカンヌで自動車のコンコルソ(コンクールの事です)があると聞けばクライスラーのボディを純銀で塗装、さらに淡い紫色に染めた特注車(笑)を購入、運転手にも金で出来た薩摩家の家紋入りの制服を着せ、「マリー・アントワネットの馬車以来」と言われるほどの豪華さを誇り、このコンコルソではスウェーデン王室の車と大賞を争い、大賞を受賞したとか、一度の食事会に一億円費やしたとか・・・

この逸話でけで溜息がでます(笑)

勿論、食べるもの、住む所、着るもの何から何まで「一流」で無ければ済まない性格。
女性も「一流」が好みだったようで(笑)会津藩の殿様の娘(これまたとんでもない美人で、あの「ヴォーグ」誌の表紙を飾ったほど)を奥様に迎えたりもしています。
現代の「エスタブリッシュメント」と言われる人達でもここまで放蕩の限りを尽くした人はいないのでは・・・
現代のアラブの石油王達ですら真っ青になるようなエピソードが沢山あります。

ただ、彼の評価されるべきところはこの「放蕩」の中に「パトロン」としての側面が相当あったことです。
ラヴェル・マティスは言うに及ばず我が国(というよりフランス)を代表する画家となった藤田嗣治やオペラ歌手として名声を得た藤原義江を見出した彼の眼力は素晴らしいものであったと言わざるを得ません。
当時のパリには日本人貴族達が多く留学しており、やはり相当の仕送りを得ていたようですが、彼らは「どうせあぶく銭なんだからいつかは破産するだろう。それならフランスの名画を今のうちに買っておこう」とか「将来性のある芸術家を育てよう」という気概があったようです。

いやはや、時代が違うとは言え昔の大富豪達はやることなすことのスケールが違いすぎて笑ってしまいます(^^)

そんな彼のあだ名は「東洋のロックフェラー」「バロン・サツマ」はたまた「東洋の貴公子」
彼は爵位を持たない人ではありましたが、その破天荒な金遣いやら芸術への惜しみない援助から尊敬の念を込めて社交界では「バロン」と言われていたようです。

それと彼の容姿。
これがまた「貴公子然」としていてカッコいいんです(笑)

女性には相当モテたようで「彼は贅沢、芸術への探求は勿論、エロスへの探求をやめることは無かった」とまで言われています(笑)

生前の薩摩を知る人曰く「これまでの歴史を見て、恐らく日本人男子、いや世界中の男子の中でも「女性体験」の数は薩摩に勝るものはいないのではないか」とまで言わしめています(笑)

男としてこれほどの事を言われるのはある意味「名誉」ですね(^^;)
と言うか素直に羨ましい(大笑)
薩摩の一生、ドラマ化してくれないかしら(笑)

薩摩は放蕩しまくった挙句、一文無し同然になって戦後、帰国します。
そしてその華麗なる半生を小説として書いたというのですから、マルチな才能もあったのでしょう。
(というか、そんな生活していたら私でも書けそう笑)

まさに「破天荒」を地で行く「快男児」。
薩摩関連の図書は結構出版されていますのでご興味の湧いた方、ご一読頂ければ。

さて、もう一人の「快男児・貴志康一」

貴志も大阪の大富豪の御曹司として生まれた人です。
幼少の頃に音楽家を志し渡独、ヴァイオリニストを目指しベルリン高等音楽院で勉学に励みます。

若干20歳の若さで名器として今でも語られる「ストラディバリウス」を購入、日本へ凱旋。
今でも「ストラディバリウス」は億単位の値がつくヴァイオリンですが、若干二十歳の若者にこれをポンと買い与えた親御さんも凄いですね(笑)

しかしヴァイオリニストとして限界を感じた彼は「指揮者・作曲家」への転身を決意、再び渡欧し今度は作曲・指揮の勉強を重ねます。

当時は今のようにヨーロッパに行くということは簡単な事では無かったでしょうし、戦後の1950年代後半、あの小澤征爾が渡欧する際にも「もう二度と日本には帰ってこられないかもしれない。その気持で出発前の晩、兄貴と水杯を交わした」という位でしたから、そのような時代に通算三度も渡欧したというのは白眉としか言いようがありません。

さて、その貴志。
音楽家として稀有な才能を持っていただけでなく人間的魅力にも優れた人だったようで、人嫌いで知られた、かの大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに可愛がられ、パウル・ヒンデミットからも作曲を教えてもらったりと、こちらも「大富豪の御曹司」らしくない気さくな人柄だったようです。
あの近衛秀麿でさえ貴志の仲介があってフルトヴェングラーに面会できたそうですから、当時「未知の国・日本」からやって来た若い芸術家を大巨匠達が可愛がった事からも彼は相当人間を引きつける魅力ある人物だったのでしょう。

また、現在でも世界有数のオーケストラである「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」を私費で雇い自作の曲を録音したり、日本を紹介する短編映画をこれまた自費で撮影して放映したりと「大富豪の御曹司」で無ければ出来ないことを事も無げにこなし、「日本」の紹介にも尽力しました。

帰国後、貴志はこれまた「ドイツ帰りの若き巨匠」として我が国の楽団で大活躍。
日本人指揮者なんて数えるくらいしかおらず、またオーケストラも拙い技術だった時代に彼はベートヴェンの「第九交響曲」を暗譜(楽譜を見ないで指揮すること)で指揮し、これまたセンセーショナルな成功を収め一躍「時の人」となりました。

しかし「好時、魔多し」
彼は間もなく病を得、1937年、わずか28歳でこの世を去ってしまいました。
まさに「天才薄命」「短くも強く燃え」「太く短く」を地で行く一生でした。

もし、彼が長命を得ていたとしたらこの後の我が国の楽団、ひいては音楽界は違った姿になっていたのかもしれません。

1つ、貴志の曲のエピソード。

湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞したときのこと。
受賞記念晩餐会で湯川夫妻は会場に流れる音楽にふと日本的なものを感じたそうです。
「この曲は何か?」と尋ねると。
「コーイチ・キシ。タケトリモノガタリ」との返答が。
晩餐会では受賞者の国の音楽を演奏するという習わしがあるそうですが、ノーベル財団の誰かが貴志の生前のヨーロッパにおける活躍を記憶していてこの選曲となったのでしょう。

貴志の生前の写真を見るとこちらも「いい男」です(笑)
こりゃ相当モテたと思われますが、貴志は薩摩とは真逆で、あまり女性には興味を持たずひたすら「芸術の求道」に生きたようです。
(でも相当モテたようではあります笑)

我が国楽団の大長老であり、「大阪フィル」の監督を半世紀以上努め、93歳まで現役指揮者として活躍した朝比奈隆曰く「彼は指揮台の上に立つとパッと上着を脱いだ。するとブルーの我々が見たことも無いような洒落たシャツを来ていた。しかも指揮台の前には譜面台が無い。暗譜でやるということなんです。しかもドイツ帰り、フルトヴェングラーから教えを請うたと言うのですから我々はグウの音も出ませんでした」と語っています。
芸術家としての一面の他にショーマンシップにも溢れていたのでしょう。

貴志も長い間、その存在が埋もれたものとなっていましたが、最近になって再評価が進み様々な彼に関する評伝が出版されていますので、是非貴志の本もご一読頂けると幸いです。

今の時代、このような「快男児」は登場する事は最早無いでしょう。

しかし先日書いた近衛、そして今日紹介した薩摩、貴志。

「日本」が欧米で「未開の地」に近い扱いだった時代に、彼の地の人々を驚嘆させるような生活ぶりや才能を見せつけた事になんだか爽快感を憶えました(^^)

この三人の誰かに生まれ変われるなら・・・

「薩摩治郎八」に生まれ変わりたいです(笑)
何故かは・・・聞かないでください(汗)

こうして見るといくつでも「ドラマ」の題材になりそうな日本人、沢山いるのですけどね。
誰か脚本家さん、この三人の誰かを題材に書いてくれないかしら(笑)

本日もダラダラと雑記を書きなぐってしまいました。
いつものことながら乱文・長文、申し訳ありません。
また沢山の「イイね!」やコメントを頂き、本当に感謝いたします。

また面白い本や人物、音楽の事など気の向くままに書いていければと思っております。

Posted at 2017/06/22 16:28:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月20日 イイね!

運転中に聴いて欲しい「クラシック音楽」~第一弾

昨日は定例の通院日でした。
往復、大体60キロ程度なのですが、やはり体力が低下しているため疲れますね。
でも35に乗ることが出来るのでこれはこれで楽しみでもあります。

さて、私はナビのHDDのストックされた音源かUSBメモリに音源を突っ込んで車内で聴いておりますが、車内でもほぼクラシック音楽しか聴いておりません。

そこで今日は皆様に聴いて頂きたい曲を私の独断と偏見でちょっと書いてみたいと思います。

「クラシック音楽」というとベートヴェンやらバッハ、シューベルト、ブラームス等の作品が思い浮かぶ方が多いと思います。
それら「楽聖」と言われる作曲家達と言うと、音楽室に飾ってあった厳しい肖像画を思い出す方もいらっしゃるでしょうし「クラシックって眠くなりそうだよな~」「退屈そうだよな~」とお考えになる方もいらっしゃることでしょう。

ですので今日は趣向を変えて。

「日本人作曲家」による「クラシック作品」、尚且つ「聴いて面白い」と思う作品を数曲、紹介します。

まずは一曲目。

外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディ」

外山氏というと指揮者のイメージが濃い方もいらっしゃるかもしれません(指揮者としても一流です)が、作曲家としても多くの作品を残しています。
その中でも彼の出世作となった「管弦楽のためのラプソディ」。

この作品はNHK交響楽団が1960年代に世界一周演奏旅行を行う際にアンコール・ピースとして作曲されたもので演奏時間も大体7~9分程度と長すぎず、程よい長さです。

さて、その作品の中身なのですが「日本」を前面にだしたものとなっており「あんたがたどこさ」「ソーラン節」「炭坑節」といった日本人なら一度は聴いたことのある旋律が巧みにオーケストレーションされています。
また使う楽器にも「拍子木」や「お鈴」「チャンチキ」や「うちわ太鼓」など我が国の祭り等で使われている楽器が至る所で顔を出し、とても陽気で楽しい作品になっています。

この作品は今でこそ我が国の作曲家の作品の中では「古典」の部類になるのでしょうが、欧米で初めて演奏された時は万雷の拍手だったと言いますから欧米人にとってとても新鮮な作品だったことでしょう。

若き日の外山が精魂込めて創り出した名曲、ご一聴頂ければ。

二曲目。
伊福部昭作曲「シンフォニア・タプカーラ」

伊福部と言うと映画「ゴジラ」のあのテーマの作曲家として広く知られていますが、映画音楽のみならずオーケストラ作品も多くの名曲を残しています。

伊福部は当時の帝室林野局の官僚として北海道に赴任中にアイヌの民の祭礼音楽の旋律に惹かれ、それらをモチーフに作曲した作品を多く残しています。
氏の作品は「土俗的」かつ「勇壮」な旋律が多く「眠くなる」ということはあまり無いでしょう(笑)

また彼の座右の銘「優れた音楽は平易なもので優れた礼節は簡素なものである」から分かる通り、理屈をこねくり回したような(苦悩とか歓喜とか)では無く兎に角聴いていて飽きない音楽となっているのも魅力です。
分かりやすく言うならモーリス・ラヴェルの名曲「ボレロ」のように、シンプルだが耳に残る旋律が何度も形を変えながら現れると言えばいいでしょうか。

この曲はまた意外な所でも有名というか活躍しています。
「緊急地震速報」のあのチャイム音、余り聴きたくない音ではありますが今ではあの音が有るおかげで大地震へのとっさの対策を取ることが出来るようになりました。
あのチャイム音、この紹介した「シンフォニア・タプカーラ:第三楽章冒頭の和音部分をモチーフに造られています。

因みに緊急地震速報のチャイム音を開発したのは「伊福部達」東大名誉教授。
この「伊福部昭」の甥子さんにあたる方なんですね。

NHKから「地震警告音」の作成を依頼された伊福部教授は次のような課題を突きつけられたそうです。
「どのような雑踏の中でも耳に入る音であることを前提とし、いたずらに聴いた者の不安を煽ること無く、しかし切迫した事態が迫っていることを分からせる音」
難しすぎますね(笑)

そこで伊福部教授は伯父さんの作品であった「ゴジラ」のテーマをモチーフにしたものを最初は考えたそうですが、あまりにも有名すぎる作品ですから「切迫感」が足りず、またあの最初の和音が「不安をいたずらに煽る」と考えボツにしたそうです。
(ですから緊急地震速報のチャイム音はゴジラから作られたという話、あれはあながち間違いでは無く惜しいところをついている話です)

そこで今日紹介した「シンフォニア・タプカーラ」第三楽章冒頭をモチーフにあのチャイム音が出来たそうです。

この話を聞いて「シンフォニア・タプカーラ」聴いてみたくなった方も多いのでは?(笑)
全曲を通して聴くと30分位の作品となってますので、まずは第三楽章だけでも聴いてみてもいいかもしれません。

三曲目。
本日最後に紹介するのは。
芥川也寸志作曲 「交響三章」

言うまでも無く芥川也寸志はあの文豪、芥川龍之介の三男です。
(長男もこれまた俳優として有名だった芥川比呂志)

写真を見るとお父さんに似たシニカルさとダンディズムが共有したとてもカッコいい方です(笑)

芥川也寸志は上で紹介した伊福部昭の弟子にあたり作風もとても似ています。
また映画音楽でも、あの「八甲田山」の作曲家として知られ、マルチな才能であったことが分かります。

この「交響三章」も伊福部の作品に似たダイナミックかつ情感に溢れた旋律が魅力の作品です。
こちらも師・伊福部昭の言葉「優れた音楽は平易で~」を見事に著した作品であり、聴いていて飽きることのない作品であり、クラシックにありがちな「苦悩」を著した「重苦しさ」を感じない楽しく、かつ熱狂的な作品となっています。

ただ、芥川自身はやはり余りに偉大な父「芥川龍之介」の影から逃れることが出来なかったと生前語っていたそうです。
東京音楽学校(現在の東京芸大)に最下位で合格した際には学長に呼び出され「偉大な文豪を父に持ちながらこの成績はなんだ!恥と思え!」と叱責されたそうですし(それを聞かされ奮起するのですが)、「いつもあの「文豪」の三男として紹介され、いつまでも親父にお守りされているような気分だった」「親父が死んだ36歳を過ぎる頃は辛かった。未だに自分が確立されていない苛立ちからいつも「畜生!畜生!」と心の中で叫んでいた」etc・・・

余りに偉大な父を持ってしまったことへの苦悩、しかし彼はその父とは違った分野で大成しその名を残すことになりました。
(今日紹介した「交響三章」は暗さを感じさせない作品ですが、氏の作品には勿論その内生する「苦しみ」が現れているものもあります)

芥川という人物はその苦しみを打破するためなのかエキセントリックな行動をする方でもあったようです。
日光に疎開中だった師(と言ってもこの時はまだ正式な弟子ではない)、伊福部のもとを突撃訪問し自分の書いた曲を見せて批評を乞うたり(この時、伊福部に「作曲家は己自身の全てを音楽で語らねばだめだ」と言われ打ちのめされ、その自身が書いた楽譜を破って川に流したそうです)、進駐軍のラジオから聞こえるソ連の音楽に憧れを持ち、密入国同然にソ連を訪問、ハチャトゥリアンやショスタコーヴィチから指導を乞うたり・・・

しかし、これら行動も「偉大な父」の幻影から自らを解き放つため、即ち音楽の道で名を残すための行動だったのかもしれません。

さて、この「交響三章」は大体25分程度の作品です。
全部を聴くのがしんどいという方は是非「第三楽章」を聴いてみてください。
先程書いた「楽しさと熱狂」「平易で素晴らしい音楽」を聴くことが出来ます。

CDを買うのはちょっと・・・
という方、今は「YouTube」があります(笑)
こちらで大体の作品は聴くことが出来ますのでご一聴あれ(^^)

私はGT-Rの中でこの三人の紹介した作品を聴くと高揚した気分になりアクセルをつい踏んでしまいがちです(笑)

運転中のクラシック音楽は「眠くならない効果」もあるそうなので(ただし作品によると私は思いますが笑)運転の際、普段は聴かない曲をかけてみるのもいいかもしれませんね。

本日は「第一弾」と銘打ちましたが「第二弾」はいずれ(笑)

本日も長文となり失礼しました。
最後までお読み頂き、本当に感謝いたします。
また先日来、沢山の「イイね!」本当にありがとうございます。

Posted at 2017/06/20 15:35:47 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月18日 イイね!

「田中角栄」という巨魁

明日は定例の通院の為、家で読書とCD、ラジオ三昧です。
やることが無いとCDなりNHK-FMをBGMに本に手が届いてしまう、ある意味「読書中毒」です(笑)

今日は昨年から今年にかけて関連図書が沢山発行された「田中角栄」元首相の本を読んでいます。

あるテレビを見ていたら「昭和を代表する人物」のアンケートをとったところ田中元首相が二位の確か長嶋茂雄さんをダブルスコアで圧倒し、ダントツの一位でした。

さて、田中元首相と言えばこれほど「毀誉褒貶」のある人物はいないのでは無いでしょうか。
日中国交正常化を成し遂げ「日本列島改造論」を論じ、国民の期待を背負いながら「ロッキード事件」で失脚、その後は「闇将軍」として君臨し続けた男。

田中という人物は物差しで測ることが出来ないほどスケールの大きい人物であったことは確かでしょう。

彼の演説や会話から引用すると。
彼曰く。

豪雪地の新潟で。
「三国峠をダイナマイトで吹き飛ばせば新潟に雪を降らせる雲は関東に行ってしまう。そして出た土で新潟と佐渡を地続きにすればいい」

大蔵大臣就任時、大蔵官僚を前に。
「私が田中角栄だ。高等小学校卒である。諸君は日本の秀才達の代表だ。しかし私は棘の多い門松をくぐってきているので仕事のコツは知っている。我こそと思うものは遠慮なく大臣室に来て欲しい。上司の許可はいらん。出来ることはやる。出来ないことはやらない。しかし全ての責任はこの田中が負う。以上!」

ロッキード事件の渦中。
「オヤジだけが悪者になるのは許せません。オヤジを悪くいっている連中の金の出処を掴みました。これをマスコミに投げましょう!」と血気盛んな若手代議士(たしかハマコーさんか小沢一郎さんだったと思います)に対し。
「馬鹿野郎!こんな物を表に出したら日本は滅茶苦茶になる、犠牲はオレ一人で十分だ!」
と叱った話。


彼の逸話の数は数え切れないほどあります。

彼は「人たらし」で兎に角その人間性は誰からも好かれ、政敵であった福田赳夫元首相や三木武夫元首相でさえ彼の人柄には惹かれていたといいますし、新潟の有権者、番記者、運転手、秘書、彼に接した人達全てがその人間性に惹かれたという事実。

それを「人たらし」という一言で片付けてしまうのは簡単ですが果たして「打算」が働いたものだったのか?
仮にこれを全て「打算・計算付く」でやっていたとしたら、(尊敬の意味で)彼は人間ではありません。
そして「打算」は必ず見破られるものですが、未だにその人柄が語られるほどですから、逸話の数々や対人間力は「全て彼の本心から出た行動」だったのだと思っています。

こうして見ると「鉄の軍団」とも言われた田中派=木曜クラブが圧倒的支配力をもち、鉄の結束を誇った事は至極当たり前のことだったのでしょう。
ロッキード事件が起き、その年の衆院選、やはり田中派議員への世間の風当たりは相当強かったようです。
大野伴睦さんの名言「選挙に落ちればただの人」の世界ですから田中から距離を置く人もいたようです。
しかしそれでも田中に魅入られ忠誠を誓った人物達。

例えば梶山静六。
田中の保釈の際、東京拘置所で万歳で出迎え、それがマスコミに叩かれ落選します。
しかし「私は恩ある人を出迎えただけだ。この事を誇りに思う」と。

渡部恒三。
自分が師と仰いだ人が逮捕されたからと言って自分が損するから離れていいものでありましょうか!」

小沢一郎。
「オヤジだけを固い椅子(法廷の椅子)に座らせておけない」といい、公判の全てを傍聴。

奇しくもこの三人、後に政界で中枢を占めていくことになります。

私は彼に接したことも当然ありませんし、当時の国民の熱狂ぶりも知りません。
しかし彼の人となりを「本」という媒体を介して読むだけでも魅入られてしまうのです。
これでは当然、接した人物達が田中の魅力に参ってしまうのは当然でしょう。

1つ、田中に関する思い出。
私の祖父と祖母は新潟に縁も所縁も無い人でしたが田中の熱狂的信者で「男孫が生まれたら角栄と名付ける」と公言していたそうです。
しかし、私が生まれる前に田中はロッキード事件で逮捕され、親父やお袋が「角栄なんて付けたらイジメられる」ということでオジャンになったという話を祖母の生前、聞いたことがあります。

また、小学校高学年か中学の授業では「田中角栄」は「悪の権化」のような存在と教えられた記憶があります。
(それが違うものと気付かされるのは大学生になったあたりからでした)

田中を一言で評するなら「毀誉褒貶」。
しかし人間的魅力はその人の為すこと、為してきたことが無ければつかないものです。

私は政治的にはノンポリです。
しかし一人の「人間」として田中に一歩でも近づくことが出来ればといつも思うようにしています。

最後に田中の「人生10か条」(田中角栄 心を打つ話より)
1.人間を愛する
2.義理を果たす
3.人情を大切にする
4.約束を守る
5.相手を思いやる
6.しっかりとメシを食べる
7.批判を恐れない
8.学歴より学問
9.大胆に決断する
10.努力が運を呼び込む

「巨魁 田中角栄」は歴史の一ページに燦然と輝き、その名を残すことでしょう。

田中関連の本、本当に沢山出版されています。
是非、一読頂ければ楽しめると思います。

今日はヒマのあまりブログを連投してしまいました(笑)

本日も他愛もないブログを拝読頂きありがとうございます。

※文中、一部敬称略いたしました。
Posted at 2017/06/18 16:13:06 | コメント(1) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月18日 イイね!

「ドクターX」と「水戸黄門」

昨日のブログで海外ドラマ三昧の一日を送ったことを書きましたが、取り敢えずHDDの中身を整理し、ブルーレイに移していたものを見始めました。
気づいたらこんな時間に(笑)

「ドクターX season4」
最早なんの説明のいらない大人気ドラマですね。

医療ドラマと言えば「白い巨塔」がもっとも有名ですが、今や「ドクターX」は「相棒」や「科捜研の女」と並んでテレ朝の看板ドラマと言ってもいいでしょう。

私は「ドクターX」は現代の「水戸黄門」だと思っています。

勿論、かたや「スーパードクター」の話。
もう一方は「天下の副将軍」の話。

しかし両者とも「勧善懲悪」ものであるという共通点があります。

「水戸黄門」は昔の記憶しか無いのですが大体「8時45分」に印籠登場→ひれ伏すというパターン(笑)

私は「偉大なる予定調和」だと思っています。
厳密に言えば「副将軍」という役職は江戸幕府には存在しません。

(No.2は筆頭老中。ただし水戸徳川家の長老であった水戸光圀に、将軍綱吉が強い態度で出ることができなかったのは事実でしょう。1つの面白い話として「生類憐れみの令」を出した綱吉に対し皮肉を込めて光圀が犬の毛皮を送ったという事実があります)

その光圀が身分を隠し、悪を働く役人を懲らしめるというストーリーは何十年と変わることはありませんでした。
しかし、それが長年、日本人に受け入れられ超・長寿番組となったのは「勧善懲悪」物を日本人がいかに愛していたかという証左だと思います。

しかし、その偉大なる「予定調和」も時代の価値観の変わりのせいなのか遂に終焉の時を迎えました。

そして入れ替わるように「ドクターX」が大ヒットしました。
こちらはフリーランスの外科医が大学病院に乗り込み、まさに「白い巨塔」とも言える医局で難手術をこなし院長や教授達に一杯食わせるという話です。

勿論「水戸光圀」よりストーリーは色々とバリエーションに富んでいますが、基本線は変わっていません。
「水戸黄門」ほど「偉大なる予定調和」とは言いませんが、凄腕の外科医が何手術をなんなく粉し、院長や教授陣を黙らせるというところは「水戸黄門」のそれに相通じるものがあります。

また役柄をを見ても

大門未知子(米倉姉さん)=水戸黄門
城之内博美(内田有紀さん)=コンビを組む麻酔医=いつも黄門様に寄り添い頼りになる助っ人=お銀(由美かおる)
海老名ドクター(遠藤憲一さん)or加地ドクター(勝村政信さん)=時としてオペで頼れる助っ人的意味で佐々木助三郎(助さん)と渥美格之進(格さん)、しかしうっかり八兵衛的コミカル要素あり
蛭間病院長(西田敏行さん)=悪代官
神原晶(岸辺一徳さん)=大門ドクターの師匠であり、影のように寄り添い時として助言を与える存在という意味で風車の弥七
と私は見ています。
かなりこじつけですが(笑)

「ドクターX」も俳優陣が良いですね。
「season4」では米倉姉さん、勝村さん、鈴木浩介さん、遠藤憲一さん、生瀬勝久さん、吉田鋼太郎さん、泉ピン子さん等、これでもかと言うくらい豪華ですし、一曲もふた曲もあるキャストで楽しめます。
(どうでも良いことですが学生時代から若い頃にかけて私、「生瀬勝久に似てる」と言われてました笑ああいう狡賢い感じの顔だったのでしょうか(^^;)彼の前の芸名はとても酷いものですね大笑でも、彼も好きな俳優の一人です)

勿論、「ドクターX」にも突っ込みどころはあります。
いくら凄腕外科医でも脳外科手術から腹胸腔部ガンの手術まで全てはこなせないでしょう(笑)
(そういえばブラック・ジャックもそうでしたね)

しかし、高視聴率を保っているのはやはり「勧善懲悪」ものを日本人が好きだということだと思います。

私の甥っ子が現在某私大の医学部で医師を目指して頑張っています。
彼に聞きました。
「御意」はまったくの嘘だそうですし、第一、「フリー」の外科医が病院でオペすること自体ありえないと(笑)
(ただ難手術等で他大学医学部や他病院から手練の医師を呼ぶことはあるようです)
ただ、教授の言うことは絶対でとても口を挟めるものでは無いことは事実とのこと。
人事権を握っているのも教授だというのも事実だそうです。だから何処に飛ばされるかも医局に残ることができるのかも胸三寸とのこと。
私は彼(甥っ子)にはさっさと開業医になってじゃんじゃん儲けて欲しいのですがね(笑)

ただ、そんな事を気にしていたらドラマは楽しめません。
「ドクターX」にはスカッとした爽快感のあるドラマなので私はseason1から欠かさず観ています。

また田口トモロヲさんの相変わらずの良い声でのナレート「群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、専門医のライセンスと叩き上げのスキルだけが彼女の武器だ」はもはや名文句です(^^)
(田口トモロヲさんは現代の芥川隆行さんと言ってもいいですね。あの声、ドラマでもドキュメンタリーでも番組を引き立てます)

大学病院教授の威光を感じたのは入院していた時でした。
私の主担ドクターは腹部外科の教授でしたが、先生と問診する際、まず診察室から違います。
普通の先生の診察室の三倍位ありました。
で、その先生は紙のカルテにドイツ語で病名やら症状を書いていくのですが、後ろに控えた医局員達が電子カルテに一生懸命打ち込みしたりメモしたり、そして医学生達は立ちっぱなしでメモ取りやらなんやらやっていました。
やはり「教授」は絶対なのですね(笑)

我々文系の教授なんて「気難しいおっさん」とか「下ネタ連発するおじさん」とか授業の内容と関係無い内容で一コマおわる教授とかばっかりでしたし、私のついたゼミの教授も所謂「気のいいおっさん」で教授室によく入り浸って「法学」とは一切関係無い話を深夜まで酒を飲みながらしたり、安居酒屋で朝まで呑んだくれる有様でした。

こうして見ると「医療ドラマ」としてリアルなのは「白い巨塔」の方だなとも感じました。
あちらは山崎豊子先生の名作としてドラマ化され、小説版は既に読んでいましたが、唐沢寿明さん版をリアルタイムで観て、その面白さにハマり田宮二郎さん版をレンタルして観ました。
(田宮さん版も素晴らしかったです。山崎豊子先生の作品のドラマといえばその後の「不毛地帯」も素晴らしいドラマでした)

「ドクターX」と「白い巨塔」は「医療ドラマ」という括りではありますが、全く違う話と認識すべきですね。

新時代の「水戸黄門」。
あの通り「高視聴率」を約束されたドラマですので新seasonが始まることを楽しみにしています。

今日は連続ブログとなってしまいました。
相変わらず長々とどうでもいいような内容のブログを書いてしまってます(汗)

最後までお読み頂き、本当に感謝しております。
また懲りずに覗いて頂ければ幸いです。
Posted at 2017/06/18 02:08:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年06月17日 イイね!

昔の海外ドラマを観ながら

今日は世間は休日ですね。
私のように毎日が休日のような世捨て人(笑)だと土曜・日曜の楽しみがあまり無いので、今日は録りためたブルーレイHDDの海外ドラマを観ています。

働いていた頃は土曜・日曜が待ち遠しかったのに、こうなるとダメですね(^^;)

さて、まずは「ナイトライダー」
恐らく40代~50代の方は懐かしいのではないでしょうか。
AI「KITT」を搭載した「ナイト2000」(ベースはトランザム)と主人公「マイケル・ナイト」、そして彼を陰ながら支援する「デボン・シャイア」と「ボニー・バッソー」の話です。

簡単に言えば「勧善懲悪」物なのですが、やはり車好きにはたまらないものがあり、子供の頃「戦闘ヘリ エアー・ウルフ」と「冒険野郎マクガイバー」と並んで喜んで観ていました。
しかも海外ドラマが地上波のゴールデンタイムに放送されるというまさに「古き良き時代」でしたね。

子供の頃「ナイト2000」に搭載されている装備(夜間暗視装置やナビゲーション、自動運転)なんてものは夢でしかありませんでしたが、あれから30年近く経って今ではナビは当たり前、夜間暗視装置も「ナイトビジョン」として実用化され、さらにそれより進んだアイサイト等が搭載されていますし、完全自動運転もあと数年で実用化という所まで来ています。
技術の進歩とは凄まじいものだと「ナイトライダー」を観ながら感じました。
まあ「ナイト2000」にはジェット噴射装置やジャンプボタン等、あり得ない装備があるのはご愛嬌として(笑)

今観ると「ドラマ」としては大味な所もあるのですが、子供には丁度良かったのでしょう。
でも今観ても楽しめました。

みん友の~Shiroo様に教えて頂いたテレ東のドラマ「コードネーム・ミラージュ」がまさに現代版「ナイトライダー」で本当に楽しめました(^^)
先日、拙ブログ「今クールのドラマ」で警察物について書きましたが、この「コードネーム・ミラージュ」は未視聴でした。
~Shirooさんに教えて頂き、Amazonの動画配信で観ましたがこれに登場する「現行シーマ」がまさに「現代のナイト2000」のような存在でAIを搭載、主人公を助ける存在となっています。
「ナイト2000」のような「あり得ない飛び道具」こそありませんが「ナイトライダー」が好きだった方なら楽しめると思います(^^)v

ナイトライダーはつい一ヶ月位前までBSで放送していましたが終わってしまいました。
また放送しないかなぁ・・・

さて、次は「スパイ大作戦」です。
オープニングテーマといい「おはよう、フェルプス君」で始まるセリフといい説明不要ですね。
勿論、私はリアルタイム世代では無いのですが、毎週BSーJAPANで放送しているので観ています。

恐らく、今の若い人たちには「Mission・Impossible」か「M:I」と言った方がわかりやすいのかもしれませんね。
こちらもなにせ50年前の作品ですから東西冷戦時の西側VS東側の話が多いですし、携帯やネットなんて勿論登場しませんし、録音されている機器がレコードだったり8トラックテープ(!)だったりと「ナイトライダー」以上に時代を感じるというか秘密道具すべてがちゃちい(笑)
でも何か見入ってしまう魅力があるんですね。

やはりあの5拍子のテーマと個性溢れるメンバー、それと「おはようフェルプス君。君、若しくは君の仲間たちが捕らえられ、あるいは殺されても当局は一切関知しないからそのつもりで。成功を祈る」の台詞の魅力なんですかね。
また緊張のシーンと牧歌的シーンが上手く融合しているのも魅力だと思っています。
「スパイ物」は「007」シリーズをはじめ古くても次の展開をハラハラしながら観られるというところも楽しいファクターとなっているのでしょう。

少しネタバレになりますが、この「スパイ大作戦」の主人公である「ジム・フェルプス」が「M:I」で「IMF」(国際通貨基金では無く「Impossible・Mission・Force」の略)を裏切りトム・ハンクス演じる「イーサン・ハント」と対決するというのは個人的にはちょっとがっかりでした(TT)

「M:I」はやはり現代が舞台になっているせいか、アクションシーンが多くVFX技術が満載となっているので最早違う作品というイメージでデ・パルマが造ったものだとは思っていますが、もう少し「スパイ大作戦」へのオマージュがあっても・・・
(とは言いつつ私、「M:I」シリーズも好きです笑)

我が国には「一応」スパイ機関は無いので「スパイ物ドラマ」は創れないのでしょうか。
まぁ、それに準じたものが「公安物」ということになるでしょう。

ちょっと朝から観すぎてさすがに疲れました(笑)
本日は感想を含めてこのような他愛もない内容のブログとなりました。
相変わらずの長文・乱文、申し訳ありません。
また先日来からの沢山の「イイね!」本当にありがとうございます。

なんだかんだで時間を持て余しているので、これからも他愛もない話を書ければと思っております。
最後まで拝読いただきありがとうございます。
Posted at 2017/06/17 16:00:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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