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バーンスタインのブログ一覧

2017年12月28日 イイね!

クルマネタが無いので・・・今日も音楽ネタ(笑)

今日は世間様では仕事納めの日ですね。
役所では「御用納め」と言いますが・・・

現在の私のように不労所得で食っている人間としてはなんの感慨も無いのですが(笑)役人時代は12月28日になると「あーやっと休める」って感じで一年が終わるのだなという気がしていたものですが、世捨て人のような暮らしをしていると相も変わらず読書とCDを聴いて一日が終わるという毎日の繰り返しです(^^;)

さて、体調が戻りみんカラでブログを再開してから音楽ネタばかりでクルマネタが無いのです(汗)
Rはディーラーに冬季入庫してしまいましたし、かといってSAIも特段書くことが無いですし(笑)
私の住んでいる地方も積雪に見舞われ道路は圧雪&凍結ですがSAIはアンダーパワー故か何事も無く走ってくれています。
ちょいと旧世代HV特有のブレーキ・フィールが気になりだしましたが(笑)

ただ、7年前のクルマ故かUSBポートが無いのでHDDにCDを録音するかMP3をCDに落としたものしか聴けません・・・
その代わり「MDスロット」という最早、過去の遺物が装備されているところに時代を感じるというか笑ってしまうというか(^^;)


あぁ、お袋から電話があってハスラー君のバッテリーがあがったそうです(笑)
恐らく、私のもとから持っていってろくに運転してあげてないからでしょう・・・
それに最近の寒冷がトドメをさしたものと(笑)

テレビを見ていたら大谷翔平君の大リーグ移籍の話をしていました。
彼が来年、どのような成績を残すことが出来るのか。
非常に楽しみです(^^)

大谷選手は勝手なイメージですが「努力型」の選手イメージです。
古くは「努力型」の王さんと「天才肌」の長嶋さん。
はたまた天才肌のイチロー選手と努力型の福留選手。
なんてことを考えていました。

では指揮者をそんな感じに勝手に分類したら?なんて考えてみたのです。

今日はカルロス・クライバーのブラームス交響曲第四番を聴きながらブログを書いています。
カルロス・クライバーはまさに「天才型」のマエストロだったのではないでしょうか。

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
G・ビゼー作曲 歌劇「カルメン」より序曲前奏曲

流れるような指揮姿、オケマンを魅了する人柄と演奏解釈、聴衆を熱狂させたその音楽。
彼を同業者たるマエストロ達が評した言葉にも、それが分かります。

カール・ベーム曰く「カルロスは天才だよ。彼こそ音楽の紡ぎ手だ」
ヘルベルト・フォン・カラヤン曰く「彼こそ正真正銘の天才だよ」
レナード・バーンスタイン曰く「彼の指揮したプッチーニのラ・ボエームこそ私の音楽体験の中で最も美しい体験だった」

悪口や罵詈雑言渦巻く(笑)音楽家の世界でこのような賞賛を受けた指揮者は他にはいないのでは?と思います。
今は便利な世の中になって私も「結局は幻」となったクライバーの指揮ぶりがネットで視聴することが出来るようになり、その姿を観ると本当に惚れ惚れします。
快刀乱麻といいますか、ミューズの神が舞い降りたかのような指揮というか・・・
彼の父親、エーリッヒ・クライバーも大巨匠として崇め奉られる指揮者でカルロスはその父の幻影に怯えていたとも言われますが、その才能は受け継がれたのでしょう。
それにポストにも演奏会にもがっつく事無く「気が向いたら指揮する」「指揮してほしかったらなんか美味しい話持って来い」←このあたりはアウディ社とのやりとりが面白いです(笑)なんて茶目っ気のあるところも「天才型」かなぁと。

そんなカルロス・クライバーの指揮姿をもう一個。

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
L・V・ベートーヴェン 交響曲第七番より第四楽章

なんというか・・・彼は「本当に音楽を愛し、それを楽しみ、そしてそれが聴衆すらも熱狂させた」稀有な存在だったという事なのでしょう。

カロルス並に「天才型」と思われるマエストロ。
やはり「レナード・バーンスタイン」ではないでしょうか。
名門、ハーバード大で学び、その後これまた名門カーティス音楽院に学び、ディミトリ・ミトロプーロスやフリッツ・ライナーにその才能を買われ、ブルーノ・ワルターの代役として指揮したニューヨーク・フィルの演奏会が大成功、一夜にしてスターに。
作曲にもその才をいかんなく発揮し「ウエストサイド・ストーリー」「キャンディード」等、20世紀に残る名曲まで残し、また母校ハーバードで講義すら持っていた・・・
まさに「天才」の言葉通りの活躍です。

レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
D・ショスタコーヴィチ 交響曲第五番より第四楽章(1979年東京文化会館Live)

彼の指揮ぶりはカルロス・クライバーのような「流麗な」指揮ではありませんが「音楽にのめり込み」「エクスタシーを感じさせる」指揮ぶりです。
バーンスタインはそのプライベートなどを考えると「エキセントリックな天才」だったような気がします。
マーラーの演奏等に見られるような曲の内生を抉り出すような所を見ても・・・

レナード・バーンスタイン指揮 ウィーン・フィル
G・マーラー 交響曲第一番「巨人」第四楽章より後半


彼の創り出す音楽、特にその凄絶なところはバイ・セクシャルであったことの悩みから来る狂気性とも関連していたとハンフリー・バートンの本だったかで読んだ記憶がありますが、その事も勿論影響はあったにせよ、彼もオケマン達から愛され、自身も音楽を愛し、聴衆を魅了した「天才型」であったと思います。

もう一人「天才型」と思われるマエストロ。
その人は「山本直純」
指揮者としては勿論、作曲家としても(それもクラシックから映画音楽まで)、また音楽の啓蒙者としても、そしてお茶の間の人気者としてもその才を発揮した我が国のマエストロ。
映画「寅さん」のテーマなんてこれからもずっと生き続ける音楽と言える存在ではないでしょうか。
齋藤秀雄からも「山本は天才」と言わしめたことからも彼の豊か過ぎる才能は若い頃から開花していたことが分かります。

山本直純作曲&出演
森永エールチョコレートCM

直純さんが作曲から出演まで果たしたCM。
河合克彦氏著「山本直純と小澤征爾」によると大人数の合唱が合わず苦労していたところ直純さんが「俺が指揮する!」となり実際やってみたらピタッとそろったとか・・・
どうせなら気球にのって指揮してくださいなんて無茶振りにも付き合って「大きい事はいいことだ」が生まれたなんて逸話も書いてありました。
直純さんもバーンスタインのような「エキセントリック型天才」だったと思います。
彼はお茶の間に音楽の裾野を広げようと活躍したためボードビリアン的見方をされますが、「あの」小澤征爾が「僕はいつも彼(直純さん)の陰にいた。なぜなら彼の方がずっと上にいたからです」とまで言わしめたのですから、その才能は言わずもがな。
まぁプライベートで世間を賑わせてしまった結果、その傾向が強まってしまった感もありますが・・・

他にも「天才型」と言えば「恐ろしい毒舌家」と言われたセルジュ・チェリビダッケが「恐ろしく無知だが」という前置き付きで(笑)「天才」と言わしめたリッカルド・ムーティ等もその代表格なのかもしれません。

では一方の「努力型」マエストロは誰が考えられるのでしょうか。

まずは「ヘルベルト・フォン・カラヤン」だと思います。
ウィーン・工科大学を経てモーツァルテウム音楽院を卒業し、その後小劇場等の監督を経て第四代ベルリン・フィル音楽監督に就任、楽団の帝王へ・・・

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
L・V・ベートーヴェン 交響曲第5番

「楽団の帝王」となるまでのカラヤンの道程は順調とは言えなかったと言えます。
ウルムやアーヒェンの小劇場の監督からキャリアを開始し、ポストを得るためにナチスへの入党(これは疑惑ですが)や「奇跡のカラヤン」としてゲッベルスとゲーリングの政争の具に利用されたり等。
彼の音楽は上辺だけで信念が無いという批判がありますが、私は彼の流麗で分厚い濃密かつ精緻な音創りは「努力の賜物」であると考えています。
結果、その努力があったからこそ結果がついて来たとも言えますし努力を惜しまない若い音楽家たちへの援助を惜しまなかった姿も彼の人間性の裏返しでしょう。
(何故、若い音楽達をそんなにまで援助するのか?という質問に「私は若い頃、仕事を求めて夜汽車を、それも三等客車を乗り継ぐ日々を送り、そこで勉強をした。才能ある若者や努力を惜しまない若者に私と同じ苦労はさせたくないし、十分に勉強する時間を与えたい」と言ったと。カラヤンの伝記によれば彼が「帝王」になってから列車を使わず自家用ジェットやスーパーカーを愛したのもその事を思い出したくなかったからだとか)
カラヤンは音楽は勿論のこと、様々な分野でも晩年まで探求を止めずCDやレーザーディスク等、当時の最先端技術にも大変興味を持ち「如何に音楽を家庭に、それもいい音・美しい画像で届けるか」まで求道し続けました。
このことからも彼は「努力」を惜しまず、どんな事にも一生懸命取り組んだマエストロではないでしょうか。


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィル
G・ロッシーニ作曲 歌劇「ウィリアム・テル」より序曲

徹底した音楽美と映像美の融合した世界。
この世界を実現できた存在はカラヤンしか思い浮かびません。

もう一人の「努力型」。
それは小澤征爾。
世界のオザワと言われる存在であるのは最早誰も異存の無い所ですが、彼も努力型の人なのだと思いました。
「天才型・山本直純」とほぼ同じ時期に齋藤秀雄に弟子入りしたわけですが、師の斎藤曰く「山本は天才だが(中略)小澤は天才なのか才能が無いのかわからない。しかし大きな可能性を持っている」と言われた存在。
その後、日本を徒手空拳とも言える状態で飛び出しブザンソン指揮者コンクールで優勝。バーンスタインに認められニューヨーク・フィル副指揮者に。
そして日本に凱旋するも有名な「N響事件」(N響が小澤さんをボイコットした事件)という奇禍に見舞われ、またもや日本を飛び出し・・・トロント響、サンフランシスコ響の監督と順調に階段を登っている最中に今度は日本での手兵だった日本フィルの分裂騒動・・・
それを乗り越えボストン響の監督となり、ついにはウィーン国立歌劇場音楽総監督へ・・・
まさに「波乱万丈」です。

小澤征爾指揮 ベルリン・フィル
P・チャイコフスキー作曲 序曲「1812年」

小澤さんの場合は日本で教育を受け、徒手空拳とも言える状態でフランスに渡り結果、ブザンソンコンクールで優勝したところから実質的キャリアがスタートしたと言えると思うのですが渡仏の際に「もう生きて日本には帰国できないかもしれない」とまで思ったそうです。
そりゃ、そうですよね・・・
明らかな伝手があるわけでも無く日の丸を描いた富士重工のラビット・スクーターを相棒に欧州に「修行」に行くわけですから。
あるのは恩師齋藤秀雄先生に教えられた音楽の知識のみ。
彼は著書「ボクの音楽武者修行」で書いています。
「自分とほぼ同じキャリアの岩城(宏之)さんや外山(雄三)さん達が華々しくN響を指揮しているところを見てジェラシーを感じずにはいられなかった」と。
しかし彼はそれでも努力を怠らず勉強に勉強を重ねた結果、シャルル・ミュンシュ、レナード・バーンスタイン、そしてヘルベルト・フォン・カラヤンという終生の師に認められ寵児の階段を登って行くわけですから・・・
(この「ジェラシー」の時、お父様である小澤開作さんに「嫉妬は人間の中でもっとも悪い感情だ。嫉妬で命を落とした奴もいる。兎に角努力しろ。そうすれば自ずと道は開ける。」との言葉で目が覚めたとも仰っています)

勿論、小澤さんにも師・カラヤンと同じく「政治力でのし上がった」という批判も有ることは承知しています。
しかし「政治力」を身につけるのも「努力」があってこそ。
そして「努力無き者」を庇護する大家もいないと思われるわけで。
小澤さんも大変失礼な言い方ですが「人生の黄昏」を迎えている年齢ですが、師と同じく若い才能への援助を惜しまない姿勢はかつての自分と重ね合わせているからなのでは無いかと思います。

小澤征爾指揮 NHK交響楽団
ベートーヴェン 交響楽団第五番


N響事件という「ある意味」世界へ雄飛する結果となった因縁のN響との共演。
彼の胸に去来するものは・・・

でも、こうして書いていて。
歴史に名を刻むマエストロ達は「才能」があり、「不断の努力」をしたからこそ名を刻む存在になったのだということに気付かされました(笑)
「天才型」と書いたクライバー、バーンスタイン、直純さんは「天才」だったでしょうが「努力」を怠ることは無かったでしょう。
「努力型」と書いたカラヤン、小澤さんだって「才能」が無いわけでは当然無く、それがあって「努力」をし続けたからこその存在でしょう。

言い換えれば「ミューズの神に愛された者が血の滲むような努力をした結果」なのだと思います。

音楽は勿論、プロスポーツも将棋も囲碁も・・・・・

有名な逸話。
ある人が「How can I go to Carnegie Hall?(カーネギーホールに行くにはどうしたらよいですか?)」と通りがかりの老人に道を聞いた。
すると老人は「Practice、Practice、Practice」(練習、練習、練習だよ)と答えた。
この老人はトスカニーニだった。というジョークがありますが、まさにその通りですね。

あぁ、なんだか惰性で生活している自分が(汗)

「日々是精進」「日々是努力」
これ、来年のモットーかな(笑)

今日もとりとめのない内容となってしまいました(^^;)
本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
2017年12月26日 イイね!

師走に聴く音楽~第九交響曲の思い出~

先日のブログで少しベートーヴェンの第九交響曲の事を書きました。

師走と言えば「第九」。
「第九」自体の演奏会が年末に多いので中々実演を聴くという事は少ないのですが、過去に何度か行った演奏会ではやっぱり客席の埋まり方が普段から見ると多いのです。

黒柳守綱さんの目論見は正鵠を射ていたことの証左なのかしらん(^^)

さて、そんな第九交響曲ですが演奏会に行きたくとも面倒というか電車と地下鉄に乗るのがイヤというかで結局CDで聴くことになります。

第九の代表的名盤と言えば・・・

まずはこれを外すわけにはいかないでしょう。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団
Sop エリザベート・シュヴァルツコップ
Alt エリザベート・ヘンゲン
Ten ハンス・ホップ
Bas オットー・エーデルマン
1951年のバイロイト音楽祭におけるライブ録音(疑似ステレオ版)

もう、この「第九」は私が音楽を聴き始めた頃、生意気にも「レコード芸術」とか「音楽の友」とか読みだした頃から「決定版」扱いでした。
何も分からない小学生、早速買ってみたのですが「モノラル録音」という事を知らず(笑)音の悪さにガックシ・・・
まだガキには「音の良さこそ一番!」みたいな感情がありフルトヴェングラーの第九はCD棚の片隅に埃を被っていました。

が、中学に進学し、その学校の理科の先生が所謂「フルトヴェングラーキ○○イ」でして(^^;)
その先生が言うわけですよ。
「フルトヴェングラーこそ五線紙の間から宇宙を見た唯一の指揮者だ」
とか
「指揮者はカッコではない。どんな音楽を創るかなのだ。フルトヴェングラーこそその最大の具現者だ!」

とか・・・(笑)
私は「この先生はなんで音楽の先生にならなかったのだろう?」という素朴な疑問が湧いたのですが(笑)
その先生が色々と彼のライブラリーから「カセット」にLPやらCDから落としたフルトヴェングラーの音源を沢山私にプレゼントしてくれたのもいい思い出です。
(ただし、定期考査の理科で100点取ったらとか、小テスト満点連続5回で1カセットとか今にして思えば結構、無茶というか怒られそうな感じでしたけどね笑)
お陰でフルトヴェングラーの世界に少し?引き込まれた吾輩がおりました。

「12月27日:追記
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの二次大戦中の第九の映像がありました。
断片映像ですが「振ると面食らう」と言われたフルトヴェングラーの指揮姿を見ることが出来ます。
現在の端正ばバトン・テクニックを持つ指揮者達とは違った指揮ぶりですね。

最前列にゲッベルス宣伝相とヒムラーゲシュタポ長官?の姿、そしてハーケンクロイツがナチス統治下のドイツですね・・・
演奏終了後に握手を求めるゲッベルスに応えるフルトヴェングラー、その心中は如何に・・・

もう一人、フルトヴェングラーと並び称される巨匠、ハンス・クナッパーツブッシュの第九。

こちらも戦中のライブとのこと。
長いタクトを悠々と振り下ろす姿はフルトヴェングラーとスタイルの違いこそあれ19世紀生まれの巨匠の一種の「凄み」を感じさせます。」追記ここまで

音楽の世界(と言っても聴き専ですが笑)に完全に引きずり込まれたのは恐らく中学の頃だったのだと思います。

でも周りでクラシックを聴く友人はおりませんでした(^^;)
なのでこの理科の先生と・・・もうお二方、思い出深い先生との出会いがきっと音楽の世界へのめり込むきっかけだったと思い出しています。

一人は当時の音楽の先生。
まだ当時30代なのに髪の毛は真っ白で長髪という出で立ち(秋篠宮殿下の白髪時代みたい)で我々が付けたあだ名は「シロクマ先生」(笑)
今にして思えば「マエストロ」とかあだ名を付けるのでしょうが、中学生のガキの考える事ですから面白おかしいあだ名を付けるわけです。
彼は「カール・ベーム教信者」でした(笑)
「いいか?ベームのゆったりしたテンポこそ音楽の真髄と温かみを融合させたこれこそ指揮者の真髄なのだよ。モーツァルトやベートーヴェンを聴くならベームを聴きなさい」なんて授業で言ってました(笑)
当時、小遣いから買えるCDなんて月に1枚~2枚、お年玉で徳間シャルプラッテンの1,000円シリーズとかドイツ・グラモフォンのなんとかベストの1,450円と言った廉価版を買い溜めていた私でしたが、彼からもカセットに落としたベームの音源をたかっていました(笑)
彼は「お前、楽器やらんか?」」と言われ放課後にピアノのレッスンを一週間程つけてもらったのですが・・・
楽譜もろくに読めず(笑)

「うん、お前には才能無いね。でも良い音楽はこれからも聴きなさい。」で終わりました(大笑)

そんなカール・ベームの「第九」

カール・ベーム指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団
Sop エリザベート・グリュンマー
Alt クリスタ・ルートヴィヒ
Ten ジェームズ・キング
Bas ヴァルター・ベリー
日生劇場でベームがベルリン・ドイツ・オペラを率いた公演のライブです。
これ、確かシロクマ先生に感化されて買ったはずなのでどこかに有るはずです。

もう一人の恩師。
それは数学の先生でした。
彼は所謂「トスカニーニオタク」で(笑)
彼曰く「トスカニーニの音楽こそ楽譜に如何に忠実に演奏するかということを追求した音楽なのだ。聞いてみろ。無駄なテンポの揺らしとか無いだろう。トスカニーニは良いぞお」
とのことで(^^)
理科・音楽のお二人の恩師とともに彼にもテープをたかっていました。
でも、トスカニーニの録音も古い物が多いのでモノラルなんですよねぇ・・・
当時の私ではその良さが全く理解できなかったのが正直な所でした(笑)
でも、その先生から頂いたトスカニーニ指揮NBC交響楽団のショスタコーヴィチの第七交響曲「レニングラード」は音の悪さを通り越して感動しましたね。

そんなトスカニーニの「第九」

アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団 ロバート・ショウ合唱団
Sop アン・マックナイト
Alt ジェーン・ホブソン
Ten アーウィン・デロン
Bas ノーマン・スコット

師走と言えば「第九」。
その第九交響曲の思い出深い指揮者達の演奏を改めて聴いてみて・・・

フルトヴェングラーのものはテンポの揺らし方は勿論、第四楽章終結部のプレストがオケが破綻寸前になりながらも進んで行く推進力とオケの爆発力、合唱とソリストの素晴らしさ、どれをとってもやはり決定版と言っても良い出来ですね。
彼が長生きしてステレオ録音を残してくれていたなら・・・
といつも思います。
当時、ステレオ録音の技術はあったようですが、まだ実験的要素が強く当時のマエストロ達は懐疑的だったとか。
(因みに1944年にカラヤンが実験録音の一環としてステレオ録音されたブルックナーの交響曲第八番第四楽章のCDが出ています)
また「フルトヴェングラーのステレオ録音」というと「ゴルゴ13」にそれを主題とした話がありました(^^)

ベームの演奏はステレオとなり大分、聴きやすくなっていますが、会場が日生劇場故かちょっとデッドです。
しかし彼の誠実な音楽に向き合う姿勢を感じることが出来る演奏です。

トスカニーニは恩師がおっしゃったとおり余計な贅肉を削ぎ落としたソリッドな演奏です。
しかし音楽が平板というわけではなくトスカニーニというマエストロがこれでもか!という位にスコアを読み込み、そこから生み出された素晴らしい演奏であることが分かります。

恩師、三人の思い出。
とても懐かしく思い出されます。

私が合唱コンクールで指揮者賞をもらい(笑)卒業式の「大地讃頌」の指揮を任された時、このお三方と私、四人でお話をすることがありました。
「お前はどんな風にやりたいんだ?」
と聞かれて
「カラヤンのようにやりたいです」
と言ったら。

その恩師三人は口を揃えて
「何?カラヤン?いかんいかん!」

どうやら信奉する指揮者は違えど「アンチ・カラヤン」という点では一緒だったようです(笑)
でも中学生にはカラヤンの目をつむりながらのあの神秘的な指揮姿に憧れていたのですよ(^^;)

そのカラヤンの第九。

やっぱり、カラヤンの指揮は惚れ惚れしますね(^^)

で、結局は「お前の好きなようにやれ」という事になったのです。
感動的な「大地讃頌」が終わり卒業式が終わった後に三人の恩師に「どうでしたでしょうか?カラヤンになってましたか?」と聞くと。

お三方とも口を揃えて
「カラヤンというよりヤマカズさんだな」
との論評が(笑)
当時「山田一雄」先生を知らなかった私には「?」でしたがヤマカズ先生の指揮姿の映像を見つけました。

山田一雄指揮 読売日本交響楽団
G・マーラー 交響曲第一番「巨人」より第四楽章

ちょっと前のブログでも書きましたが、その指揮姿はVHSに保存され同級生全員に配布されました。
私もDVDに落としたものを見かえましたが確かにキューは出しまくってるわ、指揮台の上で飛んだり跳ねたり・・・(笑)
しかも鼻水と涙でひでぇ(大笑)
未だに同級会のネタにされるのも致し方ない仕上がりです(^^;)

本当はこの若い指揮者のようにスマートに指揮したかったのですがねぇ・・・

レナード・バーンスタイン「Young People’s concert」より
W・A・モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」より序曲。

若き日の小澤征爾さんです(^^)
バーンスタインが前説で言っていますね。
「三人の副指揮者の中で最も若い、日本からやってきた26歳の指揮者。あなた達は将来、この名前を頻々に聞くことになるでしょう。セイジ・オザワ」
26歳にして天下のニューヨーク・フィルを斎藤メソッドのスマートな指揮でドライブ。
カッコいいなぁ・・・

そんなこんなで年末、第九のシーズンとなり昔話を思い出しています。
今にして思うと彼ら恩師は不惑の歳になった私よりも当時、若く熱血教師達でした。
よくもまぁ生意気盛りのガキ達を根気よく教育してくれたものだと感謝・・・
ま、悪いことすれば鉄拳制裁なんて当たり前の時代でしたし(^^;)
そんな彼ら恩師に数年前に同級会でお会いした時は校長先生とか教頭先生とか、えらーくなってました。
「お前らの頃は先生の言うことを素直に聞いてくれる生徒ばかりでよかった」
とか「平気でバシバシ殴ってたなぁ」とか(笑)
だって親父やお袋も「悪い事しでかしたらどんどんぶん殴ってください」とか言ってましたもん(^^;)
学校で怒られ、帰宅すると今度は両親に怒られるという(笑)
自然に悪いことしなくなりますよ(^^)
「そんなお前が官僚様になるとは・・・」とも(大笑)
って、既にその時は辞めた後でしたが。

「今でも聴いてんのかい?」
なんて酒が飲める年齢になってからする恩師との会話、最高に楽しかったですね・・・
(朝まで連れ回して申し訳ありませんでした、先生笑)

え?今聴いている第九ですか?
これに何故かハマってまして。

マキシミアンノ・コブラ指揮 ヨーロッパ・フィルハーモニア・ブダペスト管& 合唱団
Sop イングリッド・ケルテージ
Alt ベルナデッテ・ヴィーデマン
Ten ヨーゼフ・ムック
Bas イシュトヴァーン・ラーツ
指揮の往復運動を一拍として数える理論「テンポ・ジュスト理論」を実践するマクシミリアンノ・コブラ。

前に拙ブログ「珍」な演奏と曲で紹介しましたが、あれ以来、この演奏が面白くて(笑)
なんというか「くさや」的な味わいと言いますか・・・(コブラさん、ゴメンナサイm(_ _)m)

やはり何度見ても第四楽章のオケと合唱団の「死んだ目」状態が笑いを堪えるのに(^^;)
でも何度も見てしまう中毒性があります(笑)

皆さんの年末の「うた」や今年の「うた」はなんでしょうか?

今年も残る所、数日となりました。
残りの日々が良い年になりますよう。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
2017年12月23日 イイね!

2017年も終わりが近づいてきましたね。

今年、2017年も残すところ僅かになりました。

街中では第九・・・よりもクリスマスソングが流れていますね。

最近、とみに思うのは「年末恒例の第九」というもののあまり街中のBGMでは聴かなくなった気が。
日中、ヒマなので帯ドラマ「トットちゃん」を視聴しましたが、やはり年末の「第九」が日本に根付いたのは日響(現NHK交響楽団)のコンサートマスターだった黒柳守綱さん(徹子さんのお父さん)の発案だった・・・というのが定説のようですね。

下世話な話、オケマンの給与を昔、何かの本で読んだ事があるのですが、「ある意味金満」なNHK交響楽団はトップクラス奏者で1,200~1,500万円クラス、「一番貧乏」と言われた新星日本交響楽団で500万という事でした。
(一番「貧乏」と言われた新星日響は東京フィルと合併→消滅してしまいました・・・フレッシュかつ熱い演奏をするいいオケでした。)

年末に第九を演奏し始めたのは当時のオケマンの給与があまりに安く、黒柳さんや日比野愛次さん、森正さんや齋藤秀雄さんあたりが「正月の餅代位稼ぎたいよなぁ」という話から「お客さんを呼べるコンサートは何か?」という話になり「第九なら合唱団に音楽学校の生徒を殆どロハで使えて、その家族が切符を買って、更には親戚縁者用にも切符を買うはずだから満席間違い無し」とのことで「年末の第九」が始まったとか。

その時代からみれば隔世の感すらあります。

さて、そんな年末&クリスマスですが。

今年も当然のように「シングルベル」です(笑)

今日や明日は「恋人達の日」・・・
いつからそうなったんでしょう(^^;)
勿論「子供のプレゼントの日」という意味合いも強いですが、汚れてしまった中年になるとどーしても「恋人がムフフする日」というイメージが(汗)

まぁ、若い時は色々経験しましょう。

SAIが我が家に来て一ヶ月近く経ちますが、足代わりに重宝しています。
さすがに7年も経過しているので駆動バッテリの劣化なのか、モーター領域がどう考えても新車の時より減ってはいるのですが、それでもリッター18キロはコンスタントに走ってくれますし、CVTも慣れてしまったのかDレンジに突っ込んで走っていれば何事もなく快適に走ってくれています。

まぁ、Rから見ると素人の私でさえ分かるほどボディ剛性がヤワいだとかステアフィールがダルだとかありますが、Rと比べちゃいけませんよね(^^)

一点だけ、どーしてもなのが「ECOモード」の異常なかったるさ位でしょうか。
高速道路を4回ほど通院するのに使ってみましたがRと同じくクルコンを95キロセットし、ECOモードにして左レーンをチンタラ走って見たわけですが、それでもトラックとかに追いついてしまい追い越しレーンに入るわけです。
で、加速するためにアクセルを踏むのですがECOモードだと中々加速しません(笑)
で、一度ECOモードを解除するのですがアクセルを踏んだまま解除してもスロットルが開いているせいか加速はそのままで、アクセルを一度戻して再度踏む儀式が必要です(^^;)

ECOモード時の加速はとても2.4リッターエンジンの加速とは思えない加速ですのでご興味の有る方、中古で試乗してみてください(^^)

トヨタさんは何故「前期SAI」に「POWERモード」を付けなかったのか問い詰めたいところです(笑)

まぁ、車検もまだ一年半近く残っているのでまだまだ乗ります。
それに「SAI」自体がブランド消滅のようですからリセールなんて最早無いに等しいでしょうし(大笑)
乗り潰す前提です。

まぁ、Rは甥っ子に献上しようという話は前回のブログでしたので、まだ先の話ですが、早速Rの後継機選びを脳内で開始しました(^^)

①快適に移動できる
②そこそこの性能だけどいざという時はビューン
③安全装備充実
④セダン
⑤運転が楽しそう


という事で考えてみたのです。

で、第一の候補。

メルセデス・ベンツ C43 AMG(W205)

やっぱり次はドイツ御三家のどれかに乗ってみたいと思うのです(^^)
W205自体、完成度の高いクルマとの評判ですからC250等でも十分に満足出来る素晴らしいクルマだと思うのですが、どうせなら「AMG」に乗りたいと思うのが人情?でして(^^;)
当然のようにC63が欲しいのですが、流石に高いです(笑)

となるとC43は絶妙な所を突いていますね。
4ーMATICにV6のターボ、セダン、安全装備等などどれをとってもこれかな?という気がしています。
それに認定中古だと600万位で買えるのも大きな魅力です。

でもC43を見るとE43も見たくなるわけで。

メルセデス・ベンツ E43 AMG(W213)

室内のクォリティとかC43より確実に良いですし、AMG専用のエアサスになるというのも魅力的。
それにC43のV6、3リッターターボより出力が向上していて401PS。(C43は367PS)
W205でもコンフォート・安全どちらをとっても装備が充実していますがE43はヘッドライトの制御が緻密だったり、アビエントライトの色が増えたり(笑)・・・

どうせ買うならE43もアリかな?とも思います。
C43より大分お高くなってしまうのがネックですが(^^;)
勿論「E63」は庶民が買える代物ではありませんので「永遠の憧れ」としてとっておきます(笑)

メルセデスが候補となるとやはりバイエルンのエンジン屋さん、BMWも気になります。
ただ、BMWの良さに1つでもある「FR」が逆にネックとなります。
BMWの3シリーズでAWDとなると2リッターのターボとなってしまうのと、そろそろ次期モデルの噂が出てきてもおかしくないかな?という事でパス。

「じゃあM5買えばいいやんけ!」と思われる方が多いでしょうが当然、高すぎて買えません(笑)
でもちゃんとBMWにも「E43」に拮抗するモデルがあるじゃあないですか\(^o^)/

BMW 540i XDrive(G30)
エンジン出力こそ「E43」に譲るもののこちらも魅力的ですね。
XDriveで全天候に対応出来そうですし、安全装備もE43と遜色ないレベル。
「駆け抜ける喜び」を体験するにはもってこいのモデルであると思います。
うーん、これも欲しいぞ(笑)

ドイツ御三家、もう一つのAudi。
AWDに拘るならここなのでしょうけど、A6はモデル末期なのでしょうか。
買ってすぐに新型が出ましたじゃあ悲しいのでA6は・・・ゴメンナサイm(_ _)m

となるとやはりこれに行き着くわけで。

アウディ S4(B9)
去年FMCしたばかりのA4ベースのS4。
こちらもW205イーターを目指して開発したクルマでしょうから、当然良いクルマだと思います。
それにAudiだと「ダイナミック・インジケーター」と「バーチャル・コクピット」が気になって気になって(笑)
ただ、E43や540iと比較するにはクラスが違うのでなんとも。
それに「S4」と車台等が一緒と思われる非常に魅力的なモデルを見つけてしまったのですよ・・・


フォルクスワーゲン アルテオン。

登場したてのホヤホヤ(笑)
それにこのエクステリアデザインはコンサバな御三家とは一線を画したある意味「ぶっ飛んだ」デザインです。
個人的には「ササる」んですよね~(^^)
4-MOTION、バーチャル・コクピット、ダイナミック・インジケーター、エンジンもS4から見ると出力は抑えられているとは言え280PS、安全装備も抜かりなし。
「無骨」な印象のVWからこのようなモデルが出たこと自体、驚きでしたしキャッチの「フォルクスワーゲンのいいところ、ぜんぶ」ですね(^^)
それに値段が御三家の候補達よりずっと安いです(笑)
「VW」のバッジが付いていなかったらどこのメーカーのクルマか分からなさそうというのも魅力です。
ランニングコストを考えればこのモデルが一番いいかな?という気もしています。

さて、そんな脳内購入計画も最後の一台。
ドイツ御三家(+VW)の他にもう一台、気になるクルマがあります。

ボルボ S90

「ボルボ」というと「空飛ぶレンガ」なんて形容がありましたが、近年のデザイン傾向は違っていました。
しかしここに来て往年の「空飛ぶレンガ」デザインが復活したのは個人的に嬉しいですし「如何にもボルボ」というエクステリアになったS90は気になるクルマです。
こちらも安全装備は言うに及ばず、インテリアもドイツ勢とは違ったラグジャリーさが出ていますし、ヘッドライトのトール・ハンマー?DRLも個性的でいいですね。
エンジンも凝っていますね。
直4、2リッターで320PS・・・
そりゃS4とかCLAの2リッターとか一昔前の2リッターターボとは雲泥の差なんですがスーパーチャージャー+ターボというところが変態メカニズム大好き人間には「ササり」ます(笑)
それにボルボには「ポールスター・プログラム」とか言う「メーカー公認」のECUチューンがあるのが面白いですね。

こうして書いていていて、どのモデルも魅力的過ぎて(笑)
①コストパフォーマンス=アルテオンorC43orS4
②運転する楽しさ=E43or540i
③未知の楽しさ=S90

なんでしょうか。

あとは来年出る新型クラウンとかMCするレジェンド位しか思い浮かびません。

ま、買うって言っても相当先のお話ですから脳内で楽しんでいるだけ・・・
と言いつつ全モデル、カタログ発注しちゃいました(笑)

メルセデスは年末なのにもう来ちゃいました(^^)
あとのメーカーも今年中に来るのかな?

それと何故か畏れ多くも「PORSCHE」のディーラーから「特別試乗会」なるDMが届きました(謎)
平日なのですが、私の居住している所の最高級と言われるホテルが会場で試乗後はフレンチのフルコースを奢ってくれるそうです(笑)
何故ポルシェ様なんて一生縁の無さそうな所からDMが来たのか不思議です(笑)
そりゃあパナメーラ欲しいですけど(大笑)

年末はカタログ熟読しようと思います。

最後になりますが今年一年、みんカラを通して色々な方々とのコミュニケーションを楽しめ、とても楽しい一年間でした。
病気もありましたが、まぁ運良く大したことも無かったので良い一年になったと思います。

巡り合った多くの皆様の今年のご多幸をお祈りして本日は終わりにしたいと思います。
また、来年も皆様にとって良き一年となりますよう。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
Posted at 2017/12/23 16:51:20 | コメント(4) | トラックバック(0) | 徒然なるままに日常雑記 | 日記
2017年12月03日 イイね!

ご無沙汰してしまいました。

すっかりブログの更新をサボってしまったバーンスタインです。

というのも入院してしまいました(汗)

10月の下旬でしたが突然の吐き気と体全体の倦怠感に襲われ、単なる風邪だろうと風邪薬を飲んで様子を見たのですが、全身がこむら返りのような状況となり吐きたくても吐けない、トイレにこもって出るものが無いのに来襲する吐き気と体全体の痛みに堪えていたのですが、どうにもならなくなり、風邪等でお世話になっている近所のドクターの所に運転して行ったのですが・・・

先生、私を見るなり
「救急車!附属病院に運ぶぞ!」
「いや、先生そんな大事でもないのでは?」
「バカ!お前は病み上がり何だから大事だったらどうする!というよりこの症状は大事だ!」
「いや、でも救急車はどうなんでしょう?」
「お前ね、高い税金払っているんだから使う権利あるの!それにタクシー代わりに使うわけじゃないからいいんだ!」
と怒られまして(笑)

救急車に乗るのって初めてでなんだか救急隊員さんに申し訳ないなぁと思ったのですよ。
私が定期検査で言っている病院は結構距離があるので、そこまで運んでもらうのも気が引けまして・・・

で、人生初の救急車を体験しました。
と言っても意識が朦朧としていたので「早くこの具合の悪いのなんとかならないかしら?」という気分が一番先行してましたが・・・
でも救急隊員さんが病院に行くまでの1時間半、励ましてくれたのは気が楽になるというかホント、心強かったですね。
「もう少しですよ。吐きたい時は我慢しないで吐いていいですよ」
とか
「連絡先はありますか?代わりにご家族に連絡しておきます」
とか・・・

元役人として思っていたのは(あくまでも私見です)「一番、国民の為に自らを捨て働いてくれている公務員は自衛官・警察官・消防官だなぁ」ということでしたが今回、救急隊員さんにお世話になってその想いを新たにしましたね。

で、病院到着。
私の甥っ子が通っている医学部の付属病院です(笑)
救急医の先生が既にかかりつけドクターから症状を聞いていたらしく的確な指示を出していましたね。
ま、具合が悪いので記憶が曖昧なのですが「血液、精研に回せ」とか「内科の○○先生が主治医だから医局にいるか確認してきて」とか。
いや、救命救急ドラマでした(笑)
それと尿採取の為のカテーテルが痛かった(笑)

とりあえず脱水症状が酷いという事で点滴をしたら幾分、具合も良くなりドクターにお礼を述べると「バーンスタインさん、既往が既往ですからこのまま入院です。」
うぅむ、やはりそうなるか(汗)

しかもICUに入れられてしまい「もしかして今回はヤバイのか?」とも思いました。
で、次の日から検査のオンパレードでした。
やはりがんの再発によるものをドクター達は疑ったようでPET-CTに非常に時間がかかりました。
で、私も結構覚悟は決めていたのですが「内蔵には異常が認められません。ただし、脳の写真を見ると末梢部に梗塞を起こしたような痕跡が見られます。しかし血栓は消失してますし四肢に麻痺も出ていないので軽い脳梗塞を起こしたと考えられます。入院して様子を見ましょう。」
この歳で今度は脳梗塞とは・・・
ただ、あくまでも「疑い」でドクター曰く「非常に運が良い例」とのことでした。

で、入院生活が始まったのですが甥っ子のお陰で運良く個室に入れました(^^)
Wi-Fiやらバスルームまで完備されていて下手なホテルより快適です(笑)
「叔父ちゃん、もう歳なんだからちょっとは体の事考えてよ」
ってお前、俺はまだ40だぞ(笑)
着の身着のまま病院に来たので入院生活に必要な品を揃えなければならないのですが、独身の悲哀をここで感じました(笑)
それでも可愛い甥っ子が全部揃えてくれまして、なんとかなりました(^^)v
こりゃ、また小遣いせびられるな(笑)

次の日、両親がすっ飛んできました。
親父・お袋は「脳梗塞」と甥っ子から聞いて相当焦ったらしいです。
前日の死ぬかと思うほどの具合の悪さが緩和されていたので大分安心したようでしたが・・・
こんなバカ息子でも親は親なんですねぇ・・・
今までの親不孝をちょっと反省してみたり(笑)

両親ともにずっといるというのですが、実家の会社の事もありますし「帰れ」と(笑)
そしたらお袋。
「あんたの軽、持っていくからね。今回はSAIで来たから」

なんと準備のいいことよ(笑)

まぁ、そんなこんなで一ヶ月ちょいの入院生活。
ドクターより「退院して様子を見ましょう。ただ、どこかちょっとでも異変があったらすぐに来てください。」との言葉を頂き退院と相成りました。

退院して全く前と同じ生活しています。
ただ、なるべく夜更かしはしないようにしないようにしようと思います(と言いつつ既にしてますが笑)

自宅に帰ると綺麗に掃除されていました(^^;)
うぅむ、お袋め(笑)
で、無造作にSAIが置いてありハスラーが無くなってました(大笑)

久々に見るSAIですがなんだかキズは増えてるしヘッドライトは曇ってるしボロくなったなぁ(笑)
キズ隠しの為に付けたTRDのフロントスポイラーにもさらにキズついてるし(大笑)
乗ってみるとなんだかモーター駆動領域も前より少なくなっているような・・・
そりゃ7年で走行距離が3万行ってないほど乗っていなかったようですから駆動バッテリも劣化しているんでしょうね。
でも運転すると楽チンです(笑)
Rのような神経を使うことも無いですし(^^;)

それにしてもうちの両親、よくもまぁ300キロ近い距離をハスラーで帰ったものだと思うと同時に「俺より元気じゃん」と思わされました(笑)

今回の件で「自分はもう若くないんだなぁ」「若いのは精神年齢だけ」という事を実感させられました(汗)

それにしてもSAIは楽です。
ウルトラ・ラバーと思っていたCVTも乗ってしまえば気になりませんし。
ただ、エコモードのかったるさは異常です(笑)
どうやら「SAI」というブランドも消滅のようですし、車検がまだまだ残っているので新たな相棒として乗り潰そうと思います。

今回の件で甥っ子には本当に世話になったのと立派な医師を目指して頑張っている姿を見て、まだガキだと思っていたのがこんなにも立派な大人になっていたのには感激しました。
来年は国家試験のはず。
それで思ったのですよ。
国家試験を通過したら盛大なお祝いをしてあげなきゃなと。
今時の若い奴にしては珍しくクルマ好きで、今はR34のGT-Tに乗っているのですが、医学部はボンボンが多いらしく「俺のクルマが一番ボロいよ」と言ってました。

なので。

彼が国家試験を合格したら我が35GT-Rをプレゼントしようかと考えています。
正直、これから私自身がRに乗るのがしんどいと思うところもありますし。
(ってあいつ、みんカラやってないよな笑)
サプライズじゃないと面白くないですもんね(^^)

まぁ、時間はまだまだあるのでRに代わる快速セダンでも探そうと思います。
この際、AMGとかMとかアウディのSとかいってみようかな(^^)

長くなりましたが近況報告でした。
ご心配のメール等、沢山頂きお会いしたことのない方々でも温かいお言葉を頂き感謝してもしきれません。
ブログの回数も減るとは思いますがこれからも宜しくお願いたします。
2017年10月19日 イイね!

世界中の「GT-R」

久しぶりにRを洗車しました。
殆ど乗らないのでうっすらと埃をかぶっているのが常なのですが、いつも走行すれば埃は飛ぶし殆ど洗車していなかったので(汗)

面倒なので洗車機に突っ込んでしまいました(笑)

それにそろそろ寒くなるのでD預かりの季節にもなりますし・・・

さて、そんな事を考えながら「GT-R」と名称の付く車は他にもあるのかな?と思いちょいと調べてみました。
すると意外と「GT-R」の名を冠したクルマ、ある(あった)んです。

まずは皆様が思い浮かべるクルマはこれでしょう。

「日産GT-R」
ハコスカ、ケンメリの第一世代、R32、33、34の第二世代を経て「スカイライン」の冠が取れた独立車種として現在もラインナップされています。
登場からもう早いもので10年の歳月が経ちましたが、当時777万円であのスペックのクルマが買えた事は衝撃的でした。
(年改やMCごとに性能が向上し、価格もそれ相応に高くなってしまったのは致し方無いことなのでしょう)
かく言う私、第2世代特にも「R33」GT-Rの頃に免許を取得し「いつかは乗りたいクルマ」で、いつも羨望の眼差しで見ていたことを憶えています。

歴代「スカイラインGT-R」
初代(PGC10)

所謂「ハコスカ」。
写真は4ドアモデルですが意外と「普通」感がありますね(^^)
でも「羊の革をかぶった狼」とはまさにこのクルマにぴったりの形容ではないでしょうか。
正直、このスタイリングは「アメ車の模倣」が多かった我が国のクルマの中で異質だったのでは・・・
(と言いつつ、昔の洋画なんかを観るとハコスカも何かしら影響を受けていたとは思う事もあります)

二代目(KPGC110)

こちらは所謂「ケンメリ」。
生産台数、僅か197台という「超レア」モデルですね。
たまーに中古サイトなんかで見ますがお値段は・・・・・(笑)
「トヨタ2000GT」程、高価では無いとは言え目ン玉がひっくり返るようなタグ付けされています(笑)
「ハコスカ」から一転、流麗なエクステリアになっていますが、それでも「GT-R」はスパルタンな印象が伝わってきます。


第2世代(R34)

R32から名機「RB26DETT」を搭載した「第2世代GT-R」となるわけですが、その最終型となった「R34」。
「R32」ではスパルタン、「R33」では「グランツーリスモ路線」になり「R34」ではどちらかと言えば「R32」の路線に戻ったのかな?という感じでした。
これも当時、欲しいクルマでしたね。
当時はあの悪しき「280PS規制」のあった時期で第2世代GT-Rもその壁が立ちはだかっていました。
しかし某チューニング雑誌などでテストした記事を見た記憶があるのですが、ノーマルでもシャシダイに乗せてみると300PSは軽くオーバーし、エアクリーナーとマフラー交換のみでも400PS近く行ったとか(^^;)
正直言うとアリストを買う時にR34が本当は欲しかったのですが、アリストのターボモデル+ほぼ200諭吉はどうしても手が出せなくて断念しました(笑)
それに試乗した時の「激重クラッチ」はヘタレな私には敷居が高すぎて(^^;)
今、第2世代GT-Rも個体数が少なくなってきたためか相場は上昇傾向のようです。
「第一世代」は「夢のまた夢」のモデルですが、「第二世代」も恐らく私の心の中でいつまでも「憧れ」として存在し続けるクルマであることでしょう。

さて、ここまでは「日産GT-R」の話。
それでは他メーカーで「GT-R」の名を冠したクルマはどんなクルマがあったのでしょう。

まずはこれ。

「いすゞ ベレット GTR」
ベレットはいすゞの名車として知られた存在ですが「GTR」グレードも存在したのですね(^^)
「ベレットGTR」はハイフンが無く「GTR」表記でMCで「GTtypeR」とその名を変えたようです。
それにしてもいすゞというメーカーは尖ったクルマを多く出していたメーカーであるということを再認識させられました。
「ピアッツァ」や「ジェミニ」にあった「ハンドリング・バイ・ロータス」や「イルムシャー」等・・・
歴史にifはありえませんがもしいすゞが乗用車をまだ生産していたらどんなクルマが今頃走っていたのでしょう。
きっと、魅力的なクルマを造っていたのではと勝手に思っています。
もしかすると、「かつて、いすゞが乗用車を生産・販売していた」という事を知らない世代が多くなってきているかもしれません(^^;)

次の「GTR」を冠するクルマ。
これ。

「セリカ GT-R」。
このセリカ、懐かしいですねぇ・・・
エディ・マーフィのCMが鮮烈的でした。
ただ、この時代のセリカは「GT-R」が最強グレードというわけでも無く、WRCラリーでランチア・デルタと死闘を演じた「GT-Four」が最強グレードとして存在していました。
「GT-R」は確かこれまたトヨタの名機として長年親しまれた「3S-GE」を搭載したFFモデルだったと記憶しています。
このST18系セリカ、流面体だか流線型だかを売りにしていましたが今、改めて見るとミラー形状まで流線型ですね(^^)
それにこの18系セリカ、「スーパーストラットサス」とか「デュアル4WS」「スーパーライブサウンドシステム」なんて今となっては懐かしい響きの装備が前面に出され、当時「きっと凄いクルマなんだろうなぁ」とも思いました(笑)

「セリカ」という名も無くなって久しいですが「シルビア」「プレリュード」と並んで「デート・カー御三家」なんて言われた時代があった事を若い方に言っても「?」マークなんでしょうね(^^;)

このクルマにも「GT-R」グレードは存在しました。

カリーナ(A6系)
こちらはこれまたトヨタの名機「4A-GE」を搭載したモデル。
FRレイアウトで「4A-G」搭載というと「レビン」「トレノ」が思い浮かびますが、カリーナの「GT-R」はそのセダン版という感じだったのでしょうか。
この後、カリーナはFF化されT16系に移行するわけですが、そのT16系でもFF化されたとは言え「4A-G搭載」の「GT-R」グレードは存在したようです。

そして、その「カリーナ」の兄弟車であった「コロナ」にも「GT-R」グレードは存在しました。
「コロナ GT-R」(T17系)

こちらは上で紹介した「セリカGT-R」と同じ「3S-GE」を搭載、FFモデル。
コロナにも「GT-R」があったというのが新鮮な驚きでした。


調べて見ると結構、ややこしいのです(笑)
というのもトヨタはこの時期、FR車種をFF化する過渡期で同一ネーミングモデルでも「FRモデル」と「FFモデル」が併売されていた時期だったようで「コロナ」「カリーナ」の「GT-R」も「4A-G搭載、FR」のモデルと「3S-G搭載、FF」のモデルがあってややこしいのなんの(笑)
でも「TWINCAM」が「高性能の証」みたいな時代を懐かしく思い出しました・・・


さぁ、次の「GT-R」はこれ。

マツダ・サバンナRX-7(FC型)
あの「FC」にも「GT-R」グレードは存在したそうです。
見た目の違いがあまりわからなかったのでミニカーの写真をお借りしてきました(笑)
「RX-7」の「GT-R」はベーシックグレードとしての展開だったそうで、私も「FC」と聞くと「GT-X」や「アンフィニ(∞)」グレードのイメージが強くて「GT-R」グレードが存在していたとは今日、初めて知りました(笑)
「RX-7」というクルマの名を知っている方は多くても「サバンナ」のサブネームが付いていた時代や「アンフィニRX-7」の時代を知る人はきっと、少なくなってきていることでしょうね・・・

その「RX-7」も復活するという噂が出ています。
「日産GT-R」や「ホンダNSX」が復活し「トヨタ・スープラ」も復活確実と言われています。
「RX-7」というビッグネームにも復活して欲しいですね(^^)v

もう一台、マツダの「GT-R」

マツダ・ファミリアGT-R(BG型)
こちらのモデルはマツダがWRCラリー参戦の為に開発したモデルだったとのこと。
このクルマは大学の自動車部の後輩が乗っていたので憶えています。
その後輩曰く「曲がりません」とのことでした(笑)
しかも社外パーツが中々無くて苦労していましたね・・・
でも、一度運転させて貰ったことがありますが、速いクルマだったような(^^)
ターボ+AWDの組み合わせですからその後の「ランエボ」や「インプレッサWRX」を彷彿とさせます。
Wikipediaによると210PSあったそうですし、それにAWDの組み合わせですから楽しいクルマだった事でしょう(^^)

今でこそ、かつてのWRC人気は嘘のようですが、トヨタがヴィッツ(ヤリス)で参戦したりしていますので、マツダもSKYACTIV技術の見本市みたいな感じで参戦してくれないかしら(^^)

では海外の「GT-R」はどうでしょう。
やはりこれが出てくるでしょうか。

BMW M3 「GT-R」(E46型)
E46時代のM3というと直6エンジンをチューンした物を搭載していたというイメージでしたが、こちらの「M3 GT-R]はなんとV8エンジン搭載(^^)
アメリカ・ルマン・シリーズ参戦のホモロゲ取得の為、レース用エンジンをデチューンした物に「GT-R」の名を冠して発売したそうです。
4リッター、V8エンジンで380PS/39.8kg-mを発揮、それを6速MTで操るとは・・・
非常に楽しいクルマでしょうね\(^o^)/

でもやっぱりクラッチは激重なことでしょう(笑)
そして価格は25万ユーロ。

本日(10月19日)換算で33,333,333JPY(大笑)

欧州で10台限定で発売されたそうですがビリオネアがこぞって予約に殺到したことでしょう(^^;)
まさに「GT-R」に相応しいスペックと存在感ですね\(^o^)/

もう一台。
こちらも「GT-R」に相応しいスペックと存在感を持った「欧州発GT-R」

メルセデス AMG GTR
やっぱりカッコいいです(^^)
メルセデスというと横基調のグリルが頭の中に刷り込まれていますが、縦グリルになると、これまた違った存在感があります\(^o^)/

こちらはメルセデス・AMGの「GT」シリーズのトップモデルとして発表されたクルマとのことで、普通の「GT」でさえスペック、装備、存在感、何をとっても素晴らしいクルマであることは容易に想像できるのですが、「GT-S」の510PS/66.3kg-mというV8ツインターボエンジンを更にパワーアップさせ583PS/71.3kg-mという途方もないスペックにしているとのこと。
いやはや、見ているだけで溜息が出ますね(笑)

価格は23,000,000JPY。

思ったより安い・・・・・・・・・か?(笑)

でもこの存在感と性能が2300人と諸費用分、福沢諭吉さんを持っていれば買えるのはいいですよね。

ま、勿論のこと買えませんけど(大笑)

でも、イタリアの芸術品のようなフェラーリやランボルギーニよりちょっと安い(のか?笑)価格で買えるとしたら(取らぬ狸のなんとかですが笑)迷いますねぇ・・・

芸術品と精巧品のようなお互い、魅力的過ぎるクルマですから・・・

まぁ、そのうちに「AMG GTR」の走りやサウンドもYouTubeにUPされるでしょうから、それで乗った気になろう(笑)

「GT-R」と言うと「日産」のイメージが皆様強いと思いますが、我が国にも、そして世界に目を向けてみても魅力的な「GT-R」がかつて存在し、現在でもその名は日産以外でも使われていることが分かり、「GT」は世に多くあれど「GT-R」は特別な名前なのかな?と思った日でした。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。

追記:世界中の「GTR」で検索してみたところ、こんなのもありました(^^)

その名も「ガーリック・トマト・ラーメン」略して「GTR」(笑)
絶対、確信犯ですね(^^)

お粗末さまでしたm(_ _)m

プロフィール

「DIY考~長年のブランクが通用するか~ http://cvw.jp/b/2783642/41040549/
何シテル?   01/30 03:26
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