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バーンスタインのブログ一覧

2017年09月25日 イイね!

日本の「バーンスタイン」~山本直純~

体調不良によりブログをサボっておりましたバーンスタインです(汗)
お陰様で完調のほぼ戻りました。

みん友をはじめMyファンの方々からのお心遣い溢れるメッセージや投稿、本当に感謝感激です(^^)

さて、体調も大分良くなりましたのでちょっと離れた本屋までドライブしてきました。
欲しい本が出ていたのですが、上のような理由で中々出不精になってしまいまして・・・

てか「Amazon」で買えばいいじゃんと思ったのですが「読みたい」と思うと一日も待てないという悪癖が顔を出しまして(笑)
何のためのprime会員なのか最早意味不明です(大笑)

さて、そこまでして読みたかった本。
↓これ

朝日新書 「山本直純と小澤征爾」(柴田克彦氏著)

「世界のオザワ」の存在は我が国音楽界の頂として君臨していることは言うまでも無い事実ですが、この本ではその小澤さんと生涯を通じて友情関係に有り、我が国の音楽啓蒙でその存在を忘れることが出来ない存在である「山本直純」さんの話です。

我々世代以上の方だと「直純さん」の存在を知らない方は少ないと思いますが、若い世代の方には余り聞き慣れない名前かもしれません。
山本直純

山本直純は指揮者としてのみならず作曲家としても高名な存在でした。

例えば映画「男はつらいよ」のテーマや「8時だよ!全員集合」のOPテーマ、あの旋律を聞いたことが無いという方はいないと思いますが、あれは直純さんの作品ですし「一年生になったら」や「歌えバンバン」と言った童謡作品も彼の作品です。
映画「男はつらいよ」テーマ

テレビ「8時だよ!全員集合」オープニング

「8時だよ~」のいかりやさんの「行ってみよ~!エンヤー♪コーラ」なんて懐かしいですねぇ・・・
子供の毎週の楽しみはこれでしたね(^^)

他にも大河ドラマの「武田信玄」や「あの」笹川良一さんがご存命の頃の「日本船舶振興会」のCM「火の用心のCM」も彼の作品として知られています。
日本船舶振興会「火の用心のうた」

これのCMも子供の頃、よく見ていました。
「笹川良一」という人は子供心に「きっとなんか偉い人なのだろう」と思っていましたが戦前から戦後にかけてあのような大きな存在の方だったと知ったのは学生になってからでした(笑)
だってこのCM見たらどうみても「普通のお爺ちゃん」ですもんね(^^;)
「一日一善~!」懐かしい・・・

直純さんはテレビや映画向けの音楽だけでは無く硬派なクラシック作品も残しています。
国連から委嘱されて作曲したオーケストラ作品「天・地・人」(直純さんは人を作曲)や札幌五輪の入場曲「白銀の栄光」等、彼の存在が大きかったからこそ委嘱された作品もあります。

また「クラシック音楽」を堅苦しく考えてほしくないという理由から「ジョーク」として笑いを誘う曲も造っています。
交響曲第45番「宿命」(ベートーヴェンの全9曲の交響曲の旋律が次から次へと現れ、かつその中に日本の民謡の旋律が出てきたり、ベートーヴェンを冒涜した!と怒ったお客に指揮者が鉄砲で撃たれ倒れる→救急車登場→復活なんてくだりもあります。直純さんが第45番まで交響曲を作ったわけでは無くベートーヴェンの全9曲の交響曲、1+2+3+・・・+9=45番というわけです笑)やこれまたベートーヴェンの有名なピアノ協奏曲第五番「皇帝」をモチーフにしたピアノ協奏曲「ヘンペラー」(皇帝=エンペラーを変曲(敢えて「編曲」と書いていないところが直純さんらしいです)したので「ヘンペラー」)やメンデルスゾーンのこれまた有名なヴァイオリン協奏曲をもじったヴァイオリン協奏曲「迷混」(メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はよく「メンコン」と略されますがそれをもじって)等・・・


如何に彼の才能が豊かだったかお分かりになると思います。

さて、そんな直純さんですが、指揮者を志した学生時代からその死まで盟友であった小澤さんとの話を絡めながら本書は進んでいきます。

まずは帯タイトルからしていいんですよね。
「埋もれた天才」と「世界の巨匠」~この二人がいなければ、日本にクラシック音楽は存在しなかった~
天才同士がなんの因果かクラシック音楽黎明期の我が国において邂逅した事実は非常に興味深いところです。
今回この本を呼んで興味深い関係者の証言を知りました。
例えば直純さん、小学校1年生の時の日記。
「今日はベートーヴェンの第一交響曲の出だしの和音を、山田一雄先生(※我が国の指揮者の大先達の1人)の所にいって勉強してきました」
小学校一年生で早くもベートーヴェンの交響曲を勉強していたとは・・・(驚)
もうこの時期からその才能を発揮し始めていたことがわかりますね(^^)

そんな直純さんですから東京芸大の学生時代から映画音楽やテレビ音楽で引っ張りだこの存在となり当時のサラリーマンの給料より稼いでいたとか(^^;)
同じ時期、小澤さんはヨーロッパへ行って修行したいも、伝手も無くフランス政府給付留学生試験を受験し、最終選考の二人まで残るものの不合格。
それでも欧州行きを諦め切れない小澤さんは女友達でヴァイオリニストだった水野ルミ子さんに「何をしょげた顔してるのよ」と言われ経緯を話すと「うちのパパに話してみたら?」となり会ってみると・・・
当時の「フジサンケイグループ」の総帥であった水野成夫だったと(笑)
「男に生まれたからにはやってみたいものが三つある。連合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者、そしてプロ野球の監督だ」は氏の言葉でした。

小澤さんの言葉を聞くと水野は「本気なんだな?」と念を押すと「すぐに文化放送へ行け」と一言。
行ってみると渡航費用「50万円」が用意されていたとか・・・
また、三井不動産社長の江戸英雄氏や日興証券会長の遠山元一氏も小澤さんの話に理解を示し、三井船舶の貨物船で渡欧することが可能になったそうです。

その小澤さんの欧州行きが決まった頃、直純さんは小澤さんにこう言葉をかけたそうです。
「音楽のピラミッドがあるとしたら、俺(直純さん)はその底辺を広げる仕事をするからお前(小澤さん)はヨーロッパに行って頂点を目指せ。征爾が帰ってきたら、お前の為のオーケストラをちゃんと日本に用意しておくから」と。
「天才は天才を知る」とはこの事なのでしょうか。

普通、自分より才能がある人物を見ると「ジェラシー」を抱いてしまうものですし、芸術家の分野ではそれが物凄く多いと聞いたこともあります。
しかし、直純さんはその「天才的才能」故に小澤さんの「天才的才能」に気付きこのような言葉をかけたのでしょうね。

この後の小澤さんの快進撃は言うまでもありませんし、直純さんの活躍も上で挙げたとおりでまさに二人共に「時代の寵児」となって行きました。

今回、この本読んで知ったのですが、上で挙げた「音楽のピラミッド~」の話に対する小澤さんの反応が面白かったのです。
「僕(小澤さん)は彼(直純さん)の陰にいました。でも対抗心なんて全く無かった。なぜなら彼の方が圧倒的に上だったからです」
天才同士、お互いを認めていた事の証左ですし「世界のオザワ」となっても「山本直純」の才能には敵わないと実感していたのでしょうか・・・
やはり天才は天才を呼ぶのでしょうか。
(因みに直純さんは岩城宏之さんとも親友でした。やはりこの事も天才は天才をひきつけた典型なのでしょうね)

山本直純というと「ひげのおじさん」として親しまれなんとなくボードビリアン的な感じを抱いている方もいらっしゃるかと思いますが、今回のこの本を読んで「作曲」「指揮」「啓蒙」の三つをこなし、同業者たちからも「本当の天才」と呼ばれ、それでいてお茶の間でもその名をしらぬ存在はいなかった人物。
「山本直純」という存在は、まるで「我が国のレナード・バーンスタイン」と言ってもよい存在だったのでは無いかと思いました。

テレビ等で忙しく指揮活動から遠ざかっていた直純さんを小澤さんと岩城さんが示し合わせて「もう一回、こっちの世界にきてやろうよ」という誘いに乗った直純さんはNHK交響楽団の定期演奏会デビューが決まりますが、その直後に交通違反を起こし、それがキャンセルとなってしまったことは我が国の音楽界の痛恨の出来事の1つであったと思います。

もし、あの時何事も無くN響定期を振り指揮活動を本格的に再開させていたら・・・と著者も嘆いていました。
歴史とはときに皮肉な出来事がありますね・・・

書きたい事はまだまだありますがネタバレになってしまうと恐縮なので、この辺で。
ただ、この本、クラシックに興味がない方でも楽しめる内容になっていますよ(^^)v

最後に直純さんを師と仰ぎ、そして友人としても長年の付き合いだった「さだまさし」さんの言葉と直純さんの映像を紹介して本日のブログを終わりたいと思います。

「世界中に指揮者の中でベートーヴェンの交響曲、1番から9番まで頭に入っている人は直純さん以外に何人いただろうか?楽譜が全部頭に入っているということはまっさらな五線紙を渡すと1番から9番まで全部書けるということ。」

(訃報を聞いて)「裏切られた感じがした。「こんなにあぅさり死んじゃだめでしょ」。俺になんにも言わず。「それはないよ、直純さん」って感じだった。その後、しばらくはなんにもやる気が出なかった」

「小澤さんと面識はありませんが、僕にとって小澤征爾は「神」です。自分の音楽の貫き方が凄い。だから直純さんが世間に評価されなくても、小澤征爾が山本直純を認めてくれている。あの小澤征爾が山本直純を大事に思ってくれているというのが直純さんの家来としては救いであり、誇りでもあります。勿論、直純さんも「神」の領域ですけど、僕にとってはちょっと違う「神」ですね。結構、我々下々の話も聞いてくれて、ときどき迷惑をかける神様(笑)」

最後の言葉にさださんの直純さんへの思いが詰まっていると思いましたし、言い得て妙でした。


その直純さんの指揮姿。
ベンジャミン・ブリテン作曲 「青少年のための管弦楽入門~パーセルの主題による変奏曲とフーガ」
管弦楽 NHK交響楽団 

この曲は英国の作曲家、ブリテンがオーケストラの楽器を分かり易く解説するために作曲した曲です。この動画で直純さんが指揮と解説をしています。クラシックを聴く方にも、これから聴いてみたいと思っている方にも、またあまり興味が無いなぁという方にも聴いて頂きたい名演です\(^o^)/
1/4

2/4

3/4

4/4


お客を飽きさせる事無く、分かり易く、尚且つ楽しい解説。
これも「山本直純という天才」の存在を如実にあらわした動画ですね。

山本直純という名は忘れ去られる事は無いでしょうし、これからもその名前は我が国の音楽界に燦然と輝き続けることでしょう。

山本直純よ、永遠なれ。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
2017年09月14日 イイね!

最近の携帯電話←死語?笑

iPhone8とiPhoneXが発表という話題で賑わっていますね。

私は最初に「携帯電話」を買ったのは20年前、丁度大学2年のときでした。
最初に買った機種はうろ覚えですがこれだったと思います。

シャープ 「SH206」

今見ると物凄く古めかしい感じがします(笑)
確かこの携帯にしたのはデフォルトで入っていた「着信音」(着メロではありません。(着メロも死語かな笑)が「クラシック曲が多いから」という理由だった気がしています(^^)
あの頃は三菱のDシリーズとか松下のPとか日本電気のNあたりが大人気で「SH」を持っているやつはいませんでした(笑)
それも「メール」なんて言っても「ショートメール」の時代でした(懐)
全角25文字制限とか今の若者に言ったらどんな反応が帰ってくるのだろうか(笑)
25文字で収まらない内容の時は「半角カタカナ」でメールしていましたね。
「デンシャオクレテジカンオクレル。チョットマッテテ」とか(^^;)
なんかの暗号電文かいな(笑)

SHは薄型でPやD、Nと言ったシリーズとは違ったアプローチを示した携帯でしたが正直、売れなかったでしょうね(笑)

その後、それが飽きて今度は松下のP209を買いました。
パナソニック 「P209」

それまでのSHからストレート型携帯となりスマートな筐体は使いやすかった記憶があります。
けどまだやり取りは電話が主流、メールもショートメール(笑)
当時は通話料も高く、ショートメールでデートの約束も友人たちとのやり取りも行っていましたね。
それで書き忘れたことを電話で伝えるという(笑)
なんだか本末転倒な事をしていました。

暫くP209を使い、その後センセーショナルな携帯が出ました。
画面が「カラーに!」(笑)
三菱電気 「D503」

カラー液晶だけでなく着信音が24和音になったとかメールアドレスが携帯に付与されるようになったのはこの頃だったような記憶があります。
今考えるとカラーになったと言ってもドットがはっきりと見えるような代物で昨今の携帯から見たらおもちゃみたいなものだったのですが感動しましたねぇ(笑)

この上で使っていた機種はdocomoの800MHzの携帯でした。
そのころ、通信速度が速く、テレビ電話も可能という触れ込みで「FOMA」が登場しました。
新しもの好きの私、早速飛びつきました(笑)
今考えるとアンテナ網もまだまだ発展途上でしたが都内などで使う分には全く不満なしでした。

で、購入したのが。
日本電気 「N901i」

それまでのD503から見ると画面も高精細で、今や懐かしの折りたたみ型の流線型ボディでまだ周りの誰も持っておらず悦に浸ってました(笑)

が。

悲劇は突然に。

買って一週間でトイレにドボン(笑)
終了でございます(大笑)

さすがにこの時はショックでしたね・・・

さすがに携帯無しの生活は考えられず三菱のD901iを慌てて購入。
三菱電機 「D901i」

フリップでも無い、かと言って折りたたみ型でも無いスライド式。
中々使いやすかったと記憶しています。
しかもその頃は上で書いたように「FOMA」エリアが脆弱な事もあり800MHzの携帯を一契約で確か300円位のオプション価格を払うと800MHzの携帯を持っていれば「FOMA」圏外でもそちらが使えるというサービスがありました。
結局外出する時は「二台持ち」という「FOMA」が圏外なら「800MHz」の端末でなんとかセンターに電話して切り替えるという方式でした(笑)

その後色々と機種変しましたが、印象に残っているのは三菱「D905i」位でしょうか。
何を思ったかイエローのボディを買ったので印象に残っています。
三菱電機 「D905i」

これの端末を一番長く使ったような気がしています。
サイドボタンを押すとシュッとスライドして会話が可能で、すごく楽でした。
当時はプラスチック筐体ですから塗装も剥げてきましたしこの頃から「着メロ」(死語)なんて出てような気が・・・
それと短期間でしたが横スライドしてスライドした下面にキーボードがあった端末も一年位使ったような・・・
(キーボート付きという事に惹かれて買いましたが殆ど役に立たない・・・というより使いづらかったです笑)しかもこれ、スマホでは無く「ガラケー」でした笑)

D905iを使用していた時またもやセンセーショナルなものが出ました。
「スマートフォン」です。
またもや新しもの好きな私、何も考えずに買ってしまいました(笑)
「SONY エクスペリア「SO-01」
「スマートフォン」の意味すら分からず、ただ「タッチパネル」で色々な事が出来るということに興味を惹かれて買ったのですが・・・

あの頃のスマホは所謂ガラケーが全盛期の時代でスマホなんて色モノ的要素が強かったのですが「タッチパネル」という所に惹かれまして買ってしまったという思い出が。
SONY 「SO-01」

あの頃の記憶を類ってみますとレスポンスは悪い、すぐにフリーズする、アプリの種類も少なく、またそれらの起動時間結構かかるという代物だった記憶があります。
やはり「スマホ」黎明期の製品ですから仕方ありませんよね。

私はそれまで「docomo」を15年近く使っていたのですが、その頃SoftBankのみで扱っていた「iPhone」が「au」でも取扱されることになりました。
丁度「iPhone5」が発売されるタイミングだったと思います。
「iPhone」は前から使ってみたいと思っていましたので思い切ってdocomoからauに会社変更しました。
(この頃にはナンバーポータビリティがあったのは助かりました)
Apple 「iPhone5」

最初こそ「Android」と「IOS」の差異に戸惑いましたが慣れるとレスポンスの良さや分かりやすい操作などすっかりiPhoneの虜になってしまいました(笑)
それに機能美のある外観も良かったですね。

で、一年後に「iPhone5S」が発売。
これも直ぐに予約して買っちゃいました。
外観等はそれほど変わりありませんでしたが「5」では対応していなかった800MHz帯に対応したのでLTEの圏内が広まったため、外出先でのネット等「5」から見ると相当速くなった記憶があります。
Apple iPhone「5S」


で、また一年が過ぎ今度は「iPhone6」が登場。
「iPhone」って一年ごとにFMCするので今度はもういいやと言う感じで買いませんでした。
というより「5S」でもろくに機能を使いこなせていないことを重々承知だったので「5S」を使い倒そうと思ったのです。

余談ですが「5S」は「超・初期ロット」を買ったのですが買って三日目でブルースクリーンエラーが出てオシャカになったのですが「Apple care」に入っていたためすぐに代替機が届いたのは感激でした(^^)

結局、未だに携帯は「5S」を使用しています。
最早旧世代に属するスマホなのでしょうが、それでも私のようなガジェット音痴には十分なんですよね・・・
通話もメールもLINEも私のようなライトユーザーが使うには十分ですし、大きさもちょうどいいのです。

でも今回発表された「iPhoneX」。
久々に欲しくなりました。
ホームボタンを排除し今までに無かった筐体の形は勿論、有機ELディスプレイや顔認証等「新しもの好き」の血が久々に騒いでおります(笑)
Apple 「iPhoneX」

勿論、これを買っても機能を使いこなせる自信は殆どありません(笑)
でも「5S」をもう5年近く使いましたから、そろそろ買い替えてもいいかなぁと・・・
ただ、携帯電話が11諭吉オーバーの時代が来るとは正直、想像すらしていませんでした・・・
てかPCより高いし(笑)
でも、恐らく予約しておかないとすぐ売り切れになって「数ヶ月待ち」なんて事になるのでしょうね(^^;)

「X」は予約期間がちょっと先なので、もう少し考えてみます。

それにしてもここ数年で携帯(というよりスマホ)の進化は早すぎます。
もう性能云々というより「如何に付加価値を付けるか」が最近のトレンドになっているような気がします。
「電話」「メール」あと精々「LINE」と「みんカラ」等アプリのみ位にしか使っていない私には「X」は宝の持ち腐れなような気もしてきました(笑)

それともいっそのこと数年ぶりに「Android」に戻ってみるのも有りかもしれませんね(^^)

なんだかそれに「新型出た→すぐ買う」ってミーハーっぽくて嫌だなぁ(笑)
すこし様子を見て買った方のインプレとか見てからでも遅くないような(^^;)

今日は全く車とは関係の無い内容になってしまいました。

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございます。
またいつも沢山の「イイね!」を頂き大変感謝しております(^^)
2017年09月09日 イイね!

懐かしのデザイナー達~まだまだ現役~

太陽フレアの影響・・・では無いと思いますが一昨日に急な腹痛&吐き気に襲われ、これは何かの前兆か!?と思いましたが何も起こらず治ったバーンスタインです(笑)

東京モーターショーも間近になってきましたが今回はどのような車が出品されるのでしょうね。
予想記事等を見ていると楽しみになってきます。
もう何年と行っていませんが、今は晴海に戻ったのでしたっけ・・・

学生時代にカメラ小僧さん達を押しのけて展示車の下に潜り込んで「あのデフはR180だ」「いや、このスペックから行けばR200だろう」等と自動車部仲間で話して頃をふと思い出しました。

コンパニオンのお姉ちゃんは露骨にイヤな顔していましたねぇ・・・(笑)

あの頃はお姉ちゃんより「車のローアングル」の方にばかり興味が行ってしました(^^;)
親切な「日産技術解説員」のタグを付けた方が色々と懇切丁寧に説明してくれましたのが懐かしく思い出されます。

恐らく彼から見れば「コンパニオンに目もくれず展示車の下を見てワイワイ言っている一団」が笑える存在だったのでしょうね(^^;)

モーターショーの華と言えばコンパニオン・・・では無くやはりコンセプト・カーやワールド・プレミアされる車両達でしょう。
そんな事に思いを馳せていたら、ふと「デザイナー」の事が頭に浮かびました。

あの車は有名な、あの人・・・アレよ・・・

「出てこない」(笑)

加齢ですかねぇ(汗)


そんなこんなで今日は歴史に名を残すカー・デザイナーを彼らがデザインした車達と共に振り返ってみようと思います。

やはり最も最初に思い浮かぶ名前。

「ジョルジェット・ジュジャーロ」(ジョルジェット・ジウジアーロ)

彼の名前はクルマ好きな方なら一度は聞いたことのある存在だと思います。
ジュジャーロがデザインした車達を挙げていくと綺羅星の如く・・・

若き日の傑作の1つ。
アルファロメオ・ジュリア「スプリントGT」

とても1960年代に造られていた車とは思えないデザイン。
イタ車ど素人の私が見ても合理性と美しさの同居したエクステリアは未だに「ジュリア」を愛する方々が多くいることが理解できます。

先日の拙ブログ「知らない・手に入らない・買えない「だけど欲しい・カッコいい」と思った車10選」で紹介した車両にもジュジャーロデザインが多くありました。
ISO 「グリフォ」

デ・トマソ「マングスタ」
 

若き日から彼はその才能を発揮していたことがわかるデザインです。
今見ても古さを感じさせません。
他にも。

マセラティ「ギブリ」(初代)

ISO「リボルタ・フィディア」


とまぁ、「エンスー」では無い私でも溜息しか出ない程、素晴らしいモデルばかりをデザインしていますね。
ただ、これらのモデルは私にはもう「手が届く存在」ではありません。
あまりにも高嶺の花です(笑)

なんというか「オードリー・ヘップバーン」や「グレース・ケリー」のような存在でしょうか・・・

でも「ジュジャーロ・デザイン」で手が届きそうな車達、まだ結構ありました(^^)
アルファ・ロメオ「ブレラ」

アルファ・ロメオ「159」

この2台なら中古で程度の良さそうなのが今でも手に入れることが出来そうです。
「ブレラ」を調べてみたところ最高値で380諭吉。最安値で73諭吉。
「159」は最高値で255諭吉。最安値で45諭吉。
個体差はあるでしょうが、現実的価格で買えそうです。
改めて「ブレラ」や「159」を見ると惚れますね、このデザイン(笑)
「イタ車」は「壊れる」というイメージがどうしてもあるのですがこの世代のモデルだとそんなに心配しなくてもいいのかなぁとか「壊れる」事も「アバタにえくぼ」に思えてくるのかなぁ等と思っています(^^)
うーん、ちょっと欲しいぞ(笑)
100諭吉位のをアルファ専門店あたりで買えば楽しいカーライフが送れそうな気がしてきました。

ジュジャーロは国産車も結構デザインしています。
いすゞ「117」は有名ですが、これも最早「高嶺の花」ですので(^^;)ちょいと新し目の所で。
いすゞ「ピアッツァ」

これが1980年代初頭に我が国の自動車としてデビューしたのですから、その時はセンセーショナルだったことは容易に想像できます。
子供の頃「ピアッツァ」は私の「子供心にかっこいい車」の上位に必ず入っていました。

免許を取り、最初の車選びの時「プレリュード」「S14シルビア」「MX-6」そして二代目「ピアッツァ」が候補だった事も思い出しました。
ピアッツァはその頃は既に絶版車になっていましたが、中古も程度の良いタマも多く「ニシボリック・サス」とか高回転まで回る1.8リッターエンジン等魅力的な車でした。
(ちなみに二代目のデザインはあの「中村史郎さん」です)

ジュジャーロデザインの国産車ではこんなのもありました。
スズキ「キャリィ」(L40型 4代目)


前後が良くわからないであろうシンメトリー形状ですね(^^)
それにしても実用車であるキャリィのデザインをジュジャーロに依頼していたとはスズキも太っ腹な事をしたものです(^^)
その他にもスバル「アルシオーネSVX」やトヨタ「アリスト」(JZS14系)、そして映画BTTF(バック・トゥ・ザ・フューチャー)シリーズで有名な「デロリアン」、VW「初代ゴルフ」等「ジュジャーロ」の素晴らしいデザインの車は枚挙に暇がないと言ってもいい状態です(^^)
ジュジャーロは車以外にもカメラなんかもデザインしていましたね。
彼はきっと「造詣の神様」の申し子なのでしょう・・・

二人目。
「ジュジャーロ」と並ぶ巨匠と言えばやはりこの人でしょうと勝手に思っている人物(笑)
「マルチェロ・ガンディーニ」
ガンディーニもジュジャーロと同じくらいネームバリューのあるデザイナーではないでしょうか。
彼のデザインの特徴と言うと「楔形」形状のデザインが多いような気がしています。
例えば彼の代表作。
もう説明の必要が無いほど有名なこの車。

ランボルギーニ「カウンタック」
スーパーカー世代な方もそうではない方もこの車の存在を知らない人は少ないでしょう。
ガルウィング・ドアに存在感溢れるエクステリア、フェラーリと覇を競う性能等など。
今日の未明にBS-プレミアムで「蘇る金狼」を放送していまして、それを見たのですがやはりカウンタックは今見ても、特に走行しているとカッコいいですね(^^)
(「蘇る金狼」もリメイクしたら面白そうですけど「生温く」なっちゃう可能性大かなぁ・・・・)
他にも「ミウラ」や「エスパダ」「ディアブロ」等、ランボルギーニの歴史を彩った車達には「ガンディーニ」が絡んでいます。

また、こちらもガンディーニの代表作と言えるでしょう。
ランチア「ストレイタス」

彼のデザインした車でもう一台メジャーどころ。
フィアット「1/9」

「V型16気筒エンジン」と「縦リトラ4灯」という「変態機構」がそそられる(笑)ガンディーニデザイン車。
「チゼータV16T」


こうして見るとガンディーニは「スーパー・スポーツ」や「スポーティ・カー」に名作が多いというイメージを受けます。
しかし彼のデザインした車を調べますと実用車として名声を得た車もありました。
シトロエン「BX」

一時、我が国でも「BX」は「よく見る外車」の1つであったような気がしています。
ハイドロ・マチックサスの乗り心地は「鏡の上のようだ」とか、エンジンを切るとあり得ない程、車高短になるとか、ハイドロマチックサスの液体漏れを経験して「一丁前のシトロエン乗り」になれるとか・・・
「BX」のデザイン、当時はよく理解できませんでしたが、角ばったエクステリアは今見ると合理性の中に遊び心が感じられるデザインですね。

3人目。
この方も「デザイナー」として忘れられることの無い名前でしょう。
「ブルーノ・サッコ」
「メルセデス・ベンツ」の1980年代から1990年代のデザインの方向性を決定づけた男とも言われています。
彼の名前は「サッコ・プレート」で有名でしたよね。
と言いつつ、実際にどの部分を指していたのか正直、私よく分かっていませんでした(汗)

で、今回ブログを書くにあたり調べてみました。
すると「190E」(W201)から採用されたプロテクト・モールとのこと。

メルセデス・ベンツ190E(W201)「サッコプレート有り」

メルセデス・ベンツ190E(W201)「サッコプレート無し」

W201は今見ても「質実剛健」と「メルセデスらしさ」が素晴らしく調和した飽きの来ない良いデザインですね。
Wikipediaによると「スタイリッシュだとの理由で人気が爆発、しばらくはこれがついているかどうかで中古車価格がかなり違っていた」とのことですが、190Eを愛車にされている方のブログ等を拝見しますと、これが付いている方が好きという方もいれば、付いていないモデルの方が好きという方もいらっしゃいました。
「サッコプレート」でブルーノ・サッコの名は有名になったのかもしれませんが、寧ろメルセデスの20年近いモデルの方向性を決めた名デザイナーといえる存在なのですね(^^)
現在のメルセデスのデザインも好きですがこの「ブルーノ・サッコ」の影響を受けたであろうモデル達の素晴らしさを再認識しました。

4人目。
「オリビエ・ブーレイ」
彼もメルセデスのデザイナーとしての歴史が長くCクラス(W202)や先代マイバッハのデザイナーとして名の知れた存在です。
メルセデス・ベンツ「Cクラス」(W202)

メルセデス・ベンツ「マイバッハ」(先代モデル)

「Cクラス」は上で挙げた「ブルーノ・サッコ」の影響を受けつつもメルセデスの「デザイン新時代」の到来を予感させるデザインとなっていますし「マイバッハ」は今見ても凄まじい存在感を放つ車です。

ただ「オリビエ・ブーレイ」と言うとメルセデスの時代より「三菱自工」時代の事が思い出されます。
三菱自工時代のブーレイの代表作は「グランディス」とのこと。
三菱「グランディス」(NA4W型)

このモデルが市販車として出たときはまさに「コンセプトカー」がそのまま飛び出て来たようなエクステリアで驚かされました。
そして三菱時代のブーレイデザインは様々な車に影響を与えました。
例えば「ランサー・エボリューション」(通称ランエボ)
ランエボは新しいシリーズが出る度に新技術等を導入していましたが、ⅦからⅧに変わった時に「ブーレイ」デザインの影響が現れました。
三菱 ランサー・エボリューションⅦ(CT9)

これがブーレイ着任後に登場した「ランエボⅧ」では下のように変わりました。
三菱 ランサー・エボリューションⅧ(CT9)

エクステリア最大のトピックはグリルの形状が変わった事だったのでは無いでしょうか。
このグリルは「富士山」をイメージしたものだそうで当時「ブーレイ顔」呼ばれていたのを覚えている方も多いかと思います。

この「ブーレイ顔」、当時不評で「無礼顔」なんてあだ名もありましたが、私はそんなに悪くないと思っていました。
ランエボⅧでは空気抵抗の増大や冷却性能の低下を招いた為と言われていますが、そんなに悪いデザインかなぁ・・・
ランエボを始め「ブーレイ顔」のモデル達はダイムラー・クライスラー(今となってはこれもまた懐かしい響き)との提携解消によりブーレイが去ると顔がまたもや変わってしまいました。
ランサー・エボリューションⅨ(CT9)

この他にも上で挙げた「グランディス」等も「ブーレイ顔」をMCで改めてしまっています。
ブーレイは現在メルセデスに戻っているようです。

5人目。
「クリス・バングル」
上で挙げた「ブルーノ・サッコ」と「オリビエ・ブーレイ」はメルセデスのデザインに大きな影響を与えたデザイナーですがバングルはBMWのデザインに大きな影響を与えたデザイナーと言えるでしょう。
彼の代表作はBMWの7シリーズ(E65)と言われています。
BMW「7シリーズ」(E65)フロント

BMW「7シリーズ」(E65)リア

これが登場した時、その先進的装備に驚きを覚えましたのは勿論、それまでのBMWの概念を覆すかのようなエクステリアデザインに最も衝撃を憶えました。
フロントバンパーに食い込んだ形状のヘッドランプ、リアの二分割されたテールランプと二段に盛り上がった凝った形状のトランク部等・・・
どうやら、このモデルはあまりこのセグメント市場では受け入れられなかったようでMCでコンサバティブな方向に戻っています。
今見ても前期も後期も古さを感じないいいデザインですけどね・・・
しかし、このE65を見るとその後のBMWのデザインに大きな影響を与えたことが分かります。
「ブルーノ・サッコ」がメルセデスのデザインに大きな影響を残したように「クリス・バングル」が今のBMWデザインに大きな影響を与えた続けていることと言えるのでしょう(^^)

この他にもスバルが一時採用した「スプレッドウィングス・グリル」のデザイナーとされる「アンドレアス・ザパティナス」等も思い出されます。
スバル 「インプレッサWRX STI」(GDB・F型)

今見ると懐かしいですね・・・
丸目→涙目→鷹目(スプレッドグリル)と三度に渡っての大整形でした(笑)

こうして書いていて日本人で浮かぶデザイナーというと「中村史郎」さんですね。
彼は日産のイメージが強いですが、元はいすゞのデザイナー。
彼の代表作と言えばこれでしょう。
いすゞ「ビークロス」


コンセプトカーがそのまま市販されたかのようなエクステリア。
今見ても新鮮です。
これを20年前に出したのですから凄いとしか・・・
コンポーネントは同社の「ビッグホーン」や「ミュー」の物を利用したようですから悪路走破性は勿論、オンロードでの性能や信頼性の点でも文句なしだったことでしょう。
いすゞは「117」や「ピアッツァ」、そして「ビークロス」等、記憶に残る車が多い会社です。

それとやはり「ケン・オクヤマ」こと「奥山清行」さんでしょうか。
彼はピニンファリーナのデザイナーとして有名になりあの「エンツォ・フェラーリ」や「マセラティ・クアトロポルテ」をデザインした方として知られています。
フェラーリ「エンツォ・フェラーリ」

マセラティ「クアトロポルテ」(5代目)

現在、氏はピニンファリーナを退社し自らの会社「KEN OKUYAMA DESIGN」を率いるとともに農機具メーカー「ヤンマー」の社外取締役としてご活躍中です。
日本人でもこのような「色香」漂うデザインが出来るというのは「才能」なのでしょうね・・・・・

(と言うか「才能」が無ければこの世界はやっていけませんよね笑)

今日は「デザイナー」に焦点を当てブログを書きましたが、社内デザイナーで「名車」と言えるモデルを創り出した人々もいらっしゃいます。
エクステリアの好みは千差万別ですが、自分の好きな車はどのような方がデザインしたのかと思いを馳せてみるのも面白いですね(^^)

本日も最後までお付き合い頂きありがとうございました。
またいつも沢山の「イイね!」を頂きいつも感謝仕切りです。
本当にありがとうございますm(_ _)m



あ。



1人、思い出深いデザイナーさんが。



「由良拓也」さん。


ネスカフェのCMを思い出す方は年齢が(笑)

彼の作品で最も思い出深いもの・・・・・











これです。


タミヤ・ビッグウィッグ(笑)
これ、子供の頃RCカーで出て欲しかったのですよ(^^)
しかし何故か浮気して「スーパーセイバー」というRCカーを買ったことを思い出しました(笑)

と思ったら今年「ビッグウィッグ」は復刻して再発売されているのですね。
買っちゃおうかなぁ(笑)
2017年09月06日 イイね!

最近の航空機

昨日は羽田発NY行きのボーイング777がエンジントラブルで引き返すという事案がありました。
最初は「バードストライク」と言われていましたがどうやらエンジントラブルの模様。

報道の説明を聞いてもワケワカメなのですが、簡単に言えば車でいうタービンブレードが飛んだということなのでしょうか。
所謂「タービンブロー」のような。

まぁジェット機は片肺飛行でもちゃんと安定して飛べるので今回は大事に至らずよかったです。

で、今日は飛行機(旅客機)について思い起こしてみたのです。

私が人生最初に乗った飛行機はこれでした。

今や懐かしの「TDA」(笑)

え?「TDA」を知らない?

その世代の方もいらっしゃるでしょう(^^;)
「東亜国内航空」(TOA Domestic Airline)といって国内線のみの航空会社があったのです。
その後国際線にも参入し「日本エアシステム、通称JAS」(Japan Air System)へ社名変更、「JAL」と経営統合し今はなくなりました。

その「TDA」のYS-11。

戦後初の国内製旅客機でした。
双発プロペラ機で戦中に帝国陸海軍の戦闘機を設計された方々が心血を注いで造った「名機」です。
まぁ、商業的にはほぼ失敗と言ってもよく、殆ど国内航空会社や自衛隊に納入されたのみでした。
(勿論、一部海外でも活躍し本当に稀なようですが、現在でも海外で飛んでいる機体もあるようです)

で、初めてこれを空港で見て親父に「あれがこれから乗る飛行機だぞ」と言われた時は「しょっぼ!」と思いました(笑)
だって周りにはボーイング747とかエアバスA300とか大型機が並んでいるエプロンにチョコンとある「YS-11」は小さくてしかも「プロペラ機」かよ・・・というのが子供の正直な印象でした。

こんな感じ。

如何に小さいかお分かりになるでしょう(笑)
搭乗もボーディングブリッジから乗り込むのでは無く、バスで近くまで行ってタラップを登るという形式でした。
機体が小さいのでボーディングブリッジと接続出来なかったのかな?
フライト中の印象も強烈に残っています。

「兎に角煩い」(笑)

プロペラ機独特のサウンドなのでしょうか「ブーン」という音が煩かったという印象が未だにはっきりと残っています。
でも今にして思えば「YS-11」に乗ることができたのは貴重な体験だったんだなぁと実感することもありますね。

その後は国内線でよく乗ったのはこれ。

ダグラス「DC-9」
この機体に初めて乗った時はちゃんとボーディングブリッジからで「ジェット機」だったので喜んだような気がします(笑)
現在、この航空機は「MD-90」として結構、近~中距離路線で飛んでいるはずです。
ダグラス社は、マクドネル社と経営統合し「マクドネル・ダグラス社」になっても「DC-9」を小改良しながら生産し続け「MD-90」と機体名を変えても売れ続けた「ロングセラー」と言ってもいい機体でしょう。
リアにジェットエンジンを配置、水平尾翼も垂直尾翼の上部に設置された独特の形状で空港に行くと結構見る機会があります。

その後、国際線に乗る機会も出てきて最初に乗ったのはこの機体。

ボーイング「747」
国際線、国内線ともに、この機体は「ジャンボ・ジェット」と言われ有名ですよね。
定員は500名以上、YS-11に乗る時に初めて見て以来、いつか乗ってみたいと思う機体でした。
改めて搭乗するときにその威容を見て「でか・・・」と思いました(^^)
初めて乗ったころはまだ「鶴丸」マークの機体でした。
今「鶴丸」マークは復活しているようですが「フラッグ・キャリア」の「日航機」に乗れるということでワクワクした思い出があります。
当然、エコノミーでしたから機体の割にはシート幅も狭く「兎に角多く乗員を乗せる」という感じでした。
(その後、ビジネスに乗る機会があり、その差に愕然としましたが(笑)当然、「ファースト・クラス」なんて乗ったことありません)
あれは1980年代後半の頃でしたが「アンカレッジ経由」でした(懐)
アンカレッジ空港での待ち時間は結構あったと記憶していますが、売店もしょぼく、レストランが沢山あるわけでも無く退屈な時間でしたね・・・
(今、アンカレッジ空港はどうなっているのだろう・・・)

その「ジャンボ・ジェット」ボーイング747も最近は就航数が減少傾向にあるようです。
燃費や基本設計の古さ等が原因のようで、時代の趨勢とは言えなんだか寂しいものがあります。

欧州の代表する「エアバス」の機体には私の記憶が確からならば一度しか乗ったことがありません。
これも懐かしの「TDA」の機体(笑)

エアバス「A300」
確か北海道へ行く時だったような・・・
国内線で乗った旅客機ではこれが一番静かでシート幅も広く最も快適な機体だったような記憶があります。
これもYS-11に乗る時に「ボーイング747」とともに一緒に見た「憧れの機体」だっただけに相当美化されているのかもしれません(笑)

最近は飛行機に乗るような長距離旅行することもありませんし、昔サラリーマン時代に乗った機体もほぼ「747」が多かったですね。

その他に思い出深い機体。
学生時代にプラハに行った時に乗った機体で正確にその機種はわからないのですが恐らくこれだったと思います。

イリューシン「Il-86」
パリ経由プラハ行きのアエロフロート。
だって一番安かったんですもん(笑)
ロシア製の旅客機ってだけで今にして思うとレアな経験だったかなぁなんて思います。

機体はバカでかく、エンジンが「ボーイング747」のように主翼に4機取り下げられていたのですが、「747」のような開口部が開いた形状では無く、すぼんだ形状だったのを憶えているのでこの機体だったのでは無いかと・・・

帰国後、友人にその話をしたら「お前、よくもまぁロシアの飛行機なんて乗ったな。メンテもろくにやってなさそうだからいつ落ちても文句言えねーぞ」と(^^;)
いくらなんでもそりゃねーだろうと思ったのですが、親に同じ話をしたら同じ答えが帰ってきました(大笑)

別に煩いわけでも無く、短時間のフライトでしたから快適だったような気がしています。
(ただ、CAは無愛想だったような笑)

こうして見ると、やはり最も乗った機体は「ボーイング747」になりますね。
やはり「ジャンボ・ジェット」全盛期だったからなのでしょう。

私、車は勿論、船も好きですし飛行機も好きです。
なので「乗ってみたかった航空機」「乗ってみたい航空機」も勿論あります。

「乗ってみたかった」筆頭はこれです。

英仏両国の威信をかけて開発した機体。
「コンコルド」
マッハ2という戦闘機並の速度を誇りパリ~ニューヨーク間をたったの3時間半で結ぶ「夢の旅客機」で、その高性能ぶりと特徴ある機体形状から「怪鳥」とも呼ばれていました。

しかし、燃費の悪さ、特徴的機体故の搭乗人員の少なさとそれに起因する高運賃、そしてその余りにも速すぎる速度故の騒音問題などでわずか16機のみが就航、それも開発国であったイギリスのブリティッシュ・エアウェイズとフランスのエール・フランスのみでの運行でした。

「コンコルド」が発表された時、世界は驚嘆し、各国の航空会社から発注が舞い込んだようです。
しかし上に挙げた問題が顕在化すると注文はキャンセルされ16機のみという結果に・・・

我が国の「フラッグ・キャリア」であった日航も3機発注していたそうです。
その「幻の日航・コンコルド」のモデルが今は無き、かつて万世橋にあった交通博物館に展示されていました。


「交通博物館」はよく行った場所で一日いても飽きない場所でした。
その中でもこの「幻の日航コンコルド」のモデルは必ず見ていましたね・・・
「交通博物館」が無くなってあのモデルは何処にいってしまったのか未だに気になっています。

2000年のパリ、ドゴール空港での墜落事故もあり2003年に「夢の超音速旅客機」は姿を消しました。
社会人になっていた私、なんとか時間を作って「コンコルド」に乗ってみたいと思いました。
しかしその運賃、パリ~ニューヨーク間片道で70万円近くということもあり諦めました(涙)
まずパリに行く旅費、そしてコンコルドでパリからニューヨークへのコンコルドの旅費、そしてニューヨークから帰国の旅費ですからね(笑)

今、改めてコンコルドの運賃を調べてみると同じパリ~ニューヨーク間の通常旅客機の「ファースト・クラス」の更に2割増しというプライスだったそうです。
その割には室内は狭く、シート幅はエコノミーとほぼ同等、超音速故に騒音も大きかった等など。
ただ、機内サービスは「ファースト・クラス」と同等だったとも。
でも、そういうネガな部分を見ても「乗ってみたかった」ですね・・・
「音速を超えると窓から見える風景が空気摩擦で紫がかって見える」という伝説は本当だったのか・・・
最早、今となっては確かめる術はありません。
だからこそ「夢の超音速機「怪鳥・コンコルド」は私の心の中で永遠に存在となるのでしょう。

現在「超音速旅客機」は再びスポットライトがあたりつつあり、少しずつではありますが研究がなされているようです。
コンコルドのネガを潰した機体が出てくることを楽しみにしています(^^)v

因みに。
西側が開発中の「超音速旅客機」の噂を聞きつけたソ連。
彼らも造っちゃいました(笑)


ツポレフ144(Tu-144)
「どう見ても同じやんけ!」と思われる方が殆どだと思います(笑)

これ、どう考えてもソ連のスパイが英国かフランスから設計図を盗んだとしか思えません(笑)
西側ではこのTu-144に「コンコルドスキー」というあだ名を付けていたそうです(^^)

しかし性能面ではコンコルドより搭乗人員も少し多く、速度もマッハ2.4とコンコルドよりアドバンテージがあったそうです。

このTu-144「どうだ!俺たちの超音速旅客機は!」と思ったかどうか定かではありませんが、コンコルドの生誕の地である「パリ航空ショー」で西側に対してデモンストレーション飛行を行いその技術を見せつけるはずが・・・・・・

なんと、墜落。

えらい赤っ恥ですね(汗)
それでも広大な面積を誇ったソビエトの国内線に就役したものの、あまりの燃費の悪さに(コンコルドより更に悪かったみたいです)殆ど旅客使用されることも無く、こちらも16機のみ生産されオジャンになってしまいました。
コンコルドといいTu-144といい「16機」というのは因縁なのでしょうか。

次の機体。
これも「乗ってみたかった機体」ですが、現在は引退しその夢は叶いません。

ロッキード「L-1011 トライスター」
この期待は主翼直下エンジンの他に垂直尾翼根本部分にもエンジンを配置した3機エンジンの機体です。
今見ても古さを感じないスマートな機体で私の好きな旅客機でもあります。

設備や装備も先進的でロッキード社はこのトライスターに相当の期待を込めて開発、販売を開始したようですが、ロッキード社は軍用機部門こそ強かったものの、旅客機ではボーイングやマクドネル・ダグラスの後塵を拝している状態であり、トライスターの売れ行きは芳しいものではありませんでした。
そこでロッキード社が取った戦略は・・・・・・
「各国の有力者へ賄賂工作を行う」ということでした。
そして、それは我が国でも・・・・・

あの「ロッキード事件」です。

事件の経緯は省きますが「果たして一国の宰相が一株式会社の航空機選定に影響力を行使したのか?」が争点の1つでした。
寧ろ、我が国ではこの「ロッキード L-1011トライスター」は「ロッキード事件」で有名になってしまった機体と言えるでしょう。
その後も「トライスター」は販売面では苦戦を強いられ、1982年に製造を中止しました。

機体に起因する大事故を起こしたことのない大型旅客機という事を見れば如何に優秀な航空機だった事は容易に想像できますが、なんだか違う件で有名になってしまった「悲劇の機体」と言えるかもしれません。
我が国では全日空が保有していましたが1995年に退役。
乗っておくべきでした(涙)

次に乗ってみたい飛行機。

エアバス「A380」
オール2階建て旅客機という新ジャンル(笑)
実機は見たことがありませんが「ボーイング747」を超える威容であることは容易に想像できます。
最大の搭乗可能人員は最大で800人を超えるそうです(驚)
このA380の搭乗が「ボーイング747」の退潮に拍車をかけたという見方もあるくらいです。
それにしても飛行機まで「オール2階建て」の時代が来るとは思いませんでしたね(笑)
かつて新幹線のオール2階建て「MAX」に乗ったときでさえあのデカさにはビビったものですが、この「A380」は本物を見たら圧倒されることでしょう。

(新幹線「MAX」も最近、聞かなくなりましたね。2階席は眺めが良いのは勿論なのですが、実は1階席にも良い点がありまして・・・風景は殆ど見えませんが駅のホームに滑り込んで行く途中にミニスカートのお姉ちゃんがいるとチラリズムだったり中が見え(以下自己規制笑)

「A380」は全日空が発注済みのようなので間もなくその威容を国内の空港で見ることが出来る日も近いでしょう。

あとはやはりこれでしょうか。

三菱航空機(三菱重工)「MRJ」(ミツビシ・リージョナルジェット)
「YS-11」以来となる我が国製造の旅客機。
これのテスト飛行が成功した時の報道をご覧になった方も多いと思います。
座席数100席未満の旅客機ですが、燃費の良さや静粛性等に優れ海外からの発注も多く来ているとそうです。
このような燃費の良い小型旅客機は現在主流であるハブ&スポーク空港の考え方にあわせてみるとハブから伸びる枝路線(スポーク路線)に非常に適していることから相当の注目を浴びています。
ただし、意外とこの「100席未満」のカテゴリは激戦区でブラジルのエンブラル社やカナダのボンバルディア・エアロスペース社に似たような機体があり、それらと競合するようです。

ブラジル・エンブラル社「E-170」


カナダ・ボンバルディアエアロスペース社「CRJ200」


どちらも100席未満の航空機で主要路線以外の地方空港等へ運行するのに適していますね。

エンブラル社の「E-170」は今のところ、最後に乗った飛行機です。
名古屋経由で東北に行く際に乗った「フジ・ドリームエアラインズ」の機体でした。
こぶりな機体の割にはキャビン内も静かで気流のせいもあるでしょうが、揺れも少なくいい飛行機でした。
(十数年ぶりに降り立った「名古屋空港」が物凄くこじんまりとしてしまっていたのが時代を感じました。セントレアが出来て縮小したのでしょうね。名称も「名古屋空港」ではなく「名古屋飛行場」になっていました。また機長がサービス精神旺盛な方で「左に見えますのは黒部ダムでございます」とか「右に見えます白化粧した山、あれこそ日本の宝、富士山でございます」なんてアナウンスしてました笑)

国産久々の「MRJ」、大きな期待を集めていますがここに来て正念場を迎えています。
中々、テスト飛行がうまくいかず、400機もの受注を得ていますが「納入延期」を既に5回しています。
航空機の購入というのはちょっと特殊で「オプション契約」というものがあり「製造者が納入期限内に納品出来ない時は発注者は何時でもその契約をキャンセルできる」というものです。
三菱航空機は「キャンセルは一機も出ていない」としていますが、アメリカのスカイウエスト航空はMRJを200機発注していましたが、度重なる納入延期に業を煮やし「MRJ」が代わりになるはずだった「ボンバルディア社」とのメンテナンス契約を延長する事態にまでなってしまいました。
また我が国の全日空も納入されるまでの間のつなぎとしてボーイング社から航空機をリースするという事態にもなっています。
また、このまま納入延期が繰り返されるようであれば発注した航空会社から延期違約金を請求され三菱航空機、ひいては親会社の三菱重工の経営まで圧迫するという事態も招きかねません。
最悪のケースはそれにより「MRJ」計画自体が白紙になってしまうことです。


自動車・鉄道の世界では世界の一角を担う存在となっている我が国。
言い換えれば「航空機」の製造というのはそのくらい大変な事であるという事を実感しました。
戦後の占領政策により途絶え、一度は「YS-11」という翼を得ながらも挫折を味わい、再び航空機の世界へ羽ばたこうとしている今、なんとか「MRJ」の翼が世界中で羽ばたく所を見たいものです。

本日最後の機体。
これです。


ホンダ「JET」
こう書くとなんだかバイクっぽいですね(^^)
ビジネス・ジェットやプライベート・ジェットとして大変な人気で今年上半期のビジネス、プライベート・ジェット市場では最も多い24機を出荷したとのこと。
受注の数も100機を超え、月産4機体制で製造しているそうです。
まるで「NSX」並の製造体制ですね(笑)

また「ホンダ」っぽいなぁと思ったのが速度と静粛性を両立させるためにエンジン配置を他のビジネス、プライベート・ジェット機と変えたこと。

一般的な胴体部分にエンジンが付いているより空気抵抗が減る、エンジン取り付け部の軽量化を図ることが出来、それによるスピードアップや燃費の向上といったメリットがあるそうです。
こんな所にも車と同じ「ホンダ・スピリット」を感じますね(^^)

価格は吊るしで540,000,000JPY
思ったより安いような(笑)

リアルのレナード・バーンスタインはプライベート・ジェットを持っていましたし、かのヘルベルト・フォン・カラヤンもプライベート・ジェットを持って自ら操縦桿を握ることもあったそうですから、私もあやかりたいところではありますが・・・・・・

ま、一生縁がないでしょう(大笑)

「ホンダ・JET」は「乗りたい」というより「持ちたい」飛行機ですね(^^)
(勿論、乗せてもらう機会があれば乗ってみたいですが、買えそうな知り合いはいないなぁ笑)

飛行機の世界も車の世界と同様、様々な企業が切磋琢磨して色々な機体を造っていった経緯がありますね。
さすがにこれらを「持つ」という事は「夢のまた夢」ではありますが「乗る」楽しみは取っておけます(^^)

こうして「飛行機」のブログを書いていて久しぶりに乗りたくなりました(^^)

あ。1つ思い出した笑い話。
強労省時代に海外出張がありフライトのチケットを事務補佐(みんな若い女の子で所謂、臨時職員のような方々で色々と雑務をこなしてくれる存在。その殆どがキャリアのみならず職員を捕まえ寿退社という笑)に頼んだんです。

「○○さん、ジャルにしますか?アナにしますか?」と言われ。
「日航で頼む」と言ったら。
「○○さ~ん、おっさんくさいですよ~ジャルですね!了解で~す」

やっぱり「日航」とか「全日空」ってのは古いのでしょうか(笑)
これでも略称なのですけど(^^;)いっそのこと「東亜」って言えばよかったかな(大笑)


でもやっぱり今の若い子達には「ジャル」「アナ」でしょうね(^^)

本日も最後までお付き合い頂きありがとうござました。
またいつも沢山の「イイね!」を頂き、感謝いたします。
2017年09月04日 イイね!

今年の流行語大賞はなんでしょうね。

今年も残すところ4ヶ月を切りました。
毎年恒例の「流行語大賞候補」はなんなのでしょうねぇ。

まずはやっぱりこの方の「一線は越えていません」ですかねぇ。


「SPEED」と言えば学生の頃、大人気グループでした。
あれからもう20年ですか(笑)
まさに「光陰矢の如し」(^^;)

それが今や立派な?「国会議員様」ですから世の中分からないものです(笑)
別に両者とも「大人」なんですから「不倫」の是非は置いておいてそんなに騒ぐほどの事だったのかと。
でも「一線は越えていません」は「ある意味」名言でしたね(大笑)
あの「手繋ぎ写真」見てそれを信じる方がいるかいないかはアナタ次第ですってか(笑)
それに「ビール券」って(笑)
こりゃ、次は無い・・・と思いつつすぐに忘れ去られて2期目当選!とかなるんでしょうか(^^;)

次。
「プレミアム・フライデー」

毎日が「ある意味」プレミアムな私から見るとこれ、ほんのちょっとで終わる予感が(笑)

第一、これを提唱した「経済産業省」が「残業大国」の「ブラック企業」なのですから説得力が全くないです(笑)

これ、毎月最終週の金曜でしたっけ?

その金曜に「霞が関」の官庁街が暗黒街になっていたら認めますけどムリでしょう(笑)

(違った意味で「暗黒街」ですが笑)

それにテレビなんかで15時に退社して~なんて方を取り上げてますが、大企業の一部社員だけとしか思えないんですよね~・・・
まぁ、経産省への経団連の「ジェスチャ」でしょうね。
ホント、我が国の国策で提唱するこういう政策ってすぐにポシャるというか飽きられるというか・・・
精々近年で定着したのは「クールビズ」位でしょうか。

(そういえば「クールビズ」の前身と言ってもいい「省エネルック」に拘りを持っていらっしゃった羽田孜元総理がお亡くなりになりましたね。あの方とは仕事で何度もお会いした事がありますが、非常に気さくで政治家にありがちな「上から目線」で語らない、しかし自分の信念を諭すように語る人間的にとても好きな方でした・・・合掌。)

次。
「忖度」

これももうノミネート間違い無しでしょうか(笑)


これも拙ブログ「今話題の「忖度」について」で書きましたが「忖度」は確実にあるわけで(笑)

こんなの「ありません」って言っても信じる人はほぼいらっしゃらないと思いますし、特にも「元役人」な人間から見ると「こんなん、いつもの事じゃん」としか思わないのですよ。

「霞が関」のみならず恐らく「役人」の世界は「忖度」が出来なければ出世できないのはブログでも書きましたが、役人の世界のみならずこれは必要な事ですよね。
「忖度」の意味を調べると「他人の気持ちを推しはかること」とあります。
なので決して「負」のイメージの言葉では無いわけです。

それが今回の一件で・・・

次。
なんでしょうねぇ・・・
あぁ、「海の王子」でしょうか。

古くは「ハニカミ王子」(石川遼君)とか「ハンカチ王子」(斎藤佑樹君)とか(って自分の年齢を感じます笑)

最近では「ひねり王子」(白井健三君)とか・・・

今年は「海の王子」こと「小室圭さん」。

昨日、めでたくご婚約会見をなされましたね(^^)

なんか、もう「幸せな家庭」が目に見える(羨)
デートとか大変だったでしょう・・・

でもLINEとかでやり取りしていたのかと思うと、なんだか「今風のカップル」って感じでいいですね(^^)
会見の「結婚する人とお付き合いを~」を聞いてご両人とも真面目にいいお付き合いをされて、遂にゴール!という幸せ感を頂きました(^^)

あぁ、私も真面目にやってりゃ(以下略笑)

ぶっちゃけますと私、秋篠宮家は妹ちゃんもそりゃ美人さんですがお姉ちゃんの方が好きでした(笑)

昨日の会見を少し見ましたが、今まで眞子さまの「公用車」だった車が「ギャラン・フォルティス」だったのが「三菱・プラウディア」になっていたので少し安心しました(笑)
「プラウディア」のOEM車であるY51フーガに乗っていた人間として少し鼻高々です(笑)

「三菱・プラウディア」

意外と縦グリルの方がかっこよかったりして・・・・・

だって御所からの出入りの時、眞子さまが「フォルティス」で皇宮警察の車が「レガシィ」って逆やんけ!と思ったんです(^^;)
いつも眞子さまの映像を見ていて「そりゃあねーだろう」と思っていたので・・・

あれが「ギャラン・フォルティス」にボディがとても良く似た「三菱ランサー・エボリューションⅩ」だったらそれはそれで面白すぎるのですが(大笑)
(ってなんで三菱に拘るんだ笑)

あれ、妹ちゃんはプラウディアの後期モデルだぞ(笑)
追記:と思ったら「プラウディア」は「シーマ」のOEM版「ディグニティ」とともに既に絶版になっていました(涙)
妹ちゃんが乗っていたのは後期のフーガかな・・・見誤ったかも(汗)

さて、最後。
これ、最近連日連夜報道されている単語。

それは「ロフテッド軌道」

こんな言葉、つい先日まで知りませんでした。

しかし先日の「J-ALERT」騒動以来「ロフテッド軌道を描き」とか「今回はロフテッド軌道では無く通常軌道で襟裳岬沖に~」なんてよく耳にする言葉となりました。
大陸間弾道弾なんて一旦宇宙に出て、それから目標に落下するものだと思っていたので、その軌道にも種類があるなんて初めて知った次第です。

これだけ連日連夜「ロフテッド軌道」という言葉が連呼されると「流行語大賞候補」になるような気が・・・

まぁ、北朝鮮から見れば我が国はロフテッド軌道だろうがなんだろうが最早「射程距離圏内」なのでどういう弾道でも落ちてくるものは落ちる訳ですが(汗)




えぇ、どうやっても射程距離には入ってますね(滝汗)

昨日の「水爆」云々は眉唾ですが「通常弾頭」はいつ降ってきてもしょうがないということです。
私見ではありますが、かつて東西冷戦の時に世界の先進国の中で「核シェルター」や「避難施設」「防毒マスク」「ヨウ素剤配布」といった「戦時体制」に全く無頓着だった我が国の「ツケ」が今になって回ってきたような気がしています。

先日の「J-ALERT」が鳴った時も「頑丈な建物に~」とか言われても近くに無いがな!と毒づくしかありませんでしたし(笑)

まぁ、今更どうのこうの言ってもしょうがないので「その時」が来たら「諦める」ことも必要でしょう。

って書いていたら「また」「北朝鮮、ICBM発射の兆候」ですか・・・
三代目さん、あんた9月9日は何をやるつもりなの?(笑)


本日も最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
またいつも沢山の「イイね!」を頂き感謝しております。










・・・・・・・・・










書いていて。
もう一つ候補が。













「最大限の非難」「厳重に抗議」「許しがたい暴挙」












・・・・・・・・・・・・・









もう聞き飽きたがな(大笑)

精々、次点止まりです。

おそまつ(笑)

プロフィール

「DIY考~長年のブランクが通用するか~ http://cvw.jp/b/2783642/41040549/
何シテル?   01/30 03:26
バーンスタインです。よろしくお願いします。 HNは20世紀を代表する指揮者で大作曲家でもあるレナード・バーンスタインから取りました。 当然、車と同じ位、...
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