昨日は羽田発NY行きのボーイング777がエンジントラブルで引き返すという事案がありました。
最初は「バードストライク」と言われていましたがどうやらエンジントラブルの模様。
報道の説明を聞いてもワケワカメなのですが、簡単に言えば車でいうタービンブレードが飛んだということなのでしょうか。
所謂「タービンブロー」のような。
まぁジェット機は片肺飛行でもちゃんと安定して飛べるので今回は大事に至らずよかったです。
で、今日は飛行機(旅客機)について思い起こしてみたのです。
私が人生最初に乗った飛行機はこれでした。

今や懐かしの「TDA」(笑)
え?「TDA」を知らない?
その世代の方もいらっしゃるでしょう(^^;)
「東亜国内航空」(TOA Domestic Airline)といって国内線のみの航空会社があったのです。
その後国際線にも参入し「日本エアシステム、通称JAS」(Japan Air System)へ社名変更、「JAL」と経営統合し今はなくなりました。
その「TDA」のYS-11。
戦後初の国内製旅客機でした。
双発プロペラ機で戦中に帝国陸海軍の戦闘機を設計された方々が心血を注いで造った「名機」です。
まぁ、商業的にはほぼ失敗と言ってもよく、殆ど国内航空会社や自衛隊に納入されたのみでした。
(勿論、一部海外でも活躍し本当に稀なようですが、現在でも海外で飛んでいる機体もあるようです)
で、初めてこれを空港で見て親父に「あれがこれから乗る飛行機だぞ」と言われた時は
「しょっぼ!」と思いました(笑)
だって周りにはボーイング747とかエアバスA300とか大型機が並んでいるエプロンにチョコンとある「YS-11」は小さくてしかも「プロペラ機」かよ・・・というのが子供の正直な印象でした。
こんな感じ。

如何に小さいかお分かりになるでしょう(笑)
搭乗もボーディングブリッジから乗り込むのでは無く、バスで近くまで行ってタラップを登るという形式でした。
機体が小さいのでボーディングブリッジと接続出来なかったのかな?
フライト中の印象も強烈に残っています。
「兎に角煩い」(笑)
プロペラ機独特のサウンドなのでしょうか「ブーン」という音が煩かったという印象が未だにはっきりと残っています。
でも今にして思えば「YS-11」に乗ることができたのは貴重な体験だったんだなぁと実感することもありますね。
その後は国内線でよく乗ったのはこれ。

ダグラス「DC-9」
この機体に初めて乗った時はちゃんとボーディングブリッジからで「ジェット機」だったので喜んだような気がします(笑)
現在、この航空機は「MD-90」として結構、近~中距離路線で飛んでいるはずです。
ダグラス社は、マクドネル社と経営統合し「マクドネル・ダグラス社」になっても「DC-9」を小改良しながら生産し続け「MD-90」と機体名を変えても売れ続けた「ロングセラー」と言ってもいい機体でしょう。
リアにジェットエンジンを配置、水平尾翼も垂直尾翼の上部に設置された独特の形状で空港に行くと結構見る機会があります。
その後、国際線に乗る機会も出てきて最初に乗ったのはこの機体。

ボーイング「747」
国際線、国内線ともに、この機体は「ジャンボ・ジェット」と言われ有名ですよね。
定員は500名以上、YS-11に乗る時に初めて見て以来、いつか乗ってみたいと思う機体でした。
改めて搭乗するときにその威容を見て
「でか・・・」と思いました(^^)
初めて乗ったころはまだ「鶴丸」マークの機体でした。
今「鶴丸」マークは復活しているようですが「フラッグ・キャリア」の「日航機」に乗れるということでワクワクした思い出があります。
当然、エコノミーでしたから機体の割にはシート幅も狭く「兎に角多く乗員を乗せる」という感じでした。
(その後、ビジネスに乗る機会があり、その差に愕然としましたが(笑)当然、「ファースト・クラス」なんて乗ったことありません)
あれは1980年代後半の頃でしたが「アンカレッジ経由」でした(懐)
アンカレッジ空港での待ち時間は結構あったと記憶していますが、売店もしょぼく、レストランが沢山あるわけでも無く退屈な時間でしたね・・・
(今、アンカレッジ空港はどうなっているのだろう・・・)
その「ジャンボ・ジェット」ボーイング747も最近は就航数が減少傾向にあるようです。
燃費や基本設計の古さ等が原因のようで、時代の趨勢とは言えなんだか寂しいものがあります。
欧州の代表する「エアバス」の機体には私の記憶が確からならば一度しか乗ったことがありません。
これも懐かしの「TDA」の機体(笑)

エアバス「A300」
確か北海道へ行く時だったような・・・
国内線で乗った旅客機ではこれが一番静かでシート幅も広く最も快適な機体だったような記憶があります。
これもYS-11に乗る時に「ボーイング747」とともに一緒に見た「憧れの機体」だっただけに相当美化されているのかもしれません(笑)
最近は飛行機に乗るような長距離旅行することもありませんし、昔サラリーマン時代に乗った機体もほぼ「747」が多かったですね。
その他に思い出深い機体。
学生時代にプラハに行った時に乗った機体で正確にその機種はわからないのですが恐らくこれだったと思います。

イリューシン「Il-86」
パリ経由プラハ行きのアエロフロート。
だって一番安かったんですもん(笑)
ロシア製の旅客機ってだけで今にして思うとレアな経験だったかなぁなんて思います。
機体はバカでかく、エンジンが「ボーイング747」のように主翼に4機取り下げられていたのですが、「747」のような開口部が開いた形状では無く、すぼんだ形状だったのを憶えているのでこの機体だったのでは無いかと・・・
帰国後、友人にその話をしたら「お前、よくもまぁロシアの飛行機なんて乗ったな。メンテもろくにやってなさそうだからいつ落ちても文句言えねーぞ」と(^^;)
いくらなんでもそりゃねーだろうと思ったのですが、親に同じ話をしたら同じ答えが帰ってきました(大笑)
別に煩いわけでも無く、短時間のフライトでしたから快適だったような気がしています。
(ただ、CAは無愛想だったような笑)
こうして見ると、やはり最も乗った機体は「ボーイング747」になりますね。
やはり「ジャンボ・ジェット」全盛期だったからなのでしょう。
私、車は勿論、船も好きですし飛行機も好きです。
なので「乗ってみたかった航空機」「乗ってみたい航空機」も勿論あります。
「乗ってみたかった」筆頭はこれです。

英仏両国の威信をかけて開発した機体。
「コンコルド」
マッハ2という戦闘機並の速度を誇りパリ~ニューヨーク間をたったの3時間半で結ぶ「夢の旅客機」で、その高性能ぶりと特徴ある機体形状から「怪鳥」とも呼ばれていました。
しかし、燃費の悪さ、特徴的機体故の搭乗人員の少なさとそれに起因する高運賃、そしてその余りにも速すぎる速度故の騒音問題などでわずか16機のみが就航、それも開発国であったイギリスのブリティッシュ・エアウェイズとフランスのエール・フランスのみでの運行でした。
「コンコルド」が発表された時、世界は驚嘆し、各国の航空会社から発注が舞い込んだようです。
しかし上に挙げた問題が顕在化すると注文はキャンセルされ16機のみという結果に・・・
我が国の「フラッグ・キャリア」であった日航も3機発注していたそうです。
その「幻の日航・コンコルド」のモデルが今は無き、かつて万世橋にあった交通博物館に展示されていました。

「交通博物館」はよく行った場所で一日いても飽きない場所でした。
その中でもこの「幻の日航コンコルド」のモデルは必ず見ていましたね・・・
「交通博物館」が無くなってあのモデルは何処にいってしまったのか未だに気になっています。
2000年のパリ、ドゴール空港での墜落事故もあり2003年に「夢の超音速旅客機」は姿を消しました。
社会人になっていた私、なんとか時間を作って「コンコルド」に乗ってみたいと思いました。
しかしその運賃、パリ~ニューヨーク間片道で70万円近くということもあり諦めました(涙)
まずパリに行く旅費、そしてコンコルドでパリからニューヨークへのコンコルドの旅費、そしてニューヨークから帰国の旅費ですからね(笑)
今、改めてコンコルドの運賃を調べてみると同じパリ~ニューヨーク間の通常旅客機の「ファースト・クラス」の更に2割増しというプライスだったそうです。
その割には室内は狭く、シート幅はエコノミーとほぼ同等、超音速故に騒音も大きかった等など。
ただ、機内サービスは「ファースト・クラス」と同等だったとも。
でも、そういうネガな部分を見ても「乗ってみたかった」ですね・・・
「音速を超えると窓から見える風景が空気摩擦で紫がかって見える」という伝説は本当だったのか・・・
最早、今となっては確かめる術はありません。
だからこそ「夢の超音速機「怪鳥・コンコルド」は私の心の中で永遠に存在となるのでしょう。
現在「超音速旅客機」は再びスポットライトがあたりつつあり、少しずつではありますが研究がなされているようです。
コンコルドのネガを潰した機体が出てくることを楽しみにしています(^^)v
因みに。
西側が開発中の「超音速旅客機」の噂を聞きつけたソ連。
彼らも造っちゃいました(笑)

ツポレフ144(Tu-144)
「どう見ても同じやんけ!」と思われる方が殆どだと思います(笑)
これ、どう考えてもソ連のスパイが英国かフランスから設計図を盗んだとしか思えません(笑)
西側ではこのTu-144に「コンコルドスキー」というあだ名を付けていたそうです(^^)
しかし性能面ではコンコルドより搭乗人員も少し多く、速度もマッハ2.4とコンコルドよりアドバンテージがあったそうです。
このTu-144「どうだ!俺たちの超音速旅客機は!」と思ったかどうか定かではありませんが、コンコルドの生誕の地である「パリ航空ショー」で西側に対してデモンストレーション飛行を行いその技術を見せつけるはずが・・・・・・
なんと、墜落。
えらい赤っ恥ですね(汗)
それでも広大な面積を誇ったソビエトの国内線に就役したものの、あまりの燃費の悪さに(コンコルドより更に悪かったみたいです)殆ど旅客使用されることも無く、こちらも16機のみ生産されオジャンになってしまいました。
コンコルドといいTu-144といい「16機」というのは因縁なのでしょうか。
次の機体。
これも「乗ってみたかった機体」ですが、現在は引退しその夢は叶いません。

ロッキード「L-1011 トライスター」
この期待は主翼直下エンジンの他に垂直尾翼根本部分にもエンジンを配置した3機エンジンの機体です。
今見ても古さを感じないスマートな機体で私の好きな旅客機でもあります。
設備や装備も先進的でロッキード社はこのトライスターに相当の期待を込めて開発、販売を開始したようですが、ロッキード社は軍用機部門こそ強かったものの、旅客機ではボーイングやマクドネル・ダグラスの後塵を拝している状態であり、トライスターの売れ行きは芳しいものではありませんでした。
そこでロッキード社が取った戦略は・・・・・・
「各国の有力者へ賄賂工作を行う」ということでした。
そして、それは我が国でも・・・・・
あの「ロッキード事件」です。
事件の経緯は省きますが「果たして一国の宰相が一株式会社の航空機選定に影響力を行使したのか?」が争点の1つでした。
寧ろ、我が国ではこの「ロッキード L-1011トライスター」は「ロッキード事件」で有名になってしまった機体と言えるでしょう。
その後も「トライスター」は販売面では苦戦を強いられ、1982年に製造を中止しました。
機体に起因する大事故を起こしたことのない大型旅客機という事を見れば如何に優秀な航空機だった事は容易に想像できますが、なんだか違う件で有名になってしまった「悲劇の機体」と言えるかもしれません。
我が国では全日空が保有していましたが1995年に退役。
乗っておくべきでした(涙)
次に乗ってみたい飛行機。

エアバス「A380」
オール2階建て旅客機という新ジャンル(笑)
実機は見たことがありませんが「ボーイング747」を超える威容であることは容易に想像できます。
最大の搭乗可能人員は最大で800人を超えるそうです(驚)
このA380の搭乗が「ボーイング747」の退潮に拍車をかけたという見方もあるくらいです。
それにしても飛行機まで「オール2階建て」の時代が来るとは思いませんでしたね(笑)
かつて新幹線のオール2階建て「MAX」に乗ったときでさえあのデカさにはビビったものですが、この「A380」は本物を見たら圧倒されることでしょう。
(新幹線「MAX」も最近、聞かなくなりましたね。2階席は眺めが良いのは勿論なのですが、実は1階席にも良い点がありまして・・・風景は殆ど見えませんが駅のホームに滑り込んで行く途中にミニスカートのお姉ちゃんがいるとチラリズムだったり中が見え(以下自己規制笑)
「A380」は全日空が発注済みのようなので間もなくその威容を国内の空港で見ることが出来る日も近いでしょう。
あとはやはりこれでしょうか。

三菱航空機(三菱重工)「MRJ」(ミツビシ・リージョナルジェット)
「YS-11」以来となる我が国製造の旅客機。
これのテスト飛行が成功した時の報道をご覧になった方も多いと思います。
座席数100席未満の旅客機ですが、燃費の良さや静粛性等に優れ海外からの発注も多く来ているとそうです。
このような燃費の良い小型旅客機は現在主流であるハブ&スポーク空港の考え方にあわせてみるとハブから伸びる枝路線(スポーク路線)に非常に適していることから相当の注目を浴びています。
ただし、意外とこの「100席未満」のカテゴリは激戦区でブラジルのエンブラル社やカナダのボンバルディア・エアロスペース社に似たような機体があり、それらと競合するようです。
ブラジル・エンブラル社「E-170」
カナダ・ボンバルディアエアロスペース社「CRJ200」
どちらも100席未満の航空機で主要路線以外の地方空港等へ運行するのに適していますね。
エンブラル社の「E-170」は今のところ、最後に乗った飛行機です。
名古屋経由で東北に行く際に乗った「フジ・ドリームエアラインズ」の機体でした。
こぶりな機体の割にはキャビン内も静かで気流のせいもあるでしょうが、揺れも少なくいい飛行機でした。
(十数年ぶりに降り立った「名古屋空港」が物凄くこじんまりとしてしまっていたのが時代を感じました。セントレアが出来て縮小したのでしょうね。名称も「名古屋空港」ではなく「名古屋飛行場」になっていました。また機長がサービス精神旺盛な方で「左に見えますのは黒部ダムでございます」とか「右に見えます白化粧した山、あれこそ日本の宝、富士山でございます」なんてアナウンスしてました笑)
国産久々の「MRJ」、大きな期待を集めていますがここに来て正念場を迎えています。
中々、テスト飛行がうまくいかず、400機もの受注を得ていますが「納入延期」を既に5回しています。
航空機の購入というのはちょっと特殊で「オプション契約」というものがあり「製造者が納入期限内に納品出来ない時は発注者は何時でもその契約をキャンセルできる」というものです。
三菱航空機は「キャンセルは一機も出ていない」としていますが、アメリカのスカイウエスト航空はMRJを200機発注していましたが、度重なる納入延期に業を煮やし「MRJ」が代わりになるはずだった「ボンバルディア社」とのメンテナンス契約を延長する事態にまでなってしまいました。
また我が国の全日空も納入されるまでの間のつなぎとしてボーイング社から航空機をリースするという事態にもなっています。
また、このまま納入延期が繰り返されるようであれば発注した航空会社から延期違約金を請求され三菱航空機、ひいては親会社の三菱重工の経営まで圧迫するという事態も招きかねません。
最悪のケースはそれにより「MRJ」計画自体が白紙になってしまうことです。
自動車・鉄道の世界では世界の一角を担う存在となっている我が国。
言い換えれば「航空機」の製造というのはそのくらい大変な事であるという事を実感しました。
戦後の占領政策により途絶え、一度は「YS-11」という翼を得ながらも挫折を味わい、再び航空機の世界へ羽ばたこうとしている今、なんとか「MRJ」の翼が世界中で羽ばたく所を見たいものです。
本日最後の機体。
これです。

ホンダ「JET」
こう書くとなんだかバイクっぽいですね(^^)
ビジネス・ジェットやプライベート・ジェットとして大変な人気で今年上半期のビジネス、プライベート・ジェット市場では最も多い24機を出荷したとのこと。
受注の数も100機を超え、月産4機体制で製造しているそうです。
まるで「NSX」並の製造体制ですね(笑)
また「ホンダ」っぽいなぁと思ったのが速度と静粛性を両立させるためにエンジン配置を他のビジネス、プライベート・ジェット機と変えたこと。

一般的な胴体部分にエンジンが付いているより空気抵抗が減る、エンジン取り付け部の軽量化を図ることが出来、それによるスピードアップや燃費の向上といったメリットがあるそうです。
こんな所にも車と同じ「ホンダ・スピリット」を感じますね(^^)
価格は吊るしで540,000,000JPY
思ったより安いような(笑)
リアルのレナード・バーンスタインはプライベート・ジェットを持っていましたし、かのヘルベルト・フォン・カラヤンもプライベート・ジェットを持って自ら操縦桿を握ることもあったそうですから、私もあやかりたいところではありますが・・・・・・
ま、一生縁がないでしょう(大笑)
「ホンダ・JET」は「乗りたい」というより「持ちたい」飛行機ですね(^^)
(勿論、乗せてもらう機会があれば乗ってみたいですが、買えそうな知り合いはいないなぁ笑)
飛行機の世界も車の世界と同様、様々な企業が切磋琢磨して色々な機体を造っていった経緯がありますね。
さすがにこれらを「持つ」という事は「夢のまた夢」ではありますが「乗る」楽しみは取っておけます(^^)
こうして「飛行機」のブログを書いていて久しぶりに乗りたくなりました(^^)
あ。1つ思い出した笑い話。
強労省時代に海外出張がありフライトのチケットを事務補佐(みんな若い女の子で所謂、臨時職員のような方々で色々と雑務をこなしてくれる存在。その殆どがキャリアのみならず職員を捕まえ寿退社という笑)に頼んだんです。
「○○さん、ジャルにしますか?アナにしますか?」と言われ。
「日航で頼む」と言ったら。
「○○さ~ん、おっさんくさいですよ~ジャルですね!了解で~す」
やっぱり「日航」とか「全日空」ってのは古いのでしょうか(笑)
これでも略称なのですけど(^^;)いっそのこと「東亜」って言えばよかったかな(大笑)
でもやっぱり今の若い子達には「ジャル」「アナ」でしょうね(^^)
本日も最後までお付き合い頂きありがとうござました。
またいつも沢山の「イイね!」を頂き、感謝いたします。