
暗闇。
午前3時、冷徹な静寂を切り裂いて、直列6気筒ツインターボが咆哮を上げる。
愛車、BMW M240i(F22)。漆黒のボディを夜の底に溶かし込みながら、私は関越自動車道を北へと滑り出した。
今回のミッションは、日本屈指の「酷道」にして最後の秘境――奥只見・樹海ライン(国道352号)、そして冬季閉鎖を目前に控えた六十里越道路(国道252号)と日塩もみじラインの完全踏破。
牙を剥く極細のワインディングと、燃え盛るような錦秋の絶景が織りなす、生と死、いや「歓びとスリル」のワンダーランドへ。
第一幕:霧の関越、そして目覚めの地「魚沼」
未明のハイウェイを突き進む。
魚沼に近づくにつれ、夜の帳を剥ぎ取るようにして現れたのは、視界を阻む圧倒的な濃霧だった。
まさに前哨戦にふわさしい不穏な空気。
朝霧が立ち込めるなか、「道の駅ゆのたに」へM240iを滑り込ませ、短い休息を取る。
自販機で買った熱いコーヒーを喉に流し込み、霧の向こうにそびえる山塊を見上げた。
「ここから先は、一瞬の油断も命取りだな……」
覚悟を決めるように呟き、私は再び漆黒のクーペに火を入れた。
第二幕:天空の頂、牙を剥く「枝折峠」
国道352号へ足を踏み入れる。
突如として始まる、地を這うようなヒルクライム。M240iのFRらしい正確無比なハンドリングで、牙のようなヘアピンを次々とクリアしていく。
辿り着いた枝折峠(しおりとうげ)。
そこには、言葉を失うほどの「天空の絶景」が待っていた。
越後三山の荒々しい稜線が、朝の光に照らされて神々しく輝く。
「ハハッ、これだから酷道攻めはやめられない!」
眼下に広がる圧倒的な雲海を睨みつけながら、私と漆黒のクーペはさらに奥地へと加速した。
第三幕:地下迷宮を抜け、燃え盛る「奥只見ダム」へ
銀山平から進路を、あの伝説の「奥只見シルバーライン」へと切り替える。
全長22kmのうち18kmがトンネルという異形の道。
突入した瞬間、世界は一変した。ゴツゴツとした岩肌が剥き出しの、薄暗く湿った地下迷宮。
「まるで異世界へ引きずり込まれるようだ……」
狂気のように反響するストレート6のエキゾーストノートを聴きながら暗闇を突き抜けると、突如として視界が開けた。
奥只見ダム、そこはまさしく「燃え盛る紅葉の秘境」だった。
「奥只見レイクハウス」に佇み、エメラルドグリーンの湖面と、山々を埋め尽くす赤や黄色のコントラストを眺める。
これを見に来た。この圧倒的なカタルシスのために、私は闇を走ってきたのだ。
第四幕:冬季閉鎖の罠、無限のワインディング「六十里越」
再びR352方面へ引き返し、魚沼方面へ。
ここからが、この旅のハイライト。まもなく訪れる冬の豪雪によって、数日後には外界から完全に閉ざされる運命の道、六十里越道路(国道252号)へ挑む。
「六十里越 雪割り街道」。その美名とは裏腹に、道は険しく、精度と度胸が試される。
「六十里越峠開道記念碑」を通過し、その先に現れたのは、息を呑むほど壮大な田子倉湖(たごくらこ)だ。
視界のすべてが、圧巻の紅葉。
並走するJR只見線の鉄路が、奇跡の折り紙細工のように眼下に広がる。
ここからはM240iの本領発揮だ。無限に続くかと思われるワインディングロード。
「さあ相棒、冬に閉ざされる前に、この道を駆けぬけるぞ!」
コンパクトなクーペボディを右へ、左へと正確に躍らせ、340馬力のトルクが路面を強烈に蹴り上げる。まさに「駆けぬける歓び」の極致。
第五幕:南会津の洗礼
無限のワインディングを駆け抜け、ついに福島県・南会津へと抜け出た。
張り詰めた緊張感が解けた瞬間、強烈な空腹が襲う。
目指すは、かつて立ち寄った記憶の場所――「豚太郎(とんたろう)」。
暖簾をくぐり、迷わず注文したのは、名物のソースかつ丼だ。
サクッとした衣に、甘辛く濃厚なソースがたっぷりと染み込んだ分厚いカツ。
「これだよ、これ!酷道を走りきった身体に、この濃い味が最高に染みる!」
一口かじれば、五臓六腑にエネルギーが染み渡る。酷道を制した男にしか許されない、至高のご褒美。
お腹を満たした後は、余韻に浸りながらR121、R400を繋ぎ、さらなる紅葉の核心部へとM240iを滑らせた。
第六幕:鮮烈なる追撃、もみじラインから日光街道へ
旅はまだ終わらない。R400から漆黒のクーペが牙を剥いたのは、さらなる名作ワインディング「日塩もみじライン」だ。
頭上を埋め尽くす鮮やかな紅葉のトンネルが、スピードを上げるごとに真紅の残像となって流れていく。
「富士見台」へと駆け上がり、かつて火山だった山々の雄大な稜線を一望する。
そして、鬼怒川の秘境たる「龍王峡」の険しい峡谷美を横目に、リズミカルなダウンヒルを危なげなくクリアしていく。
やがて道は、歴史の面影を宿す「日光街道」へ。
杉並木が作り出す厳かな木漏れ日のなかを悠々と南下し、15時ちょうど、宇都宮インターチェンジから東北自動車道へと滑り込んだ。
西日に向かって突き進むハイウェイ、M240iはクルージングの如く、滑らかにラストランへと移行する。
「今日の走りは、生涯忘れることはないだろうな……」
流れる景色をバックに、私は心の中で静かに愛車を称えた。
エピローグ:静寂、そして次なる鼓動へ
18時、夜の帳が下りたガレージへと無事に帰還。
エンジンを切ると、静まり返った空間にマフラーが冷めていく「カチン、カチン……」という金属音だけが響く。相棒が深く息を整えているかのようだ。
部屋に戻り、使い込んだデスクの上にBMWの電子キーを静かに置いた。
暗がりのなか、デスクの上に佇む黒いスマートキー。
手のひらに残るステアリングの重みを感じながら、私はその小さな塊をじっと見つめる。
私の心は早くも、このキーが次に解き放つ、まだ見ぬ「未知の秘境」へと向かっていた。
漆黒の弾丸の休息は、そう長くは続かない。
――完――