今回は鉄道の話ばかりです。
富士重工業の車に乗り始めてから、やたらと埼玉西部や群馬を目指すようになったんです。
ホンダの頃も群馬の名湯とかホンダ寄居工場とか、何かと関越には出没していましたが、それに増して埼玉ばかり走ってます。
(多分前オーナー含めても埼玉走った距離が一番長いだろうな、というくらいには)
温泉、そしてそれに伴う都心と山のドライブ。最高ですよね!
県外民の埼玉愛はまあこの辺にして…
今回は奇しくも、同じく東京湾から埼玉西部を目指すスバルの車輌の話。

9107F、これです。
東武9000系という形式なのですが、有楽町線に乗り入れて新木場から埼玉県東松山市の森林公園を目指して38年。
(まあ立ち位置的には森林公園から新木場を目指しているのはさておき)
2013年辺りからは元町中華街にも行くようになりました。
9000系は東急車輌・アルナ工機・富士重工業にて製造されましたが、第7編成は富士重工業にて製造された唯一の編成です。
とても親近感を覚えます。
ちなみに9000系の試作車の第1編成にも2両富士重工業製が組み込まれていましたが、不具合修繕に至らず2023年に廃車されてしまいました。
昭和62年製は筆者と同世代なのも理由の一つ。
そんないろいろな共通点を見つけた結果、もうこれHNで良いだろ、みたいなノリになりました。
とはいえやめなさいと言われたら明日から別なのに変えてもいいです。
むしろスバル降りたらしっくり来なくなるので変える気がします…
mixiとかもやったことはありますが、HNってなかなかしっくりこないですよね、名無しで良いというか。
FBみたいに名乗ってまで何かを記録するなんてもってのほか、な感覚です。。
しかし「名無し」というHNもなんか違う。難儀な奴だなw
改造から18年、変な色になってしまったLED行先表示。
今回9107Fを待っている間に、何編成か9000系を見送ったんですが、いずれもこんな感じでした。。

9102F

9105F

これは最初に見送った9106Fかな?
これらは、来年度には新型に置き換えられるそうです。
学生の頃、同世代の0系新幹線が引退するのを淋しく思う教諭がいたけれども、多分同じような心境でしょう。
葬式鉄はあまり趣味ではないのですが、まだそんなにカメコも湧いていないこともあり
スバル製の電車に会うべく、今回初めて運用を調べました。
https://loo-ool.com/rail/TJ/(外部サイト)
11/24、休日ダイヤの9107Fは
09Tでした。
遡ること1週間、11/16の09Tは
50075Fだったので、その編成の翌日を見ると
09T(平日)という運用に入っていることが分かりました。
新木場9時着なので、8:30頃から新木場駅で待機。
直前に池袋で遅延が発生したようですが、少し遅れて無事9107Fに会えました。
筆者は何事も俄で一回やれば気が済むような性分なので、運用を調べるのはこれが最初で最後かもしれません。。
車を所有してからほぼ乗り鉄はやらなくなりましたが、やはり日頃から乗っていてこそ思い出も積もるというものです。
9107F含め9000系は通学でよくお世話になった車輌でした。
他の営団の7000系はジャカルタに行き、西武の6000系もいつのまにか古株に…
しかし時の流れは止められず、こればかりは仕方ないですね。
せっかくなので帰りにメトロの蕎麦屋も食ってきました。懐かしい。
9000系が東上線を追われた後の動向は分かりませんが、とりあえずVVVFインバーターではない編成(9107F含む)は廃車が濃厚みたいです。
もしその後も機会があれば会いに行ってみたいものです。
時間もなくたった二駅ですが、豊洲で9107Fとお別れして新名所へ行ってきました。
旧晴海鉄道橋です。
臨港鉄道の鉄道橋が、公園のアトラクションとして復活する胸熱展開でした。
こうして見ると、一応舟が下をくぐれるようにアーチ橋を設けたんだなと分かります。
まだ筆者が車を所有していない時代、よく晴海通りを自転車で通過していたのですが
「あんな所に線路…?」と不思議に思っていたものです。
当時は国鉄貨物線の残骸なのかと思っていたんですが、違いましたね
この橋に出会った頃は既に遺構だったので、現役時代の周辺は流石に存じ上げないのですが
今や知らない者はいないくらいハイソな街になった豊洲月島でも、姿形を変えずに無くさず残ってくれたのは良いですね
(機関車が走れる程度には頑丈だし、撤去するにも金がかかるならいっそ有効活用する、という大人の事情なのかな?と邪推してみますが)
博物館行きでも御の字だけど、9000系もどこかに動態で細々生き残ってくれたら嬉しいですね。