

さっそく倉庫からw650を出そうと思い手をかける瞬間、
クオリティの差を感じてしまう。

何というか明らかに車体としての質感が違うのだ
まず軽いのだ
軽いといっても200キロの車体なのでずっしりと重いのだが
バレット500と比較すると車両を手で転がす時の車輪とかから出るノイズや雑味が
ほぼ無い
これは、これからエンジンをかけて発進させるときこれまで(バレット500)との
次元の違いを期待させそれが現実となってしまったのだ

この車両はセル。キック併用のスタートだがここはあえてキック始動で始めようと思う
オートデコンプという事だが抵抗はある
キックは降りるが体重をかけた踏みおろし方法でないとクランクは回らない
エンジンがかかるとバレット500のサウンドおよびブレスとは明らかに違う
直列2気筒で部品点数の数が多いにもかかわらず圧倒的にメカノイズと振動が少ないのだ
ギアを入れて進むと違いが出てくる
バレット500の前後19インチホイールのタイヤは回りだすと遠心力によるジャイロ効果で
直進は確かに安定するがそれは見方を変えると直進という拘束力が出現するという意味であり
曲がるとき意識して車体を倒すなどの力をかけないとクイックに曲がれない事を意味している。
つまり癖があるのだ
しかしW650はどうか?
目線を進行方向に向けただけでスイートに曲がるではないか!
ジャイロ効果による拘束力なんて微塵も感じない
そして驚くべきはギアチェンジのフィーリングだ
「ガチャン☆」
この1クッションでギアチェンジ完了!
シフトペダルをチョンと動かすだけ!
しっかり「ガッ!ッコン!」とやらなければ変速しないバレット500とは違う
複数の辻褄の重ね合わせによるギミックが変速を恐ろしいくらいスムーズかつ確実に成し遂げている
瞬発的にギアチェンジできる変速機はシグナルスタートにおいて圧倒的に優位に立てることを意味しているのだ

ヴィンテージバイクのブレーキは効かないというのは誤りだ
厳密にはリアブレーキしか使えないのだ
フロントブレーキは補助役程度だ
ガンダムに例えるなら
リアブレーキがガンダム
ならフロントブレーキはドップ
それぐらい性能の差というか信用度が違うのだ
要するに
止まらないのだ

しかしフロントがドラムからディスクに変わったとき様子が変わる
今度はリアがガンダムだとしたらフロントはゲルググだ
使用頻度が向上し
主力ブレーキのひとつに変わってしまったのだ
見事なまでの格の上がりである
これによりフロントブレーキは使用頻度が圧倒的に多くなったといえる
2000年まで東名高速のバイクの制限速度は80キロだったのを存じているだろうか
その当時は「80で走ってるやつなんていねぇよ!」とか「時代錯誤も甚だしい」という認識で気にもかけていなかったのが
多数派であった
しかしバレット500で東名を走ると制限速度80キロは正解であるという認識になってしまう。
もちろん100キロ走行は可能だが、その車体から波動する振動、メカノイズは
その速度を巡航し続けるとエンジン内部の各部品は金属疲労による部品損壊が始まり
いずれその心臓部は破局的崩壊によってバレット500は鉄の塊の集合体へと退化して
それにより自身が東名高速道路という陸の孤島に一人取り残されて難民としてこの非日常世界を
彷徨い続けなければならないというサクセスストーリーが脳裏を過ぎてしまうのだ
(実際は壊れない)
ではw650はどうか?
並列2気筒とはいえ排気量650もあり単純計算で325ccのヴァイブの数が倍になって
乗り手を襲い掛かり時速80キロの時点では
それはそれは鼓動にまみれた前進運動を喰らい続けるだろうと世界の誰もが想像しただろう
しかし、その実態は
ドコドコ感がまったく無く、まるで4気筒なのだ
それどころかこいつはまだ加速しようとするのだ
あっという間に100キロである
あの禁断の100キロである
ストレスなんて無く
まるでこの100キロが自分のホームであるかのように進み続けるのだ
あの禁断の領域からさらに110…120、そして130!
そこはバレット500の視点からは禁断から禁忌の世界だ
そこでは自らが切り裂いた空気の壁が
すでに上半身すべてを空気抵抗という見えない摩擦係数によって
後方の虚数世界へと引きずり込まれようとしている。
そんな状況下ではさすがにエンジンの音色は唸り声へとシフトしているが
振動はその唸りに対して圧倒的に少ない
広報では「エンジンに内臓する1軸バランサーとゴムブッシュラバーマウントにより…」
とか書かれているがどうでもいい。
それは時速100キロ以上の連続走行の可能を示したそれは
自由時間の限られた社会人における行動範囲の拡張を約束された物da
驚くべきことはこれだけのアバンギャルドな運転を滾らせてもエンジンオイルの
噴出し、滲み、直垂が見受けられない

ブリーザーホースからのオイル撒き散らし当たり前のバレット500の視点で見れば設計思想の違いが明らかだ
乗り終わった後車体は所々にオイルの滲みや吹き出しで車体が汚れ
それらをふき取りそこで初めて乗り終わるのがバレット500であり
それがこのバイクの通過儀式だ
しかしw650はそれら一連の通過儀式は存在しない
それはオイルとの終わり無き戦いから開放された証なのだ
バレット500視点からみたw650で
w650を起動させレビューが終焉した
しかしそれはオイル交換の序章にすぎなかった
