
i(アイ)のすべてとi-MiEVのすべて、からわかった、この人の意思といろんな奇跡が重なって、この日本でこんなに面白いクルマができあがったというハナシ。
このクルマが発売できたのは、以下3点による。①三菱がekワゴンという量販車をすでに持っていたこと、②ダイムラークライスラー(DCX)との提携時に開発を止められなかったこと、③相川哲郎常務(タイトル写真のち社長:2014-2016在任)の発案と細々とチームを維持して発売に漕ぎつけた力量。特に③が重要で、「最後はヒトの力だな!」っと!!
①初代ekワゴン(これは相川さんが陣頭に立って開発した、これも実直でイイクルマだった)という量販車を持っていたことで、軽の第2車種としてデザイン・パッケージ自由度の高いレイアウトが採用できる土壌が生まれた。一方、DCXとの提携でスマート向けにRRエンジンを供給できたことでエンジンの量産コストを下げることができ、ミドシップ採用への道筋がついた。
②DCXがらみではスマートとのデザイン類似性が感じられるが、実はほとんど関係なく、むしろこのクルマを見せるたびにやめろやめろと言われ続けたが、チーム解散まではさせられなかった。(DCXの懐の深さもあったのか?ある意味これも奇跡!)なお、この時点で相川さんがi(アイ)のコンセプトカーが電気自動車にしやすいかどうか気にしていたらしいから、構想として考えていたことは明白。
③相川常務(当時)発案のレイアウトがi(アイ)のチームに引き継がれ、すべて新設計ながら量販車として発売できたことで、i-MiEVがその新プラットフォームを活用する恩恵にあずかれた。つまりi-MiEVはi(アイ)の量産によってエンジン以外のコストも引き下げられた新プラットフォームを活用できた結果、開発をバッテリーとモーターに集中できたのだろう。そのため皮肉なことに当のi(アイ)が量産打ち切りした後でもそのまま償却落ちコスト(厳密にいうと少量生産化のコストアップはあろうが)で継続して生産できたのだ。(これがなければi-MiEVの売価は高値止まりして購買層も広がらなかっただろう)それもこれも相川常務(のち社長)の力量に他ならないと言っていいと思う。
他にも、将来の電気自動車化を見据えていたためかどうか、ルーフの高さを立体駐車場に入る高さに抑える、といった営業的なちっぽけな大義名分に拘らなかった結果、初代Aクラスみたいに電気自動車(このAクラスは成就できなかったけど)になったときに狭っ苦しいパッケージングでよしっとならなかったことは、このクルマの幸運と感じる。ってなことまでは読本には書いてなかったけど、相川さんの意思みたいなものはなんとなく感じる。(ekワゴンを入る高さにしたから、ということもあろうが、このルーフ高みたいな重要なことは当然相川さんにも相談しただろう)
そんなわけで結論。相川さんにとってi-MiEVは見かけとは裏腹にクルマ屋として用意周到に世に放った究極のラスボス(最終進化形)だったのではないかと想像する。チームや会社は相川さんの敷いたレールに沿って仕事をしたにすぎないのだ。
やはり、こういうクルマの誕生にはいわゆるカー・ガイという裏のキーマンが必要だなっと思った。三菱にも根っからのクルマ屋さんがいたんだね~願わくば、このi(アイ)の遺産といってもいいi-MiEVが2020年代初頭には訪れるであろう電気自動車界の大海原の中で燦然と光輝くマイルストーンとなっていてほしい、とは願いすぎだろうか?というわけで、このコとは今後も末長くお付き合いしていきたいと思うのでありますっ(^^ゞ 蛇足ですが、私は三菱自動車とは何の関係もありません。読本から読み取った内容に多少の想像力を働かせて書いたものです、お粗末さまでした、、、
Posted at 2017/08/21 21:05:42 | |
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