
台風12号の元々の進路からは外れたも 夜明け前から本降りの雨が降り続く流れ。
最高気温など20度に達することなくの18度予報に どう考えても身体の免疫力の低下は言うまでもなく・・・
そこにコロナ渦のWパンチは考えただけで憂鬱から 安全第一の何かしら楽しみでも見つけなければとてもじゃないがやっていけない!
とても天気にマッチとは思えない楽曲の選曲は まぁ~そんな日もある♪の軽やかさ。
明日夜に帰っていく妹のリクエストに叶えるべくの妹同伴の珍しい朝からの徘徊は 涼しくなったのもあり温泉に行きたい♪
何せ愛知県と宮城県との違いは散々聞かされたも 一番驚いたのはゴキブリ出てきやがる!の話。
ゴキブリほいほい等のゴキブリ退治商品は見かけるも 思えば我が人生 ゴキブリって見たことがないの発覚!
5センチ前後のミニ怪物らしく 悲鳴上げながらも自力で部屋から外へ追い出してるなる苦労話に涙をも呑む!

さすが我が妹 コンビニのマイブームはまさかの一致!
たまにはお兄ちゃんもセンスいいねぇ~!
コロナに対する消毒やマスクの徹底など お兄さんはズタズタに指導されまくりもあり 上から発言されようと頭が下がる思いに唇噛みしめ耐える兄!

相変わらずの雨降りに気温15度も 温泉に捉えれば好条件と化す♪

朝6時30分オープンに合わせての人混み避ける行いに よくぞ妹付いてこれたものだ。
男湯と女湯に分かれて浴室に向かいいざ浴槽へ行けば えっ!?・・・
TV局と思われる巨大カメラの操作担当に照明担当に監督の3人が 何やら湯の放出部を動画撮影している模様に これはヤバい!の直感だ!
シャワー浴び 即一番離れた端の湯船に浸かるは
もしかしたらTV出演がまさかの裸!? の世にも恐ろしい最大級の恐怖体験!
最悪の場合 股間部のみニコちゃんマークでもしてくれればいいが・・・
我側に避難しての数名の入浴は 早く帰ってくれないかなぁ~と こっち来たりして!?の思いは皆一致の絆が生まれる。
嫌な予感的中は こちら側に寄って来ての動画撮影だ!
視線というか何というか避けるに避けられない雰囲気に 避けるタイミングを見計らうに全力を注ぐ。
監督さんにお聞きすれば KHBの「突撃! ナマイキTV」の収録で ちなみに来月10月12日放送分との事。
どんな仕上がりなのか それより何より裸の我 TV出演しているのか気になるトコ! さすがにドキドキでならない!
いや~さすがに居心地の悪さから早めに温泉を出る なんて日だ!っていうか もはや笑えてくる♪

温泉を出て 自販機での定番は瓶入り牛乳♪
朝から牛乳は腹痛催す事アリも 自身への警告をも忘れる牛乳の一気飲みは何せ・・・
KHB関係者による駐車場の様子も撮影は 我が相棒君の目の前から全体を撮影・・・
間違いなく相棒君のTV出演!?とオマケにナンバープレートもTV初公開か!?
みんカラ内でのナンバープレートのモザイク忘れとは 桁が違うようにも思えてならない。

KHB放送局 まさかのヴェルファイアは何もステッカー無しに さすがに気が付かなかった!
その後 蔵王エコーライン方面へ消えていったヴェルファイアは果たして何処へ向かっていったのかも合わせて10月12日の放送が気になる!

妹にLINE送れば後30分待っての連絡から 制限時間アリの一人徘徊に出る。久々の宮城の温泉に しっかり浸かりたいのだろう。
我が相棒君の向かい側には 昨年8月に消えたハズの前相棒君出現!?にビビる。

政府登録国際観光旅館なる明らかに地位の高いであろうホテルも 今では悲しい光景に。

誰もこっちを見てないよね!? のドキドキ精神は未だ小学生並みのkosey。

エントランスなど悲惨すぎる!
ナゼこうなった?も どっかのガラ悪いヤツらの仕業に思えてならない。

次々と廃墟の探索する某ユーチューバーであらば嬉しい物件だろうも やはり勝手に入って行くは常識的に・・・
怖すぎて入れない!もあるが・・・
カメラをズームにする事だけでもドキドキな恐怖だというのに 某ユーチューバーの廃墟内への潜入はとてもマネできないを思い知らされる!
長居などしてられず即その場を離れる。

お約束の地へも寄るが 雨の強まりから これ以上は進まずの折り返し。

制限の30分を迎え 妹を回収しに再度温泉駐車場へ戻り 無事乗せての帰宅路では TV局来てた!の報告に大爆笑される流れ。
さすがツイてないお兄ちゃん♪
そうは言われてもまぁ~正直 兄としては 妹が笑ってくれる事に喜びを感じるのだが・・・
スマホには通知ONのスケジュール登録をしておいた!
何としても録画及び視聴は忘れてはならない重要事項は吉と出るか凶と出るか!

尚 先日のお彼岸でのお墓参りは ささやかながら祖父母の好物のお供えをしての 生かされていることへの感謝の意をしっかり伝える。
肉や魚はお供え物として本来は相応しくないらしいも 何せ特に祖母は寿司を好んだ事から 相応しくないなど母親含めて我ら兄弟もあまり気にしない家系。
しっかりお参りを終えた後 その場でお供え物を分け合って食べるお約束も済み また来るからね~♪の明るい表情で先祖様と別れ。
まもなく祖母が亡くなってから半年の月日 振り返れば毎日のように涙腺が緩んでいたと思う日々でした。
戦争の激化により 東京都から宮城県へ祖母含めた兄弟の疎開・・・
祖母の兄が言うに 当時幼かった祖母は母親と別れてしまい 毎日大泣きの日々だったという。
その後は宮城県に祖母の母親も移住して来て再会を果たすも あまりの辛さの体験からか 祖母はあまり戦争体験を語る事なく亡くなっていった。
戦争体験を語り継ぐべきと考える方もいるが やはり語りたくない方も実際には・・・
そういった流れもあり宮城県民として生活は 何不自由なく暮らせておりますの感謝申し上げます。